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HelleN! -愛情よりも大切な-  作者: パンダらの箱
「最後に残るモノ」編 最終章後 vs地獄料理
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絶望到来 -DYSTOPIA:PRINCESS-

 天川甘音は、自分の八つの料理が並ぶ調理台に、ゆらりと右手を翳した。

 その姿はまるで、彼女の父が大技を使う時の構えのようである。

 それから、甘音は静かに言葉を繋げていく。


「あのね、ここにある八つの料理は、それぞれ違う地獄料理なの。バージョン1、地獄送り。バージョン2、生き地獄。バージョン3、地獄顕現。それとそのどれにも属さない、ある意味でバージョン4とも言える、新地獄料理。そして、残り四つはね……中和用の地獄料理なの。その意味がわかる?」


 俯いた塩谷は何も答えない。

 だから、甘音は仕方なさげに鼻で息を吐いた後、自分でその解説を始めた。


「これは、父上と一緒に発見した事だけれど、地獄料理には不思議な特性があったの。マイナスとマイナスを掛け合わせればプラスに転じるように、完成された地獄料理と地獄料理を混ぜたら、殺傷効果及び苦痛効果が無くなるという事がわかったわ。食べられる料理になるし、どういうわけか味も良くなる。つまりね……」


 先ほど天川照真が、甘音の用意した料理に驚いた理由。

 それは合成されていない、そのままの地獄料理を用意されたからだ。

 地獄料理同士の合成にはコツが要る。

 事実、制作の段階で、毒見役の甘太郎が何度死んだかわからないぐらいだ。

 結局、やりすぎた結果、甘太郎の記憶が飛んでしまうという事態に陥ったわけだが、とにかくそれほど成功率の低い調理なのである。

 だから、実行のためには、地獄顕現の防護陣を解除するのは得策では無かったのだ。

 そこで妨害されては元も子もないからだ。

 しかし、甘音は半端な状態であえて出てきた。

 その迂闊さと無策さに驚愕を隠しきれなかったからこそ、照真は、あんな反応になってしまったのである。

 けれども、甘音には何の策もないわけでは無かった。

 むしろ、勝算があるからこその行動なのだ。

 天川甘音は、自信と共に地面を震わせながら、口を開く。


「……この八つの地獄料理は、全て融合するわ。料理は多くの食材を使った方が良いとは限らないけど、今回に限ってはその限りじゃない。掛け算だからね。わたしの今目覚めた食柱毒を使えば、全ての長所を活かしたモノが作れるって確信があるの。きっと、あなたが今まで作ってきたどんなモノよりも、もっともっと凄いモノが出来上がるはずだわ……それでね、始音くん」


