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HelleN! -愛情よりも大切な-  作者: パンダらの箱
「the lowermost judgment」編 ―― 世界最低の審判
91/98

epilogue

 そしてあれから、二日が経った月曜日。

 授業が終わった私立伏丹高校の校門には、今日も少女が立っていた。

 小柄な体躯と、日本人離れした端正な顔立ち。

 黒い長髪をツインテールにして、この高校の紺色の制服を纏い、少女――辛籐空美が、同じ学校に通う塩谷始音を待っているのところだった。

 そうとも知らず。

 のんびりと、怠惰と哀愁を含んだ風情で、塩谷が校門へと通りかかる。


「こんにちは。始音くんっ」

「え? ああ。なんだ辛籐さんか」


 例によって、やる気のなさそうな口調で、塩谷が言った。


「何だとはご挨拶ですね――というのは前にもやりましたっけ。じゃあ始音くん、今日もお仕事頑張りましょう」

「え?」


 素っ頓狂な声を、塩谷が上げた。

 それもそのはず、今日、『HelleN』は休みなのだ。というのも、先日のあの料理対決で、辛籐姉妹や崩英久士などというイレギュラーな存在がこの町にいることを知られ、それを一目見ようというモノ好きな人間で、店の中も外も、昨日は大騒ぎになったからだ。

