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HelleN! -愛情よりも大切な-  作者: パンダらの箱
「the lowermost judgment」編 ―― 世界最低の審判
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Chapter3 計画と策略

 殺してしまえばいいんじゃないの?

 そんな事を、塩谷始音は言った。

 勝負が決まった次の日の、学校での、休み時間のことだ。


「なにバカ言ってるの。始音くん」

「いやいや。低い声で睨まずに、冷静に考えてみなよ。いい? 相手は『食物以外を不干渉』にする食柱毒を常に発動してる状態なんだよ? そして極めつけに、どうしようもないほどの虫歯ともきてるし。ってことはだよ? 普通に天川さんが料理作ったら、崩は死ぬしかないじゃないか」


 正論。

 正論でなくもない。

 くどくなってしまうが、崩の体質的に、『食物以外を不干渉』とされた上で、虫歯ときたならば、もうどうしようもない。――匙を投げるのが早過ぎるとはいえ、大前提として、根本的な真実として、天川甘音の作った天川甘音の食柱毒が無効化された料理が、人の口の中に入ってしまった場合、もうそれは、かなりの高確率で死ぬ。

 本番や大舞台ともなれば尚のことだ。

 気合いが入り、手加減を忘れてしまった料理が『素』の状態で出てしまったら、もうそれは単なる凶器でしかなく。アーモンド臭のする液体すら可愛く見えてしまう。


「だからさ。いっその事開き直って、全力で作って、全力で殺して、それでもって、なんか上手い事やって、生き返らせればいいんじゃないの?」


 まるで神の龍でもいるかのような死の軽さ、ドッチボール並の抵抗の低さで、蘇生を提案する塩谷。

 難しい顔で腕を組む甘音に、彼はさらに続けた。


「それにさ。一度死んでみれば、何か体質が変わるかもしれないし。虫歯とか、痛くなくなってるかもしれないし」


 塩谷は言ってみて、ただの後遺症じゃん。と思ったものの、そんな感想はおくびにも出さずに、覇気のない眼で甘音の返答を待った。

 勿論、ただの後遺症だ。体質自体変えてしまっている時点で、もうそれは料理を食した審査員の体に現れる反応ではない。しかしまあ、それを言ってしまうと、そもそもにして、殺している時点で、完全に審査員の身に起こるべき事態ではない。

やや間をおいて。そんなボケなどお構いなしに、甘音は首を横に振った。


「却下」

「理由は?」

「人を殺すのって、よくないことだと思うの」

「…………」


 どの口が言ってるんだろう。

 なんて。そんなこと、言えようものだろうか。

 あまりにもベタ過ぎて、突っ込みどころが多すぎて、なんというか、みるからに罠という場所に飛び込むような気分がした。この歪な背徳感を指摘する為の背徳感を、塩谷が持ち合わせていなかったのもある。


