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HelleN! -愛情よりも大切な-  作者: パンダらの箱
「DAY:POISON」編 最終章前 ~みんなでお食事~
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親子対決 -機械仕掛けの神-

 地に伏す甘太郎。その姿はまさしく無様の一言に尽きる。照真はそれを一瞥して鼻で笑う。

 それから、照真は両手を軽く叩きつつ、ゆたりと立ち上がった。

 その際、反転をもう一発撃ち込んで異常解除は忘れずにしておく。照真的には、このまま放っておいてもよかったが、そこは親として助けて“やろう”と考えたのである。

 それは明らかなる上から目線。

 天川照真は完全に立ち上がり、下方の甘太郎を軽く見据える。

 これで、完全に息子を見下す構図となった。

 甘太郎の方に意識が残っているかどうかは不明だが、しかしそれでも照真は言葉を投げかける。


「ちなみに、さっきはあえて選択肢から外したけど、一応、甘音ちゃんになら勝てるとか思わない事だね。ありゃ、お前の手には負えないよ」

「……んだと……!」


 殴られ地に伏した甘太郎が、指でカーペットを毟るようにしながら、両手の五指に力を込めてゆっくりと顔を上げる。

 どうやら今の一撃で気を失う程、この男もヤワでは無かったという事だ。

 だが、照真はさして驚いた反応もせずに、当たり前のように言葉を続ける。


「勘違いするなよ。別に僕ちんは、お前を過小評価しているわけじゃない。ただ、甘音ちゃんは、甘音ちゃんだけは、本当にやめとけってだけの話だ」

「……うるせぇぞ。結局てめえが言いたいのは、あの……料理ド下手糞の愚妹が……俺様より上だって事だろ? 嗚呼、忌々しいぜ親父……! 今すぐ殺してやる……!」


 甘太郎は醜悪に歪めた形相で、手に持ったナイフを再び振り上げる。

 しかし、彼はそこから続く行動を取れなかった。

 唐突に、世界ごと押しつぶされそうな重圧を本能的に感じて、動けなくなったのだ。

 息苦しい程の威圧感。

 甘太郎を止めたのは、照真から放たれる潰されそうな程の圧力。

 天川照真は、平坦な声で、当たり前の台詞を放つ。


「おい」


 その一言で、空気が変わる。

 甘太郎は、ナイフを振り上げた体勢のまま動けなくなる。

 何も、言えなくなってしまう。

 それを見た照真は、ふわりと普段の笑みを浮かべ直し、極限まで濃くした殺意を引っ込めた。

 けれども、甘太郎の怯えと震えは未だに収まらない。

 だから、照真は勝手に言葉を続ける。


「話は最後まで聞きなって。いいか? こればっかりは認めたく無かったけど、この際だし、お前の前だから、少しだけ甘音ちゃんの凄さについて語ってやるよ。有り難く聞きなよ?」

「……あ、ああ……!」


 甘太郎は茫然とした表情のまま、立ち上がる事すら出来ずに硬直していた。

 この男は、今の今まで父に本気で怒られた事が無かったのだ。それゆえ、未知の恐怖を感じているのである。

 その恐怖の対象となっている天川照真は、再びソファーに座りこみ、顎で甘太郎を促す。

 座れ、のサインだ。

 だから、甘太郎も恐怖で未だぎこちない身体を動かしながら、這うように移動し、丸太の近くのソファーに座りこむ。それから、ソファーに座っていた丸裸になった人形をまた膝上に置き、頭を撫で始めた。

