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HelleN! -愛情よりも大切な-  作者: パンダらの箱
「最後に残るモノ」編 最終章後 vs地獄料理
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最終決着 -最後に残るモノ-

 塩谷始音の天界核ヘヴンズコアは、かつて渋堂我竜との闘いでも生成した、彼の最強料理である。

 だが現在、その性能は、数年の時をかけて飛躍的に上昇していた。

 そもそも天界核ヘヴンズコアとは、他の料理と融合させた特殊な塩で作られている白い羽根に包まれた、単なる塩結びである。

 この見た目で“おにぎり”なのだ。

 しかし、塩谷はこの数年に渡る改良の中で、ついにその中に具を仕込む事に成功した。

 それは、半熟卵の白身を中心として複合させられた、様々な食材の融合体である。

 ここで更なる評価上昇が見込めるというわけだ。

 けれども、塩谷は気づいていた。

 塩谷始音の天界核ヘヴンズコアと天川甘音の地獄核ヘルズコアの内包スペックは、ほぼ互角であるという事に。


「……なら、勝敗を決めるのは……!」


 ここで分かりやすく優劣が出るとしたら、それは食べるタイミングである。

 塩谷のこの天界核ヘヴンズコアには、規格外の不死の力が込められている。

 そして、その力は時間経過と共に少しずつ外部へと溢れていく。

 故に、なるべく早く食べてもらう必要があるわけだ。

 だが、ここで甘音と料理提出時間が被ってしまいそうになるという、アクシデントが起こっていた。

 ここで先を越されてはいけない。

 塩谷は、その思いで、半ば動かなくなってきている己の身体に無理をさせ、ひたすらに審査員席を目指した。

 ――――しかし、命からがら提出した時、最悪の出来事が起こってしまった。


「「……ど、どうぞ……!」」


 重なる男女の声。

 審査員席のテーブルに、二つ同時に皿が置かれる音。

 天界核ヘヴンズコアを提出した塩谷は、ゼンマイ仕掛けの人形のような動きで、ゆっくりと隣を見る。

 するとそこには、同じように塩谷を見る、髪の長い少女が居た。

 どうやら、天川甘音と塩谷始音の料理提出時間は、全く同じになってしまったというわけである。

 このままではいけない。

 今回は複数審査員制ではあるが、三分割された料理をそれぞれ食べるので、やはり先攻後攻の概念はある。

 ここで先手を取られては、塩谷の料理は弱くなってしまう。

 だから、塩谷はそれだけは避けねばと考えた。

 しかし、ここで審査員席の忍者が余計な事を口にする。


「二人同時か……ならば、ジャンケンでもして順番を……」

「「それは駄目ッ!」」


 塩谷と甘音は、同時に拒否の意を示した。

 こんな所で運勝負になるのは御免なのだ。

 ちなみに、何故甘音までもが拒否したのかというと、彼女もまた塩谷と同じような精神状態だったからだ。

 地獄核ヘルズコアは、地獄料理を無理矢理合成させたものである。

 故に、時間経過と共に、その結合は徐々に解除されていくのだ。

 つまり、早く食べて貰わねばならないのである。

 何気に、二人の条件は一致していた。

 そして、その事実に二人は同時に気づく。

 だから、どちらも譲れない。

 塩谷と甘音は、顔を思いっきり接近させて、意見をぶつけ合う。


「……じゃあ、何で決めようか?」

「……とりあえず、ランダムだけは御免だわ……」

「全く同意見だよ。でも、この場で競い合えるものといえば……」

「あるじゃない。凄く、わかりやすいモノがここに二つ……」

「えっ?」


 塩谷が呆気にとられていると、甘音は汗まみれの笑みで、自らの胸を軽くポンと叩いた。

 それから、とんでもない提案を口にする。


「わたしの身体と、あなたの身体。拳と拳をぶつけ合って、最後まで立っていた方が先攻。どう、これ?」


 随分とまあ男らしい提案であった。

 だが、この場において納得出来る実力勝負といえば、確かにそれぐらいしか無いだろう。

 多少時間はかかりそうではあるが、相手も同じ条件であるのならば問題は無い。

 塩谷は、正気ならば断っていそうなこの提案を、脳から溢れ出るアドレナリンの意志に従って、全力で受け入れてしまう。


「……いいね。面白い。それでやろう……」


 好戦的な笑みを浮かべる塩谷は、紛れもなく男性である。

 近接格闘において、女よりも男の方が有利だというのは常識だ。

 筋肉の付き方が違う。

 その上、塩谷の身体は、常軌を逸したトレーニングによって、筋肉を通り越して、普通の人間と人体構造が非常に異なる状態になっていた。だから、華奢に見えるのに爆発的筋力を発揮出来るのである。