「じゃあ仮に訊くけど、君の地獄料理を喰わせて、死なないと思うの?」

「何よそれ! 私は人を殺したことなんてないわよ!」

「いやあるよ! 何言ってるの? 正気? 少なくとも一度は僕の事殺してるよね!?」


 それは甘音と塩谷が出会ったその日の事。

 出会いの思い出とでも、いうべきだろうか。

 とりあえず塩谷は、その日に、甘音に料理を食べさせられ、死んだ。

 しかし甘音は、見るからに怪訝な表情で塩谷の方を見る。


「え、何の話? 始音くん。生きてるじゃない」

「――ッ。いくら穏便な僕でも、我慢の限界ってあるんだよ? 知ってる?」

「だってあれは、私の料理を食べて、幸せ過ぎて悶絶していただけじゃない」


 ――以下略。


 そこから先は、聞くに堪えない不毛な討論が続くこととなる。

 ――何はともあれ。プランA。否決。






***






 脳を支配すれば手っ取り早い。

 そんな事を、天川甘太郎は言った。

 とりあえずもう、この世にはいないが。


「甘音ちゃん。とりあえずぶっ殺しちゃったけど。でも、出来る事は出来ると思うよ?」


 甘太郎の屍を踏みつけ、照真がそう言った。

 実に、様になる絵だった。


「脳を支配ってことは、美味しいって思わせるってことよね」

「ああ。結構当ってる。五十点はあげられるよ。僕ちん的にも、悪くないとは思うねぇ。むしろ、こうでもしないと無理じゃないっかってほどさ。あのクズ野郎が食べ物を口にした瞬間に、口ではなく脳に直接、美味しいと認識させる。まさに『支配』。こうなってみると、僕ちんでも勝てないんじゃないかってほどの、強力な力の使い道だよ」

「だったら俺様を殺すんじゃねえよ!」

 

 そして、憤怒の形相で甘太郎が蘇った。

 甘音が顔を引き攣らせ、照真がはっきりと舌打ちする。

 よもやイジメである。


「問題は大アリだよ。最大のデメリットとして、政府だよ」

「ああん? ……ああ。まあ、そうだな」


 政府。

 甘太郎は、その意味深な一言で、大体を悟ったらしく、訳知り顔。一方甘音は、ポカンと口を開き、憎しみを込めて、甘太郎を睨んだ。


「なんであんたに分かって、私に分からないのよ」

「いや、知らないっつの。俺様に当たるなバカ妹一号」

「何ですって!? バカって言う方がバカなのよ!?」

「ああ? じゃあその論拠を明確に述べてみろよバァカ」

「ええっ? ……えっと。……バカだから?」

「……バカにバカと言ってバカに議論を仕掛けようとするような奴だからバカなんだ。いいから黙れ甘太郎」

「なんで俺様だけなんだよ!?」


 娘にはアホほど甘い、照真だった。まさに親バカ。もっとも。「バカにバカと言って」の時点で、相当娘を馬鹿にしているのだが。

 兎にも角にも、照真の言っている事は簡単な事だった。


「『人の脳を支配する』なんて、そんな大業な能力を公の場なんかで使ってしまうと、もう強烈な規制が掛かって大変なことになる」


 それに、と照真は付け加えた。

 苦々しい顔で、まるで惨事でも見てしまったかのように瞼を閉じ、


「そこまでする価値なんて、奴への料理にはない」


 言葉が、重たかった。

 確かに、理論的には可能な方法である。

 崩英久士の食柱毒の範囲は『口内』でしかないのだから。

 口内でしかないのだから、口に物が入った瞬間に、脳へと伝わる痛みや苦しみ等の神経の情報を、別の情報で上書きしてしまえばいい。

 理屈では可能。いや、実行も確実にできる。

 ただ。そこから生まれるリスクを背負うだけの戦いではない、と。

 そう照真は言っているのである。


「価値……ね。でも私も、人の気持ちまで支配する気はなかったから、ちょうどいいわよ。そんなことで美味しいと思われるのも、何か違うもの」

「はあ? 地獄料理を食わせるのは正解なのか?」

「…………」


 鋭い視線。

 甘太郎の直線的な物言いに、甘音が刈り取る眼で睨みつけた。

 戦慄が背中まで貫き、甘太郎が言葉を失くす。

 もっとも、これ以上は議論する余地などないだろう。

 人の脳を支配する。人の評価を根底から改変させる。

 そのやり方自体。甘音的にも、倫理的にも、好ましい方法ではなかったのだ。

 まあ。結論として――プランBも、あえなく否決。






***






「勝算はあるの?」

「勝算? 私が負けるって、そう言いたいのですか?」


 強烈な眼光で睨まれ、塩谷も少々たじろぐ。

 ここは、『HelleN』の厨房。調理室。

 本日のシフトは、塩谷始音と、辛籐空美の二人である。

 ちなみに、崩や辛籐姉妹が来店したのは、昨日の事だ。


「そうは言ってないけど――」


 そこで言葉を切って塩谷、過去を振り返る。

 ルールは過去と同じスタンダードバトル。双方料理を作り、順番に審査員に料理を食べてもらう。至ってシンプルで、至極正当なルールだ。辛籐空美は、この勝負で数々の相手を打ち負かし、『不落嬢』の異名を冠していたことさえある。