 これで、さっきまでと似たような構図へと戻ったわけである。

 だが、照真はまだ満足していない様子で、すっかり丸太に変わってしまった木製テーブルを指さす。

 直せ、という意味だ。

 だから、甘太郎はナイフでもう一度丸太を切りつけ、反魂の吸魂を発動させ、元のテーブルの形へと戻す。

 それを満足そうに見た照真は、戻ったテーブルに、さっきのまま中断されていたチェス盤を置くと、ゆっくりとソファーに身を沈め、上を向いて話し始めた。


「単刀直入に言うけど、天川甘音という娘は、この僕ちんをビビらせた唯一の人間なんだよ」

「は……?」


 甘太郎の目が見開かれる。

 当然だ。彼にとって天川甘音とは、ただの出来損ないの妹でしか無かったのだから。

 そんなちっぽけな存在が、最強料理人である天川照真を恐れさせる事など出来るわけがない。

 そう思って、甘太郎はそんな驚いた表情を浮かべたのだろう。

 それは数ヶ月前までの照真の認識と、そこまで相違があるわけでもない捉え方だ。

 事実、そんなに間違った認識では無い。

 だが今の天川照真は、その認識を真っ向から否定する事が出来た。


「甘音ちゃんは、ヤバいよ。そら、僕ちんだってさ、時には焦ったりもするさ。でも、それとビビるは違う。甘音ちゃんと闘った時、僕ちんは色んな方法で追い詰められたけど、それでも一番恐かったのは実質何もしてない甘音ちゃんだった。お前に、その意味がわかるかい?」

「……なんだよ、知るか、糞が……!」

「……今、も一回、僕ちんに殴られなかったのを感謝して欲しいな。で、それはさておき……僕ちんすらもビビった甘音ちゃんの凄さっていうのはね、一言で言うなら……そう」


 天川照真はそこで言葉を区切り、自らも何かを思い出して戦慄するかのように、喉を鳴らす。

 そして、ほんの少し怯えを滲ませた目で、よく状況が呑み込めていない甘太郎に告げる。

 甘音の放つ、絶対的な恐怖を表現する言葉を。


「死神の鎌、かな」


 それは、天川甘音を表現するのに、その父が選んだ最も的確な言葉であった。

 しかし、甘太郎にはその意味がわからない。

 分かるわけがない。


「は……? おい、具体的じゃないぞクソ親父……!? 俺様にもわかる言葉使えよ……!」


 普通の人間ならば誰もが抱くであろう疑問。

 けれども、天川照真は当たり前のように続けた。


「いいか。何故、ステレオイメージの死神が鎌を持っているのかというと、あれこそが生命を刈り取る象徴としてイメージしやすいからだ。見た瞬間、これに切られたら殺されてしまうと想起可能……っていうのはわかるだろう? 甘音ちゃんの眼って、まさにそれなんだよね」


 照真は、急に思い出したかのようにチェス盤の黒い駒を移動させる。

 その軌跡に、甘太郎の駒が重なる。奪取。殺害。

 照真が甘太郎の駒を一つ取った。

 ここで、甘太郎は初めて何かに気がついたような顔をする。

 いつの間にか、形成が逆転している事に気がついたのだろう。

 そう、完璧だったはずの自分の布陣には、実は今まで気がつかなかった大きな穴があったという事実に思い至ったのだ。それは大きな精神的動揺を生む。

 それに加え、照真から不可解な発言まで投げ込まれたのである。

 これは心が動いても致し方無い。

 甘太郎は眼に見えて動揺していた。


「い、意味がわからないぞ……!? あいつの眼はそんな……!」

「土壇場の甘音ちゃんの眼を、見た事がないからそう言える。あれは本気で恐いよ。こっちは絶対に負けるはずの無い力をもっているのに、甘音ちゃんの真っ直ぐな眼を見たらさ……もう……なんというか……」