 そうしたアドバンテージによって、この勝負は、塩谷の方に利があるように見えるのは明らかだ。

 だが、塩谷は現在負傷している。

 右脇腹、右腿、左脛、左腕の関節、心臓を逸れた胸部。

 その辺りから、今も絶え間なく血が流れ続けている。逆に動いているのが不思議なぐらいだ。

 しかも、左腕は血を流し過ぎたせいで、もうまともに動かない。

 加え、精神負担も尋常ではない。

 これまで多くの技を使ってきたお陰で、精神までもだいぶ擦り切れているのである。

 もうそろそろ限界だ。

 この状態で、普段のような超人的身体能力を発揮してしまえば、すぐにバテてしまうのは眼に見えている。それどころか、多分、まともに動く前に倒れてしまうだろう。だから、かなりセーブしなければならない。

 故に、今の塩谷始音には、もう負傷した普通の男子高校生並の力しか残っていなかった。

 これでは、塩谷が得意とする手刀さえもパワー不足で使えない。

 それでも、塩谷は闘いを決意した。


「……僕は……負けない、けどね……」

「それはこっちの台詞よ。全力で、闘いましょう……!」


 対する天川甘音は、直接的負傷はそこまで無いものの、如何せん蓄積された疲労と精神負担の割合があまりにも大きすぎた。

 能力の反動による負担は想像以上に大きく、甘音はもうとっくに倒れていてもおかしくない状態下にあるのだ。

 だから料理提出の時も、塩谷に後れを取ったのである。

 疲労だけならば塩谷よりも上だ。

 それでも甘音は、精神力だけで何とか立ち、塩谷と闘おうとしているのだ。

 条件はほぼ同じ。対等の闘いだ。

 その眼に淀みは無い。


「じゃあ、行くわよ……!」


 天川甘音は、一歩進んで塩谷との距離を詰める。

 それから、右拳を思い切り振りかぶり、塩谷の顔面を思いっきり殴りつけた。

 まるで武闘家のような惚れ惚れとするモーションからの、体重の乗ったいいパンチである。

 顔面を殴られた塩谷は、そのまま大きく後退させられ、地獄顕現の影響によって荒れ地のようになってしまった地面へと倒れ込む。しかも仰向けに。

 甘音の拳は強かった。

 今ので地面に頭を打った塩谷は、後頭部からも出血する。

 だが滲んだ程度だ。戦闘不能になる程のダメージでは無い。

 塩谷は、ここでマウントを取られる前に、筋肉がほとんど千切れた身体を無理矢理動かし、立ちあがる。

 しかし、その時には、もう既に甘音は目前まで迫っていた。

 塩谷は、咄嗟にまだ動く右拳を握り、思い切り甘音の腹へとぶつけようとする。

 けれども、その攻撃は片手一本で掴まれ、止められてしまう。


「なっ……!」


 直後、甘音の硬く握られた拳が、塩谷の胴体を襲う。

 塩谷の右手を掴んだ上での、えげつない攻撃だ。

 塩谷の左腕はもう動かないので、攻撃にも防御にも用いる事が出来ない。

 故に、こうなってしまえば殴られっぱなしになる。

 実際、現在、甘音の片手による連続攻撃を、塩谷は全て胸と腹で受ける形となってしまった。

 呼吸いきが出来なくなってくる。危うく意識が飛びかける。

 このままでは負けてしまう。

 だから、塩谷は甘音が振りかぶった隙に、思い切り右脚を振り上げた。

 その柔軟的な蹴りは、甘音の顎を見事捉え、綺麗に仰け反らせる。

 その時、右腕の拘束が緩む。

 塩谷はその隙を逃さず、脚を地に下ろした後、すぐに右拳を引き抜き、勢いそのままに甘音の腹部へと叩きこんだ。


「っ……!」


 甘音は一瞬白眼を剥くが、すぐに腹を抑えて後退し、もう片方の手でファイティングポーズをとった。

 どうやら追撃は不可能のようだ。

 こうして勝負はまた仕切り直しとなる。

 だから二人は、お互いの身体をまじまじと観察しながら、何とかして隙を探って、意識を奪う一撃を与えるまでのプロセスを考えるのであった。


 だが、その熱いやり取りとは打って変わって、観客席の空気は少し白けていた。

 試合を観戦していた霜月詠華は、両手で口元を抑えながら驚愕に目を見開く。


「……な、なんデスの……アレ……? こ、こんなの……もう料理対決じゃありマセンわぁっ!!!!」


 これまで多くの料理人が思いつつもあえて言わなかった事を、詠華はついに口にしてしまった。

 わりと禁句である。NGワードである。

 しかし、それに対して突っ込みを入れられる程、他の面子にも余裕が無かった。

 特に、渋堂我竜は腕を組んだまま硬直していた。


「……俺は今まで、どんだけ頑張っても女に暴力を振るう事だけは出来なかったが……やべえな、アイツ。いくら死にかけとはいえ容赦なさすぎるぜ……顎蹴るとか、ただの喧嘩でも躊躇われるっつの。いや、戦場に出た以上性別なんて……っていうのはあるんだろーがよ……これはどうも……つーか、もう料理で勝つ気無いだろアイツら……」