 今回と、その頃の差異は。

 空美が挑戦者側だということと、審査員が世界最低だということの二つ。

 挑戦者側――つまりは、後攻。

 味覚破壊を主軸にした先手必勝戦法は使えない。もっとも、崩が審査員という時点で、もとより不可能な戦略なのではあるが。

 それでも、不落の先手必勝という、今まで積み上げてきた戦術を使えないのは、相当、空美にとって、かっての違う戦いにはなってしまうだろう。


「勝ちますよ」


 それでも空美は落ちついた声音で、そう言った。

 あまりにも穏やかな様子の空美に、僅かながらの違和感を覚えつつも、それでも塩谷始音は、肯定してやることにした。

 甘音と空美の勝負ではあるのだから、どちらかに荷担してしまうのも、どうかと思う所もあるのだが。それでも、辛籐姉妹のあの物言いは、塩谷にも許せなかった。

 まるで、人を見透かすような。

 まるで、人を蔑むかのような。

 そんな態度の二人に、塩谷は少なからずも、憤りを感じたのだった。


「…………」

「…………」


 客足も、今は止まり。

 『HelleN』の厨房は、妙な静けさに包まれてしまった。

 勝負は、翌々日。下準備の為に、明日一日、店を休業日にすることとなっている。

 つまり明日からは、もう各自各々の戦いなのだ。

 だからだろうか。

 嵐の前の静かさとでも、いうものかもしれない。

 空美は、事の他落ち着いていて。『HelleN』の内も外も、いやに静かだ。

 ちなみに勝負が行われる会場には、最初に空美と甘音が雌雄を決した、あのコロッセオが使われることとなっている。


「僕と天川さんが戦うってなったとき、こんな気分だったのかな。……いや、もっとあのときはあれだったか。なんか、落ち着かないね」


 漏らすように、塩谷が呟く。

 料理を捨てたはずの塩谷にしてみれば不思議なことではあるが、今まで塩谷はここに来てから、観客側に回ったことなどなかったのだ。その気持ちは、なんとも懊悩としたものであった。

 勿論、作りたいという気持ちとは、全く異なるけれど。――それでも、ただじっとしているだけというのも、何とも歯がゆい。


「ふふ、お留守番の気持ちも少しは味わってください。それとも、始音さん。出場します?」


 まさかの三竦み戦。


「遠慮しておくよ」


 僕が圧勝してしまうのも、目に見えてるし――そう続けたい塩谷ではあったが。なんというか今回ばかりは、その火を油で揚げるような言葉も、遠慮しておいた。まあ、理由は簡単だ。今回のこの勝負、甘音が崩に仕掛けたものではあるが、空美が参戦した理由として、自身の弱さへのコンプレックスが、多分に含まれている。

 そんな状態の彼女に、空気も読まずに挑発するなど。さすがの塩谷でも、ギリギリでしない。毒の日でもあるまいし。



 ――そして。

「本番、がんばって」

 そんなこんなで、手につくものもつかずに、今日の勤務が終わり、その帰り道。

 言葉少なに後片付けをして、『close』を提げての、その帰り際。

 歩き出す空美の背中に、塩谷はそう言った。

 勝てよ。とは言えないまでも。 

 それくらい言うことは、許されるような気がした。


「はいっ」


 空美が、塩谷の方を振り向き、笑う。

 ひと際の笑みで。


「頑張りますねっ」


 安心にも似た心の動きを、塩谷は感じた。

 昔の高慢ちきの面影も、現在の自信無さげな面持ちも、どことなく今は、感じられなかった。それだけならいい。もうこれ以上、いうところもない。

 しかし、塩谷はどことなく、安心と同時に、不安も感じていた。

 この絶望的ともいえる、崩英久士への料理を前に、彼女は何一つ、苦悩も、気圧される様子も、何も見てとれなかったのだ。

 そんなはずはないのに。

 だから。塩谷は不安だった。 

 だから。らしくもなく、がんばれなんて言葉を、彼女に向けて言ってしまったのかもしれない。儚げで、気丈で、それでいて、やっぱり押し潰されてしまいそうな、その背中に。

 だから。もう一度だけ。

 聞こえないとは分かっていても、見えなくなる前に。

 「がんばれ」――と。本当に柄にもなく、呟いたのだった。


***


 一口で寿命を一日縮ませる料理。百薬の長(デス・メイカー)

