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HelleN! -愛情よりも大切な-  作者: パンダらの箱
「the lowermost judgment」編 ―― 世界最低の審判
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Chapter1 響く、来訪のベル

 数時間前。

 風が生ぬるく、止むと蒸し暑い。

 私立伏丹高校の1‐D組の教室で、窓から申し訳程度に吹いてくる横風を浴びながら、少年は目を細めて、口を開いた。

 

「……ふわぁ」


 大きく欠伸。そして、『眠いしだるいしもう家にでも帰るかな』と、友情・努力・勝利が愉快なほど欠落したモノローグをこぼしだしたのが伝説の料理人 塩谷始音十六歳である。

 食柱毒によって不死の力をもっている、一応はシリーズを通しての物語の主人公である彼なのだが、今回はその限りではない。今回はむしろ、その隣にいる――


「ダメよ! まだ最期の授業があるわ。それに、それが終わってもあなた今日出勤よ?」


 切れ長の目をした、塩谷の一つ上の少女。天川甘音。

 紺色の伏丹高校の制服に身を包んだ彼女は、三日後行われる料理対決にて、世界最低の審査員に料理を振る舞う事になる人物の一人だ。ボクシングで喩えると、赤コーナーといってもいい。余談だが、なぜチャンピオンと挑戦者で赤コーナーと青コーナーに分かれるのか。なぜ赤と青なのか。その事に関して諸説の見解はあるのだが、赤のチャンピオンは、対角状にいる沈静色の青を見て『冷静に戦え』、青の挑戦者は、赤を見て『獅子奮迅せよ』、という意味があるという。死人を減らすためにも、甘音には是非そうしてほしいものだ。前の戦争の被害が調理台数セットだけなのは奇跡に近い。


「平然と僕の心の声を恫喝しないでくれるかな。何の能力なの? それに、それ誤字だよね? 間違えただけだよね?」

「あら。始音くんの考えてることなんて、一目で瞭然よ!」

「最期に関しては無視なの? というか地味に怖いんだけどそれ。絶対に天川さんのことだから、そのうち八割くらいは知ったかぶりだろうし」


 誤解。曲解。激しい思い込み。

 意思疎通の悪さでは定評のある彼女である。


「そんなことないわよ! 違ってたらちゃんと直すもの」


 和訳。なめないでくれる? 違う意見などすぐにひん曲げてやるんだから。

 それを察知して、塩谷の表情が目に見えて苦々しいものとなる。思想の自由もあったものではない。さすがは、『支配』の食柱毒所持者である。


「とりあえず――」


 余計嫌だよ。

 塩谷がそう抗弁しようと口を開いた途端、甘音がスタっと塩谷の前の席から腰を上げた。予鈴一分前だった。


「じゃあもう戻るわ。今日はクラスの仕事で少し遅れるから。始音くん、店は任せたわよ」

「……いいけど、僕は何も作らないからね?」


 塩谷の一応の反論を聞いたのか聞いていないのか、塩谷が言い終える頃には、甘音はもう1‐D教室の入口の敷居を跨ぐところだった。


「……はぁ」


 塩谷は、ほうほうの体で嘆息。まあ、逃げ出してはいないけど。

 だけれど、逃げ出したいとは思っている。いや、思っていた、だろうか。

 どっちなんだろう。

 強引で傍若無人な我らが店長に溜め息するとともに、そこに現在所属していることを思い出して、ほんの僅かばかり口元を綻ばせる彼には、未だその答えはつかめていないようであった。


***


 放課後。

 塩谷は学生鞄を引っ提げて校門を出た。

 六限目の授業は、甘音の不吉な訃報予告むなしく、何事もなく終わった。もちろん、何事か起こってほしかった脳内トランス人間ではない塩谷からしてみれば、それで十全に、万々歳ではあるのだが。