 詠華と渋堂は、自分の生きてきた世界との、あまりのギャップの大きさに驚いていた。

 そんな中、辛籐空美だけが唯一冷静さを保っていた。

 辛籐は、冷静な目で戦場を見ながら、至極平坦な声を発する。


「ま、言いたい事はわかりますが……何となく、私は納得出来ますよ。そもそも、私達は料理を用いて闘っているだけで、別に料理で頂点をとろうとしているわけじゃありませんしね。美味しい料理を作るというのは、勝利のためのほんの一要素に過ぎませんし」

「えっ……!!!? そ、そうだったんデスの……?」

「えっ!? いやいや、いや! 貴方の妨害技が一番悪質なのに、今更そういう態度取らないで下さいよ……! どう反応していいのか困ります! とにかく、今あの二人がやっているのは間に調理台を挟んだだけの、ただの喧嘩です。ええ、そもそも喧嘩をしているんだから、肉弾戦も全然アリだって話ですよ。まあ、何となく、こうなるのはわかっていました……」


 そもそも妨害が認められている時点で、これはもう純粋に実力だけを競う勝負では無いのだ

 料理だけに拘らず、色々な方法を考えて相手に勝利する。

 それこそが料理対決の本来あるべき姿なのだ。

 ちなみに、この意見に対して渋堂は否定の意を示そうとしたが、自分自身も頻繁に殴り合いをしているせいで何も言う事が出来なかったという。

 辛籐の意見に異論は無い。

 しかし、それでも辛籐は若干の不満を瞳に滲ませた。


「それにしても、始音さんも頻繁にブレる人ですね。さっきまでは対戦相手なんて眼中にないって顔してたのに、今はもう甘音さんしか見てませんよ、あの人」

「いや、そりゃーよ……なんつーか、場のテンションってのがあるじゃねーかよ……それは別によくねーか……? それよりも殴り合いの方が問題じゃねーか……?」


 頻繁にその場の空気に流され、いつも突発的に凄い事をしてしまう男が、咄嗟にフォローに入った。

 だが当然、辛籐の気はそれでは収まらない。


「よくありませんよ……何を言っているんですか。むしろ、殴り合いの方は別に問題無いですよ。人間は生物ナマモノですからね。当然、その身体や、想いや、感情には賞味期限・消費期限の概念があります。そして、今あの二人は食べ頃の感情をぶつけあっているんです。ああいうのは、冷めると駄目になってしまいますから、やはりあれで間違っていないのですよ」

「まあ、それはすんげーわかっけどよぉ……」

「ええっ、わかりマスの!? アタクシには全くわかりマセンわぁ!!」


 何気に凄まじい理論だが、肉体言語を得意とする渋堂は納得してしまう。

 この話についてこられないのは、まともな詠華だけであった。

 しかし、辛籐はそんな詠華を無視するかのように、話を締めくくりにかかる。


「あれが、人間ですよ。畜生よりも秩序があるはずなのに、時に無秩序でとりとめのない中途半端な生き物……それが人間なんです。世界は広いですが、理屈に合わない想いと理屈を混ぜて闘える生き物なんて、せいぜい人間ぐらいでしょうね。……ほんと、野蛮で汚らわしいですよね。何で私は人間に生まれてしまったんでしょう」

「おい最後の一文」

「台無しデスわね」


 だが、辛籐の眼には心の底からの軽蔑など宿ってはいなかった。


「……でも、楽しそうですよね。私は絶対に御免ですが、ああいう信頼関係は羨ましいモノです……」

「信頼関係、デスの……?」


 詠華が意外そうな顔で目を見開くが、渋堂の方は「わかるわかる」と言わんばかりに首を縦に振っていた。

 今のは、脳にある程度筋肉のついている馬鹿じゃないと通じない言葉だ。

 辛籐は、そんな言葉が滞りなく自分の脳から出てきた事に眉をしかめるが、すぐに言葉を続ける。


「ええ。信頼ですよ。序盤で何度も致死の攻撃を放った事や、今現在遠慮のない攻撃を放っている事に直結しているような信頼です。まあ、後ろで甘音さんのお兄さんが来ている事ですから、その蘇生能力を信用して……というのはあるのでしょうが、あの二人の場合はそれ以上に、お互いへの信頼感が強すぎますね」

「ああ……そこに関してなら、俺にもよくわかる。この程度の攻撃で対戦相手が死ぬわけねーっていう確信めいた信頼感、だろ?」

「ええ、その通りです。もう今の二人は、自分の事以上に相手の事を理解しているはずです。友達や恋人や家族など、人の繋がりの形は複数ありますが……あの二人の場合は、そのどれよりも浅く、それでいながらそのどれよりも深いモノでしょうね。瞬間最大風速なら、他のどんな関係性よりも上なんじゃないでしょうか?」

