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HelleN! -愛情よりも大切な-  作者: パンダらの箱
「DAY:POISON」編 最終章前 ~みんなでお食事~
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覚悟完了 -物語に終止符を打つのは純白の天使-

「……で、出来れば事情説明が欲しいんだけど……」



 結局。

 あれから落ちつくまでに多少の間を置いた。

 塩谷はこの空気に耐えられず、逃げるようにして部屋の外に出て、部屋の主なのにも関わらず廊下で着替える羽目となったのだ。

 その際に気が付いたのだが、どうやら今家に家族はいないようだった。少なくとも人の気配が感じられない。察するに、塩谷の寝ている間に出かけてしまっていたようだ。

 ジーンズとシャツを纏った塩谷が、散葉に確認を取ってから部屋へと戻ると、そこには珍しくコートを纏っていない普段着の散葉の姿があった。

 ブラウスの上に薄手のカーディガン、それとやはり長いスカート。そんな散葉が、塩谷のベッドに腰をかけていた。

 見慣れないその格好に、塩谷も少し動揺してしまう。それと、やはり見当たらない荷物に疑問を隠しきれない。

 だが、ひとまず落ちつき、学習机の傍にある椅子に腰をかけた。

 これで対話が出来る状態となり、状況が落ちついたわけである。

 ただし、何もわかっていないのは依然として変わらない。

 塩谷の頭の中には、まだいくつもの「?」マークが浮かんでいた。


「とりあえず、何がどうなってこうなったのか、一から説明してよ……」

「え、えっとねー……」


 散葉が、歯切れの悪いような珍しい反応を見せていた。

 塩谷から視線を逸らし、膝上の指を弄りながらのトークだ。

 塩谷にはわからない。何故、散葉がこんな反応を取っているのか、その真実が。

 現在、霜月散葉の中では不思議な現象が起こっていた。

 実は、先ほど塩谷の前で着替えようとした時は、散葉は別に裸を見られてもいいぐらいの心情であった。

 別に肌を見られようとどうでも良かったのだ。事実、身内の前ではそうしてきた。

 だが、塩谷に見られた途端、急に胸の奥から頭にかけて熱いものがこみあげてきて、とても耐えられなくなってしまったのである。

 生まれて初めて芽生えた感情、それは羞恥心。

 まともに学校に通う事無く、天川照真の秘書として活躍してきたこの少女は、身近な異性と触れあう機会が一切無かったのだ。その影響が大きい。

 居たとしても、家族や天照大御神ロリコンぐらいである。

 なので、散葉はここで初めて羞恥の感情を得たわけだが、そんな事情を塩谷が知るわけも無かった。

 話は、気まずいまま進行していく。


「みーのメールには、さっき気づいてたよね……その、みーはメール送ったあと、返信があるかないかも見ないで、この家まで来ちゃったんだ……そしたら、おにーさんの家族が居て……」

「あ、会ったんだ……それで……?」

「うん。ちょうど出かけるところみたいだったけど、みーに自由にしてていいよって言って出てっちゃったんだ……」

「えっ!? 寝ている僕はスルーで!?」

「あ、一応気にしてるような発言してたし、起こそうともしてたけど、みーが自分で起こすから気にせずにーって言ったんだ……それから、みーはおにーさんの部屋に行ったら、本当に寝てたから、なんか、つられて寝ちゃったってわけ……」