 ここで、甘音は何の重みも伴わない声で、塩谷に語りかける。

 塩谷は、もう聞いているかどうか分からないぐらい虚ろな状態であったが、しかし甘音は構わず言葉を続ける。

 放つのは挑発の言葉だ。

 甘音は、好戦的な笑みで、自らの首元を指で軽く叩いて告げる。


「妨害するなら、今よ?」

「……!」


 その言葉に、塩谷の眼にも再び生気が宿る。

 先ほど疑似時間停止の翼を失ってしまった塩谷だが、この発言には反応せざるを得なかった。

 これまで、甘音が塩谷の奇襲を回避出来ていた理由は、地獄顕現を発動させて身を守ったからだ。

 だが、調理を中断した以上、同じ手は使えないだろう。

 となると、恐らく目覚めたばかりの食柱毒で、塩谷に対抗するつもりなのだろうか。

 そこまで自身の食柱毒に自信があるのか、実際のところは分からない。

 けれども、塩谷としてもここで退く理由も無かった。

 ここで巻き返せれば勝利は確定するのだ。

 妨害行為によるKO勝ちを狙えば、まだ料理がどんな状況でも勝つ事が出来るのである。

 甘音が、あの虹色の雲の中、どれだけ塩谷の状況を確認出来ていたかは分からない。

 しかし、疑似時間停止の事を知っている甘音ならば、本気を出した塩谷が如何に危険かよくわかっている事だろう。

 それでも挑んでくるその自信。

 塩谷の死にかけていたプライドに炎が灯る。

 そういう勝負ならば無秒領域に敗北は無い。

 塩谷は、辛うじて縋るプライドを見つけ、それを杖にしてゆらりと立ち上がる。

 疑似時間停止の翼を再生成するのには時間がかかるが、だとしたら第二の切り札を使うまでだ。

 これは甘音も知らない技だ。

 塩谷は、甘音を見下すように復活し、死にかけていた喉から涸れた声を絞り出す。


「……いいの? 悪いけど、命の保証までは出来ないかもよ」

「構わないわ。こっちだって致死の攻撃は何度か放ったもの。条件は同じよ」


 ここで視線は再び交差する。

 塩谷の死んだような黒い眼と、甘音の感情で白く光り輝いた眼の激突。

 だが塩谷は初めて気がつく。今の甘音の眼力はほとんど本気じゃないという事実に。

 甘音が本気で睨めば、本来睨み合いにすらならないはずなのだ。

 だから、これは手加減しているのか、もしくは塩谷の実力を引き出すためなのか、恐らくそういった意図が含まれているのだと簡単に理解出来た。

 塩谷は心の中で、屈辱に身を裂かれそうになる。

 けれども、今はその気持ちを全て攻撃に回す時である。

 塩谷は覚悟を決め、また片手で服を捲って、もう片方の手を手刀の形にした。


「じゃあ」


 それから、またしても心臓を貫いた。

 そして手を抜くと、やはり大量の血が噴きあげていく。同時に、内側から溢れる青い光。

 だが、塩谷はそんな状況下でも歪な笑みを浮かべ、口元から血を垂らしつつ声を発した。


「お言葉に甘えて」


 血に濡れた声が甘音に届いたか否か、それほどまでにシビアな刹那。

 塩谷始音の体感時間は制止した。

 制止した世界で塩谷は微笑む。

 これは第二の切り札、簡易版疑似時間停止だ。

 先ほど用いた天使化とは間逆に、短期間で強制発動させるため負担が増すが、素早い発動と短時間のみという制限の追加に成功した代物だ。

 つまり、心臓一突きからほぼノータイムで簡単に発動出来る、短期専用疑似時間停止という技である。

 これには事前に能力を暴走させておく必要があったり、色々と面倒な下準備が必要だったが、幸い今は全て満たされていた。何も問題は無いわけだ。

 不意討ち特化の新たな疑似時間停止の形。

 塩谷は、止まった世界で、すぐに動き出した。

 思い切り助走をつけ、一気に四階の足場から跳び出す。

 甘音に狙いをつけた長距離ジャンプだ。

 このまま一直線に甘音の首を狙えば、もうそれだけで終わる問題である。

 未だ蒸気を漂わせる危険な地面を歩むまでも無い。安全な甘音付近の床に着地する事が出来るのだ。

 塩谷は両手を手刀の形にし、瞬く間に甘音に接近していく。

 その眼には勝利の確信。

 だが、彼は忘れていた。


「ッ?!」


 塩谷は甘音の目前まで迫り、直後、見えない何かに叩きつけられるように地面へと落下した。

 重力の向きが急激に変わったかのような不可解な激突。

 塩谷の全身を潰しかねない程の苦痛が襲う。

 それと同時に、解ける疑似時間停止。

