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HelleN! -愛情よりも大切な-  作者: パンダらの箱
「DAY:POISON」編 最終章前 ~みんなでお食事~
56/98

全員集合 -天使の過去を暴きし者-

 渋堂我竜達と塩谷始音達の集まっているテーブルは、今大変な事になっていた。

 七人大集合。

 目に見えてわかる爆弾がなりをひそめているのに、誰一人としてそれに気づいていないという恐ろしい状況だ。

 色々と揉めた結果、席の位置取りと会話のグループは、大きく三つに分かれている。

 まず、一番端の席にいる天川甘音の正面には、霜月詠華が陣取っていた。

 甘音と詠華、これが一つ目のグループだ。

 詠華は、自分のトレイに置かれている紙コップに入れられたバニラ風味のシェイクを、ストローでほんの一ミリ減るか減らないかぐらい飲み、手元の紙で上品に口を軽く拭いてから話し始めた。


「それにしても、ひさっびさに顔合わせマシタわよねぇ~。お元気デシタかぁ~?」

「わたしは何時だって元気よ! 何時でも息継ぎ無しでフルマラソンも出来そうなぐらい活気に満ち溢れているわ!」

「何……デスって……!? で、でしたらアタクシも無呼吸で富士山ぐらい登頂できマスわ!!!」

「……えっ!?」


 突っ込み不在のせいで、会話の方向性が可笑しな事になっていた。

 いや、正確には居るのだが、例えばこういう時に詠華に突っ込みを入れる役の渋堂は、今別の事に執心中であった。

 詠華の隣に座っている渋堂は、その対面に座る塩谷に向けて、尋常ならざる視線をぶつけていた。

 渋堂と塩谷、これが二つ目のグループだ。

 じっと見てくる渋堂に対し、塩谷は嫌そうに視線を逸らす事しか出来ない。

 だが、それでも渋堂はその体勢を崩す事は無かった。

 それどころか、いつまで経っても何も話しかけてこない塩谷に業を煮やしたのか、ついに自ら口を開く。


「よお。久しぶりだな、塩谷」

「…………」

「んだよ。何か喋れよ。つれねーじゃねぇか。ああ?」

「あ。……はい喋った……」

「コイツ……!」


 殺伐とした空気である。

 塩谷は渋堂と話したくないというのを徹底として崩さず、その結果がこの空気だ。

 このグループの空気は最悪である。

 だが、渋堂の隣に座る甘菜と、正面の散葉に関してはそう難しい空気でも無かった。

 ここが第三のグループ。

 甘菜は素っ気ない態度で、じっと携帯端末を弄り続けているが、目の前の散葉が何かを言うときちんと対応している。

 その一例を示すかのように、散葉は笑顔で問いかける。


「ねーねー。そっちは普段どんな感じー?」

「我竜が馬鹿やって、詠華ちゃんがズレた事してって感じのいつも通り。そっちは?」

「みーはここのコーヒーを飲んだお陰か、さっきからすごく調子がいいよー!」

「それは何より」


 日常を問われ、自分以外の事しか言わない甘菜と、自分の事しか言わない散葉。

 微妙に会話が成立していなかったが、確かに散葉の調子はすっかり良くなっていた。

 当然だ。ここの飲み物や食べ物には、とある仕掛けが施されているのだ。

 ちなみに、散葉と話す甘菜の横では、辛籐が大人しく本を読んでいるわけだが、会話の輪に入れていないわけではない。これまでも何度か参加している。

 ただ辛籐は、そもそも渋堂達が来た時点で、一番最初に意図的に端に移動したような女である。喧騒は好まないのだ。

 しかし、全く話さないわけでもない。話題を振られたら、最低限の受け答えはする。

 その証拠と言わんばかりに、散葉が辛籐に話しかける。


「そーいえば、しんどーさんは具合大丈夫ー?」

