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銀色の雲の上  作者: 町屋りんご


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第17話 食卓

ミハエルは、アレクサンダーが置いて帰った紙袋にちらりと目をやった。


例の貴族は小屋を訪ねてくるたびに、やたらと差し入れを持ってくる。


(いったい、どういうつもりで)


先ほどの夕刻には、自身の生活についてアレクサンダーからあれこれ質問され、軽はずみに答えてしまった。


(あんなこと、わざわざ教えてやらなくても良かったんだ)


アレクサンダーの煽りにまんまと乗ってしまった。悔いている。


頑なに黙っているのもかえって不自然かと思い、つい洗濯部屋ヴァッシュキュッへのことを喋った。


ミハエルは自身の軽率さが嫌になって思わず書机に突っ伏す。


しばらくそうした後、先ほどまでアレクサンダーが座っていた椅子に目をやった。


狭い小屋にも関わらず、アレサンダーが帰った後は、人一人(ひとり)分、ぽっかりと空間が空いたように感じる。

小屋に入ることを一度でも許してしまったがために、この部屋をじわじわとアレクサンダーの気配に侵食されつつある。


(迂闊だった)


一歩でもアレクサンダーに敷地に踏み込ませたことを悔いたところで、今さら時間を巻き戻せるわけでもない。


巻き戻したところで、アレクサンダーには敵わない。


ミハエルはむしゃくしゃした気分を紛らわせるために、書机の引き出しからショコラーデ(チョコレート)を取り出した。

包み紙を剥いておもむろに口に放り込む。


なめらかにとけていくショコラーデを舌の上でゆっくりと味わうと、一緒に一日の疲れもみるみる溶けていくようだ。

ミハエルにとって数少ない至福の瞬間である。


ショコラーデは使用人が準備してくれる食事に、ごく稀についてくる。


きれいな包み紙でひとつひとつ包装されているのは、おそらく本宅で来客用に管理されているものだからだろう。

名乗りこそしないが、屋敷に一人くらいミハエルを気にかけてくれる使用人も居るのかもしれない。


ミハエルは食事にショコラーデがついてくると、しばらくのあいだ引き出しの中に取っておく。

そして気分がすぐれないときに楽しむ。

文字通り“とっておき”なのだった。


口の中のショコラーデが溶けきると、ミハエルは籠に入っている夕食に手をつけることにした。

さっさとお腹に詰め込んでしまうつもりだ。


先程、アレクサンダーがミハエルの食事の事情を気にかけていたが、ミハエルは自身の食事に関して何とも思っていない。


準備される食事の内容はたしかに質素であるかもしれない。

けれども、本来は使用人のために用意されている献立メニューだ。

内容に多少の変化はあるし、別段食べられない代物を押しつけられているわけでもない。


ミハエルはそもそも食にこだわりがない。加えて少食でもある。

たとえ同じ食事が続いたとしても淡々と受けいれるだけだ。


使用人たちとは家の敷地内で、ほとんど居合わせない。

それでも三食分の食事が詰められた籠を、洗濯部屋の定位置に毎日失念することなく置いておいてくれる。


ミハエルはそれで充分だと思っている。


ミハエルにとって食事は、味わうというよりも生命維持のための日課ルーティンに過ぎない。


実母がまだこの家に居て、ミハエルが本宅の子ども部屋に居た頃のことである。


物心ついたときには、既に両親の仲は険悪だった。

たまに父を含め家族三人で食卓を囲むこともあった。

空気は二人が席に着いた瞬間から、キリキリと張り詰めていた。


会話もなく、いつもピリついた空気の中で夕餐が開始される。

皿に盛られた食事がいかに温かい湯気を立てていようとも、食卓の空気はいつも冷めきっていた。


張り詰めていた空気は、大抵何かのはずみで糸のように簡単にプツリと切れてしまう。


母親の金切り声、父親の煮えたぎるような怒号。


激昂していよいよ烈しく叩かれる食卓テーブルクロスに飛び散るスープ。


罵声が飛び交う食卓で身を縮こませて見守りながら、幼きミハエルは全身から冷汗が噴き出す思いだった。

恐る恐るスプーンを口に運ぼうとするが、運ぶ手が震えてしまって上手く食べられない。

目の前の光景に気が気ではなかった。

スプーンがうまく口にたどりつこうとも、食事の味など無いに等しかった。


ミハエルはふと我に返り、静まり返った小屋の中で夕食を食べ終えた。


それから無言で椅子から立ち上がると、小屋の入口の整理棚に籠を戻しに行く。

腹が落ち着けば再び勉強に取りかからねばならない。

ミハエルは書机について、胃の消化を待つことにした。


しばらく沈み込んで書机に突っ伏する。

やがて身を起こして、机の端に置かれた紙袋に目をやった。


たびたびアレクサンダーが持ってくる差し入れは、押しかけてくる詫びのつもりなのだだろうか。

それとも、こちらへの憐れみか。


まさか、本当に純粋な善意だというのか。


いずれにせよ、自分がこのブレーツン(プレッツェル)に口をつけることを知っている。


ミハエルは、自分の置かれた状況に訳が分からず、再び書机に突っ伏した。

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