 肉体強化時間は終わり、時は再び何事も無かったかのように動き出す。

 何が起こったのか。

 塩谷がそれを認識する前に、全身から激しい苦痛が迸り始めた。

 唐突に訪れた肉体の崩壊に、塩谷は赤子のような悲痛な叫びを上げる事しか出来ない。

 悶絶しながら、無様に床を這いまわる事しか出来ないのである。

 しかし、塩谷の胸中には、痛みなどどうでも良くなる程の疑問が生じていた。

 何故か、無秒領域なのに攻撃を受けた。

 その衝撃は、塩谷の思考を丸ごと奪っていく。

 どんな力であろうと、止まった世界では無力なはずなのに、どうしてか攻撃を受けてしまった。

 塩谷は、苦痛に悶えながらも、その疑問の答えを必死に探す。

 が、その答えは真上から発せられた。


「……驚いたわ。まさかそんな技まで使えるなんて、何時の間に覚えたの?」

「……………………あんまり……驚かないんだ……ね……」

「一応、何が来ても対応出来るように能力を展開していたからね。でもまさか、そんなに傷つくなんて予想外だわ」


 甘音は本気で驚いているようだが、どうやら彼女の食柱毒によって塩谷が傷つけられたのは事実のようだ。

 だが、それだけ分かれば十分だ。

 塩谷は、半ば意地だけで地面に両手を打ちたて、身体を持ち上げるように立ち上がる。

 今回の疑似時間停止は、初めて使った物よりも持続時間が少ないので、瞬間的な負担は増したものの総合ダメージは大きく減少しているのだ。

 だから何とか気合いでも立てる。

 その姿に甘音は驚いた表情を浮かべていたが、塩谷は構わず手刀の形を作って、甘音の首元目掛けて真っ直ぐに腕を突き出す。せめて一矢報いようとしたのだ。

 意識は半ば飛びかけているので、ほとんど無意識の行動である。

 しかし、やはり塩谷の身体は見えない力に叩き潰されるように、地面へと叩きつけられた。

 倒れ、血を吐く塩谷は、ここでようやく自分の全身からも絶え間なく血が流れ出ている事に気がつく。

 何て無様な存在なのだろう。塩谷の心底から自虐的な感情が滲み出てくる。

 最低の敗北。塩谷はもう再起不能だ。

 そして、そんな地面を這う羽根をもがれた蟲に対し、甘音は冷酷にも告げる。


「無駄よ。それ以上やっても、始音くんが余分に傷つくだけだわ」


 それから、甘音が人差し指を軽く上げると、塩谷の身体も同時に持ち上がった。

 念動力のような力で、空中に浮かせられたのだ。

 まるで子供を両手で抱える親のような気軽さで、甘音は塩谷を能力によって浮かせたのである。

 これは、これだけで塩谷にとっては相当な屈辱であった。

 悔しさと疑問と苦痛が暴れまわる内側で、塩谷は必死に考え、そして言葉を口にする。


「……な、に……? ……その、力は…………?」


 通常、食柱毒の能力を聞かれて素直に答える料理人は少ない。

 だが、塩谷は甘音の性格に賭け、この問いを発したのだ。

 そこにもうプライドは残されていない。

 塩谷は気づいてしまったのだ。天川甘音が、今まで闘ってきた中で“最強の敵”であるという事実に。

 五味グループを例に出してもそうだ。

 まず、甘音には、辛籐の味覚破壊を破壊して勝利したという経緯がある。

 また、無秒領域の塩谷を軽くいなした事から、三ヶ峰の速さすら妨害する事も可能だろうと推測可だ。

 それから、詠華のような広範囲状態異常攻撃よりも、遥かに危険な攻撃を放つ事も出来る。

 そして、反転した時の地獄料理の点数は、渋堂さえも越えていた。今回も、自前の食柱毒でそれに匹敵する何かが出来てしまうかもしれない。

 ここまででもう化け物だ。

 なのに、天川照真の教えまで受けているのである。

 そこから受け継いだ食柱毒まであるのだ。

 もう手がつけられない。

 塩谷は、せめて食柱毒まで危険では無いようにと祈る。

 けれどもその祈りの十字架は、屈託なく答える甘音の声によって、粉々に粉砕されるのだった。


「支配、よ」


 答えたのは性格故か、はたまた自信故か。 

 それは誰にも分からない。

 それでも塩谷は、その言葉に込められた絶望を余すことなく味わっていた。

 甘音が、塩谷の調理台の方を指さすと、塩谷の身体も、見えない力に引っ張られるように空中を移動させられる。

 突風のような速度で、四階部分にある自分の調理台の方まで戻された塩谷は、ふわりと優しく体勢を整えてくれる念動力のような力に身を委ねさせられ、安全に両の足で着地させられた。