「こ、恋人や家族は言いすぎなのデは……?」


 詠華の突っ込みに反応する声は無く、辛籐はそのまま寂しそうに試合観戦へと意識を戻してしまう。

 だから、渋堂も腕を組んで試合経過を見守りにかかる。詠華も同様に視線を戻した。

 そこに会話など無い。

 こうして渋堂たちは、なかなか冷めた空気で試合経過を見守る事となる。


 けれども、その隣に並んで座る天川ファミリーは、若干の盛り上がりを見せていた。

 全裸の人形を両腕で抱く天川甘太郎が、テレビ番組でも見ているような気軽な口調で、自らの父へと話しかける。


「なー、父上。あいつらって、死にかけの癖になんであんな元気なんだ? バトル漫画かよ」


 その言葉を受けた天川照真は、薄い笑みを浮かべて応じる。

 表情こそはただの薄ら笑いだが、その奥には大きすぎる喜びの感情が見え隠れしていた。


「あー。それはね……平たく言うと、二人ともすんごい無理してる状態なのさ。意志だけで、本来動かないはずの身体を無理矢理動かしてるって感じ……あれ、絶対反動ヤバいよ~」


 言いつつ、照真は緩んでくる頬を抑えられていなかった。嬉しいのだ。

 ここまでハイレベルな闘いを自分の娘が見せてくれたという喜び。

 照真の胸中には、他に思う事があっても、ひとまず先に浮かぶのはその感情ばかりであった。

 しかしそこに眉を寄せた天川甘菜が、もっともな質問をぶつける。


「それ、お姉ちゃん大丈夫なの?」

「まあ、しばらくはまともに歩けないだろうね。僕ちんだって本当は傷つく甘音ちゃんなんて見たくないさ……でも仕方ないよ。甘音ちゃん……あんなに楽しそうなんだもん」


 塩谷始音と殴り合う天川甘音の表情は、実に活き活きとしていた。

 HelleNを作るまでの、料理が出来ずに落ち込んでいた姿からはとても想像出来ないような、非常にいい表情かおをしている。

 だから、天川照真は父としてあえて何も言わない。

 本人が納得しているのだから、それでいいという判断だ。

 だが、照真が納得に笑みを浮かべていると、その横の甘太郎までもが心底嬉しそうなだらしのない笑みを浮かべだした。

 照真は、なかなか気持ち悪くなり、眉間に皺を寄せながら甘太郎に問いかける。


「あのさぁ……僕ちんはともかく、お前は何でそんな笑顔なんだ……?」

「あ? いや、可愛いなと思って」

「何が」

「妹」


 その言葉に、照真は驚愕する。

 この甘太郎は、昔から甘音の事を愚妹呼ばわりして見下していたので、こんな事を口にするのは考えられなかったのだ。

 もちろん今の発言に、甘菜も目を見開いていた。

 今のは、それほどまでに爆弾発言だったのだ。

 照真は、まだ驚きの抜けきらぬ顔で、甘太郎に質問する。


「えっと、甘太郎……お前は、甘音ちゃんのどこを見て可愛いと思ったんだ?」


 それは恐る恐るの質問。

 それに対し、甘太郎は抱えた全裸の人形を撫でまわしながら、満面の笑みで告げた。


「そらもう、この状況なら聞くまでも無いだろ! 殴っているところと、殴られているところだよ! ああ、あの強気な輝き……そこらの女に出せるもんじゃないね……凄くいい顔してる……! ああああああ、穢したい……その輝きに泥を塗りたい……! そして、あえて痛くなるように洗ってあげたい……! それから強がる顔を堪能して、恥じらう顔も味わって……最後には絶望させてやるんだ……! やべ、欲情してきた」


