第16話-1 生活
アレクサンダーがギムナジウムの帰りにミハエルの小屋に通い始めて一週間。
“ミハエル・ダミッシュ”を観察していて分かったことは三つある。
身の周りのことは自分ですること、少食であること、そして、人に触れられるのを嫌うこと。
外は雪のちらつく日が増してきた。
ミハエルの元を見舞いで訪ねて以降、アレクサンダーは週末を覗いて毎日のように彼の小屋に押しかけている。
訂正、訪ねている。
この日も寸でのところで、危うく裏門で締め出されそうになった。
が、力の差でミハエルに勝った。
授業で遅れをとった範囲を教えるという口実で入り浸っていたが、ミハエルの勉学への理解力が高く、予定よりも早く追いついてしまった。
「ここへ来て良いのは、勉強の遅れを取り戻す間だけって言っただろ」
小屋の錠を開けながら、ミハエルは声こそ静かだが言い方に棘がある。
(ま、当然の反応だよな)
不機嫌を隠さないミハエルにそんなふうに思いながら、鍵が開けられるのを待った。
裏門の方は閑散としていて、滅多に使用人も通らない。
稀に通りかかると、何やらアレクサンダーのことをしっかりと口止めしている。
(招かれざる客ってか)
事実、その通りである。
ミハエルは、自宅の敷地内にうっかりアレクサンダーを入れてしまったことに納得がいっていない様子だ。
アレクサンダーは、そんなミハエルに構わず小屋の中についていった。
誰もいない小屋の中は真っ暗で、哀しいほど寒々しい。
ミハエルは小屋の奥の暗がりに進んでいくと、手袋をはずしてランプに明かりを灯しはじめている。
それから部屋を暖めるべく、マッチを手に取って暖炉の前で跪いた。
ミハエルの手元に目をやると、寒さで小刻みに震えている。
アレクサンダーの頭に、思わず実家の玄関口が思い浮かんだ。
使用人が出迎えてくれる暖かくて大きな玄関広場。
それらを明るくやわらかに照らす燈火。
頭の中で、実家の温かな出迎えと、誰が出迎えてくれるわけでもない寒々しい小屋の中を比較していることに気づき、アレクサンダーはミハエルに気づかれないように頭を振る。
ミハエルの手によって手際よく暖炉に火が焚べられると、炎に照らされて飾りも素っ気もない部屋が浮かび上がった。
アレクサンダーが見回すと、小屋の中はきれいに整頓されている。
寝台の布団は丁寧に整えられており、書机もテーブルの上も何も置かれていない状態だ。
屋内が散らかっていたのは、アレクサンダーが見舞いと称して初めて押し入った日の一度きりである。
だが、整然と物が片付けられていることが、かえって、この部屋をますます殺風景にさせているようにも思える。
アレクサンダーは以前からに気になっていたことを尋ねてみた。
「身の回りのことは使用人が世話をしてくれるのか?」
「誰もこの部屋に入らせない」
ミハエルは暖炉の前に火よけ柵を置きながら、振り返りもせずに答えている。
「つまり、すべて自分でやっているということだな?」
「まあね」
愛想なく返され、アレクサンダーは思い切って、もう一歩踏み込んで尋ねてみた。
「食事はどうしているんだ? それに、薪や水の補充は? 衣服は? 掃除は?」
矢継ぎ早の質問に、ミハエルが端的に答えたのは、こうだ。
「補充が必要なものだけ使用人が用意してくれる。あとは自分でやる」
アレクサンダーは目を丸くした。
「なんでまた、そんな生活を」
ここまで問うて、ミハエルにジロリと睨みつけられる。
「僕の生活を知って、一体どうするつもりなんだよ?」
「いや、興味があって」
「だから、なんでわざわざ僕に興味なんか……」
ミハエルは、ため息をついている。
ミハエルの生活は興味深い。というよりも、不可解である。
身の回りのことは悉く使用人にやってもらうアレクサンダーであるが、日々の勉強に加えて身の周りのことまで一切合切自分でするとなると、いかに大変か容易に想像がつく。
例えばダミッシュ家が使用人を多く雇えない家ならばここまで不思議に思うこともなかっただろう。
そうせざるを得ない環境なのだから納得がいく。
しかし、本邸ではおそらく、複数の使用人が雇われている。
それならば、なにもこんな場所に自身を引き離して生活の手間を背負わなくてもいいのではないか。
もしくは、場所を移したところで身の回りの世話は使用人に任せてしまえばいいではないか、と思う。
そんなことを考えるアレクサンダーを前に、ミハエルは複雑な表情を浮かべている。
「僕のことを知る必要なんてないって言っているだろ」
「お前に興味を持つことが、そんなに悪いことか?」
アレクサンダーはわざとミハエルに揺さぶりをかけることにした。
「それとも、訊かれて何か不都合な事でもあるのか?」
ニヤリと口元に笑みを浮かべる。
ミハエルはピリッと殺気立った。眉間にシワを寄せている。
それから少し考える素振りをすると、思い直したかのように、次のことを教えてくれた。
本邸の端に洗濯部屋がある。
使用人たちがこの家の洗濯物を全て管理しているわけであるが、補充品などミハエルの生活に必要なものはメモを渡しておけば、その場所に取りまとめておいてくれるのだと。
ミハエルは一日に一度、洗濯部屋まで食事を取りに行く。
その際に頼んでおいた荷物をまとめて小屋まで持って運んで帰るのだという。
ミハエルは、言葉を選びながら説明した。
「使用人は小屋まで持ってきてくれないのか?」
「自分の都合の良い時間に取りに行く方が楽だ」
身の回りのことは全て使用人にしてもらうアレクサンダーにしてみれば、ミハエルの生活の仕方は、ある意味逞しい。
その一方で、ミハエルの置かれている状況を果たして本当に“自立”と捉えて良いのか測りかねるところがある。
本人が望んでこの場所で生活をしているのだから何も心配することなど無いのかもしれない。
けれども、目の前の風景は、あまりにも侘しすぎる。
「自分の部屋が屋敷の外にあるだけだ。家の敷地内で暮らしていることに変わりない」
ミハエルは何気ない様子を装っているが、まるでこの場所で生活することの正当性を、自分に言い聞かせているようにも聞こえる。
「……所詮、親の庇護下だしね」
ミハエルの声には、どこか哀しい響きが含まれている。
親の庇護下といえば、アレクサンダーだって、そうだ。
アレクサンダーは顎に手をあてて、無意識に次のことを口にしていた。
「そこまで人嫌いなのか?」
「え?」
「ああ、いや、ギムナジウムでも家でもあんまり人と関わらないから、人嫌いなのかと思って」
「……………」
シンと気まずい沈黙が降りる。
もしかして、ミハエルは別にそういうつもりでやっているわけではないということか。
ミハエルが素っ気なく言い放った。
「そうだよ、僕は人が嫌いなんだ。だから君にも、もう二度とここに来てほしくないね」
追い払う口実に使われてしまった。
悪気が無かったとはいえ「人嫌いか」などと本人に向けて言うべきではなかったかもしれない。
アレクサンダーは反省する。
「ごめん」
そんなアレクサンダーをよそに、ミハエルは口もきかずに鞄の中身を片付け始めている。
「な、一緒に課題やろうぜ」
「帰れよ。自分の家でやれ」
ミハエルは辛辣な言葉を投げつけながらも、目の前で、テーブルの上に教科書を広げはじめている。




