青い激龍!
マンプ・クーネル号の最上階。そこは一般人にも解放されているエリアであり、船の一番高いところから海を見下ろす事が出来る絶好のスポットだ。
そして、そこには小規模ではあるがプールが存在している。
基本的には楕円形のプールであるが、中央には軽く走り回れるほどの足場が用意されているため、厳密に言えばドーナツ状のプールという表現が正しいだろう。
マンプ・クーネル号は吹き抜け構造のため、上階にも大きな長方形の穴があいている形となっている。だが、それを差し引いても充分なスペースが最上階にはあった。穴は船の中央からやや後ろにかけて開いている構造となっており、プールは若干広く空間がとれる船頭寄りの位置に存在しているのだ。
そして、そのプールは現在戦場と化していた。
「おいおい、これが噂の料理人なのか」「どう考えてもそうだろ、あの戦闘力は……」「ていうか何でさっきから料理人しか来ないんだよ。格闘家とか来ないのかよ」「これで一体何人目だよ……」「人間じゃねえ」「もう料理人じゃなくてただの戦闘集団じゃねえか……」
プールを外側から取り囲むように、今、複数のギャラリー達がその闘いを眺めていた。全体的に白いシャツを着用している者が多いが、その中にプールで泳ごうとしている者は一人もいなかった。
戦場となっているのはプールの中心。
ちょうど格闘技のリング程の広さを持つ、浮島にも似た丸い足場。真っ白なその足場には、現在二人の人間が立っていた。
そう、ここでは一つの闘いが繰り広げられているのだ。そして今も――――
「うわあああああああああああああああああああああああああ」
――――プールに太い水柱が立ちあがる。
やたらと激しい勢いで、誰かがプールに落とされてしまったのだ。これは闘いの余波である。それほどまでに激しい闘いが今、プールの中央で発生していたのだ。
数秒して、夏らしい短パン姿の男がプールから浮かび上がってくる。先ほど砲弾のような勢いでプールに落ちてしまっていた男だ。すぐさまオレンジ色の服を着た船内スタッフらしき人物達に回収されたその男だったが、既に意識は無いようでぐったりとしたままピクリとも動かない。
これが敗北者の姿。
勝者はただ一人。プールの中央、浮島めいた足場の上でぼんやりと立ち尽くしていた。
「次の人、どうぞ」
勝者は無機質な声で口にする。
それは少年のようでもあり、少女のようでもある中途半端な声音。中性的というよりは機械的な声だ。
勝者の姿から性別を判別する事は出来ない。
何故ならばその人物は薄手のボロ布を全身に纏い、ひび割れた白い仮面を身につけているのだから。仮面のデザインは独特なものであり、まるで鶏の卵のように真っ白で装飾が何も無い。外を見るための穴すらも無く、せいぜいいって仮面に入っている“ひび”の隙間から景色を覗いているとしか思えなかった。
この仮面の人物のすぐ横には看板が立っており、そこにはこう書かれている。
――――こいつをプールに突き落とせたら、船内全店食事無料券プレゼント
こいつ、というのはこの仮面の人物の事だ。
そして企画者は開催から数時間経過した今となっても判明していない。どこかで見ているかどうかも怪しいあたり、仮にこれを達成できたとしても本当に賞品が貰えるかどうかも怪しいところである。
けれども現在、この仮面に挑んだ人物は数知れない。
最初にノリのいい誰かが始めたのを切っ掛けに、徐々に人が集まり次第に参加者も増えていったのだ。主な理由としては、皆商品目当てというよりは仮面の人物の実力に惹かれているという側面が大きい。
もちろん船内全店食事無料に惹かれる者も何人かおり、これだけ豪華な景品を用意できる主催者側に興味を持って参加する者もちらほらと見られた。結果としてギャラリーが集まり、そのギャラリーを湧かせたくて参加する者達も集った結果がこれである。
そして、そんな戦場に一人の男が現れた。
「へえ、おもしれー事やってんじゃねーか」
青いジャージに身を包んだ、短髪の男がプールの方へと歩みを進めていく。ポケットに両手を突っ込み、いかにも自身満々と言った風情で威風堂々と進む。その迫力に、数人のギャラリーが振り返った。
ギャラリーは主にメッシ=デリシャの若者達であったが、その中には世界各地で名が知れている料理人達も何人か混じっている。全体的な年齢層が若者寄りであるという共通点はあるものの、ここには実に多くの人種が集まっているのだ。
そんな中、両腕を組んで船の手すりに背を預けている少女が口を開いた。ショートヘアでボーイッシュな格好という、さして珍しくも無い個性を持つ少女である。
「あんた、参加する気かい?」
その少女は、青ジャージの男に声をかける。
青ジャージの男は一瞬目を見開いた後、ニタリと笑って拳を突き出した。