「ええ、問題ありませんよ。どうやら先ほど幾分か毒を吐いたお陰か、随分と気持ちも落ち着いてきました。それより、先ほどは熱くなってしまい、申し訳ありませんでした」

「んーん。みーも昔の事掘り返して色々言っちゃったし、お互い様だよー」

「ん、アタシらが来るまでに何かあったの?」


 甘菜が珍しく自分から質問してくる。

 毒、というワードに反応したのだろう。

 天川甘菜は、天川家を継ぐ予定の少女である。

 故に料理人だ。

 もちろん甘菜も食柱毒を持っている。毒の日についても知っている。

 だからこそ気になったのだろう。

 散葉は、その意図を完全に汲んだ上で、これまでの事情を簡潔に纏める。


「毒の日で、へれん大変、喧嘩した。って感じかなー。無事なのはあまかーさんだけだったよー……」

「なんで五・七・五? でも、なるほど。だいたい分かったカモ」

「別に感染するわけではありませんが、妹さんも気をつけて下さい。この状況で発症したら結構洒落になりませんから」


 辛籐が実感の籠った声で、甘菜に注意を促す。

 だが、甘菜の表情は少し曇る。

 当然、そうなってしまった理由は散葉にも辛籐にも分からない。

 だから、言ってしまった辛籐は困惑するしか無い。


「ど、どうしたんですか? 何か気になる事でも……」

「ううん。大した事じゃないんだけど、アタシの事は甘菜って呼んでくれないカナ? あんまり、妹って呼ばれるのは得意じゃなくて……」

「そうですか。分かりました。すみません。そういえば、私にもフンコロガシがいつも転がしているモノよりも遥かに下等な魂を持った姉が二人居ますが、確かに姉妹扱いされるのはいつも苦行で仕方ありませんでしたね」

「あれ、しんどーさん末っ子なのー?」

「ええ。ほんっと大っ嫌いな姉共くそどものせいで、必然的にそうなってしまいました。ま、甘菜さんの場合がどうかは知りませんが、私自身が自分で言われて嫌な事を言ってしまったのは事実です。なので、再度誠意をこめて謝罪させていただきます。本当に、申し訳ありませんでした」


 深々と頭を下げる辛籐。

 途中の言い回しの苛立ち具合を見るに、まだ毒は結構残っているようだ。

 しかし、謝罪出来るだけの余裕が戻ったというのも、また事実である。

 結局、甘菜は逆に恐縮しつつも快く赦し、この妹連合は姉妹談義に花を咲かせる。

 姉妹仲は良好だがなかなか会う機会の無い霜月散葉、姉と距離を置き過ぎたせいで距離感が掴めず苦悩している天川甘菜、姉妹仲最悪で今も尚悪化し続けている辛籐空美。

 意外と噛み合う妹連合。

 この三人のグループは概ね良好であった。

 問題は、残り二つである。

 まず、天川甘音と霜月詠華の姉グループだ。

 ここで、ずっと眠っていた爆弾が爆発した。

 詠華の、不用意な発言によって。


「そういえばぁ、天川甘音さぁん。アナタの横に居るのは一体誰デスの? 他二人は分かっていマスが、そのお方だけは初めて見るのデスが……」


 ここで霜月詠華は起爆剤となる質問を投入する。

 甘音の隣に座っている塩谷始音に対しての質問だ。

 どうやら先ほどまで、渋堂がずっと「塩谷」と呼んでいたのに気づいていないようであった。

 だから、甘音は親切に教えてやる事にした。それこそが、崩壊の序曲となる事を知らずに。

 甘音の横に座る塩谷が詠華の方を見て、その正面の渋堂も視線を移動させる。

 これで二つのグループがくっついた。

 甘音は、満を持して塩谷の紹介にかかる。


「この人は、あの三柱天使トリニティエンジェルと呼ばれた伝説の料理人、塩谷始音くんよっ! 今はわけあって料理人をやめてるんだけど、特別にHelleNで働いてもらってるの!」


