未来絵図 -数年先の未来はこんな感じ?-
数年の時を隔て、料理対決は進化した。
いつからか「料理人対料理人」の構図は終わり、今ではもう「料理人対審査員」が主流になっている。
機械技術が進歩し、審査員が評価に嘘をつけなくなってから流行り始めたこの風潮は、もう数年前からずっと続いている。
対決とは言っても、厳密には審査員の舌を満足させるか否かというトライアル的勝負であり、闘う、というのとは少しニュアンスが違う。
その上、料理人は主に複数人で審査員に挑み、チームで複数の料理群を作って勝負をするのが、今のスタンダードだ。
これが新たな料理対決の形である。
そして、この料理対決は今や空前のブームとなっており、世の中の関心を集めるようになっていた。
だが、そんな風潮に興味の無い人間もいた。
「……相変わらず、テレビはこればっかりだな……」
狭いワンルームの部屋の中心。
テレビを見て寝転がっているのは、塩谷反斗である。
反斗は、番組で伝えられている料理対決の特集を見ながら、退屈そうに欠伸をした。
さらりとした髪に、退屈そうな垂れ目と、横一文字に結んだ口元。
それから、すらりとして弱々しい体型の男。それが塩谷反斗だ。
「……料理対決、ねえ……」
塩谷反斗は、かつて伝説の料理人と呼ばれた人物の息子であった。
塩谷始音。それが父の名だ。
しかし、その影響で世間から期待の眼差しで見られた反斗は、その期待には添えず失敗した。
彼はサラブレッドにはなれなかったのだ。
だから、もう料理はしたくない。
反斗はそういった考え方をもっていた。
それはここから先、決して手放すつもりのない考えである。
故に、反斗はもうこの平和な一人暮らしを享受しつつ、学内の友人と遊ぶ日々を送ると決めたのだ。
そういった人生で良い。反斗もそれで納得しているし、父もそれで納得してくれた。
だが、そんな平凡な日々は、たった一つのチャイムで壊される事となる。
「ん?」
反斗の部屋のチャイムが鳴らされる。
一体何だろうかと、反斗はゆっくりと立ち上がり、部屋着からジーンズとTシャツに着替え、玄関の方へと向かう。
「へーい……どちら様……ッスか」
反斗はそう言ってドアを開ける。
すると、反斗の部屋の前に立っていたのは、髪の短い、こじんまりとした少女であった。
睨んでいるような視線のその少女は、不機嫌そうな顔つきのまま、反斗をじっくりと観察する。
その服装は、反斗の通う中学のブレザーであった。
少女は、短いスカートを揺らし、喧嘩を売るような顔で、低い声を吐き捨てる。
「お前が、塩谷反斗か……」
いきなりぞんざいな口調に、反斗も少し不機嫌になる。
同じ学校の生徒ならば遠慮は無用だ。
反斗は少しムッとなりながら、その質問に応える。
「ああ、まあ、そうッスけど。俺に何か用でも?」
「そうか、あたしは天川苦未ってェんだ。よろしくな」
「天川……!?」
反斗はその名字に驚く。
天川と言えば、つい数日前、日本に小王国を築きあげた料理人の家系である。
そのトップである「天照大御神」の異名をもっていた男は最早神話となっており、老いた今でも莫大な権力をもっているそうだ。
反斗には、何故、そんな大きな家の人間が反斗の家に来たのかが、全くわからなかった。
だが、苦未は当たり前のように続ける。
「ああ、お前の想像した通りの天川でいい。で、今日はお前に一つ頼み事があって来たんだが……一つ、聞いちゃくれねーだろうか?」
頼み事。
それは、反斗がいかに想像力を振り絞ろうが、全く想像の及ばないものであった。
何を頼まれるかわからない。その上、先に同意から得ようとしている。
これは危険だ、反斗は即座にそう決断を下す。
ここで主導権を握られれば、何をやらされるか分かった物ではない。
だから、反斗は身構えつつ応じる。
「そりゃ、モノによるッスよ……だけど、少しでも俺に不利益があるようだと俺が判断した場合、悪いけど断らせて貰うッスよ?」
「なんだそりゃ。聞く気有るのか無いのかよくわかんねー答え方しやがって」
いきなり理不尽な言いがかりをつけられて、反斗はまた一段と怒りを濃くする。
だが、ここで怒っていても無駄なだけだ。
あくまで冷静に。この人物が、自分にとって有益なのか不利益なのかを判断しなくてはいけない。
反斗は、ここで突っかかる事はせずに、苦未の言葉を待った。