 ここで一つ異常に気がつく。

 それは明らかな変化。

 塩谷は、咄嗟に自分の全身をぺたぺたと触り、再認識する。

 全身を包むように存在していた“痛み”が無くなっているという事実に。


「な、なんだ……!? 一体、何が……?!」


 困惑する塩谷に、遠方の甘音は笑顔を浮かべて回答を投げかけてくる。

 モニター越しに届く声。


「それじゃあまりに分が悪そうだったから、治しておいたわよ」


 それは矛盾を孕む一言。

 何故ならば、先ほど塩谷が「支配」という言葉を聞いた時、想像したのは「自分の周囲の物体を自由に操作出来る能力」だったからだ。

 塩谷を地面に叩きつけたのも、調理台の方まで運んだのも、そういった原理であると納得していたのだ。

 しかし、今の治すという言葉は明らかにおかしい。

 念動力の発展形の力に、そこまでの芸当が出来るはずも無いのだ。

 だから、塩谷はただひたすらに困惑する。

 その不安混じりの声は、観客席の声と綺麗に一致していた。



「「えっ……?!!! 一体、何がどうなって……!」」



 観客席の甘太郎は、塩谷とはまた違った衝撃を受けていた。

 甘太郎は以前に、照真と、天川家の食柱毒の傾向について語り合った事がある。

 その時に、天川家の特性は「回し、転じさせる力」という結論に収まったはずだ。

 なのに“支配”とはどういう事なのか。

 甘太郎は胸中に湧きあがる疑問に答えを出せず、ただひたすら空虚な思考を続ける。

 だが、そんな甘太郎の肩を叩き、照真がにやりと笑った。

 狙いが的中したと言わんばかりの笑みである。


「どうやら、手に入れたみたいだね。最強の食柱毒を」

「な、なあ、あの食柱毒ってどういう事なんだ……!?」

「どういう事も何も、前に僕ちんと話したろ? 甘音ちゃんは、もしかしたら僕ちん達とちょっと違う方向性の力に目覚めるかもしれないってさ。もしかして忘れてた?」

「あっ……」


 甘太郎は、確かにそういう話をしていた事実を思い出し、困惑しただけ損だった悲しみを人形にぶつける。

 既に六枚重ねのドレスを身に纏っていた人形は、全ての衣服を左右に引き裂かれ、丸裸にされて地面を転がっていく。

 甘太郎は、それを一度踏みつけた後、ゆっくりと拾いながら、照真に対してまだ疑問が消えきらない眼を向けた。


「そういえば……天川家の力の傾向の解釈は、もう一つあるとか言ってたっけ……!」

「そう。それこそが、支配、だよ。まさか、あんなに直球になるとは予想外だったけどね」


 照真は笑いながら、会場の甘音から一切視線を逸らさなかった。

 ちなみに、意外に実用性のある能力だという事に悔しさを感じたのか、甘菜は先ほどから無言でずっと爪を齧っていた。何処となくヒマワリの種をゲジゲジ噛むハムスターを彷彿とさせる挙動だ。

 しかし、甘太郎にはそんな事などどうでも良かった。

 甘太郎は追い縋るように、照真に質問を投げかける。


「で! 何で天川家の解釈が支配になるんだよ!? 支配……は、まァまんまだから良いとして、反転、反魂、回転についてはどう説明つけるつもりだよ!?」

「……甘菜ちゃんのエアミキサーの真髄は、回転刃を無限無尽増殖させられるその制圧力、支配力だ。そして、お前の反魂は生命を弄び支配する力とも取れる。そんで僕ちんのは、能力云々以前に万能に近い性能だ。正確に言えば、万能操作エネルギーに方向性という足枷がついた能力だしね。支配なんていくらでも出来る力だよ」

「こ……こじつけくせー!」

「実際、ただの想像だしね。ただ、僕ちん達の能力が支配という概念を“回し、転じさせる力”で表現しているともいえるっていうのはわかるよな? その点、甘音ちゃんの能力は文字通り“支配”という力だけをストレートに出している……それが僕ちん達との違いさ。とはいえ、あの力は僕ちん以上に……文字通り万能そうで悔しいけどね……」