 この、料理も決闘もない平凡な日常が続いてくれることが、今は何とも嬉しい。

 やや傾いできた陽の光を見上げて、塩谷がそんなことを思っていると、ふと近くから声をかけられた。


「あ、やっと来ましたか」


 穏やかで、どことなく凛とした声音。

 塩谷がそちらへ振り返ってみると、彼より頭二つ分ほどは小さい小柄な少女が、にこっと微笑みを浮かべていた。


「ん? ああ。なんだ辛籐さんか」

「むっ! なんだとは何ですか! ……とありきたりに返したくはありませんが、結構な物言いですね」


 少女が目元を細めてむすっとする。しかし、とりあえず塩谷が謝ると、ふっと口元と目元を緩めたので、どうやら冗談だったらしい。


「待ってたんですよ。今日は私と始音くんがシフトですからねっ」

「待ってた? そのシフト、割とよくなかったっけ?」


 長く艶やかな黒髪のツインテール、どこか幼げはあるものの端正な顔立ち。目と口から塩谷が受ける印象は、ここ数ヶ月で大きく軟化したような気がする。

 『HelleN』の従業員、辛籐空美がそこにいた。

 一昔前は『不落嬢』と呼ばれ、高慢で高圧的だった彼女も、『HelleN』に来て、少しずつ変化したのだろう。ちなみに、食柱毒は『念動力』。体の部位を動かすことによって、ものを動かすことができる。

 本当に変わったなあ、と塩谷は思った。

 学校でのお淑やかぶりっ子キャラではなく、過去の高飛車お嬢様キャラでもない辛籐は、頬を赤らめ、ほんの少しだけ塩谷から距離をとった。


「そそ、そんなことないと思いますけどっ」

「あれ? てことは散葉ちゃんもいないってことなの?」


 『HelleN』のメンバーは現在、四人いる。店長の天川甘音と、塩谷始音、辛籐空美、そして霜月散葉の四人だ。


「はい。今朝連絡がありました。なんでも、毒の日と、女の子の日と、胃炎が併発したそうなので休むみたいですよ」

「大丈夫? それ死なない?」


 むしろそれで来られても、救急車を呼ぶくらいしかすることはない。

 塩谷は薄らと苦笑いを浮かべた。


「それで、天川さんも遅刻だから、二人って訳なんだね」

「はい。まあ、塩谷さんは作ってくれないので、私一人みたいなものなんですけどね」

「ひどいな。これでもボーイはしっかりこなしてるつもりなんだけど」

「伝説の料理人がただのホールスタッフなんて、タイガーウッズにキャディーをさせるようなものです」

「それはたしかに酷い。――けど、そんな大それたヒーローじゃないからね? 僕は」


 塩谷がゆっくりと進みだしたので、辛籐もそれに続いた。

 一定の距離を保って、二人は自分たちの働き場へと向かう。その横を、自転車や単身の学生がどんどんと追い抜かしていった。


「それでも、凄かったじゃないですか。あの甘音さんとの戦い」

「うーん……そうかな? 僕的には天川さんに全部おいしいところを持ってかれた気分だけど。というか、まさに『戦い』だったね。もしこれを料理対決なんていう作者がいるなら、大根でぶん殴ってやりたいよ」

「甘音さんは本当に強くなりましたよね。もう、私じゃ勝負にもなりません」


 ふふっと辛籐は自嘲な微笑を零した。塩谷は、何か言おうかと口を開いたが、やめる。何となく一言もの申してやりたい気持ちにはなったのだが、それを上手に言葉にすることができなかったからだ。

 結局。へえとか、いやいやとか、そんな曖昧な相槌を打つだけに留まった。

 ――自分自身と、最強の料理人渋堂我竜のことを考えると、言えるはずがなかった。


「ともかく、普通に料理を作れるのも、辛籐さんだけなんだから、『HelleN』の大切な戦力だよ」


 塩谷は作らないし、甘音も普通に作ったら死人が出る。塩谷のその言葉は確かな事実であったし、他意はなかった。

 それでも、その言葉は辛籐の胸に、僅かに突き刺さる。それはほんの薄く、軽い、薄氷のようなものではあるが。それでもしっかりと、何かが辛籐の小さな胸には突き刺さった。


(……普通、かぁ……)