すると、苦未は待ってましたとばかりにニヒルな微笑を浮かべ、反斗と視線を合わせた。
「……でよォ、あたしの頼みってのはただ一つだ。塩谷反斗、あたしを料理対決で勝たせてくれ」
またこのパターンである。反斗は咄嗟に思った。
反斗は、父が優秀な料理人だからという理由から、こういった誘いを受ける事が昔から多かった。
そのため、またしても同じ質問を受けて、なかなかうんざりしてしまう。
しかし、まだ話の全貌がわかっていない以上、判断を下すのは早急だ。
だから、反斗はもう少しこの人物に付き合う事にした。
「……それで? 何がどうなってそうなったかを、なるべく簡潔に教えてくれるとありがたいんスけど」
ここで反斗は「簡潔に」を強調する。
詳しい話を聞きたいのは山々だが、それで説明が長くなるからと言われ、室内に入ってこられては厄介だ。
信頼の置ける相手じゃない限り、部屋に他人を招きいれるのは危険である。
逃げ場を失う。
故に反斗は、この玄関口だけで全てを終わらせるつもりでいた。
だが、その警戒に反し、苦未は普通に説明を始めた。
「いや、あたしは数日後に料理対決を控えてんだが、どーにも対戦相手の審査員に勝てる気がしない。それで、お前に助けを求めたっつーわけだ」
今の時代では、審査員vs料理人が当たり前である。
そして、料理人はチームを組むという仕組みが当然となっていた。
つまり、この苦未という少女は、反斗を自らのチームに加える事によって、勝負に勝とうという魂胆のようであった。
その発想に反斗は呆れるが、すぐに話の全貌を聞いていない事を思い出す。
きちんと本人の口から事実を確認せねば、それはただの想像に過ぎない。
反斗はそう思い直し、ひとまず質問してみる事にした。
「とりあえず……何で、俺なんスか? 確かに俺には優秀な親父が居るけど、別に俺自身は大した事無いし。むしろ、平均より劣るぐらいスよ。で、あんたはそこんところを勘違いして来た人間なんスか? それとも、わかった上で来た人間なんスか?」
これは、来訪者の方向性を決定づける質問だ。
これがもし勘違いならば、これで話は終わりだ。
だがもし、わかった上で来ているのならば、話は複雑化するだろう。
反斗はいくつかの可能性を想像しながら、苦未の答えを待つ。
しかし、苦未の返答は早かった。
「もちろん、わかった上で来たぜ。むしろ、父親なんて関係無しに、お前個人に頼んでいるんだぞ。なあ、“虹色奏者”。食柱毒ももってねェのに、異名をもっている料理人なんてお前ぐらいだぞ、塩谷反斗」
反斗は「やめろよ」という言葉を呑みこんだ。ここで反論しても、ただ泥沼化するだけだからだ。
けれども、言いたくもなる。
何故ならば、その中学二年生ぐらいの男子が必死に頭を悩ませて考えたような異名は、反斗が昔呼ばれていた異名であるからだ。
とはいっても公式の物ではなく、本当に近所の中学生に頼んで付けてもらった異名だ。
いくら多くの料理人の異名が“そっち方向のネーミング”とはいえ、あまりにも嫌すぎる経緯である。
それは、あまり明るみにしたくない恥ずかしい歴史だ。
文句の一つも言いたくなるだろう。
だが、それ以上にそこまで踏み込んだ事を調べられた、という事実に反斗は警戒心を引き上げる。
「……それを、何処で調べたんスか?」
「いーや、調べてなんかないさ。たまたま、あたしの同級生に、お前の昔の知り合いが居てなァ。そいつが言ってたんだ。小学時代、調理実習の時に優秀な“指揮官”が居たってな。で、興味もったんで、ツラ拝みにきたってわけだ」
「……なるほど、ちなみに、言ったのは誰ッスか?」
「渋堂龍香だ」
「あいつかー……まあ、言うだろうな。あいつなら……」
渋堂龍香は、昔から時折家に遊びに来る少女であった。
性格は破天荒そのもので、その上、五月蠅くて子供っぽい。
その上、力を極限強化する食柱毒によって、よく反斗を死の寸前まで追い詰めてきたという経緯がある。
そのため、反斗は、龍香に対して必要以上の警戒心を抱いていた。
しかしまさか、こんな形で絡んでくるとは想定外である。
反斗は、小学時代たまたま龍香と同じ班になった事を悔みながら、話を続ける。
「でもそれ、誇張されてるッスよ。俺はただ、滞りがあったら嫌だから、それなりに指示を飛ばしただけだし」