 それは、簡単に塩谷を説明するのには充分すぎる内容であった。

 もちろん、何も間違った事は言っていない。

 しかし、だからこそ爆弾に火を点ける結果になったのだ。

 霜月詠華という爆弾に、火がついた。


「シオヤ、シオン……? トリニティエンジェル、デスって……!? そ、そんな……!」


 霜月詠華は戦慄していた。

 これは甘音が忘れている話であるが、詠華は五年前、塩谷始音によって完膚無きまでに叩きのめされているのだ。

 その記憶が蘇ってしまったのである。

 しかし、その事実に気がついたのは、渋堂我竜ただ一人だけであった。天川甘菜の方は、今自分のグループの会話に夢中だ。

 そして、渋堂が止めようとする前に、「ほら、挨拶よ」と甘音に小突かれた塩谷が動いてしまった。

 その瞬間、全ては崩れ落ちる。

 塩谷は、考えうる限り最悪の言葉を口にしたのだ。

 そう、口にしてしまったのだ。


「あ、はじめまして」


 先に断っておくが、これは毒の日特有の発言では無い。

 塩谷始音、心からの台詞である。

 塩谷は、詠華の事などこれっぽっちも覚えていなかった。

 考えてみればすぐにわかる事だ。

 何人もの料理人を、その圧倒的な実力で見下しついでに葬ってきた塩谷が、いちいち倒した雑魚の名前など覚えているわけが無いのだ。

 そして、その意図は霜月詠華に全てきっちり伝わってしまった。

 それと同時に、これは誰も気付けなかった事だが、いつの間にか詠華にも毒が発症してしまっていた。

 性格が悪化するだけで済む、軽度の方の毒だ。

 どんどん状況が悪化していく。こうなってしまえば、なかなか簡単には止められない。

 詠華は、怒りが爆発し過ぎて沸騰しかねない脳から、湯水のように言葉を汲んで口から吐き出す。


「ざっけんなぁぁぁぁ!!!!! 何忘れてくれちゃってマスの!!!? ブッ殺しマスわよ!? ファッキュー!!!!」 

「え?」

「お、おい、落ちつけ霜月!」


 慌てて横の渋堂が止めるが、それぐらいで収まる怒りでは無かった。

 五年前の闘いが霜月詠華に刻んだ物はあまりにも多く、どれも深い。

 五年越しに爆発した想いが、今塩谷へと襲いかかる。


「この完全無欠完全無比にして金甌無欠の、この! アタクシをぉぉぉ! 忘れるとはいい度胸デスわねぇぇぇ…………」

「いや、そんな事言われても……初対面だよね、僕ら?」

「うわあああああああああああああ!!!! 何デスのこの反応!!!? 意味わかりませんわ!!! 意味不明怒髪衝天デスわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

「おい、マジで落ちつけって霜月! くっそ、おい、謝れよ塩谷! これ悪いのお前だからな!」

「え……!? そんな事言われても、僕、知らないし……」


 塩谷に心当たりなどあるはずが無かった。

 塩谷が覚えているのは、その後の闘いで渋堂に負けた事だけである。

 その前にやった前哨戦の事など、一切記憶には残っていない。

 五年前に食べた朝ごはんの内容を聞かれているようなものである。

 だが、流石に甘音も危うさを感じてきたのか、塩谷の方に困惑気味の視線を向けてくる。渋堂も、必死な視線を投げかけてきていた。

 どうやら、二人ともこの事態を収拾させようと必死なようだ。


「始音くんっ! 何かよくわかんないけど、謝った方がいいわ! これ危ない!」

「そうだ塩谷! 思い出せ! お前、俺と初めて闘った試合の前に闘ってたろ! ほら、なんか他人の感覚暴走させるやつ!」

「……? いや、そう言われても……」

「あと、昔と随分性格違うぜ! 昔はもっと大人しくて、あ、あのぉ……? とか言っちゃうヤツだった!!! それと、氷の城作ってたりもしてたぞ! お前は真似した挙句、城下町まで作ってたけどな!」

「…………それ、ほんとにあった事……? 全然記憶にないよ……」

「あーちくしょーッ!! 何でここまで言ったのに思い出せねーんだ!?」

「いいから始音くん! あなたに悪意が無いのはわかったから、まずは落ちつかせるために謝って! 後で何か埋め合わせはするから、ね!?」

「ええー……でもそれ、火に油を注ぐようなものじゃ……」


 塩谷の態度は芳しくなかった。

 これはもう半ば煽っているようなものである。

 これが、ただ昔知り合っただけの仲ならば、まだ許されるだろう。

 が、あまりにも相手と、タイミングと、過去にやった事の内容が悪すぎた。

 プライドの高い霜月詠華がちょうど毒を発症させたタイミングで、昔散々貶しつくして倒した事を忘れたという事実を浮上させてしまったのだ。これはもう荒れるしかない。

 そうこうしている間にも、詠華の怒りはどんどん上昇していく。


「あ……あああ……! アタクシは、この数年間ずっとアナタに倒された事が忘れられずに苦しんでいマシタわ……でも、そうデスか……アナタにとっては、この程度の事だったのデスね……ハハハハハハ……良く、解りマシタ…………!」

