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「はぁぁぁ」


 溜め息を盛大に垂れ流しながら相談室を出て、ウーラニア邸へ向かおうと思った。

 今日の私は非番で、本来なら相談室にいてはいけなかった。


「転職、失敗しちゃった?」

「うわぁっ!」


 相談室を貸してくれたニーナが部屋の前で待っていた。

 魔法で防音されているとはいえ、盗み聞きされたのではと勘ぐってしまう。


「いえ、なんとか転職してもらいました」

「そう。うまくいったんだ」

「急な頼みなのに、相談室を貸してくれてありがとうございます」

「んふ、ならさ、仕事終りに付き合ってよ」

「え」


 先輩のニーナは、厄介事をよく運んでくる。

 いやな予感がした。


「実はさ、相談を受けてた人同士で夫婦になっちゃって、そのお祝いをしようと思って」

「……ニーナさんだけ業務が違いませんか?」

「なーんか、転職じゃなくて恋愛相談室になってるのよねー。で、どう?」

「まぁ、いいですけど……」

「じゃ、夕暮れの時間に幸せの世界樹亭で待ち合わせね。大丈夫、みんなよく相談に来る人ばかりだから」

「無職の集まりとかじゃないですよね?」

「あー、たぶんお金は持ってると思う。たぶん」


 とぼけた顔をするニーナ。

 なにか怪しかった。

 でも、正体を明かしたことをキュテラに相談もしたい。

 一度、ウーラニア邸へ帰ろう。


「それでは失礼します」

「はいはーい。それじゃ、今晩ね」


 神殿を出てから、英雄ピンクのことを思い出す。

 気になるし、見に行こう。




「さすがにもういないか……」


 タニトが追い詰められた路地裏はひっそりとしていた。


「ん?」


 石畳に刃のあと。

 路地を囲む住居の壁にも切り傷がある。


「ピンクもスレイヤも剣は使わない……、誰か聖堂剣士が来た?」


 路地裏のいたるところに斬撃の痕跡がいくつもあった。

 石畳を割り、木の壁を抉り、置いてあった木箱が粉々になっていた。

 その一つには血しぶきで染まっていた。

 それに、まだ乾いていない血だまりもある。

 斬られた人は相当な深手を負っているはずだった。


「血の痕も。スレイヤが切られたのかな」


 生乾きの血だまりは、日陰にあってもつやつやとした光沢があって、見ているとざわざわとした胸騒ぎに襲われた。


「うお、なんで神官さんがここに?」


 建物の裏口が開いて、住民のおじさんが現れた。


「あ、すいません。ここでスレイヤと英雄ピンクが暴れたと思うんですけど、どうなりました?」

「スレイヤが勝ったよ。英雄ピンクは逃げた」

「え、スレイヤが? どうやってですか?」

「壁越しに音を聞いてただけだからわからないよ。あの可哀相なほどに痛そうな悲鳴は、英雄ピンクで間違いない」

「そうですか……。ありがとうございます」


 なんだろう。胸のざわつきが激しくなった。

 どういう訳か、斬られたのは英雄ピンクの方みたいだ。

 英雄ピンクは嫌いだ。私より先に魔法少女をやっているから。

 でも、悪い子ではないと思う。

 その子が誰かに斬られたと思うと、落ち着かなかった。

 ちゃんと手当できているだろうか。

 タニトを助けるために彼女へスレイヤの相手を任せたのは私だ。

 責任を嫌でも感じる。


 なんで私があんな奴のために心配なんてしなければならないのか。

 不愉快だった。

 すっきりしない。


 もやもやを抱えたままウーラニア邸へ帰った。


「ただいま」

「おかえりなさいませ」


 出迎えはティリアだ。

 なんだか顔が暗い。


「キュテラは?」

「寝室でお休みになっておられます。疲れたと申しておりました」


 胸のつっかえを吐き出せるのは後になりそうだった。

 タニトへ正体を明かしてしまったことを相談したかったのに。


「そう。私は夕暮れになったらまた出かけるから」

「どちらへ?」

「幸せの世界樹亭ってところで結婚を祝うパーティがあるんだって。それに呼ばれた」

「そうですか。では、ご夕飯は?」

「私の分はいいや」

「かしこまりました」


 淡々と受け答えするティリアの表情が暗い。

 もやもやを抱える私以上に悩んでいるようにも見える。


「どうしたの?」

「いえ、お帰りはいつごろになるかと思いまして」

「……戸締まりがあるものね。ちょっと顔を出してすぐに帰って来るから、遅くはならないと思う」

「承知しました」

「じゃ、私も部屋に戻るね」

「はい」


 ティリアが嘘を吐いた。

 でも、そこへ踏み込んでいいのか躊躇う。

 私は胸に一つの不安を抱えていて、そこへもう一つ抱えるのを本能的に避けた。

 端的に言えば逃げてしまった。

 女神の教えもあるし、言い訳はできる。

 結果として、もやもやは一つ増えた。


 部屋へ戻りベッドへ倒れ込む。