 辛籐の頭の中で、今朝の出来事が吐瀉物のようにせり上がってきた。そしてそのまま、まるでその様相を呈したかのように、気分が悪くなる。

 辛籐は口の中で、小さなため息を漏らした。


「どうしたの? いきなり顔色悪くなったみたいだけど。帰る?」

「帰りませんっ!」


 隙があるとすぐに仕事を投げ出そうとする塩谷を窘めながら、やはり辛籐はもう一度、溜め息をついてしまった。そして、その勢いで思わず塩谷に相談してみたくなってしまう。


「あの、今朝……おね――…………」


 しかし、自重した。

 一緒に働いて、戦ってきた仲間とはいえ、言えない。言ってどうこうなる問題でもないし、それに仲間だからこそ、そんな不快な話を自分からするのは憚られた。

 辛籐の表情が強張る。苦悶に歪む。

 それをどう解釈したのか、塩谷は優しげな笑顔を口端に浮かべて、


「いいよ。大丈夫。それは大変だったね」


 などと。辛籐に優しい言葉を掛けたのだった。

 辛籐は驚きに目を見開いて、それでもどう返答していいのかも考えもので、口ごもる。


「は、はい。……ええ。本当に」

「話づらい話を思い出したね。大丈夫だよ、言わなくて」

「あ、ありがとうございます……」


 あまりにも思いやりのある塩谷に、辛籐は思わず戸惑った。普段からしてみれば、考えられないレベルでの優しさだ。傷口を思い出して、疼痛に喘ぎかけた辛籐からしてみれば、もう感動してしまうほどである。

 もっとも、それほど深く感動したからこそ、塩谷の次の一言で、綻びかけた彼女の顔に大きな亀裂が走ったのは、言うまでもない。


「でも、大変だよね辛籐さんも。セクハラみたいだけど、その体質ならオムツとか常備した方がいいかもしれないよね」


 オムツ……?

 辛籐の思考が固まる。

 そして、皮肉にも思考の速い彼女は、即座にその答えに行き着いた。

 言いかけた言葉。『今朝』と、『おね……』加えて、言えずにいる逡巡。さらにそこへ、辛籐の特殊体質『口の中が性感体』ときている。もはや文章に起こすのも憚られる次元だが、それが原因で起こった不祥事もまた、あったことは事実である。


「痛っ!」


 地面に落ちていた小石が、塩谷の後頭部に直撃した。


「信じられません! もうほんと! もう本当にあなたという人はっ!」

「……え? いや、え? 何、僕のせいなの? 辛籐さんが変な夢を見ておねしょした事なんて、僕のせいなんかじゃないよね?」

「そんなことしてません! 馬に蹴り殺されて死んでくださいっ!」

「痛っ! ちょ、ちょっ待って! というかそれ僕二回死んでない!?」


 地面の石が連続して、木偶の坊塩谷の顔面へ飛来する。無論、この変な夢というのは食事をする夢だろう。なぜかというところは割愛。――否、語りたくないだけなのでこの表現は不適格だろうか。

 辛籐は好色の欠片もない嗜虐的といえる笑みで、次々と石を塩谷へ飛ばしていった。

 「千回死んでください!」と叫んだその言葉を、あわや実行せしめるほどの勢いで、それは『HelleN』と書かれた店の前に着くまで、続いたのだった。






***






 二人が店に到着して準備が完了すると、『HelleN』はいよいよ、『open』の札を店の前に出した。

 新装開店してからしばらく経つが、客波は依然として減らない。むしろ、最近になってさらに増えてきた。どこからかあの塩谷と天川の戦いの噂が出回ってしまったのかもしれない。――まあ、もしも天川甘音の料理を食べたくて来店したのならば、怖いもの見たさと呼ぶ他ないのだが。


「春巻き二つ。それと麻婆豆腐」

「わかりましたー」


 受けた注文をそのまま口に出す塩谷の言葉を、辛籐が承る。

 辛籐の合図とともに、フライパンやお玉などが宙を舞った。同時に多くのことを考えることが出来る辛籐の固有能力と、念動力の食柱毒の合わせ業である。塩谷からしてみれば、もう見慣れた光景だ。


「はぁ。散葉ちゃんがいないのはやっぱりちょっとしんどいよね」

「頑張ってください」


 辛籐の棒読みな激励を受け、塩谷は渋々調理室から出る。

 普段は基本、散葉が注文を受けてくれる。調理をするのは辛籐だ。ともなれば、塩谷と甘音は何をしているんだ、という話ではあるが、それはまあ、諸諸働いている。

 塩谷が客席の方を見てみると、新しい客が増えていた。


「いらっしゃいませ。こちらメニューですので、決まりまし――」

「あら。これは、ご丁寧に――」


 塩谷は目を見開いてその人物達を見た。

 折角覚えた接客文句を、軽く遮られてしまったからではない。

 料理の業界を離れていたとはいえ、それでも分かるものはある。――食柱毒持ちが放つ特有の空気、というものだろうか。

 それは実に、異様だった。

 白く、光を反射しているかのように輝く長髪の少女と、短髪で挑発的な瞳をした女。 

 遠目ではそんな印象だったはずである。

 ただ、近くまで来て見たら、どうだろう。

 まるで見上げるほどに大きな造形物でも、目前にしたような迫力がそこにはあるのだ。

 光を放つような白い長髪の、黒い着物を着た少女が先刻の言葉を発した。着物で全身を包んでいても、そこから垣間見える首や手首だけで、極めて華奢だということが分かる。一週間絶食をしてからこの店に来たのではないか、という風の佇まいだ。