「おいおいおい! 大丈夫か霜月!」

「ちょっと、落ちついて詠華! ほら、始音くん早く!」

「もうしょうがないなー。はい、ゴメンナサイ。これでいいんでしょ?」

「何デスのそれぇぇぇぇぇ!!!!」


 適当な謝罪は逆効果であった。

 これで、もう霜月詠華を止める術は存在しなくなってしまった。

 妹連合の三人も、気づけば詠華に視線を向けている。

 状況はどんどん悪い方向に引っ張られていた。

 詠華は、怒り心頭といった様子で、塩谷始音を思い切り指さす。


「もう頭きマシタわ!!!! 塩谷始音さぁン……アタクシは、アナタに料理対決を申し込みマスわぁっ!!!! もう一度っ!!!!」

「えー……やだよ。それにさ、一度僕が勝ってるなら二度やる意味無くない? どうせ僕が勝つんだし」

「ちょっ、始音くん何て事を!」

「おまっ、馬鹿野郎! さっさと訂正しろ!」

「そんな事言われても事実だし……」


 火に油どころでは無かった。

 爆弾が爆発したところに、更に火薬とガソリンを追加するようなモノである。

 それはもう火だらけになってしまうのは、火を見るよりも明らかだ。

 霜月詠華は燃えていた。

 眼前の少年を、決して赦しはしないと怒りを燃やす。


「アタクシは……強くなりマシタわぁ。そんな余裕、いつまでも続くとは思わない事デスわねぇぇ……!」


 確かに、詠華は以前とは比べ物にならないぐらい強くなっていた。

 塩谷に負けたその日から戦闘スタイルをがらりと変え、寒い中食べる熱い料理を主要武器にしてから、勝率はどんどん上がっていく一方であった。

 更に、コース料理で対決するコースバトルになると、より一層彼女は強くなる。

 詠華の能力は、連続発動出来ないのが欠点であるが、コース料理ならば用意しながら再発動まで時間を稼げるのである。それは強力無比な武器だ。

 その上、追い詰められて、気弱である本来の性格を引き出されても、過去用いていた冷たい料理で闘うスタイルを昇華復活させ、更なるパワーアップをはかる事が可能なのだ。

 昔以上に強くなった霜月詠華。

 それが今の塩谷始音と戦ったらどうなるのか。実際のところは闘ってみるまでわからない。

 だが、反射的に渋堂我竜と辛籐空美だけは理解してしまっていた。

 そして、咄嗟に浮かんだ言葉を何とか口に出さずにこらえた。

 その呑みこんだ言葉は実にシンプルな一言。「霜月詠華じゃ無理」という単純な敗北宣告だ。

 それは、塩谷始音と霜月詠華の両方の実力を知った人間でないと言えないものである。

 結局、詠華が何を作ろうと、塩谷には相手の料理の上位互換を作れるという才能があるので無駄なのだ。

 塩谷始音の上位互換、渋堂我竜の技術合成、天川照真の異能模倣、これらのような才能が無い限り、詠華が勝つ事は絶対に不可能なのである。

 もしくは、他の五味グループがもっているような条件勝利の技能が無ければ厳しいだろう。速さなら負け無しの三ヶ峰酸叉之雄、先攻を取れればほぼ勝利確定の辛籐空美、点数勝負だったら最強の渋堂我竜。そういった要素が無ければ、塩谷に一目置かれる事すら出来ないのだ。詠華にはそれがないのである。

 しかし、勝負を申し込んだ本人は気づいていない。


「逃げるのなら今のうちデスわぁ! この失礼至極無礼千万のクズ男ぉぉぉぉぉ!!!」

「……は?」


 ここで、塩谷の側にもスイッチが入ってしまう。

 忘れてはいけないのが、今日は毒の日だ。

 塩谷の性格は普段以上に悪化している。先ほどの辛籐とのやり取りで、ある程度は緩和されたとはいえ、まだ完全に消えたわけではない。

 むしろ塩谷の場合は、辛籐達とは根本的に状況が異なっているのだ。

 辛籐や散葉のような、能力を何度も使ってきた人種が迎える毒の日は、症状が悪化しやすい代わりに治りやすく緩和もさせやすいという傾向にある。

 だが、塩谷や詠華のような、一度で多大な効果を発揮する能力を使ってきた人種が迎えるタイプの毒は、症状が軽く済みやすい代わりに治りにくく継続しやすいという傾向にあるのだ。