「な、なるほど……?」


 微妙に腑に落ちない内容であった。

 塩谷は、微妙な表情のまま質問を重ねる。


「でも、なんでパジャマまで着てたの……?」

「おにーさんが、男子高校生にしては珍しくパジャマ着てたから、なんかみーも触発されちゃって……」

「なんでそんな偏見もってんの? そもそも、なんでパジャマ持ってきたの……?」

「もしかしたら、泊まるかと思って……」

「は、はあ。なるほど。それで、あの、今更聞くのもなんだけど、ウチに何か用かな?」


 相当聞くのが遅れてしまったその質問。

 本当に今更な質問だ。

 だが、その質問によって散葉の表情が一気に明るくなった。


「そうだ! みーは、おにーさんを励ましにきたんだった!」

「励ます……? どういう事? ていうかなんで?」

「うーんと、あのファーストフードでの出来事から、おねーちゃんがすごく心配しててねー……」

「心配って、何を?」

「そりゃーもー、おにーさんの事だよ!」

「えっ?」


 霜月散葉の姉といえば、霜月詠華の事である。

 だが塩谷には、詠華に心配されるような事など、一つも心当たりらしきものが見当たらなかった。

 そもそも、三ヶ峰ファーストフード店での出来事といえば、癒葉が塩谷の過去を話して、それから塩谷と甘音が対立した事ぐらいである。

 それの一体どこに、詠華に心配されるような要素があったのかが、塩谷には全くわからなかった。

 だが、散葉は当然のように続ける。


「おねーちゃん、おにーさんの事を考えるたびに涙ぐんでて、事あるごとにみーをおにーさん家に連れて行こうとするんだよねー。自分じゃ励ませられないから、代わりに行ってってさー……それで、みーも結構スルーしてたんだけど、ついに決戦前日になって、もうしつこくしつこく絶対行けって言われて……それで……」

「結構イヤイヤだったんだ……それはお疲れ様……」

「ううん、みーもおにーさんの家に興味が無いわけじゃなかったしねー。あっ、そうだ。伝言もあるんだー」


 そう言うなり、散葉は発声練習のように「あ、あ」と小刻みに声を出していった。

 これは散葉の食柱毒発動固有動作だ。

 彼女の能力は「自分の口にまつわる基準点の変更」だ。言ってしまえば、声や味覚を調節できる能力である。

 ファーストフード店に居た時は、毒の日のせいで能力を発揮する事は不可能であったが、それから数日経過した今ならば問題無く発動可能だ。

 散葉の声が、徐々に甲高くなっていく。

 そして、それが収まった時、散葉は急に申し訳無さそうな表情を浮かべだす。

 散葉は伝言者の話し方、表情までも変えて告げる傾向にある。つまり、この申し訳無さそうな表情は、霜月詠華のものと考えて間違いは無いだろう。


「伝言、開始…………し、塩谷さぁん……その、お元気デスか……? この間は申し訳ありマセンでしたわね……アタクシったら急に料理対決など挑んでしまって……ご迷惑だったでしょう? あの対決は、無かった事にしていただいて構いマセンわぁ……いいえ、きっとアタクシでは勝てないでしょうね……冷静に考えればわかる話デスわ……だったらもう、あの勝負はアタクシの負けという事で問題ありマセンわ……」

「あ、あれ……!? なんでそんな卑屈なの!?」


 それは、塩谷始音が知っている霜月詠華の印象とは、全く異なる雰囲気であった。

 三ヶ峰ファーストフード店で出会った時の彼女は、もっと傲慢で高慢な性格をそのまま体現したような喋り方だったはずだ。

 いや、喋り方自体はそのままなのだが、どうにも言っている内容との落差が激しすぎて違和感しか無いのである。

 塩谷はよくわからない状況に困惑しつつも、ひとまず伝言を最後まで聞き切ってから、散葉に質問する事にした。今はまだ話を聞いていようと決める。

 続く詠華の言葉は、まだ暗い色を滲ませたままであった。


「それはそうと、塩谷さんは……大変苦しい思いをしてきたそうデスわね……アナタはまさに千荊万棘の如く長く辛い生涯を歩いて来たというのに…………アタクシったら何も知らずに無礼な真似を……この罪、この極悪大罪を……アタクシはどう償えばよいのでしょうか……! その、もし何かあったら、アタクシに話してみて下さいまし……アタクシに出来る事なら何でも致しマスわっ!!!!」