 約三億にも上る香辛料を使いこなし、そんな毒にも類する料理を作ってきた彼女を、人は『砂上の楼閣』。ファントム・スパイスと呼んだ。そして、同時に。

 犯罪者とも。そうとも呼んだ。


「いよいよ、終わるのね」


 市内の高層ビルの最上階。そんな、スイートルームと呼ばれる一室に、彼女はいた。

 白く艶やかに輝く長髪を風に靡かせ、『砂上の楼閣』辛籐真香は呟くようにそう言った。

 服装は、一昨日と同じく黒い着物。勿論、同じものという訳ではなく、このホテルの一角に、同じ着物が数多く吊るされているクローゼットがある。

 全く同じ文言を、もう一度使う事になってしまうのだが。彼女は、犯罪者だ。

 そんな彼女が、名前こそは偽れど、堂堂とホテルの一室を占拠していられるのには、警察すらも下手に手を出せないほどの、強力なボディーガードも絡んでいる訳で。


「終わりの始まり、って感じなのかしらぁ」


 姉の隣で、甘い声音で言葉を返すのは、『一を聞いて十を知る(サウザンド・ノウズ)』の辛籐宙美だった。

 彼女は食柱毒によって、『単語を聞くだけで、それを極める』ことができる。

 実際の所、それは至って曖昧で、抽象的な能力ではある。

 例えば。

 『空手』と聞いて、その技全てが極まるのか。

 『山突き』や、『手刀』という単語をもつ技も、同時に極まるものなのか。

 それは彼女自身。食柱毒を覚醒させて、最初につき当った疑問ではあるのだけど。

 答えは、シンプルかつ、さらに曖昧性を上げてしまうもので――モノによる。という、そういった見解が成された。

 数々の実験や体験から、そのあらゆる場合分けを宙美は試みてはきたのだが、もう十年近く経った今、そんなものは関係ない。

 曖昧さも抽象さも、最早関係ない。

 もう日本中の単語のほとんどを、極めてしまったのだから。


「あら。随分と物騒な顔をしているわね。宙美」

「あららっ。カラいこと言うわねぇ。乙女に向かって物騒な顔なんて」


 言葉とは裏腹に、楽しげな微笑みを浮かべる宙美。

 真香は、それを一瞥して、

「そんなことより、」

 と前置きを置いて、言葉を続けた。

 宙美の余裕面に悲しみの色が浮かんだのは言うまでもない。


「あの子はまだ、足掻いているみたいね」

「……っふ。そう仕向けたのはお姉様ですわよ。空美かわいそー」

「私はただ、間違っている脆弱で愚かな子どもに、その間違いを、指摘したまでよ」

「あらぁ。それを可哀相だと言ってるんですのよぉ? 勝てもしない敵に無駄に足掻いて、その上、私たちに一矢報いようとしている――」


 憐れみのイントネーションのつもりだろうか、どこからどう聞いても愉しんでいるとしか認識のされないような口調で、宙美は言った。

 勝負は明日。そして、現在はもう深夜。

 太陽は一度沈んでしまった。もう、どうしようとも放っておけば朝日が昇り、明日はやってくる。まあ、沈んでいなくとも、どうもしようはないのだが。

 そして、鉄面皮の姉が、僅かに頬を緩める手前、宙美は言いかけていた、最後の言葉を軽い口調で言い放った。


「――勝負自体、無くなるというのに」


 嘲笑うような宙美の声は、吹き抜けるビル風に攫われて消えた。


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