 だから、塩谷の毒はまだ辛籐達ほど収まっていない。

 その毒は、料理をやめるという塩谷の強い意思すらも塗りつぶし、彼の中の敵対心をひたすらに増幅させていく。

 その結果、塩谷も敵意をあらわにする。


「さっきから黙って聞いてたら……僕が、逃げる? この、僕が……? 君なんかに……? それはまた……随分と調子に乗ってくれるね。どうせ、僕よりも弱いくせに!」

「あらあらぁン? ようやくやる気になってくれたみたい、デスわね……! なら、開戦デスわ……! さあ、このアタクシの力の前に、凍え死ぬといいデスわぁっ!」


 それは「月詠の女王」の異名を持つ霜月詠華の能力によって、引き起こされた現象を象徴したような台詞。

 それに対し、塩谷始音の返す言葉は決まっている。


「いいよ。かかってきなよ。たとえ凍えようと僕は死なない。真上から叩き潰してやる」


 こうして、女王と天使の闘いが幕を――――


「お待たせいたしましたぁ~!」


 開けなかった。


「「えっ!?」」


 臨戦態勢のまま固まる二人を尻目に、番号札の品物を持ってきたポニーテールの店員は、次々とテーブルに乗せられているトレイに食べ物を置いていく。

 すっかりタイミングを崩された詠華と塩谷は、何とも言えない空気のまま制止する。

 それにより、周囲から一斉に安心したような溜息が洩れるが、二人にはそれを意識する余裕も無い。

 だが、これで先ほどの宣戦布告が無かった事にはならない。

 本当に、一時的に間延びしただけだ。

 けれども、そんな事実を更に上書きする程の出会いがそこにはあった。

 塩谷が、店員の顔をみて、驚愕の表情を浮かべる。


「って、あれ……癒葉さんっ!?」

「あら、もしかしてオンちゃん?」


 それもまた、想像を超えた出会いである。

 こうして、状況は更に悪化した。

 まず、全員同時に「オンちゃん」という呼称が胸に引っかかったのだ。

 それから「何そのどこぞやのマスコットのような名前。本当にそういう名前のキャラ居そう」という所から思考が始まるわけなのだが、生憎と“この世界”にそのような名前のマスコットキャラクターは存在しない。

 よって、誰もその言葉の意味がわからないまま、塩谷の昔の知り合いという珍しい存在の登場に、ただただ座り尽くす事しか出来ない。この不思議な展開に、全員が思考による硬直で動けなくなったのである。訪れるシンキングタイム。

 静寂というよりは制止。

 制止というよりは停止。

 そう、まるで一時停止されたアニメのワンシーンのように、全員固まってしまったのだ。

 だが、画面はすぐにまた動き出す。

 知り合い同士なのは、塩谷と癒葉だけでは無かったのだ。

 渋堂我竜が、目を限界まで見開いて声を発する。


「……ゆ、ゆゆ姉……?」

「あらら? リュウくんじゃない! 今日はよく知り合いと会う日ねぇ」


 再度、画面一時停止。

 「ゆゆ姉」や「リュウくん」という不思議な呼称。

 が、二度目のせいかインパクトが薄れていたので、すぐに皆動き出す。

 一時停止解除。


「「「「「し、知り合い……?」」」」


 皆、打ち合わせたわけでも無いのに声を重ねる。

 だが、そこから続く言葉を、誰一人として見つけられなかった。

 完全に意識が塩谷vs詠華に向かっていたので、急にこんな事になっても反応出来ないのである。

 この状況で動けるのは、当事者である塩谷と渋堂、そして癒葉だけであった。

 最初に動いたのは、癒葉だった。


「とりあえず……ひっさしぶりーーーーーっ!!!!」


 癒葉は、両手を広げて渋堂に飛びかかり、思い切り抱きついた。

 それに対し、渋堂は顔を赤くして引っぺがそうとする。


「ちょっ! やめろよ、ゆゆ姉っ! もうガキじゃねーから俺!」


 本人は困っている様子だったが、周囲はそれを止めようともしなかった。

 むしろ、その正面に座る塩谷は、少し悔しそうな表情さえも浮かべている。


「の、わりには随分と嬉しそうに見えるけど」

「てめ、塩谷ァ! 俺がそんなんじゃねーって事は、オメーが一番よく知ってんだろうがよ!」

「さあね、あまりにも昔過ぎて忘れちゃったよ」


 そう言って塩谷は顔を背けてしまった。

 結果、渋堂は「むぎゅー」と言って抱きついてくる癒葉を、どうする事も出来なくなってしまった。

 女性相手になるべく己の筋力を用いたくはない渋堂は、どうしていいか真剣に迷っていた。

 こうなってしまえば、まるで抵抗する振りだけをしているように見えてしまう。

 渋堂は、鼻孔を刺激する甘い匂いや、全身を包む柔らかな感触に脳を溶かしながらも、必死に思考を回転させる。

 が、無駄だ。渋堂は馬鹿なのだから。どうする事も出来ない。

 しかし、助け舟は意外なところから現れた。

 また一人、制止状態から解放されたのだ。

 それは、渋堂の隣の席に座る少女。

 その名は、天川家次期当主、天川甘菜。


「……あのさ」


 甘菜は、左斜めに被った帽子を、左手で掴んで持ち上げ、それから左手の人差し指だけで支える。

 その声には、多少なりとも怒気が込められていた事に、渋堂は気づく。

 ぽつりと流れ落ちる冷や汗。

 だが、それはもう遅い。

 甘菜は、右側で結った髪をふわりと揺らしながら、渋堂と癒葉の方を睨む。


「多分、そこのお姉さんには他意は無いと思うし、これでアタシが何か言うのも筋違いだって事はよーくわかってる。ケド、それを踏まえた上でこれだけは言わして……っていうか、ただのお願いだケドさ……」