 その発言に、照真と甘菜は完全に沈黙する。

 あまりの気持ち悪さに何も言えなくなったのだ。

 しかし、これは流石に、完全不干渉というわけにはいかなかった。

 むしろ、ここまで歪んだ人格は矯正せねばならない。

 照真と甘菜は顔を見合わせ、一度頷いた後、二人同時に甘太郎を睨む。

 それから、声を合わせて死刑宣告。


「「とりあえず、一回死ね」」

「へっ?」


 直後、甘太郎が断末魔と共に死んだというのは言うまでも無い。

 逆に、反転とエアミキサーを同時に相手して、無事で済む方がおかしいだろう。

 甘太郎、本日一度目の死亡。

 しつけ完了。

 巨悪は未然に防がれた。

 それから、照真と甘菜は真剣な表情で、甘音と塩谷の殴り合いに意識を向ける。

 この勝負、決めるのはどちらか。それを見届けるために。

 その際、甘菜はふとした疑問を口にする。


「それにしても、お姉ちゃんちょっと強くない?」

「ああ、それは僕ちんが、暴漢とかに襲われないように色んな習い事させたからね。そら並の女子高生より数段強いよ」

「……ん、なるほど」


 こうして、照真と甘菜は真剣に闘いを見守るのであった。

 一方、審査員席では、塩谷と甘音にスルーされてショックを受けた三ヶ峰が、散葉と癒葉に慰められているところだったが、そこはあまり重要じゃ無いので割愛する。


 今は、塩谷始音と天川甘音の殴り合いが一番重要である。

 甘音が塩谷を殴る。塩谷が甘音を殴る。

 風切り音を立てて唸る拳と拳。

 それは軟質な皮膚へと着弾し、奥の肉と骨を震わせる。

 塩谷は片腕が使用不能なハンデを立ち回りと足技で補い、甘音は足りない力を手数と根性で補う。

 双方互角の撃ち合い。

 この乱雑雑多な名も無き技の応酬こそ喧嘩の醍醐味。

 既に、お互い全身に複数の打撲痕を負っていた。

 だが、やはり双方の双眸は、絶対に揺らぐ事を知らない。

 もうこうなってしまえば天国も地獄も関係無い。

 ただの少年と、ただの少女の殴り合いだ。

 これぞボーイミーツガールの真髄。

 肉体言語。真なる会話。

 獣でも出来る簡単なコミュニケーションだ。

 決して分かり合えない者達の、異文化コミュニケーションがここに実現していた。

 二人は、いつの間にか楽しさから笑っていた。

 甘音は拳を振り被る。


「始音くんの……馬鹿ッ!」


 言葉と共に拳は振り下ろされる。

 その硬質的な一撃は塩谷の頭蓋に当たり、中の脳を震わせた。

 しかし、塩谷はそれでも力強い笑みを浮かべ、一、二度ステップを踏んでから、甘音の腹へ強烈な蹴りを直撃させる。槍のように真っ直ぐ貫く蹴り。反撃だ。


「誰が馬鹿だって!?」


 蹴りを放ちながらそう言う塩谷の表情は、子供のような純粋な輝きに満ちていた。

 その蹴りを受けた甘音も、やはり不敵な笑みを浮かべている。

 今のは攻撃を喰らったのでは無く、あえて受けたのだ。

 甘音は、蹴りの衝撃を、仄かに硬い腹部と気合いだけで耐えきった。

 それどころか、蹴りを放った塩谷の足を両手でしっかりと掴み、思いっきり捻じった。


「勝手に店をやめるとか言いだした始音くんがっ!」


 言葉と共に、甘音は塩谷の片足を回転させる。

 当然、塩谷はバランスを崩して硬い地面へと、背中から叩きつけられる。

 その衝撃に、塩谷の意識が若干飛びかけた。

 だが、次の瞬間には、眼に強い意志を宿して再び起き上がろうとする。

 しかし、それを見過ごす甘音では無い。

 まず、塩谷に覆いかぶさるように自身も倒れ込み、下半身を絡めつつ動きを封じ、しまいには塩谷の右腕を、自身の体重が乗った右手でしっかりと抑え込む。これで塩谷の動きは封じられた。