「は、はあ……」


 どうやら詠華は、塩谷の過去について同情心を感じているようであった。

 だが、半ば自己満足が入っている上に、若干押しつけがましいというのもまた事実である。

 何となく悪い人では無いのはわかるのだが、もうそこまで言うのなら本人が直接来いと思わざるを得なかった。

 それに、塩谷の過去はもう終わった話である。

 なのに、それを蒸し返した挙句土足で踏み入られるのは、塩谷としてはあまり気分の良いモノでは無かった。

 いっそ何でもすると言ったのだから、本当に聞けないような事を言ってやろうかとも考えたが、何を頼んでもなんか本当にやりかねないだけの凄みがあったため、塩谷は慌てて口をつぐむ事しか出来ない。

 だが、そんな塩谷の事などまるでお構いなく、詠華は伝言をこう締めくくりにかかるのであった。


「塩谷さん……その、あまり気にしては駄目デスわよ……あれは、別にアナタのせいじゃないデスわ……! 責任なんてこれっぽっちも無いのデスわぁ! ……アナタのしてきた事は、縁木求魚でも海底撈月でもありマセン……! 天川甘音さんはああ言っていマシタが、アタクシには、別にアナタが料理人に戻る必要性があるとはとても思えマセンわ……! アナタの人生はアナタのものデス! ここで逃げても、アタクシはアナタを責めマセンわ……本題が遅くなってしまいマシタが、アタクシはアナタの味方デスわ……勝って、自由を手に入れて下さいまし……!」


 その言葉を受け止めるべき感情を、塩谷はもっていなかった。

 だから、沈黙する他なかった。

 結局のところ、この霜月詠華は、明日の対決で塩谷に勝つべきだと伝えたかっただけなのだ。

 過去など気にする事は無いと、塩谷は塩谷の人生を歩めば良いと。

 自分は、塩谷始音の側が正しいと思ったから、味方であろうと決めた。

 そういう事を伝えたかったのだろう。

 だが、それをどう受け止めていいのかがわからないのだ。

 宙ぶらりんのままの塩谷の心は、きちんと感情と事実を捉える事が出来なかったのである。

 けれども、やはり詠華の声はお構いなしに進む。


「あっ! そういえばこの伝言を聞いているという事は、そちらに散葉が窺っているという事デスわよね! でしたら、お菓子や遊べるものをたっくさん持たせておきマスので、いっぱい食べていっぱい遊んで、後日の闘いに臨んで下さい! 不安で眠れないようでしたら、そこの散葉を抱き枕代わりに使っていただいても構いマセンわ。きっとこの子なら嫌がらないはずデスから、きちんと本人の意思を確認してからなら問題は無いはずデスわ……では、そろそろこの辺でやめておきマスわね……御機嫌よう、塩谷さん。アタクシは……アナタの勝利を信じていマスわ……!」


 そこまでしてくれなくてもいいのにと言わんばかりの、至れり尽くせり状態である。

 決戦前にリラックスして遊べというのも妙な話だが、塩谷からしてみれば今更鍛えるよりも、心を落ちつかせる方がよっぽど有意義だというのも確かだ。

 だから、ここはもうお言葉に甘える事にする。

 もっとも、その中の散葉抱き枕は既にやってしまったわけだが、そこは思い出すと気恥ずかしくなるので塩谷も意識しない事にした。

 むしろ、散葉が持ってきたというお菓子や遊具類に、意識を向けようと心掛ける。

 だが、そのお菓子などが入った鞄的なものは一向に見当たらない。散葉がさっき着替えた時もそうだが、どこに散葉の荷物があるのか本当に謎である。

 色々な感情に支配された塩谷が呆然としていると、散葉が「ぷしゅー」という声と共に伝言再生を終了させた。

 それから、真っ直ぐに塩谷を見据えた。


「今のが、お姉ちゃんからだよー……どうだった?」

「……正直、色々と思う所はあるけど……まさか背中押されるだなんて思ってなかった……色々と思う所はあったけど、今の僕を肯定してくれるっていうのなら、結構心強いかも……」