 渋堂の顔がさっと青ざめていく。

 甘菜は、左手の人差し指に乗せた帽子を、くるくると回転させ始めた。

 これは、食柱毒発動のための固有行動。

 天川家次期当主であり、最強料理人の天川照真を父に持ち、地獄料理人の天川甘音を姉に持つ、最悪の家庭環境で過ごしてきた少女の能力がついに明かされるのだ。

 それは、満を持して発動する。

 突然、癒葉の腕の中からすり抜けるように渋堂の身体が上に飛び出し、そのまま激しく宙を一回転した。

 まるで、風のようなモノに吹き飛ばされたかのような、突拍子もない絵面だ。

 それから、渋堂の身体だけがまるで無重力になったかのように、しばらくその場に滞空し続ける。

 浮いてしまった渋堂の表情も驚きのまま固まり、甘菜以外の人物も驚愕が抜けきらない表情でそれをじっと眺めている。

 そして、抱くものが無くなった癒葉が数歩後退すると、宙に浮かんだ渋堂は、ものすごい勢いでさっきまで自分が座っていた椅子に落下してきた。まるで無くなっていた重力が急に戻ったかのような勢いだ。

 渋堂は痛がっていたが、見たところきちんとした姿勢で座れたようであった。

 起こった奇妙な現象。これは天川甘菜の食柱毒によって起こされたものであるという事実は、もう目に見えて明確であった。

 だが、甘菜は一切の後ろめたさや動揺を見せずに、帽子を被り直し、隣に落下してきた渋堂の腕を胸元に抱き寄せ、癒葉の方を見て主張する。


「アタシの前で、我竜に抱きつかないで……!」


 それは必死な主張であった。

 その様子を見た面子のほとんどがかける言葉を失い、詠華に至ってはほんの少し下唇を噛みしめて俯いていた。

 目に見えて分かるストレートな好意。

 だが渋堂我竜はそれを、ただただ困惑した顔で、掴まれた腕を引き剥がす程度の反応だけで受け流した。


「ちょっ、馬鹿野郎何言って……! つーかこんな所で食柱毒使うなアホンダラ!」

「むう……」


 不満MAXの表情で、甘菜は頬を膨らませた。

 またしても、周囲が何も口出し出来ない空気が出来上がる。

 だが、やはり癒葉だけはすぐに笑みを浮かべ直し、甘菜に語りかける。


「へえ、面白い食柱毒ね。どんなの?」

「あん? コイツのはすんげーシンプルな破壊系だぜ。通称エアっ……」


 渋堂がそこまで言ったあたりで、甘菜の手によって口を塞がれる。

 甘菜は不満そうな目で渋堂を睨む。


「ヒト様の食柱毒を教えるのはマナー違反。ま、別に知られたくないわけじゃないケド。言うなら自分からがいい」


 そう言って甘菜は、ポケットに入れてあったティッシュを一枚掴んで、上方へと放り投げた。ふわふわと宙を漂うティッシュ。

 それから、また帽子を脱いで指にかけ、くるくると回転させ始める。

 それを見て、すっかり話題に取り残された塩谷は、小声で隣の甘音に問う。


「これ、何かな……? 僕ら、巻き込まれないよね?」

「だ、大丈夫なはずよ……甘菜ちゃん、加減がわからない子じゃないから……」

「えっ……? 加減間違えたらヤバい力なの……!?」

「それはそうよ……だって、甘菜ちゃんの力は……」


 甘音が言いきる前に、現象が起こる。

 浮いていたティッシュが、急に見えない刀に切りつけられたかのように、一瞬で半分に割れたのだ。

 綺麗に一刀両断。

 直後、またティッシュに切れ目が入り、そのまた直後には分割数が増えている。連続で切られているかのようだ。

 結局、ティッシュは落下する前に何度も切り刻まれ、最終的に紙吹雪のようになってテーブルへと落下させられてしまった。

 塩谷の脳内に、一体何をしたのかわからないという困惑が走る。

 けれども、すぐに甘音による補足が加えられた。


「エアミキサー……」

「えっ? どういう意味、天川さん……」

「空気を操作して、プロペラのような刃状に固めて、ミキサーのように高速回転させるという恐ろしい力よ……」


 ちなみに甘音は省略したが、エアミキサーには、人や物にくっつき見た目通りプロペラのように飛ばす事も出来る、という特性も備わっていた。

 だからこそ、渋堂にエアミキサーをくっつけて、宙を舞わせる事が出来たのだ。

 そして、空中で解除し、最後に渋堂を椅子に叩き落したというわけである。