「おう、こんな面白そーなイベント放っておけるかよ。食後の運動に丁度いいしな」
「そうかい。ところであんた、料理人かい?」
「ああ、そうだけどそれがどうかしたのかよ?」
「なら、調理師免許のランクは?」
「D級だけど、だからそれがどうしたって?」
D級調理師免許。
それは調理師免許の中でも最低ランクの代物である。無論、これより下は無い。
調理師免許は現在、五段階にランク分けされている。S、A、B、C、Dの五つだ。調理師免許のランクは国家が用意した試験を受ける事に上げる事が可能で、基本的には料理人の実力を示す一つの基準点である。
現代の料理人には戦闘能力も求められており、ランクが高いというのはイコールして腕っ節も強いという事になるのだ。例外も少なくはないが、世間ではそう思われている。
それがD級ともなれば、まだ料理人になりたての人間が持っている調理師免許という印象が強い。故にその戦闘能力にも期待は持てない。少なくとも、世間の一般常識ではそうである。調理師免許のランクが低い奴は弱い、なんて事は今時小学生でも知っているほどの常識なのだ。
つまりこの青ジャージの男は強く無いのだろう、という推測が可能である。
少年じみた少女は溜息を吐き、冷酷に告げた。
「ならやめときな。行っても怪我するだけだ。せめてA級はないと」
「おいおい、調理師免許なんて別にいいじゃねーか。料理するわけでもねーし」
「いや……あんたはわかっちゃいない。調理師免許のランクは戦闘力そのものだ。あたいはさっきB級調理師免許の奴がやられちまったのを見た……そんで理解した。同じくB級のあたいでもあれは無理だってね。だから、善意で忠告してやってるのさ」
「あー、忠告は助かるけどよ。関係ねぇんだ。俺は行く。無理なら無理で、どこまでいけるか試してえ」
「あっ、ちょっと!」
少女の制止も聞かず、青ジャージの男は人波をかき分けプールの中心へと向かって行く。
男の目にはもう、プールに立つ仮面の人物しか見えていないようだった。
だが、そんな男の真っ直ぐな歩みもすぐ止められる事となる。
物理的に、道を塞ぐような巨漢二人が青ジャージの前に立ちふさがったからだ。
「おい、そこのジャージ小僧。止まれや」
「そうだ小僧、おどれD級調理師免許なんじゃろ? お呼びじゃ無いんじゃ」
最初に口を開いたのは横綱のような体躯の大男で、その横に立っているのは筋肉質で背の高いボディビルダーのような大男である。ちなみに二人ともブーメランパンツ一丁だ。絵的に暑苦しい事この上無い。この二人が青ジャージの男の進路を塞ぐように立ち、ぎろりと睨みつけているのだ。
いつの間にかギャラリー達は大男二人と青ジャージの男から距離をとり、少々遠巻きに様子を窺っていた。
ここで青ジャージの男が大男を見上げ、きょとんとした顔で問う。
「なあ、通してくんねーか? 俺、この先に用があんだよ」
「フン、痛い目みたいなら勝手にしろと言いたいところだが、あの仮面に挑むのは俺達が先だ」
「じゃあさっさと挑んで来いよ。その後に俺が行くからよ」
「「ああぁん?」」
大男二人は大声をあげて床を思い切り蹴りつける。
「その後に俺が行く」という今の青ジャージの言葉は、大男達が仮面に負けるというのが大前提の言葉だ。これを挑発と受け取り、この大男達は激怒したという次第である。
「おいおいD級風情が調子に乗るなよ。俺達を“スイートハニーブラザーズ”と知っての狼藉か」
「兄者、先にこいつからやるのはどうじゃ?」
「おう、当然よ」
スイートハニーブラザーズ。
それは世界の隅にある小さな集落で開催された大会で優勝した二人の名である。タッグ料理トーナメントにおいて、二人は見事なコンビネーションで優勝を果たしたのだ。
無論、それだけの功績では世界に名は広まらない。だからこそこのスイートハニーブラザーズの二人は自分達の名声を世界にまで広げるため、遥々この豪華客船まで来たのであった。もちろん招待されたというのもあるが、仮にこの招待が無くともこの二人は別の形で来ていただろう。それほどまでに名声に餓えているのだ。
二人の調理師免許ランクは共にB、それだけ強い料理人という事である。
そんな二人の食柱毒は――――
「フンッ!」
スイートハニーブラザーズの兄、横綱のような大男の能力は“誘惑”である。
発動と同時、全身から黄色い煙を吐き出し周囲を覆うという派手な能力だ。その性能は、この“甘い香りのする黄色い煙”を吸った人間の意識を徐々に朦朧とさせていき、簡易的な催眠状態に置く事が出来るというものである。後は催眠状態にした相手に指示を出すだけで、ある程度まで自在に操る事が出来るという反則気味な能力なのだ。