 天川照真は思い出す。

 以前、甘音と闘った時の事を。

 その時、たびたび甘音と対峙する機会があったが、照真はことごとく精神的に競り負けていた。

 それは、照真のメンタルが弱いというだけの理由では無い。

 むしろこの男は、本来ならば自分よりも格下に怯えるというのは絶対にあり得ないような絶対強者なのだ。

 しかし、そんな強者でさえも、甘音の瞳を見た瞬間、本能的にこれは危険だと恐怖してしまったのである。

 異常。その理由。天川甘音の恐さ。

 天川照真はたっぷりと溜めて、当時の自らの心情を吐露する。


「……ああ、死んだな、自分。ってさ。そう、思っちゃうんだよ……」


 それは本来、神が抱いてはいけない感情。

 甘太郎はいち早くその異常に気が付いたようで、すがるような目で照真を見てくる。

 その目の煌めきは、心なしか震えているようだった。

 まるで、足場が揺らいでいるかのような不安を感じさせる顔だ。

 甘太郎は甘太郎なりに、会話の節々から聞こえる圧倒的絶望を感じ取っていたのである。


「……だからさ、親父……わかる言葉で言えよ……そんなんじゃわかんないぞ……!」


 甘太郎は、少し力が入りすぎた動きで、白い駒を移動させる。

 これで、傾いた盤面がまた少し改善するのだと信じたようだ。

 だが、直後に照真は動く。そして黒い駒を移動させ、またしても甘太郎の駒を一つ取った。

 徐々に照真が場を支配していく。

 それなのに、照真はチェスなどまるで興味が無いかのような表情で、話を続ける。


「……例えば、踏切。あれの前に立って、目の前を電車が通り過ぎる時、ふと思った事は無いか? ああ、この仕切りを越えて線路に立てば、間違いなく死ぬだろうなーってさ。もしくは、高いところから下を見おろして、落ちた時の事を想像して恐怖した事は無いか? ただ置かれているだけの刃物を見て、よほどの事が無い限り絶対に安全なはずなのに、それでも死を想起した事は無いか? 檻の中の熊を恐いと思った事は?」

「最後のはただ可愛いとしか思わないが……何だ……何が言いたい?」


 甘太郎は白い駒を移動させるが、それは殆ど意味を為さない行動だった。

 そして、またしてもすぐに動いた照真の一手によって、甘太郎の駒はまた一つ数を減らしていく。

 ここにきて、思わぬ位置にまで前進していた照真の一番弱い駒……すなわちポーンが思わぬ活躍を始めていた。

 その凄まじき効果を発揮した黒のポーンは、眼前に迫る白の大群を完全に牽制している。

 照真は、何処か物憂げな眼で、そのポーンを見つめながら話す。


「甘音ちゃんの眼、っていうのはそれらと同列なんだよ。あの勝利を疑わない眼を見た瞬間、たとえそんなはずがなくても、本当にこっちが負けてしまうのでは無いかと思ってしまうんだ。つい、反射的にさ。どれだけ追い詰めても、どれだけ優位に立っても、あの眼を見るたび自分が負ける姿を想像してしまう……ああ、認めるよ。僕ちんは、心の底からあの眼に怯えていた……」


 天川照真は、両手で自分の顔を覆い、自らの中にある恐怖を緩和させるかのように荒い呼吸を繰り返した。

 それは、いつだって自信に満ち溢れていた普段の照真の姿とは、あまりにもギャップが大きすぎた。

 甘太郎は、衝撃を受けて何も言えなくなったようだ。

 もちろん、甘太郎は直接その「眼」を見たわけでは無いが、この父をここまで怯えさせたという事実の大きさに気が付き、一体どれだけの存在なのだろうと心の底から竦み上がってしまったのだろう。

 天川甘音。

 それはまだ己の才能に気がついていない、絶対的恐怖を背負う死神の卵であった。


「そして恐ろしい事に、甘音ちゃんが願った事はどういうわけか実現する。辛籐ちゃんは倒すし、塩谷は味方につけるし、挙句の果てに僕ちんさえも倒してしまった……本人は大して何もしていないのに、幾らなんでも出来過ぎだとは思わないかい……?」