 塩谷はその辺りを何とか「ああ。そういえば似た能力見たなぁ」という経験で脳内補完し、甘音の言葉に耳を傾ける。


「見えない上に高速回転するし、大きさだって自由自在。しかも、複数同時生成まで出来る……これ、料理に活かす機会がほとんど無いから弱い扱いだけど、これが殺し合いなら相当強い力よね…………! 事実、妨害有りならかなりの脅威だわ。だから、甘菜ちゃんは殺し合いなら強いという意味で“キリングマスター”の異名をもっているわ……」


 どう考えても、料理人としては大変不名誉な二つ名である。

 その衝撃発言に、塩谷は驚きを隠しきれない。

 天川家の人間は、どうしてこうも殺傷寄りなのかという疑問を隠しきれなかった。

 しかしながら、塩谷自身もなかなか同類だという事に気が付き、それから他の料理人もだいたいそんな感じだった事を思い出し、その疑問は完全に解消されて霧散するのであった。

 そして、現象が終わるなり、甘菜は帽子を被りなおして小さく笑みを浮かべた。


「ま、だいたいこんなカンジ。説明とか、いる?」

「いーえ、だいたいわかったわよ~。それより、好奇心から先に能力聞いちゃったけど、色々とごめんなさいね。リュウくんとお幸せにっ!」

「だーっ! 俺と天川はそんな関係じゃねーし! 何誤解してんだコラァ!」


 渋堂は目を吊り上げて怒声を放っていたが、全員そこに触れる事は無かった。

 ただ、甘菜だけは小さく「だから、天川ってゆーなって……」と言っていたが、それはもう言うまでも無いやり取りだ。

 何はともあれ、これで状況がかなり変な方向に進んだのは、間違えようも無い事実であった。

 ここらで、誰か話を正しい流れに戻す人間が必要だ。

 数人がそう思い始めた。

 そんな時、ついに、ずっと事態をぼんやりと傍観していた辛籐空美が動く。


「ていうか、甘菜さん。もしかして、毒、感染してません?」


 その発言によって、誰もが口を開いて「あっ」と一言呟き、納得する。

 食柱毒を使う事によって体内に蓄積された毒のせいで、身体に異常をきたすというこの現象は、確かに進行が進めば能力の暴走や使用不可という結果に繋がる。

 だが、比較的軽度ならば、症状が悪化するだけで、普通に能力の使用は可能だ。

 つまり、これは食柱毒を使っているが毒の日にかかっているという、一見気づきにくい状況なのである。

 何だかもう「毒の日」と言っておけば、大概何を言っても許されるような空気になりかけているが、それでも確かに今の甘菜は少し異常な状態であった。

 天川甘菜は、普段からこんな行動をとる少女では無い。

 むしろ、普段はどんな状況でも一歩下がって観察しているような少女である。

 それが、ここまで渋堂への好意全開の行動をとるのはあまりにも不自然だ。

 もっとも、それを邪険に扱う渋堂も渋堂だが。

 それはいいとして、能力まで派手に披露したのはもう擁護不能だ。あまりにも、らしく無さ過ぎる。

 渋堂と詠華は強く首肯して納得する。

 これで空気は軟化し、少し動きやすくなった。

 辛籐は言葉を続ける。


「とにかく、みんな落ちついて下さい。まず、このお姉さんが始音さん達とどういう関わりを持っているのか、話はそこからでしょう? 脱線し過ぎです」


 その言葉に、全員が頷いて落ちつく。

 何とか、これで混沌が収まろうとしていた。

 そして、辛籐は癒葉の方に視線を向ける。

 睨んでいるようだが、別にそういうわけではない。

 辛籐は、生まれつき目つきが悪いだけなのだから。

 それが伝わったのか否か不明だが、癒葉は笑顔で受け止めていた。


「あらら? じゃーあ、まずは自己紹介からって感じかしら?」

「そうですね。すみませんが、お願いします」


 ようやく話が進む。

 こうして、全員の視線が癒葉に注がれる形となった。

 特に、渋堂と塩谷の視線は、どこか特別な雰囲気を醸し出している。

 だが、癒葉の笑顔はブレる事無く、柔和な空気で言葉を紡いでいくのであった。


「こんにちは。癒葉はゆ、と申します。あっ、ゆゆ姉、っていうのは私の名前の最初と最後の『ゆ』から来てるのー。えっと、そこのリュウくんとは小さい頃一緒に遊んだ仲で……」