「う、寝にくい」


 ローブの下の皮の胸当てが邪魔だった。

 起き上がって、ローブを脱ぎ、胸当てを外す。

 胸当てと言えど、腹も腰もがっちり守ったヘビーな装備だった。

 このおかげで、腹筋や背筋にもエンチャントの恩恵を受けている。


「パーティにはいらないかなー」


 防具を貸し出したこともあって、バランスが悪くなると思った。

 身軽になってベッドへ倒れ込み、疲れを癒やす。


「アフターファイブってあまり良い思い出ないんだよなー」


 前世の記憶で鬱陶しい飲み会や興味のない合コンの誘いが蘇った。




「あ、来た来た!」

「こんばんは。ニーナさん」

「……あんた、仕事着で来たの?」


 そういうニーナはローブは着ておらず、街娘の一人として着飾っていた。

 がやがやと賑やかな幸せの世界樹亭の店先で、ニーナと落ち合う。

 すっかり暗くなった都は、仕事から解放された人たちでお祭りのような雰囲気になっていた。


「あ、すいません。そういう感じの集まりでしたか」

「あー、まぁ、さすがに着替える時間はないし、それで行くしかないか」

「……帰りたいです」

「ダメよ。ピセアが来るってみんなに言っちゃったもん」

「え?」

「えっと、ピセアと転職以外のことで話したいって人が何人かいて……」

「勝手に引き受けないでください!」

「まぁまぁ、ここは先輩の顔を立てると思って。じゃあ行こう」


 だるい。やだ。帰りたい。

 ネガティブな言葉がエラーウィンドウで浮かび上がるようだった。

 ニコニコ顔のニーナの後ろへついて、幸せな人々の待つ酒場へ入った。


 就職活動中の人が集まったとは思えないふんだんな料理と酒が、カウンターの隅から隅にまで並び、主賓である新婚夫婦のテーブルには、店長が気合いを入れたと思われるボアの丸焼きがウェディングケーキのようにそびえていた。


 彼らの行動力の少しでも再就職に傾けてくれると、神殿の満員御礼状態が解消されるのだが。


「ま、こういうことをするから毎日楽しいんだろうなぁ」


 前世の味家のない社会人生活が思い起こされ、どちらが人生を味わえているかと比べてしまう。

 人生を他人と比べることは意味がないと思いつつも、隣の芝の青さが気にならないことはないのだ。


 私が一人でテーブルに座り、幸せを体現した夫婦を眺めていると、三人の男が酒の入ったコップを持って席に着いた。


 しまった、囲まれた。

 しかも全員知った顔だ。

 転職相談者だ。


「あ、あの、ピセアさんはお酒は飲まないんですか?」

「未成年です」


 賢者を目指す魔法使いの青年が、おどおどと話し掛けてきたので、ばっさりと拒否。


「二、三年くらい待つから俺たちも結婚しない?」

「まずは二、三年定職に就いてください」


 他人の幸せにほだされてテンションの上がった剣士の男が調子に乗るので、冷静にあしらう。


「ピセアちゃんの顔がみたいなー?」

「女神の教えを守れない人には見せません」


 どさくさに紛れて女神の教えを破る、野良の神官へ信仰のなんたるかを教えた。


 酒の入った三人は、自分以外の失態で馬鹿笑いし、ぐいっとコップの酒をあおると、何事もなかったかのようにテーブルから立ち上がり、酒を求めて旅立った。


「あんたさー、もうちょっと楽しみなさいよ」


 空いた席へニーナがやってきた。


「ニーナさんの顔は立てました」

「まぁ、そうね。全員玉砕したけど」

「そろそろ帰ります」

「えー」

「そうだ。今度、ニーナさんは私の相談室に来てください」

「なんで?」

「辺境の警備兵に転職させてあげます」

「先輩を左遷しないでー!」

「では帰ります」

「うん。付き合ってくれてありがとう。またお願いね」

「これで最後です! 次はありません!」


 立ち上がって酒場から出ようとすると、誰かが背中へぶつかった。

 焼けるような痛みが左の腰の辺りに燃え広がる。


「いっ……!」

「死ねよ、クソ神官」


 聞いたことがあるような声で罵られ、突き飛ばされる。

 酒場のほこりっぽい床へ倒れ込んで咳き込んだ。


「ピセア!」

「ピセアちゃんに、なにしてんだお前!」

「おい! そいつを取り押さえろ!」

「誰か、聖者様を呼んでこい! ピセアちゃんが刺された!」


 どんちゃん騒ぎが一瞬で冷め、いくつもの足音が激しく駆け回る。


(これ、アカンやつや……)


 背中から全身に広がる熱毒の痛みに全身が冷たくなる。

 熱いのに冷たいって不思議な感覚だった。


「お前、どういうつもりだ!」

「顔見せろ!」

「あ、こいつ、この前ピセアちゃんに追いかけられてやつか!」


 だいたい察した。

 逆恨みされたカイルに刺された。

 たぶん、毒の塗られたナイフで。

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