「そっかー……」


 正直な話、途中までは塩谷が既に吹っ切れている事を逆にむしかえしてくるかのような発言が飛び出すような事があったため、ちょっとどうかと思っていたというのが本音だ。

 しかしながら、それを踏まえた上で今の自分を肯定してくれ、背中まで押してくれたのだ。

 意外なその展開。これには塩谷も悪い気がしない。

 実は、霜月詠華は高慢ちきな女王気取りなどでは無く、そちらはキャラ作りで、本当は結構いい人なのではないかとさえ思えてくる。

 塩谷は、そういえばと思い出した疑問を口にする。


「……ところで、いつもよりテンション低めだったよね。何かあったのかな?」

「あー……お姉ちゃんは、キャラ作りで迷走してた時期があったせいで“あんなの”になっちゃっただけで、素はさっきみたいな方だよー」

「そ、そうなんだ……意外……ていうか、あんなのって……言い方……」

「ま、とにかくお姉ちゃんもああ言ってるわけだし、何かして遊ぼーよ!」

「そ、そうだね……!」


 散葉の言葉に乗せられるように、塩谷の心も穏やかに弾んでいく。

 塩谷は、胸中で散葉に感謝していた。

 あの悪夢を見た後、もし塩谷一人だったならば、未だに暗い想いを引き摺っていたままだったのだから。

 だから、散葉をここまで連れてきてくれた詠華にも感謝する。

 霜月姉妹に対する感謝は大きい。

 だが、塩谷には散葉にもう一つ感謝すべき要素があるのだが、そこに塩谷は気づけない。

 実のところ、散葉が目を覚ましたのは、塩谷が散葉の体臭を嗅いだあたりでは無かったのだ。本当は、塩谷が悪夢にうなされて鼻を啜る湿っぽい音を聞き、目を覚ましたのである。明らかに涙混じりの音に起こされていたのだ。

 けれども、散葉はそれを言わない。言った所で塩谷に嫌な気分をさせるだけなので、言う意味がないと判断したのだ。

 その気遣いに、塩谷は気が付かない。

 が、散葉の纏っている空気感からうっすらと何かを察し、笑みで目を細める。


「じゃあ、何して遊ぼうか?」

「ちょっと待ってー今ちょっと見てみるー」


 散葉はそう言うと、塩谷のベッドの下に手を突っ込み、そこから大きなリュックサックを取り出した。

 どうやら、着替えなども全てそこに入っていたようである。

 他人のベッドの下を収納スペースに使うとは、なかなかいい度胸をしている。

 しかし、塩谷も今更そんな事に突っ込みを入れるほど野暮では無い。

 それに、ベッドの下は定期的に掃除しているので、埃はほとんど溜まっていないはずだ。

 あと、別に不健全な本をしまっているわけでもない。

 全く問題無い。

 そう判断した塩谷は、リュックを開いて中身を確認している散葉を笑みで眺める。


「わー! おにーさん見て見てー。結構すごいよこれー!」


 散葉が柄にもなく大げさな反応を見せたので、いや、お前身内なのに中身見てこなかったのかよと、塩谷も苦笑しつつ彼女の方へと歩み寄る。

 中身は、本当に凄かった。

 まず、大量のお菓子が詰まっていた。クッキーやチョコや、詠華の得意とする氷菓子など、複数のお菓子が入っていたのだ。その上、小型クーラーボックスまで入っていて、そこにはアイス類が詰め込まれていた。

 明らかに二人だけでは消化しきれない量だが、凄まじいのは、これら全てが全部手作りだという点にある。


「……すごい。なんて気合いの入り方だ……」

「お姉ちゃん。泣きながら何か作ってると思ってたら、こんなわけだったんだねー……」


 塩谷と散葉は感嘆する。

 これだけあれば大食らいの散葉も満足する事だろう。

 それに、お菓子以外のものも出してみると、中には古今東西様々なゲーム機とソフトに、双六やトランプ、果てはツイスターゲームまで入っているという事が明らかになった。しかも、全部新品のようだという凄まじさである。