 どうやら、渋堂我竜だから語尾をとって「リュウくん」のようだ。

 となれば、塩谷始音だから語尾をとって「オンちゃん」なのではと、ここでようやく皆が気づく。

 全体的に腑に落ちないあだ名のつけ方だ。

 そして、癒葉の視線が渋堂から塩谷に移る。

 それから、少しだけ口元に指を当てて考えた後、癒葉は満面の笑みでこう告げた。


「そこのオンちゃんとは、昔、一緒にお風呂入ったりした仲かなー?」


 空気が凍る。

 またしても画面は一時停止されたかのように動かなくなる。

 それから、徐々に全員の視線が塩谷に注がれていく。全員揃って壊れたブリキ人形のような首の動き方だ。

 一斉に注がれる、それぞれで違う感情のこもった複数の視線。

 辛籐にいたっては、まるで汚物を見るかのような軽蔑全開の視線であった。

 それらに理不尽さを感じた塩谷は、咄嗟に何かを言い返そうとする。

 だが、その前に予想外のものが来た。

 突如として、突風が吹き荒れる。

 と、思った直後。塩谷の目の前に、忍装束に身を包んだ忍者が立っていた。

 どうやら、持ち前の超聴力で今の会話を聞き、超高速移動でここまで駆けつけたようだ。

 忍者、三ヶ峰酸叉之雄は、閉じた目から血の涙を流しながら、塩谷に詰め寄る。


「……本当かッ!?」

「いきなり出てきて何さっ!? ていうかはやっ! 僕でも見切れないなんて……!」

「いいから答えろッ! 癒葉と……その……一緒に入浴した挙句、洗いっことかしたのかッ……!?」

「え、えっとそれは……!」


 いきなり出てきた忍者に皆戸惑う中、笑顔の癒葉が助け舟を出した。


「ええ、ホントですよぉ」

「ちょっ、癒葉さん……!」


 助け舟じゃなかった。泥船だった。

 癒葉の言葉を受け、三ヶ峰は本来本気の時しかしないはずなのに、こんな場面で思いっきり開眼してしまう。

 両目をひん剥き、血走った勢いで塩谷に顔面を寄せていく。

 どうやら本気のようだ。

 一体何に本気を出しているのか、塩谷にはとても理解出来なかったが、三ヶ峰が激情に身を委ねているという事だけは確かだった。

 三ヶ峰は、声を荒ぶらせて叫んだ。


「死ねッ!!! 貴様はさっさと死ぬが良いッ!!! 羨望……羨望羨望……うお、ああああああああああああ!!!!!」

「ああ、もうさっきから何さこの状況っ!!!!」


 再び、状況がややこしくなってしまったという。

 それから、忍者が去るまでに一悶着あった。

 最終的に、塩谷が癒葉と一緒に入浴していたのは本当に幼い頃だった、という弁解をする事により、何とか落ちついたといった流れだ。

 そして、落ちついた三ヶ峰は謝罪ついでに「癒葉はもう上がれ、積もる話もあるだろう」という台詞を吐くなり、またしても風のように厨房の方へと戻っていってしまったという。

 それを見た詠華が「ああ、アタクシはあんな男に、家宝の月詠包丁シリーズを差し上げたなんて……なんかもう汚点デスわねぇ」と呟いていたが、その言葉の意味がわかるのは、三ヶ峰の包丁である蒼月・紅月・黄月の三つが、実は霜月家の家宝だったという事を知っている者だけである。

 詠華は、誰も使えず持て余していた家宝三つを、三ヶ峰に渡して取引した経緯があるのだ。彼女自身は特殊オーダーメイド包丁「霜月」を持っているため、なんら問題は無かったのだ。

 まあそれは本当に余談である。

 ちなみに余談と言えば、霜月散葉が満足げにゲップをしている姿を描写するのも、また余談であるだろう。

 散葉は、先ほどの会話には一切参加せず、ずっと色んなものを食べていたというのは、最早言うまでも無い話である。


「あー、美味しかったー」


 ベジタブルバーガーとLサイズのポテトとチキンナゲットをそれぞれ三人前食べきった散葉の前には、もはや包み紙と箱しか残っていなかった。

 もちろん、この後追加注文があるのは当然の話である。

 何はともあれ、ここからまた話は進んでいくのであった。

 いつの間にか、塩谷と詠華の料理対決の話は無くなっていたが、それを蒸し返す人間は誰一人として居なかったという。

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