「ぐ、偶然だろ……」


 震えた手で、甘太郎が白い駒を移動させる。

 けれどもそれは、目に見えて意味の無い一手であった。

 天才のはずの天川甘太郎は、まだそれなりに数を残した駒を持っているのにも関わらず、完全に相手前線のポーン一つに翻弄されていた。

 どれだけ多くの駒を持っていても、照真のポーン一つで相当動きが制限される。

 実際に動いて直接的なダメージを与えてくるのは他の駒でも、それらの性能を限界まで引き出しているのがその最弱ポーンだ。

 照真は、そのポーンを基軸にした動きをもう少し練りながら、思考を進めさせた。


「偶然は、こんなに続かないよ。それに、僕ちんは偶然で負けたわけでもない。現に、甘音ちゃん以外の二人が実際に効果的な行動をとったというのもあるし、負けたのには他にきちんと理由があるさ……でも、それでもさ、僕ちんに一番深く敗北感を刻みつけたのは甘音ちゃんなんだ……意味がわからないよね……甘音ちゃん、絶対なんかもってるよ……僕ちんが最強の神だとしたら甘音ちゃんは……神すら殺す最凶の死神だ」


 照真は、ひそかに恐れていた。

 密かに目覚めつつある、天川甘音の真の才能に。

 それがひとたび覚醒してしまえば、恐らく他のどんな料理人すらも凌駕する存在になるだろうという危惧感。

 もちろん、それは悪い事では無い。記念すべき娘の成長だからだ。

 けれども、それほどまでに圧倒的な才能が猛威を振るうと想像しただけで、どういうわけか身体が震えてしまうのだ。意識しないようにしていても、その恐怖は何故か脳から離れないのである。

 それと、もう一つ恐るべき事実が存在するのを忘れてはいけない。

 天川照真は、ゆっくりと無理矢理自分を落ち着かせようとする声で、危うげに言葉を繋げていく。


「……あのさ。ちょっと話は変わるんだけど、食柱毒ってさ、随分と都合のよい力だとは思わないか……?」

「なんだ、急に……?」


 甘太郎は、不思議そうな表情を浮かべている。会話の流れについてこれていないようだった。

 だから、目を覚まさせるために、照真は盤面の僧侶型の駒……即ち黒いビショップを動かし、不意討ち気味に甘太郎の陣へと攻め込む。

 これにより、甘太郎の顔が焦りで歪む。

 これで少しは目が覚めただろう。

 照真は、それだけの事をしておきながら、当たり前のように話を続けた。


「例えば、辛籐空美という女の子がいる。彼女は潔癖すぎる節があって、あと、結構マメな性格をしている。そんな辛籐ちゃんの力は、捕捉数・精密動作特化の念動力だ。これって都合いいと思わないか?」

「よく、わからないな……」

「潔癖だからこそ、物に直接触れなくて済む念動力という性質。色々な事を複数同時に考えられるその思考回路と直結した複雑な能力操作性能。ついでに、本人は奇抜なセンスの衣装を好んで、いつも調理服を着ないんだけど、念動力だけで料理が出来るから汚れを気にせずに、調理中でも好きな服を着る事が出来る。しかも、元々やってたダンスを活かした能力操作だって出来るんだ。これ、相当に都合がいいよ」

「ものは言いよう、ってやつじゃないのか……?」


 甘太郎は、自分の白い駒を見ながら思案しているようだ。

 今度は、照真のビショップが効果を発揮している。確かに、これを何とかするのには思考を纏める必要があるだろう。

 全斜め方向に無制限移動が出来るビショップは、多少癖があるものの、一度効果を発揮出来る状況にまでもっていければ相当な使い勝手の良さを発揮する。

 甘太郎は、迷いながら、そのビショップの動きを阻害するように駒を移動させた。

 今の移動で、ビショップの動きはだいぶ制限される。

 それを見た照真は、少し感心したような表情を浮かべるが、ひとまず話を進める姿勢を取った。


「だったら、もし辛籐ちゃんの能力が大雑把な破壊系……いや、それは極端だから、せめて雑な操作と引き換えにパワーのある念動力だったら、という仮定にしよう。すると、辛籐ちゃんは自分の持ち味を全然活かせずに終わるんだ。