 負傷から左腕を使えない塩谷には、これが一番有効な拘束体勢だ。

 けれども、ここで暴れられて拘束を解除されても厄介である。

 だから、甘音は第一に、自身の長い髪が塩谷の顔に軽くかかるぐらいに顔を接近させてから、一気にその硬い額を塩谷の額へと激突させた。

 頭突き。

 それも押し倒した姿勢からなので、明らかに塩谷に対するダメージの割合の方が大きい。

 甘音は、ひたすら倒れた塩谷に頭突きをかまし続ける。

 ここで抵抗力を可能な限り奪う。

 そして、塩谷の身体から力が抜けた瞬間、甘音は力強く左拳を握り、塩谷の腹部を連続で殴り始めた。

 完全拘束からの連続ボディ。

 塩谷の口から喘ぐような呻きが漏れる。それでも構わずに殴り続ける。

 甘音の左手が徐々に血に染まっていく。

 それでも甘音は手を緩めない。


「せっかく! 父上から店を取り返したのに! 何であんな事言うの!」


 天川甘音は、珍しく怒ったような口調であった。

 というか、塩谷は甘音が本気で怒ったところを初めて見た。

 叱るような場面はあっても、不満を口にする場面はあっても、こういった怒り方をするのは初めてである。

 甘音は、蓄積されていた怒りを毒と共に吐き出し、それと同時に拳を放ち続けた。

 だが、いつまでも受けてばかりの塩谷では無かった。

 塩谷は、全神経を集中して、動かないはずの“左拳”を強く握りしめる。


「勝手な事……言うなッ!!!!」


 それから塩谷は、言葉と一緒に放った左拳を、甘音の顔面へと叩きつける。

 理性のリミッターを超えた強烈な一撃。甘音の顔が一気に後方へと逸らされた。

 けれど塩谷の左腕からも、何かかしら重要な糸のようなモノが数本千切れる感触がする。

 塩谷は、今が痛みすらまともに感じない極度の興奮状態だった事に感謝する。お陰で左腕の激痛はだいぶ緩和された。

 しかし、これで本当に、もう二度とこの闘いで左腕を使う事は不可能になってしまった。

 だから、今の一撃から何とか巻き返さなければいけない。

 塩谷は咄嗟の判断で、何とか身体を動かし、右腕で甘音の身体を押し倒す。

 それから絡み合った下半身を引き剥がし、甘音の腹部の上へと馬乗りになった。

 これで上下は逆転し、今度は塩谷が優勢になる。こうなれば、片腕分のハンデなど無いも同然だ。

 塩谷は、今度は上から右拳を振り下ろす。

 狙いは、甘音の頭部だ。思考を揺らして判断力を奪おうという魂胆である。


「僕はっ! ちゃんとこれがこれ以上続くならって言った! 君があそこで退いてたら! それだけで済む話だったのに! ふざけんなッ!」


 塩谷の拳は、何度も何度も振り下ろされる。

 それは全て甘音の顔面へと直撃していく。

 だが、その拳の上下運動は唐突に止められる。

 甘音が、塩谷の拳を片手で掴んで受け止めたのだ。

 そして、そのままの姿勢で、自由な方の手を、思い切り塩谷の下半身へと伸ばした。

 これはマウントポジションの欠点である。

 股関節部を狙われやすい。

 甘音の視線と手つきは、完全に男性固有の急所を握って潰すような動きであった。

 殺される。本能的な恐怖が塩谷を駆り立てる。

 塩谷は全力で掴まれた右手を振り解き、急所を潰そうとしている甘音の腕を取り押さえる。

 すんでの所で止められた。

 だが、これによって甘音の片手が完全に自由になってしまった。

 塩谷がそれに気づいた瞬間。

 眉間に拳の感触が叩きつけられた。


「だって! あんな話聞いちゃったら放っておけないじゃないッ!」


 塩谷は思い切り仰け反る。

 しかし、立ち直る前の鼻っ柱に、若干起き上がった甘音の、もう一発が直撃する。


「始音くんが今まで抱えてた未練の! その正体がわかったなら! 荒療治でも料理界こっちに連れてくるしかないじゃない!」


 更にもう一撃。

 弾ける血。

 もうお互いの身体は血と汗に塗れ、皮膚を濡らすモノがどちらの体液かさえも分からない状態だった。

 塩谷は、追加の攻撃によって、仰け反った姿勢を維持させられる。

 だが、甘音はそこで止まらず更なる一撃を振り被り、またしても塩谷の顔面へと拳を伸ばす。

 しかし、塩谷はそれを咄嗟の頭突きで相殺した。

 ぶつかり合う拳と額。

 痛みに怯んだのは甘音の方だった。

 その隙に、塩谷は甘音の顔面を一発殴りつけた。


「うっさい偽善者ッ!!!!」


 塩谷の一撃に、甘音の身体は大きく仰け反り、怯む。

 塩谷はその隙に、この寝技体勢から抜け出そうとする。

 このままだと不利だと判断したのだ。

 だが、塩谷が離脱しようとした瞬間、甘音の両脚が素早く動き、塩谷の胴体をしっかりとホールドする。

 両脚で掴まれた。

 その力は強く、身体をよじっても離れそうにない。

 塩谷は、甘音と距離を置く事に失敗してしまった。

 ならば接近するまでだ。

 塩谷は、今度は覆い被さるように上体を倒し、再度拳を振りかぶる。


「何だよ! 僕に構うなよッ! だいたい最初から何もかも僕を巻き込んで、勝手すぎるんだよ!」


 そして、そのまま拳を甘音の身体に叩きこもうとする。

 が、やはり片手で止められ、むしろそのまま引っ張られるように引き摺りこまれる。

 腕を下から引っ張られた塩谷の上体が、甘音の上体に重なる。

 塩谷は、引っ張られた勢いそのままに、甘音の身体へと落下してしまったのだ。

 直後、塩谷の身体を、甘音は両手で力強く抱きしめた。

 それはまるで、塩谷の身体に、コアラのようにしがみつくような不可解な行動。

 しかし、その一瞬後、塩谷は甘音の意図を完璧に理解する。

 甘音が、ふと身体をよじった勢いを利用し、塩谷を巻き込んで横に半回転したのだ。

 塩谷にしがみつく腕と脚を絶妙に離しながらの半回転。

 塩谷がバランスを崩して転倒するように、背中から地面へと叩きつけられる。

 これにより塩谷の下に居た甘音が、今度は塩谷の上に来た。

 つまり、今のはマウントの上下を入れ替えるための行動だったのである。

 それから甘音は、上体を起こして体勢を整え、完璧なマウントポジションの体勢へと移行した。

 甘音の眼は、またしても刈り取る眼となっていた。


「わたしは……偽善者じゃないッ!!!!!」


 言葉と共に拳は振り下ろされる。

 それは塩谷の顔面を正確に穿ち、またしても硬い地面へと後頭部を叩きつける。

 甘音は、両手を拳の形にし、連続で殴りにかかっていく。

 右、左、右、右、左。

 塩谷の顔面に、甘音の拳が連続で叩きつけられていく。


「これは我がまま! わたしのただの我がまま! わたしは“わだかまり”が嫌いだから! たとえ自分勝手とわかっていても! 始音くんの色々も解消させようって思ったの! そういう我がままなの! 決して! 偽善でやった事じゃないっ!」