 しかしそれでいて。前述どおりの、ただならない気配を有しているのである。


「――ありがとうござます。これが別の本である、という極めて低い可能性を配慮し、排除してくださったのですね」

「……は?」


 くすりともせず、白い少女はまっさらな真顔でそう言った。

 馬鹿にされたのだろうか、と塩谷は一瞬身構えるが、向こうにその気配はどうもない。塩谷がそんな観察をしていると、白い少女の向かいに座る、赤い短めな髪をおしゃれにふわふわさせた女が嬌笑を漏らした。


「クスリ。カラいこと言うわねぇ。店員さん。ここのオススメは何なのかしらぁ?」


 鼻につく声調だな、と塩谷は思った。

 赤髪の女は、大きく鋭い目を緩ませて、妖艶な笑みを口元に浮かべる。殺伐とした死合いを経験してきた癖からだろうか、塩谷は彼女の右大腿に携えられている鉄扇を発見した。

 そんな彼女の服装は――なんというか、カジュアルだ。紺色のデニムに、上は丈の長い赤ジャケット。彼女の赤髪と相まって、見るも鮮やかに真っ赤な印象を受ける。ポストといい勝負だ。


「オススメですか。麻婆も美味いですし、僕個人のオススメとすると、……肉団子かな。でもあっさり――」

「そう。じゃあそれをお願いしましょうかしら。あ。あとわぁ、この英語のメニューもくださいますぅ?」


 赤髪の女が、メニューに書かれた『THE END OF ROAD』を指差してそう言った。口元の笑みが、ただの笑みのはずなのにどこか勝ち誇って見える。


「姉さんは何にするのぉ?」

「……そうですね。では、私もその内容を想像できない料理名の料理をお願いします」

「ああ。『THE END OF ROAD』ですね?」

「はい」


 注文を確認し、塩谷は厨房へと踵を返す。

 カラン。

 それとほぼ同じくして、店のドアが開いた。


「遅れてごめんっ! 今到着したわ!」


 店の正面口から入ってきたのは、店長の天川甘音である。

 僅かに着くずれた制服で、肩を揺らしながら大きく呼吸している。どうやら、走ってきたらしい。

 席にかけている客たちの目が一斉に今入ってきた彼女を見て、そのうちのいくつかが鋭く光った。――少なくとも塩谷にはそう感じられた。

 今や――否。以前から五味グループの権力は絶大で、そのうちの一人天川照真の長女なのである。今までは料理ができないからこそ軽視はされていたのだが、ことここに及んでは注目されるのは至極、当然といえば当然のことなのかもしれない。

 挨拶もそこそこに、甘音はすぐさま、着替えるために店の奥へと引っ込んでいった。

 まったくもって、忙しないったらありゃしない。塩谷が苦々しく嘆息を漏らすと、すぐ後ろに座る赤髪の女と目が合った。


「あの子が、天川甘音ちゃん、かしらぁ?」

「え? あ、はい。そうですけど」

「そう」


 短く、納得するような相槌を打ったきり、赤い髪の女は、その姉と思しき黒い着物の少女の方へと向き直った。

 恰幅だけで見れば、どう考えても姉妹の立ち位置は逆なのだが――まあ、色々あるか。

 塩谷は今度こそ踵を返して、厨房の方へと向かう。

 カラン。

 すると、再びそんな鈴の音を響かせて、店のドアが開くのだった。

 黒い医療服に銀白の頭髪、細長の目も含め幸の薄そうな、近寄りがたい不気味な顔。


「やあ。大変申し訳ないが、あがらせていただく……。」


 暗く、呟くような小さい声音。

 そう。

 これが、世界最低の審査員――崩英久士と、『HelleN』の邂逅だった。

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