「「えっ?」」


 またしても驚愕で固まる天川兄妹。

 それから、恒例の質問を求める視線が照真を襲う。

 本当にこういう時だけ息がぴったりである。案外似た者同士なのかもしれない。

 そして、そんな眼を向けられた天川家の父は、またしても解説を始めるのであった。


「きっと、あれは単純に物を動かす念動力系だとか、人の身体を癒す修復系だとか、そういうのとは別格の存在だよ……見ただけで分かる。あれは多分……」


 照真は、信じられない事実を押し殺そうとして、無理矢理硬質な唾液を呑み込む。

 これは本来あってはならない能力なのだ。

 だから、照真は畏れ混じりの声色で、その能力性能を口にする。

 その声は、ちょうどモニターから届く甘音の声と綺麗に一致していた。



「「一定空間内の“世界に”自在干渉出来る力」」



 天川甘音は自らの能力概要をそう告げた。

 曖昧ではあるものの、解釈次第ではいくらでも膨らみかねない最上の食柱毒。

 まだまだ余裕を秘めた甘音に対し、あまりの恐怖に息も切れ切れになっている塩谷。

 その対比は、両者の現在の力関係さえも表現しているかのようだ。

 甘音は、まだ完全に能力を理解しきっていない塩谷に対し、やはり至極穏やかな口調で声帯を震わせた。


「……って言っても、少し難しいわよね。具体例を見せるわ。例えば……」


 瞬間。甘音の姿が跡形も無く消失した。

 何処に消えた、そんな疑問を塩谷の脳が認識する前に、その背後から肩を叩く手があった。

 塩谷は全身を震わせ、恐る恐る背後を見る。

 そこには、やはり笑みを浮かべた天川甘音が立っていた。

 瞬間的な座標移動。

 言葉を失うとはまさにこの事だ。

 塩谷はもう何も言えなくなってしまっていた。

 金魚のように口を開閉しながら、言葉にならないただの音を漏らす事しか出来ない。

 いつも不平不満ばかり口にしていたその口は、もう言葉を奏でられないのだ。音を鳴らすのが限界なのだ。

 そんな塩谷の口元に、甘音は思い切り顔を寄せ、不敵な笑みで囁くように告げた。


「……こんな事が出来たり」


 声が聞こえたかと思うと、もう塩谷の傍から甘音の姿が消えていた。

 塩谷が慌てて周囲を見回すと、甘音はもう元の場所……つまり自分の調理台まで戻っていた。

 一瞬でここまでの距離間を移動したのだ。

 恐らくは瞬間移動的な能力を用いたのだろう。

 念動、回復、瞬間移動。

 全く接点の無さそうな三つの能力。

 甘音はそれらを当たり前のように使いこなしていた。


「あとね……」


 甘音が空へ手を掲げると、明らかな変化が訪れた。

 空に浮かぶ真っ白な雲が、いきなり一点に引き寄せられるかのように、一斉に移動したのだ。

 それから、徐々にその色を黒く染めていく。

 この試合会場……つまりビルの屋上を中心として、空の雲が集まっていき黒く染まり始めたのだ。

 雲を操っている。

 ついに、天川甘音は空さえも支配してしまった。

 この能力はあまりにも反則だ。どうしようも無さ過ぎる。

 塩谷の心臓がおぞましい程早鐘を打っている。

 規格外の食柱毒に、絶対的な敗北感を植えつけられたからだ。

 いや、もう勝つだとか負けるだとかそんな話では無い。

 天変地異を前に人は無力だ。故に、立ち向かうのでは無く、生き残るために逃げる事を優先させる。

 それと同一だ。

 この能力はもう無理だ。立ち向かえるわけがない。

 そして、甘音は自身に対する自信に満ちた笑みで、空に掲げた右手でパチンと指を鳴らした。

 直後、光速の稲光が試合会場に落下する。

 避けようも無い最速の光は周囲を照らし、数秒経過してから地鳴りのような重い音を響かせた。

 つまり、落雷したのだ。

 甘音の食柱毒によって集められた雲が、雷を引き起こしたのだ。

 幸い、雷は塩谷と甘音の間の地面を軽く焦がしただけだったが、それでも恐ろしい程の脅威である。

 甘音は、やはり強気な笑みで残酷にも告げた。


「……こういう事も、出来るみたい」


 甘音の笑みは晴れやかである。

 ついに彼女は人さえも越えてしまったのだ。

 大鎌を携えた死神。

 力を誇示出来るだけの圧倒的余裕。

 もう塩谷は、無力感に苛まれる事しか出来ない。

 支配の能力は想像を遥かに絶する物だった。

 一定空間内……つまり今のを見る限り、少なくとも雲に届くぐらい広い空間で。

 世界に自在干渉可能……つまり何でも出来るというわけだ。

 能力の射程圏内に居る限り、固有の力場を発生させる事や、念動力のような力を発揮する事や、人の傷を癒す事や、瞬間移動さえもする事が可能なのである。雲を操作し雷を起こした事から、もっと幅広い活用法があるようにも見える。

 まさしくそれは万能の奇跡。

 化け物だ。矮小な人間ごときが勝てる相手ではない。敗北必須。

 それなのに、天川甘音の眼には好奇心の光が躍っていた。

 次は何を試そうかと、初めて手に入れた力に少なからず興奮しているようである。

 それはそうだ。甘音が食柱毒に覚醒したのは、この間の毒の日が原因だろう。

 だが、他者の毒を貰いすぎて覚醒した場合は、毒から始まった能力という形になるので、初めて使う時に妙な高揚感を感じやすいのだ。

 だから、甘音が眼に見えて興奮しているのは仕方のない事なのである。

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