 というか、これらが全て入った重い鞄を持ってきた散葉は、実は結構力持ちなのではないかという疑惑が浮上し始めた。もしかしたら、散葉はいつも大量に食べている分のエネルギーをそういった行為で消費しているのではないか、という疑惑だ。

 だが、今はそんな疑惑などどうでも良い事である。

 塩谷と散葉は、ひとまず片っ端から手をつけていこうと決心するのであった。

 けれど、塩谷はふと頭に浮かんだ疑問だけは、やはり解消するべきだと散葉に向き直る。


「ところで散葉ちゃん……その、これだけは先に聞いておきたいんだけど、三ヶ峰ファーストフード店での話の時、寝てたよね……? あの出来事は、散葉ちゃん的にはどういう扱いなのかな……?」


 やはり、この疑問を放っておきながら何も考えずに遊ぶ事など、塩谷には到底出来そうにも無い事だった。

 ずっと気にはなっていたのだが、生憎状況が状況だったので、なかなか切り出せなかっただけなのである。

 あの時、全員が真剣な表情をしている中、散葉だけは眠っていた。

 恐らく塩谷の過去さえも聞いていないだろう。

 だが、この件は散葉に無関係ではない。塩谷は、甘音との勝負に勝ったらHelleNから立ち去る事になってしまう。だから、HelleN従業員である散葉にも無関係ではない話なのだ。

 けれども、散葉は純粋な笑みを浮かべて塩谷の疑問を切り捨てた。


「べつに、どーでもいいかなーって思ってる……かな?」

「それは、僕がHelleNから居なくなろうがどうでもいいって……事?」

「少し違うかもー。みーは、あまかーさんの所から離れる事になっちゃったけど、別にその程度で切れる縁でも無かったっていうのがあるからー。正直、誰がどこにいて何をしてよーが、なるようになるとしか思ってないんだよねー」


 歳の割には達観した返答。

 天川照真の秘書をやめ、HelleNに連れてこられた経緯をもつ散葉は、人の在り処にそこまで拘りをもっているわけでもなかったのだ。

 だから、塩谷がHelleNをやめようと、そこで切れる縁ならそこまでだし、それでも縁が切れないならばそれはそれで問題無いと思っているようだった。

 そんな考え方に、塩谷の心はほんの少し軽くなる。


「そっか……じゃあ、僕が勝っても、散葉ちゃん的には何も問題無いわけだね……」

「うんっ。一期一会って言うし、人と人の関係性っていうのは、たえず変化するものだからねー。おにーさんが居なくなるのも、みーは別に悪いとは思わないよー」


 それから散葉は「あとねー」と言って言葉を付け足した。


「けっこーお姉ちゃんは気にしてるみたいだけど、みーはおにーさんの過去とか別に気にしてないからー」

「へえ、それはありがたいけど、なんでかな?」


 それは、塩谷の中に浮かんだ純粋な疑問であった。

 過去を気にしないというのは、今の塩谷には何よりも有り難い事だ。

 だが、ここまで興味を示さないとなると、どうしてそういう考え方が出来るのか不思議になったのである。

 それゆえの質問だったのだが、散葉は困ったような笑みを浮かべ、少し考えながら話し始めた。


「……みーね、人と人って、別に分かりあう必要なんて無いと思うんだよねー」

「それはまた……ドライだね」

「でもでも、他人っていうのは別の生き物だから、必ずどこかで分かりあえなくなっちゃうものだしー。完全な相互理解なんて絶対に不可能なんだよねー。だったらいっそ、軽い付き合いで、その人のいい部分だけ見て接する事が出来たら一番ハッピーじゃないかなーって。みーはいつもそう思ってるんだー」