 拳の雨は降り注ぐ。

 血に濡れつつ、塩谷はぼんやりとした思考回路を用いて考える。

 ――――これ、死ぬかもしれない。

 今更ながら、塩谷の出血量はもう笑えない量になっていた。

 遅れて、鈍い痛みも襲ってくる。

 塩谷はここで「借りを返す」と言ってやらかしてしまった、あの自傷行為を一瞬後悔してしまう。

 だが、すぐに同じ事だと考え直した。

 たとえ塩谷が万全だろうと、甘音は同じように勝負を挑んできただろう。

 そして、どうするかは全く想像がつかないが、またしても持ち前の勝利を呼び込む“何か”で、塩谷と互角になっていたのだと考えられる。

 だから後悔する意味など無い。

 塩谷は覚悟を決め、甘音が拳を振りかぶっている間に、素早く右腕を伸ばし、その側頭部を後頭部ごと掴んで無理矢理引き寄せた。

 それから、まるでキスでもするかのように、思いっきり甘音の顔を自らの顔の傍に寄せ――――

 ――――思い切り、全身全霊の頭突きをブチかましてやった。


「「~~~~っ!!!!」」


 やはり甘音は石頭だ。

 塩谷の頭にも相当なダメージが届く。

 だが、構わずに、甘音の頭を掴んだ手と自らの頭を連動させ、再度強烈な頭突きを叩きつける。

 マウント下というハンデは、相手の頭を掴み寄せる事によって埋める。

 それから、甘音がまともに動かなくなるまで、ひたすらに頭突きを続けた。

 死ぬほどの苦痛が全身を叩くが、知った事ではない。

 連続連続連打連打乱打乱打。

 この勢いはまさしく頭突き祭り。

 普通の会話は脳から伝達された意志を声にして放つ形になるわけだが、頭突きの場合、そのプロセスを無視して直接脳と脳をぶつけ合うような意志交換が出来る。

 これぞ会話。

 絶え間なく響く鈍い衝突音。最早、この勢いは誰にも止められない。

 そうして、ようやく甘音の身体から力が抜けた時、塩谷は右手で思い切り甘音を押し飛ばし、マウントから脱出する。

 塩谷は立ち上がり、甘音から距離を置く。

 だが決して逃げない。これはそういう勝負だからだ。

 今の頭突き程度で甘音が再起不能になるわけがない。

 塩谷はそれを理解し、覚悟を決めて冷静に構える。

 今ならば足技が使える。これでどうにか闘うしかない。


「……君が、そんなんで倒れるわけないだろ……来いよ、天川甘音。決着をつけよう」


 その言葉に呼応するように、蹲っていた天川甘音がゆっくりと立ち上がる。

 その顔は血に濡れてはいたが、やはり笑みの形となっていた。


「……言っても、もう一発程度が限界だと思うわ……」

「君にしては、珍しく弱気じゃないか……」

「今日は相当無茶したからね。わたしは、自分の限界が分からない人間じゃないわ……むしろ、よく頑張った方よ。わたしの身体は……」

「そっか……実は僕も、あと一発程度が限度なんだよね。もう、それ以上は動けそうにもない」

「そう……じゃあ、文字通りこれで最後ってわけね」

「うん。最後だ。終わらせよう、天川さん」


 二人の間を、強い風が通り過ぎていく。

 これで先攻が決まる。

 もう既に最終決戦のような空気を醸し出しているが、これで決まるのは先攻後攻だけである。

 だが、それも勝敗を左右させる重要な要素だという事には違いない。

 ここで倒れた方は、後で結果を知らされるという悲しみを味わう事になる。

 だから、勝敗を自分の眼できっちりと見届けるためにも、二人はもう止まるつもりは無い。


「いくよ、天川さん」

「おいで、始音くん」


 そして、風がやんだ瞬間。

 二人は同時に動く。

 塩谷は手早く身体を半回転させた回し蹴りを。

 甘音は真っ直ぐに大地を踏みしめて放つ拳を。

 互いが互いへと、一番得意とする攻撃を放つ。

 これは対話だ。

 塩谷と甘音は、今の殴り合いで多くの情報を交換した。

 ただの会話以上に互いを知り、深く触れあったのだ。

 最早、二人の気持ちを妨げる肉体さえも煩わしい。

 空気を震わせるだけの空間すらも邪魔くさい。

 塩谷始音と天川甘音は、己の気持ちを届けるために“技”を解き放つ。

 これならば伝わる。何もかも全てだ。

 愛情よりも大切な、最後に残る感情モノ

 二人はその正体に気づかぬまま、お互いを想いる気持ちと共に、その必殺を爆ぜさせる。

 多くの料理人を葬ってきた高威力の回し蹴りと、そんな塩谷さえも何度も殴ってきた真っ直ぐな拳。

 二つの力は接近し――――


 ――――やがて、双方の距離は零となった。


 勝負は一瞬でついた。

 塩谷の回し蹴りは甘音の身体を正確に捉え、甘音の拳は塩谷の身体を正確に捉えたのだ。

 その結果。

 二人は、その場から動かずに、ただ制止した。

 両者クリーンヒット。

 ただ攻撃を放つだけでも相当な負担だというのに、相手の攻撃まで受けたのだ。

 もう動けるわけが無かった。

 塩谷が、甘音に蹴りを叩きつけた体勢のまま、動力が切れたようにゴテンと地面に倒れた。

