第16話-2 生活
アレクサンダーは、しばらくミハエルと向き合って勉強をしていた。
教材とノートを並べるだけで、狭いテーブルの上がいっぱいになる。
ミハエルな課題の進みが速い。アレクサンダーは感心する。
「さすがだな」
ミハエルは、勉強への集中力が相当ある方だろう。
取り掛かるやいなや勉強に入りこんで、一心不乱に問題を解いている。
「嫌味だな。学年主席は君がかっさらっていっただろ」
ミハエルが顔を歪めている。
「やっぱり一番じゃないと悔しいのか?」
「そりゃあ」
ミハエルは忌々しげだ。
「卒業まで主席で貫き通すつもりが、君のせいで台無しだ」
ノートに目線を落としながら、眉間にシワをよせている。
目を伏せると長い睫毛が優美な扇のように際立つ。
ミハエルがどんなに悔しがっても、こればかりは実力の差なのだから仕方がない。
アレクサンダーはミハエルの蒼白い顔を見て、ふと、前から気になっていたことを口にしていた。
「お前さ、ちゃんとメシ食ってんのか?」
最初に見た時から思っていたが、ミハエルは痩せている。
背こそ高いものの、ただでさえ華奢で体の線が細い。
運動も苦手そうであるし、そもそも体力がなさそうだ。
風邪でやつれたのはだいぶ回復したようではあるが、今でもたまに、顔色の悪い日がある。
はたして、使用人が準備してくれる食事は、ちゃんと量が足りているのだろうか。
他人の家庭の食事の事情を気にするのは、はしたないと思いつつ、それにしても細身のミハエルをみていると、どうにも心配になってくる。
「食べてるよ」
ミハエルが訳もなさそうに答える。
ほら、と細い指でさした先には、整理棚に置かれた籠があった。
その中に食事が入っているという意味らしい。
食事が乾かないようにするためだろう、籠には布がかけられている。
アレクサンダーは棚まで行って、籠の布を取って中を覗いてみた。
そこには、パンとソーセージ、それからキャベツの漬物が入っている。
どうやら、この日の夕食のようだ。
朝と昼の食べ終わった隙間分、籠の三分の二は空いている。
「三食分、きっちり食べてる」
ミハエルは、ほらな、と得意げな顔をしてみせた。
しかし、アレクサンダーにしてみると、充分とは言えない量だ。
さほど大きくない籠から一食分を割り出すと、それぞれの量としては、やはり育ち盛りの男の子には乏しいのではないかと思う。
「本当に、この量で足りているのか?」
「足りているよ」
ミハエルは、アレクサンダーに訊かれて不服そうだ。
が、本当に食事の内容には不満がなさそうだ。
「自分で食事を温めているのか?」
小屋の暖炉は竈門と兼用になっている。
暖炉の上の壁にも、フライパンと小鍋、そして小さな網が掛かっているところを見ると、最低限の調理器具はそろっているようだ。
自分で食事を温め直そうと思えばできなくもない。
「そんな手間のかかること、するわけない」
ミハエルはノートの上に鉛筆を滑らせながら、面倒くさそうに答えている。
たしかに、壁にかかった調理器具が使われた形跡はなさそうだ。
アレクサンダーは、ミハエルが三食とも冷たい食事をとっていることを察する。
ミハエルは顔を上げると、アレクサンダーがなんとも言えない表情をしているのに気がついたようだ。
ムッとした顔をしている。
「胃に入れば一緒だ」
「まあ、それはそうだが」
「別に、僕は食べることに対して興味もこだわりも無いしね」
「そうか……」
アレクサンダーはそれ以上、かける言葉が見つからなかった。
ひとまず、ミハエルが一日に三回、食事を摂っていることは分かった。
(それにしても)
と、アレクサンダーは思いを巡らせる。
ゲルステンビュッテル家の食卓が世間一般よりだいぶ豊かなことは置いておいても、一般的な家庭でも、一日に一度くらいは家族と温かい食事をとるものだ。
ミハエルは気にしていない様子であるが、毎食、冷え切ったものを食べているとなると、やはり何か味気ない気がする。
(そりゃあ、元気も出ないだろうな)
アレクサンダーは顎に手をあてて考えると、頭の中で、あることを思いついていた。
二人は再び勉強に戻る。
ふと、アレクサンダーは鉛筆を握るミハエルの手がところどころ霜焼けができているいたことに気づいた。
ミハエルの手をよく見ようと、無意識に手を伸ばす。
「な、何?」
ミハエルは、ハッとして咄嗟にアレクサンダーの手を振り払った。
顔には、かすかな怯えが含まれている。
「ああ、いや、霜焼けが痛そうだと思って」
「触らないで」
ミハエルは露骨に嫌そうな顔をした。
そういえば以前、とアレクサンダーは思い起こす。
ミハエルの頭をなでた時も、じゃれて肩に腕をまわした時も、あからさま拒否された。
身体に触れられた時のミハエルの反応は、どこか神経質すぎる気がする。
それに、最近気づいたのであるが、ミハエルはアレクサンダーと体が触れそうになると、さりげなく体の位置を変えている。
「すまん。これからは気をつける」
道端で見知らぬものに勝手に触られた記憶が、もしかしたら彼にとって心的外傷になっているのかもしれない。
アレクサンダーは、そう推測した。
アレクサンダーは、話題を切り替えるつもりで尋ねる。
「糖衣菓子は食べたか?」
「え? ……ああ」
ミハエルは返事をしながら、ちらりと後ろの書机の上の紙袋に目をやった。
アレクサンダーが先日無理やり置いていったお菓子を、口にはしてくれたようだ。
アレクサンダーは、鞄の中から新しい差し入れを取り出した。
中には固く焼しめたブレーツンが入っている。
水分が飛ばしてあるので、多少日持ちがする。
「こんな気遣いはいいから、もうここに来るなってば」
ミハエルが気まずそうにブレーツンの入った紙袋を押し返す。それをアレクサンダーはさらに押し返す。
ミハエルは、頑なに受け取ろうとしない。
時計の針は、もう帰る時間を指していた。
アレクサンダーはテーブルの上に無理やり紙袋を置くと、また明日、とミハエルに声をかけた。
この日も、ミハエルは見送りには出て来なかった。
アレクサンダーが帰った後、いったい、ミハエルは一人でどんな顔をして過ごしているのだろう。
一度でいいから見てみたい気がした。