 複数同時操作が無ければ、複数同時思考は能力にほとんど活かせず、そもそもの思考力自体もあまり振るえない。その上、マメなところも武器にならないし、ダンスだって無意味だ。

 それに、そこまで単純な能力なら、辛籐ちゃん特有の、自分の力を実験しまくって性能を底上げするという事もそんなに出来無さそうだよね。逆に、辛籐ちゃんの能力を、ただの単純馬鹿にもたせても使いこなせないだろうね」

「……なるほどな……」


 少し詭弁も混じっているが、言われてみればと、甘太郎は少し納得しているようだった。

 食柱毒の力が、使用者の性格や特性や望みが関係していると言われると、それなりに心当たりが出てきたのだろう。

 照真は、盤面の黒い馬型の駒……つまりナイトを移動させる。

 突然、予想もしていなかった攻撃により、甘太郎の動きは更に制限される。

 照真は、そのナイトを軽く指で弄りながら、軽く笑ってみせた。


「あとは、三ヶ峰酸叉之雄って男はスピード料理が得意なんだけど、あいつの食柱毒は時の部分経過という、いかにも速さを追求した力だった。これも都合がいい。もしかしたら、能力があれだからスピードに目覚めたという可能性も否めないけどね。でも、現に最速の男に最速の能力が当たっているわけだ。と、そんな感じで、結構都合の良い力が多いんだよね」

「……まあそれは理解した……」


 甘太郎は、あえて変則的な手を打ってきた。

 王を危険に晒すような、一歩間違えたら悪手になりかねない一手だ。

 だが、それは攻撃として成立する。

 基礎に則った戦術では無いが、だからこそ絶妙な攻撃となる。

 照真は、穏やかな笑みで盤上を眺めた。

 それに対し、甘太郎は父を見た。


「でも、俺様達の場合はそこまで都合が良いというわけじゃない……!」


 多少含みのある息子の発言に、照真は顔を上げる。

 それから少しの間、盤面には意識を向けないようにと、膝の上で両手を組む。

 照真には、こういった状況でも無ければ話す機会の無い、特異な話のストックがあったのだ。

 そういう話をするからには、片手間では無く、少しの間腰を据えて話す必要がある。

 だから、息子の方をきちんと見て話す姿勢を取るわけだ。

 照真は、ご明察と言わんばかりの笑みを浮かべる。


「そう、本題はそこなんだよ。そもそも、食柱毒をもった血縁者同士というのは、ある程度能力が似通うという傾向にあるのはわかるかい? 例えば、霜月姉妹というのがいるんだけど、片方は他者の感覚の基準点上昇で、片方は自己の口にまつわる基準点の変更だ。そこには基準点という共通点が存在している。それで、僕ちん達は……」

「親父の反転、俺様の反魂、そして甘菜のエアミキサーは……言い換えるなら、回転か。反転、反魂、回転。まるで言葉遊び……というよりは駄洒落だな」

「そうだね。で、僕ちんは、これまでの情報から、ある仮説を立てたんだよ……」


 それから天川照真が語った話の内容を要約すると、こうだった。

 まず、その人の食柱毒がどのようなものになるかというのは、主に三つの要素が関係している、というところから説明は始まった。

 その三要素とは。曰く、単純欲求、目標達成、生様いきざま体現の三つだそうだ。

 単純欲求は、その名の通り、その人がどのような欲をもっているのかという要素だ。辛籐空美の、汚い物に触れたくないという欲求や、霜月詠華の、より強く他者に自分を感じてもらいたいという欲求がそれである。

 目標達成は、その力を用いて、為したい目標をもっているかどうかという要素だ。癒葉はゆの、多くの人を苦しみから解放させてやるという目標や、霜月散葉の、他の人が真似出来ない何か面白い芸をやってやるという目標がそれに相等する。