この大男はそれをギャラリーがまだ付近で見ているというのに使った。両手を力いっぱい叩きつけるという固有動作を行うと同時、黄色い煙が周囲を徐々に覆っていく。そして――――
「おせーよ」
「が、はぁっ!」
――――青ジャージの男に、食柱毒使い本人が腹部を殴られ気絶させられたため、煙はそのまま拡散せず収まった。
それは一瞬の出来事であった。何の事は無い。青ジャージの男が隙だらけの大男の腹部を殴った、たったそれだけである。スイートハニーブラザーズが二人とも打たれ強いという特性を持っているのにも関わらず、この青ジャージの男は一撃で倒してのけたのだ。
スイートハニーブラザーズの肉体は全て相手の攻撃から自分の身を守るために身に付けた物だったのだが、ここまで正確に急所を殴られてはどうする事も出来ない。これはもう単純明快にわかりやすく、青ジャージの男が本物の実力者だという事を如実に表していた。
残るはあと一人。ボディビルダーのような大男だけだ。
「糞がァ!」
筋肉質の大男はスピーと鼻息を荒くし、能力を発動する。
その効果は“吸精”であり、自身が傷つけた相手の精力を奪う事が出来るのだ。徐々に弱体化する相手を強化した自分の力で叩き潰す。これがこの大男の調理スタイルであった。
大男は青ジャージに対してボクシングのジャブのような、素早い連続パンチを繰り出していく。まるで拳が複数に増えたかのような高速ラッシュ。その攻撃の群れはまさに、攻撃という概念が壁と化して襲ってくるかのようだった。
だが、青ジャージの男は軽く笑みを浮かべると、左手だけで大男の攻撃を捌いていく。左手を高速で動かす事によって攻撃を逸らし、弾き、防ぐ。彼は、あらゆる角度から繰り出される連撃を絶妙に捌ききっていった。それどころか空いた右手で掌底の形を作り、身体を軽く捻じり反撃の準備。あまりに無駄の無い動きに大男が青ざめる。瞬間。
「わりぃ、やっぱ俺が先行くわ」
青ジャージの男は必殺の掌底を放つ。それも回転を加えたコークスクリュー・ブローが如く一撃。その一撃は大男の腹部に直撃し、大男は錐揉み回転をしながら中空へと吹き飛び、コマのように回転したまま地面へと激突。回転の勢いのせいで地面に背を擦りつけられ、焦げ臭いにおいを周囲に撒き散らした後にようやく停止する。その大男の表情は、白眼を剥いて舌をだらしなく出したような敗北顔であった。
一撃必殺。
これにより二人目の大男も撃破である。
青ジャージの男はそうした後、両手をぱんぱんと叩いてニヤリと笑った。
「さて、準備運動も済んだ事だし、早速本命とやろうじゃねーか」
対するギャラリーは、未だ静寂に包まれていた。
今のが青ジャージの男の“調理技術”だと気付いていた者は少ない。対象の急所を一瞬で見抜き叩く技術、どんなものでも捌く技術、対象を熱によって炒めつける技術。今のは格闘術でも護身術でもなく、単なる調理術の応用であったのだ。
それに気付いた一部の料理人達は、もう青ジャージの実力を認めざるを得ない。
また、それから数秒待たずして下階から青い顔をした料理人がやってきて「青ジャージの男にボディガードが全滅させられちまった。うちだけじゃねえ、他も全部!」と叫んだため、多くの人間が青ジャージに目を向けざるを得なかった。ここに居るほぼ全員が驚愕によって停止する。
だが、一番衝撃を受けていたのは最初に青ジャージを止めたボーイッシュな少女であった。
「う、嘘だろ……」
単純に、調理師免許のランクは強さを示す一基準であってそれが全てでは無い。
しかしながらそれでも一つの基準としては非常に優秀で、少なくともD級がB級以上を圧倒するなんて事は少女の常識では有り得なかった。調理師免許のランクには食柱毒の強さや、実戦での妨害スキルも含まれているのである。そう簡単にひっくり返るものではない。
それなのにこの結果。
これには少女も驚かざるを得ない。
「あ、あんた何者だよ……!?」
それを言ったのは少女だったか。
それとも他の誰かだったのか。それは言葉を発した本人にすらよくわかっていない。
それほどまでに呆然とした、半ば独り言のような言葉。
だが、青ジャージの男はそれをしっかりと受け止め、自身満々の笑みで応じた。
「俺は、渋堂我竜」
世界最強が、ここに現れた。
名乗ると同時、溢れ出る圧倒的な威圧感。渋堂はこの滲みでるオーラによって下階で因縁を付けられまくってしまったので、雑ながらもコントロールしてこのプールのあたりまで来たのである。
しかしここで名乗り、更に闘う相手がハッキリしているとなるともう隠す必要はない。
渋堂我竜は、未だプールの中心で立ち尽くす仮面の人物相手に、自身の出せる最大の気合的圧力と共に宣戦布告を叩きつけるのであった。
「さあて、行くぜ? 真っ向からブッ倒してやるよ」
こうして、闘いが幕を開ける。