 よって、数日は休み。まあ、それでもあの若社長のことだ。

 この休日が、本当に数日という単位で与えてくれるのかは、分からないけれど。


「騙せませんでしたか。残念です」

「僕が出勤するかどうかなんて、僕自身間違える訳ないよ。何言ってるのさ」


 素で、自信満々に、そう言った。

 そんな塩谷を見て、空美は残念な表情をとるとともに、薄く微笑む。


「じゃあ、お願いがあります」

「お願い。それって聞かなきゃだめなの?」

「いえ。従ってください」

「お願いじゃなくない!?」


 空美は、弾むような声で、そのお願いを塩谷へと言った。


「今日、店まで付き合って下さい」

「ああ。まあ、そんなことか。だったら別に、少しくらいならいいけど」


 歩き出した空美に、塩谷が続く。


「――でも僕、手伝わないよ?」

「元から、そんなこと期待していません」


 空美の表情が、どことなく強張っているように感じた。

 塩谷は、何か、ただ事でない予感を覚える。

 三十六計逃げるにしかず。触らぬ神に祟りなし。

 塩谷は早急にそう判断して、何か予定を考えあぐねた。


「ところで始音くん」

「……ん?」


 そんな思考も、途中で中断させられてしまう。


「辛籐家には、もう知ってしまった通り、長女の真香も、次女の宙美もいます」

「……だからどうしたの?」

「だ、だから……」


 空美が、見に見えて、言いにくそうに口ごもった。

 そんな所作をみすみす見逃す塩谷ではない。

 これは――今すぐ逃げるしかない。


「だから――名前で呼んでくれません?」

「はい?」

「どうして、そっちへ行こうとしているんですか……」

「ああ、ごめん」


 謝る塩谷。しかし、言葉はしっかりと聞こえていた。

 空美も、言って、心臓が爆発しそうな想いだった。

 正直にいってしまえば、少し悔しい。

 塩谷始音を、名字ではなく、名前で呼ぶこと。

 それに気付き、好意を寄せてきた塩谷を、見事に突っぱねる。

 そんな事を考えていた彼女にしてみれば、若干の、敗北感に近い感覚も、ないわけではない。

 しかしそれでも、意地悪をするという名目には則っているので、空美としては些細な問題だろう、と思った。むしろ、こちらの方がいいとさえ、思ってもいた。


「えぇー」


 なのになんだろう。この反応は。

 浅く握られていたはずの空美の拳が、プルプルと震える。


「どうして、嫌そうな顔をしているんですか?」

「だって、辛籐さんは辛籐さんでしょ? それにあの二人は別に呼称を使わずに呼べばいいし、というかもう呼ぶ機会自体、無いんじゃない?」


 意味深な塩谷の発言に、辛籐は瞑目して。


「あれ? 辛籐さん?」

「もう知りません!」

「痛っ!」


 結局。

 突っぱねたのは小石の方となった。

 さて。そんな折。


「ああ、そうでした」


 と言って、空美が立ち止まる。

 逃げ惑う塩谷を追って、もう超激線区の入口まで来た時だった。

 それにつられて足を止めた塩谷が、空美に疑問の目を向ける。


「どしたの? もしかしてまた……」

「また、何ですか……始音くん」

「え、いや、だれも股なんて言ってな――」


 反省。

 塩谷としては、空美が走った拍子に、虫でも口に入ってしまったのかと心配しただけなのに。まあ、いくらなんでも虫では、大丈夫か。


「始音くん、レンガでは足りなかったですか?」

「あ、いや、満腹です。本当に」


 後頭部に出来てしまったコブを擦りながら、空美の斜め後ろを、警戒するように塩谷が歩く。振り返った空美は、頬を膨らませて真っ赤になっていた。

 まあ、閑話休題。


「それで、どうかしたの?」


 ふと、先程の「ああ、そうでした」が気にかかり、塩谷がそう尋ねると、その頃にはもう『HelleN』のドアが、開かれようというところだった。

 暖色の光が揃えられた、アンティークのような店内。

 そこには、先客がいた。

 鍵が、閉まっていたはずなのに。


「あらぁ。いらっしゃいませ」

「やっときたのですね。もう来ないのかと、思っていました」


 赤い短髪の、ラフな恰好をした女性と、白い長髪の、和服を着た少女。

 もうここ数日ですっかり見慣れてしまった、幻の料理人だった。


「いや、何、その根城であるかのような言い方。一応ここ、僕らの店なんだけど」

「料理もしないのに、そんな自信満々に言わないでくれますか……?」


 今日の空美はやけに冷たいな、と塩谷は思った。

 そんな空美へ、真香が静かに、言葉を告げる。


「空美。今日で又、お別れです。暫らく会う事はないでしょうし。もしかしたら、もう、会う事はないかもしれません」

「……そうですか」

「クスリ、やけにツれないわねぇ、空美。もうどこにも行かないで、お姉ちゃん、くらい言ってくれもいいのに」

「誰が言うんですか、それ」


 艶やかに妖しい笑みを浮かべ、そう言った宙美を、空美が睨みつける。


「え、何。また旅にでも出るの?」


 塩谷がそう尋ねると、淡白な眼差しながらも真香が、抑揚のない声で答えた。


「私たちは元々、別に旅をしていたわけではありません。だけれど、その言葉の意味するところが、旅行という意味ではなく、探求するという意味ならば、少なからずは的を掠った問いなのかもしれません」


 少なからずは、的を掠った。

 つまり、婉曲的に、的を射ていないと、言いたいのだろう。


「カラいこと言うわねぇ。まぁ、いつ帰って来られるか分からない、っていう部分では宛もなく彷徨う旅のようなものと、同じなのかもしれないわねぇ。見つけられるものかはわかないけれど、それでも、空美の指し示した希望を、きっとお姉様なら必ず――」

「宙美。『舌切りスズメ』って、知っていますでしょうか」

「うっ」


 塩谷と、空美が苦笑する。

 舌切りスズメは、別に喋り過ぎという意味ではないし、喋り過ぎたスズメが舌を切られるというエキセントリックな話では、決してないのだけれど。

 それでも、真香のその言葉からは、そうとしか受け止められない圧力があった。


「――分かったわよぉ。あ、そうそう。崩英久士は、あの後とりあえずはって、病院に収容されたらしいわねぇ。なんだか血眼になって行方を捜していた日々が馬鹿らしくなってくるかのような結末だわぁ?」


 そこまで言って、宙美は両手で口を覆い、一歩退く。

 その様子を、まるでハサミのような眼差しで、真香が見ていた。


「とりあえずは――そう。お別れ、ね」


 失礼するわ。と、付け加えて、真香はスタスタと、出口の方へと向かった。

 超然とした足取りで、しっかりと地面を踏みしめて。

 その道の先は、本当に果てしなく、未知の領域。

 それでも、その道の先が終わりではないのだと、空美が指し示してくれたような気がするから、だからこそ真香は、迷わずに歩いてゆく決意を、固めることができたのだろう。

 人の寿命を縮める香辛料があるのなら、きっとそれも、あるはずなのだ。

 真香を追っていた宙美の足が、ふと、入口の手前で止まった。そして、二人へ振り返る。


「あ、そうそう。ところで二人は、付き合ってるの?」

「なっ!?」


 塩谷が噴き出し、空美の顔が今日一番で赤くなる。


「そ、そんな訳、ないじゃないじゃ、ないですか!」

「え、何それ日本語? ちゃんと言ってやってよ!」


 狼狽する塩谷と、それを聞き薄らとむくれる空美。

 それを、クスリと穏やかな笑みで見つめて、宙美は、空美だけに聞こえるような声で、そっと呟いた。


「今度はそっちも、勝てるといいわね」

「ちょっと、いい加減に……!」


 もうその頃には、宙美の嬌笑は顔の後ろに隠れたところだった。

 辛籐真香と、辛籐宙美。その姉妹が、ゆっくりと『HelleN』の扉を中から開く。


「さようなら。空美」

「じゃあねぇ、空美」


 そして、姉妹二人は歩きだした。

 空美から受け取ったその想いを、その背に乗せて。

 またね、と呟く空美の目には、ほんの少しだけ、雫が溜まっていた。


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