 生様体現は、能力取得までにその人がどのような人生を送っていたか、もしくはこの後どのような人生を送る事が出来る人間なのかという要素だ。渋堂我竜の、ひたすらに強さを求めるその生き様や、天川甘太郎の、生き物の最高と最悪をひっくり返す事に快楽を見出す生き様がまさしくそれだ。

 そして、その三つの要素が絡み合い、更にそこに一つの要素が加わる事によって、食柱毒は完成される。

 それこそが天川照真の立てた仮定だ。

 ちなみに、食柱毒を構成する残り一要素、追加の一要素は、血、である。

 天川照真は神妙そうな顔で言う。


「さっきも言った通り、血縁者の能力は、何故かどことなく通ずるものがある。根幹的な性質が近いんだ。そして、残りは本人の欲求や目的や生き様に左右されるってわけだ。生き様に関しては才能と言い換えてもいいね。まあ、ようするに血縁者達は同じ性質、違う要素の能力をもっているわけだ。例えば、天川家は基本的に、ひっくり返したり転じさせたりする力というのが主な性質だよね」

「……ああ、俺様の反魂もそうだしな。甘菜のも、まあ、転じさせる力を用いての回転と取れなくもないか……」

「で、料理に関しては元々万能だった僕ちんの力は“反転”という天川家の特性がモロに活きた、恐ろしく汎用性の高い万能の奇跡に近い能力となり、お前の場合は、その趣味悪い趣味で築いてきた生き様がそのまま色濃く出て“反魂”という命を弄ぶようなふざけた能力となり、甘菜ちゃんの場合は、あの子が実は内側に秘めている破壊衝動がストレートに出て不可視の“回転”による破壊という能力になったわけだ」

「で、何が言いたい……?」


 甘太郎の疑問に、天川照真は満を持した笑みで、盤面のポーンを進める形で応える。

 それは、甘太郎の動きを阻害していた厄介なポーンであった。

 いつの間にか――――他の駒の動きに気を取られていて、迂闊な事にも甘太郎は全く気が付けなかったが――――黒いポーンは甘太郎側の最後列……つまり相手陣地最奥部にまでたどり着いていた。

 戦略的に絶対進めるはずの無かったポーンは、他の駒の移動によってその楔から解き放たれていたのだ。

 ポーンは、前にしか進めないので、もう進めない一番奥までたどり着いた時、プロモーションという昇格機能が発動するようになっている。

 昇格、つまりもっと強い他の駒へと進化する事が出来るのだ。

 照真は、最弱のポーンを、最強の駒であるクイーンへと昇格させた。

 ただでさえ厄介だったポーンが、最悪の進化を遂げる。

 甘太郎は、それだけで一気に敗北寸前まで追い込まれた。

 だが、天川照真は、その黒い女王型の駒を見ながら、静かに、こう告げる。


「じゃあさ。甘音ちゃんって食柱毒もってないけど、もし手に入れたらどんな力になると思う?」


 その、恐ろしく前振りの長い恐ろしい言葉で、甘太郎の思考は凍りつかされる。

 それはもう恐怖だ。

 今のままの実力で相当色々な事をしてきたらしい地獄のような少女が、もしこれから食柱毒の力を手にしてしまえば一体どうなるのか。照真の言っている畏怖の正体はそこにあった。

 まさしく、それは今の盤面のように、元々厄介だった最弱ポーンが更なる力をもった最強クイーンに変化するような劇的な進化だ。ただでさえ恐ろしいモノが、文字通りの力を伴って顕現するという脅威。

