助けて! 頑張っちゃって疲れたの!
そして、ここからが真の後日談。
「ふぃ、流石に疲れたわ……」
天川甘音は疲労困憊の様子で左右にふらふらと揺れながら帰路についていた。辛籐の住むボロアパートから自宅までの長い道。住宅街の中心を通るその道中で、天川甘音は死にそうになっていた。全身から絶え間なく流れる汗、千鳥足が如く落ちつかない足取り。切れ切れになっている呼吸。
まるでフルマラソンでもしてきたのか、と思われるほどには疲労していた。
どうしてここまで疲労しているのかといえば、もう答えはシンプルすぎるほどにシンプルである。単純に「支配」の能力を使いすぎたのだ。
「ええと、空美の体調を直すのに一回。色んな痕跡を消すのに二回。空美周辺を元通りにするのに一回。空美の記憶を消すのに一回。そして忘れ物を取りに戻るための瞬間移動で一回……これだけ短いスパンで六回使ったのはあの日以来ね……はーっ、本当に疲れたわ……」
朝、辛籐の家を訪れた天川は、辛籐に自身の兄について相談しようとしていた。
その相談自体は思っていた以上の効果を発揮し、こういう接し方なら兄と上手くやれるかもしれないとさえ思えたのも事実である。問題はその後に起こった。
天川が辛籐の家に携帯を忘れたため慌てて取りに戻ったところ、そこには信じられない地獄絵図が広がってたのである。
それはもう天川甘音自身、あまり思い出したくない光景であったのだが……平たく言えば、白眼を剥いて倒れている辛籐空美、床に染み込む謎の水溜り、建物の年代的に脆くなっていたのか壊れて中身が溢れていた押入れの引き戸、押入れの中から溢れだしていた湿った布団、などなど色々と見たくもなかった光景が広がっていたのだ。
天川はそれらの痕跡から起きた自体を正確に認識し、辛籐が目覚めた時にショックを受けぬよう“支配”を用いて全力でフォローに回ったのであった。
その代償が、この疲労感である。
「ああ、これ家までたどり着けるのかしら……」
「ん、そこに居るのは愚妹一号の甘音じゃないか。よう、俺様だ」
「あ、兄上……」
天川甘音がふと横を見ると、そこには話題に出ていた自身の兄が歩いていた。スラックスとワイシャツを着崩した格好で、怪しげな眼を常に細めている気持ちの悪い青年。そう、天川甘太郎がそこにいた。
どうやら彼も何処かに出掛けていたようで、たまたま帰路で合流してしまった形となる。珍しい事もあったものだ。
天川甘音は少々呆気にとられるが、すぐに目を閉じ頭を左右にブンブンさせると、あえて眉を八の字にして話し始めた。
「で、あんたがわたしに何の用?」
「ほおう、急にツンっぽくなったな。俺様はそういうの嫌いじゃないぜ。でもワザとらしいな。それじゃあ腹も立たないぜイ? もっと頑張れよ」
「むう……」
あえて敵対的なリアクションをしてみたのだが、呆気なく看破されてしまった。
どうやら甘太郎相手に甘音が強気で出られるのは、まだ少し先の出来事になるようである。具体的には数週間後ぐらい先になりそうだ。意外と近い未来の出来事であると推測出来るのは、なんだかんだ言って甘太郎の場合、多少喧嘩腰の方が距離を掴みやすいというのが事実だからという事に他ならない。
辛籐の目は間違っていなかったのだ。地味に。
こうして――――
天川兄妹は表面上は喧嘩腰で会話しつつ、お互いに双方の距離を掴んでいくのであった。
何はともあれこれで一件落着。
辛籐にとっては地獄のような一日が、天川にとってはいつものように慌ただしい一日が、こうして過ぎ去っていくのである。ひとまずはこれで彼女らの日常は幕を下ろす。
しかし、彼女達はまだ知らない。これより数週間後、一つの事件が巻き起こるという事実を。
「……つらい。」
現在、天川達とは全く無関係な所でそんな台詞を吐く審査員が、彼女らの元に迫っているという事実を。
「……つらい。」
彼女達はまだ、知らない。
だが、そんな未来など知らない天川兄妹は久方ぶりの会話を楽しみ、同じく何も知らない辛籐は香辛料の研究にいそしんでいるのであった。いくら未来で何かが起こったとしても、先を知らない人間は今を精いっぱい生きる事しか出来ないのである。HelleNの日常は少なくとも今は平常運転。世界は今のところ平和である。
最悪でも、今日一日の平穏は約束されているも同然であった。
「前から思ってたけど、あんたってもしかしてバカなの?」
「はっ、じゃあお前はバカじゃないとでも?」
そんなこんなで平和な休日は過ぎていく。
これにて大した変化も無く後日談は終わり、この物語もまた終わりを迎える。
そして、次の開幕までほんの少し幕を下ろすのであった。