 その直後、甘音が塩谷を殴りつけた体勢のまま、前のめりになって激しく地面に倒れた。

 まさかのダブルノックアウト。

 これにて決着だ。

 倒れた二人は、もう目を覚まさない。

 もちろん料理は作ったので、ここでKO負けする事は無い。

 だが、この二人が試合結果を見届ける事は出来ないのである。


 その呆気ない結末に、審査員の三ヶ峰も驚きを隠せない。


「…………えっ? これで終わりで御座るか? 勝敗は!?」


 三ヶ峰も思わず、昔使っていた口調になってしまう。

 その様子を見て、横に座る癒葉も笑みを濃くする。


「終わりみたい……ですねぇ。さぁて、これからどうします? 店長っ」


 癒葉は、何故か清々しい表情を浮かべていた。

 まるで何かが吹っ切れたような、いい笑みである。

 だが、その横の散葉は、いつも通りの気の抜けた笑みを浮かべたままであった。


「とりあえずー、お腹減ったから審査から先にしよーよ」


 あくまで散葉は能天気で自分勝手であった。

 もちろん、それに突っ込む声は存在した。

 観客席の詠華である。


「いえいえいえいえ! どう考えても二人の手当てが先決デスわよね!!? あわわわ……まさか、こんな事になるなんて……これこそまさに顔面蒼白回天動地デスわ……!」


 詠華は、激しく動揺しながら周囲を慌ただしく見回していた。

 だが、その隣に座る渋堂は、腕を組んで冷静に状況を見ていた。

 渋堂は、溜息と共にこの闘いの結末を見届ける。


「ま、別にあいつらは放っておいても問題無さそうだけどな。むしろ、あいつらがあそこまでして早く食べさせたかった料理を食うのが一番先決だろーが。俺だったら、そう思うけどな。いや……そもそもどっちが先攻なんだ……アレ。んー……まあ、いいか!」


 そう言った渋堂は少し誇らしそうだった。

 彼としては、やはり塩谷の闘いを見られて満足した、という想いが強かったのだ。

 中盤ぐらいまではどうなる事かとハラハラしていたが、結果として成長した塩谷の姿を見られて満足したというわけである。

 しかし、それとは対照的に、隣の辛籐は腑に落ちなさそうな表情をしていた。


「……なんでしょう。この疎外感は……」


 辛籐もHelleNの一員だというのに、塩谷と甘音だけで盛り上がられた寂しさが、今更になって湧きでてきたのだ。

 加えて、甘音がここまで強くなってしまったせいで、辛籐の立場がどんどん無くなっていくという不安もあった。

 本来ならば、ここで両手を合わせて勝利を祈るべきなのだろうが、辛籐は色々と折り重なった感情のせいで、どうにも勝敗の結果に意識が向かなかったという。

 けれども、少し離れた席には、勝敗に関心しかないような人物も存在した。


「ふぅ……いい試合だった。なあ父上。これ、どっちが勝つんだろうな? どっちにしても、楽しみだぜイ……甘音。戻ったら俺様が抱きしめてやる……!」


 先ほど親と妹に殺され、自らの反魂能力で復活した甘太郎である。

 甘太郎は、試合後半から異常なまでにテンションを上昇させ、他の天川ファミリーから反感を買っていた。

 特に、一番反感が大きかったのは甘菜からだ。

 甘菜は、軽蔑しか籠っていない視線を甘太郎に向けていた。


「キモ……もう四回くらい殺しておけば良かった」


 それは兄を殺す事に慣れ過ぎたため出てしまった、若干サイコな発言であった。

 そんな考え方は教育上良くない。

 だから、父である天川照真は、甘菜を優しく諭す。


「いやいや、駄目だよ甘菜ちゃん。いくら相手がこいつとはいえ、あんまり殺すと、ほら、他の人も殺したくなるかもしれないからさー……」


 何気に、兄を殺す事についての倫理観については、一切触れられていなかった。

 その上、もう意識は勝敗から離れていた。

 当然だ。

 以前の照真ならば、ここで甘音に対して過剰な心配をしていた所だったが、今はもうわかっているのだ。

 ここは料理対決の場なので、呼べばすぐに救護班が駆けつけるようになっている。

 照真がわざわざ出る幕では無いのだ。

 それに、これが一番重要なのだが、気絶した甘音の顔を見た照真は、咄嗟に問題無いと思ってしまったのである。

 何故ならば、眠るように倒れる甘音の表情は、どこまでも晴れやかで、満足そうだったからだ。

 全てを出し切った満足感がある以上、どう転んでも甘音は納得するだろう。

 だから照真は何も言わない。

 普段通り、とりとめのない会話を再開させていくのみである。


 何はともあれ、これで塩谷始音と天川甘音の意識は途切れ、闘いの記憶はここで終わった。

 なので、舞台再生はここで一旦暗転だ。

 次の場面は、塩谷と甘音が目を覚まして、しばらくしてからである。

 結局この闘いはどうなったのか。

 その答えは、次の場面へとお預けだ。

 故に、幕は一度降り、次の場面へと変わっていくのであった。

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