 それを理解した甘太郎は、ようやく、高すぎる可能性に対してうすら寒い何かを感じてしまったようであった。

 そして、天川照真はここにきて、とんでもない事を口にする。


「あのさ、ここまで語っておいて、こんな事を言うのも躊躇われるけど……多分、甘音ちゃんは僕ちん達とは少し違う力に目覚めると思うんだ……」

「ど、どういう事だよ……!?」


 甘太郎が苦し紛れの一手を打つ。

 だが、すぐにまた照真の手が動く。

 今度は黒いキングの移動だ。それは、意外な効力を発揮し、更に甘太郎は追い詰められる。

 今のは最良の移動だ。それだけの効果をこの一手はもっていた。

 王で王を追い詰めるという泥試合でのみ発揮可能な離れ業。それを、照真は容易くやってのけたのだ。

 けれども照真は知っていた。

 やはり甘太郎を追い詰めたのは、今移動したキングでは無く、もともと広い範囲をカバーしていたクイーンであると。クイーンが多くの逃げ道を塞いでくれたからこそ、キングの行動に意味が出たのだ。

 キングは最高の駒ではあるが、最強の駒では無い。最強なのはクイーンだ。

 だから、チェスというゲームにおいては、女王は王のもっていないモノを全て兼ね備えた究極の存在であると言えるだろう。王よりも上が、確かに存在するのがこのゲームだ。

 だから、料理界の頂点……王として君臨している天川照真は、やはり哀愁漂う眼でクイーンの駒を眺め、話をこう締めくくった。


「天川家の性質は、もう一つ解釈があるって事さ。……話を戻すようだけれど、そんな最凶相手にお前なんかが勝てるわけがないって話だ。あ、ちなみにチェックメイトね」

「あ゛っ……! くそっ!」


 甘太郎が慌てて盤面を見返すと、確かに今の一手で勝負が決していた。

 チェス勝負は、結果的に、天川照真の圧勝に終わっていた。

 やはり、序盤の一見不利に見える行動が、功を為していたのだ。

 甘太郎は、溜息を吐いて悔しがる。

 が、そこに照真の視線は向かわない。照真はもっと、遠くを見ていた。


「だからさ、甘音ちゃんを下に見るのはやめなよ……なんたってさあ……」


 天川照真はソファーから立ち上がり、窓の方へと歩き、やがて大きな窓から街の景色を見下ろす。

 しかし、その視線は風景ではなく、もっと遠い別のところに向けられているようだった。

 それは照真が滅多に見せる事の無い寂しげな表情。

 それから、かき消えるような声で、照真はこう告げる。


「……もしかしたら、甘音ちゃんこそが唯一……旨木嶋マキシマ眞機無マキナの舌を満足させる可能性のあった料理人、だったかもしれないからね……悔しすぎるけど、僕ちん達じゃ、とても勝負にならないよ」


 唐突に出されたその名前に、甘太郎はただただ目を見開く事しか出来なかった。

 そんな名前を突然に口にされては、何も言えなくなってしまう。

 甘太郎だけでは無い。それ以外の人間だって、この世界に存在している以上は、その名前を聞いたら殆どがこうなる運命さだめなのだ。

 マキシママキナ。

 その名前は、料理界では死ぬほど有名であるが、同時に誰も口にしてはいけないという名前である。

 何故ならば、その名は、その存在は、世界にとって最大級の禁忌であるのだから。

 それは、永遠の空席を世界に刻んだ存在。

 全てに等しく終わりを運ぶ、世界の終わりの象徴。

 歴史上最悪の女神。

 誰も触れようともしない暗雲の禁忌。

 強引に全てを捩じ伏せ解決させる機械仕掛けの神。

 ワールドエンド。世界の果て。

 終焉を告げる最後の宣告者。

 世界そのものと繋がる世界最後の舞台装置。

 その機械じみた女は、とある異名をもっていた。

 甘太郎は、隠しきれぬ恐れと共にその異名を口にする。

 それは文字通り終焉を意味する名前。

 それを告げる怯えた声は、奇しくも同時期、別の場所で他の何者かが放った一言と、完全に一致して重なっていた。




「「デウス・エクス・マキナ……!?」」

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