「けどよォ、お前の過去の友人に当たってみても、お前の評価は異常に高かったぞ? 最初はロクに当てにしてなかったが、こりゃー最高の人材だと思ったね。チームにゃそういう人材も一人は必要だ。むしろ、居なくてはならねェ存在だ。だから、あたしを……いや、あたし達を導いてくれ」
「あたし達……? じゃあもうチームは完成されてるんスか?」
「いや、あたし含めて三人だ」
「全然じゃないスか……」
どうやら苦未のチームは人数が少ないどころか、最早トリオだった。
料理チームは少人数でも挑めるが、最大が五人なのでまだ二人も足りない。
その上、指揮官は直接対決に参加しないので、人数には含まれないのだ。
控えさえも居ないとは今どき珍しい。
あまりにも足りなすぎるメンバー。
ここで反斗は考える。
この話、乗るべきか蹴るべきか、どちらを選ぶべきかを。
それから、考えを纏めて、いくつかの質問を脳内に生成する。
反斗は、まず浮かんだ質問から先に飛ばす。
「ちなみに、相手審査員は?」
「辛籐愛愛だ。あいつァ何考えてっかよくわかんねー男だぜ」
「聞いたことないッスね……というか、メイト……?」
「愛を二つ書いて、メイトだ。ほら、愛でるとか、愛しいとかゆーだろ?」
「はあ……」
そこから話を聞くと、辛籐愛愛というのは、最近頭角を現しつつある審査員だそうだ。
苦未のチームは、前に愛愛に対して料理を出して、こう言われたらしい。
――――何やコレ、不味いなァ……あんさんの料理は、とても食えるモンやあらへんわ……。
と。その発言によって苦未は怒り狂い、後日再度リベンジすると言ってしまったのである。
だが、今のままでは練習しても厳しそうなので、誰か頼れる人材を探しているのだそうだ。
反斗はその話を吟味して考える。
それから、もう一つの質問を飛ばす。
「で、あんた……天川さんのランクっていうのは、どんなもんなんスか?」
「そうだなァ……ま、あたしゃDランクってトコだな。他は、二人ともEランクだ」
料理人はいつしかランク分けされていた。
料理人にはやってきた功績に応じて、A~Gまでのランクが与えられ、それは強さを示す基準にもなる。
特例として、最大級のSランクも存在するが、それはまだ歴代で五本の指にも満たない、一握りの人間にしか得られていない称号だ。
もちろん審査員にもランクが存在し、愛愛のランクはBだそうだ。
ちなみにB以上の料理人には異名が与えられ、愛愛の異名は「雷冥殲滅者」というものであった。ちょっとアレである。
相当厄介な相手だ。これを指示だけで持っていくのは厳しいであろう。
しかし、反斗はここでとある決断を下した。
だが、それを口にする前にまず、一つだけ最後の質問を飛ばした。
「なるほど……じゃあこれが最後の質問になるけど、天川さん、あんたの食柱毒はどんなモノなんスか?」
「……ランダム、だ。水を温めようと思ったら逆に凍らせちまったり、食器を引き寄せようとしたら食器棚を爆発させちまったり、とにかく何が起こるかわかんねェ不便な能力だぜ。ちなみに得意料理は苦い系統だが、食柱毒を活かせた事は一度もねーな」
「じゃあほとんど使えない、と……わかった」
今ので反斗の思考は固まった。
それから、反斗はすぐに結論を出す。
「よし、乗った。指揮官。やらせてもらうッスよ」
この即決には、苦未も流石に意外そうに目を見開く。
しかし、反斗にはまだ言いたい事が残っていた。
「ただし、条件が三つあるッス。一つは、俺が納得出来るだけの報酬を用意すること。次に、俺はあくまで指示だけで料理対決には参加しないこと。三つ目は、報酬は先払いってこと。これさえ守られれば、俺は別に乗ってもいいッスよ」
「……嫌な提案だなァ。大丈夫か? これで報酬だけ取られてトンズラこかれたらたまったもんじゃないっつの。そうだ、誓約書! 逃げない、手を抜かない、って誓約書書けるかお前?」
「ああ。よく目を通した上で、ッスけどね」
こういった類の物は、警戒するに越したことは無い。
何を仕込まれるかわかったものじゃないからだ。
文章に不利益な事が含まれていたり、書類自体に仕掛けがある可能性も捨てきれない。
だからこそ警戒だけはしておく。
だが、この勝負に乗るという気持ちに揺らぎは無い。
これならば、結果がどうあっても小遣い稼ぎにはなるわけだ。
結果を気にせず、ただ一度の料理対決に付き合うだけで、金持ちから何らかの報酬がもらえる。