 それは一つの処世術であった。

 後ろ向きのようでいて、なかなかポジティブな思考回路。

 散葉は周囲に興味が無いわけでなく、最低限の間合いをもって接しているだけに過ぎなかったのだ。

 だから、他人の過去には興味を示さないというわけである。

 もっとも、毒の日で過去の事を蒸し返しまくった件に関しては「あれは、ちょっと……ごめんね」と謝っていたが、あれは人の主義主張人格さえも歪める現象なので、仕方ないと言わざるを得ない。

 実際、塩谷も結構やらかしている。

 だから、今更その件に関しての言及をする必要も無い。

 そして、散葉は話を締めくくりにかかる。


「みーは、みんなと楽しく接する事が出来たらそれでいーんだ。嫌な事を無視するような考え方かもしれないけど、もしそれで何か暗い問題が起きたら楽しくないでしょー? だから、みーは楽しい“だけ”の交友関係を作ろうとするのは……一筋縄ではいかないとはいえ……やっぱり素敵な事だと思ってるよ」

「……そう、だよね。嫌な思い出を気にしていても楽しくないだけだから……気にしない方がいいってわけだ……」

「んー。というよりは、おにーさんが過去に何をしてようと、おにーさんがみーの気に入ったいい人だって事に変化は無いから、それだけでじゅーぶんじゃないかなって感じかなー」

「そっか……」


 塩谷の背負ってきた重荷が、本当に僅かながら軽くなった。

 過去を捨てて今を生きようとする事を、肯定してくれる人間が居る。

 たとえ自分が過去にどんな事をしでかしたとしても、今だけを見てくれる相手が居る。

 塩谷には、その嬉しさだけで十分であった。

 つい浮かれて、散葉の手でも握って感激の気持ちを露わにしたくもなった。

 だが、絶対に触れない。適度な距離を保つ。彼女とは、その関係性で良い。

 不可侵領域を相互に侵さない関係。きっと塩谷と散葉の距離は、永久にこれ以上縮まる事は無いだろう。

 だからいいのだ。

 塩谷は、決意を新たにする。

 三ヶ峰ファーストフード店での対峙では、一時的に空っぽになる事によって天川甘音に対抗しようとした。

 だが、今は違う。

 こんな自分にも、肯定してくれている人が居るという事がわかった。

 だから、虚ろな目はもうやめだ。

 塩谷はもう躊躇わない。

 躊躇なく天川甘音を倒し、過去の物語に終止符を打つのだ。

 自らの傷を癒すために、わざわざ料理界に戻るまでも無い。

 この何気ない日常の中で、塩谷は自分なりの答えを見つけられれば、それだけでいいのだ。

 もう過去の事など気にしない。

 塩谷は、散葉の無垢な笑顔に対し、氷が解けたような潤んだ笑みで返した。


「ありがとう。散葉ちゃん。何のことかわからないかもしれないけど、今ので結構救われたよ……正直、躊躇いはあったけど、今ので完全に吹っ切れた……! 僕は、天川さんに勝って全部終わらせるよ。この、HelleNでの物語を!」


 塩谷始音は覚悟を決めた。

 それは、決戦前夜にしては十分な意気込みである。

 塩谷は強い。だから、わざわざ練習するよりもこうして精神的な強さを手に入れた方が、遥かに強くなれるのだ。

 実力レベルは十二分に足りている。必要なのはそれを支える心だ。

 闘いは明日。気合は十分。

 塩谷は、散葉と共に遊ぶだけ遊んで、すっきりとした気分で寝る事にした。

 下手に気負うよりもよっぽど良いと思ったのだ。

 後はもう遊ぶだけ。

 塩谷は確かな思いを胸に、明日の闘いの事はひとまず隅に追いやる。


「よし、遊ぼう! 散葉ちゃん!」

「おっけー! じゃあ、何して遊ぶー!?」


 こうして決戦前夜は更けていくのであった。

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