こんなに美味しい話は無い。
故に、反斗はこの話に乗っかったのだ。
それから、苦未が一つおあつらえむきの質問をしてきた。
「ちなみに、何か欲しいモンはあるか? 報酬だ報酬」
「んー。強いて言うなら、金ッスかね。そうだな……だいたい、一、二……」
「……千万ぐらいか? まあ、別にそれでもいいケドよォ……」
急に桁が増え、反斗の胸に重すぎるプレッシャーがかかる。
こんなに重い報酬を求めておきながら、無様に負けるのは、あまりにも厳しすぎる。
反斗は、急にやめておけば良かったと後悔した。
ここで断れば足元見られる可能性がある。だから、今の提案は断れない。
しかし、乗るわけにもいかない。こんなプレッシャーなんてお断りだ。
さてどうするか、反斗は軽いパニックに陥りつつも思考する。
だが、助け船は意外な形で流れてきた。
苦未が、笑みと共に、反斗の耳元で囁いたのだ。
「それよりもよォ、何なら、恋のお悩み相談でもいいんだぜ……?」
それは唐突な発言だった。
今までと話の方向が大いに異なる発言である。
その変化に、反斗はついていけずに、つい間抜けな声を上げてしまう。
「……へ?」
「だーかーら、恋の相談だっつの。報酬。聞いたぞ、お前、霜月千草が好きなんだってなァ。千草なら、ウチのチームに居るぜ? 今じゃ、料理対決において化石扱いされてる、貴重な“家庭的料理”の使い手だ」
色々と衝撃的な事実が舞い込んできた。
確かに、霜月千草は反斗が想いを寄せている人間である。
一緒のクラスになった時に、ふと優しくしてくれた事が切っ掛けだ。
だが、その事実を誰かに告げた事など一度も無い。
何故バレたのか、そしてそれを何故この女が知っているのか、色々と衝撃的過ぎである。
反斗は、動揺に目を見開きながら問う。
「それを、何処から……?」
「渋堂龍香」
「やっぱりか……! あいつ妙に勘がいいから……!」
やはり何処まで行っても、塩谷と渋堂は干渉し合う運命のようだ。
しかし、そんな父の代の因縁など知りもしない反斗は、ひたすらに龍香に対する恨みを蓄積させていく。
けれども、今は若干それどころではない。
笑みを浮かべて顔を近づけてくる苦未に対し、反斗は何と返していいかわからなかった。
それどころか、妙な質問までしてしまう。
「……こ、恋の相談を報酬にしてもいいっていうんスか……?」
「当然だろ? それどころか、約束した以上は絶対にくっつけてやんよ。お前、全然評価低くないしな。千草にお前入れる旨の事話したら“へぇ! 反斗くんが来てくれたら、もっと楽しくなるね!”とか微妙にズレた事抜かしてやがったよ。で、どうだ? 乗るか、どうする?」
客観的に見て、苦未もなかなか必死である。
当然だ。こんな些事であんな大金動かせるわけがない。
さっきのはハッタリだ。だから、何とか願いの方向をずらそうとしたのだ。
そして、地味に利害が一致してしまった。
反斗からしても、この提案は願ったり叶ったりだ。
大金を受け取らずに済むし、何より千草と話す切っ掛けを得られるだけでも、なかなか万々歳である。
若干混乱していて正常な判断が出来ないというのもあるが、反斗はこの提案に乗る事にした。
恋愛のサポートなど大して期待などしていないが、手札は多いに越したことはない。
もちろん、反斗はこの日の判断を後々後悔する羽目になるのだが、それはもう本当に言うまでもない話である。
「わかった……じゃあ、それで」
「よし、交渉成立だな……! なんだよー、お前、掴みどころがねー奴かと思ったら、意外とわかりやすいじゃねェか! んじゃ、後日また来るから、よろしくなー!」
「う、うん……」
こうして、塩谷反斗の指揮官としての日々が始まった。
当日に向けての練習や、その際にいかに千草と話すかという課題。
それに足りないメンバー集めや、個々の特性の把握など、色々とやる事は多い。
最初は適当にやるつもりだったが、千草が居るのなら話は別だ。
格好いいところを見せなくてはならない。
反斗は、安請け合いしてしまった事に若干の後悔を抱きつつも、半ば桃色に染まった脳内で色々と考える。
彼は、典型的な「恋愛が絡むと駄目になる人」だった。
だから、最後の最後で割に合わない取引をしてしまったのだ。
何にせよ、これから塩谷反斗の物語が幕を開けるのであった……




