最速忍者 -影喰ラウ疾風-
さて、もしこの世界を観測している神のような存在が居たとしたら、そろそろ「食柱毒に効く料理店に行ったはずの塩谷達が何故ファーストフード店に来ているのか」という点に疑問を感じている事だろう。
だが、そこに関しては一点の矛盾も存在していない。
何故ならば、ここはとある凄腕料理人が経営している店だからである。
調理場に立つその黒ずくめの男は、俗に言う忍装束を身に纏っていた。
銀の額当ての下にある目元のみが唯一露出していたが、その両目はぴたりと閉じられていて開く気配は一向に無い。
忍者。
それもただの忍では無い。
世界最高峰の料理人の家系同士が手を組んだ、料理界最強の連合、五味グループ。
この忍者は、そこに属する三ヶ峰という家系の者だ。
「影喰ラウ疾風」の異名を自称する五味グループ最速忍者、三ヶ峰酸叉之雄。それがこの忍の名だ。
三ヶ峰は、腕を組んで凛と立ちつくしていた。
そんな忍者の肩を、軽くポンと叩く者が現れるまでは。
「店長、そろそろお仕事のお時間ですよ~? 精神統一はそこまで、ね?」
「……承知。世話をかけるな……癒葉……」
癒葉と呼ばれたその女性は、全体的にふわりとした柔らかな印象を与える人物であった。柔らかな髪質の長い髪を後ろ一本で縛っており、両手は上品に前に添えている。もちろん胸は大きく、遠目から見ても女性的なシルエットを崩さない理想的な体系だ。
彼女は、癒葉はゆ。この店の従業員である。
まるで、親が名前をつけるのを面倒臭がり、半ばやけくそ気味に名字の読みを前後逆転させたのを無理矢理下の名前にしたかのような、結構適当な名前だ。
癒葉は、忍装束を模しつつも明るい色合いの制服を身に纏い、いつも通りの暖かな笑みを浮かべている。
「今回は、蒼月と紅月、どっちにしちゃいます?」
癒葉の言葉を受け、三ヶ峰は少しだけ思考を巡らせる。
蒼月と紅月は、三ヶ峰の使う包丁の名前だ。
それぞれ名だたる職人に作らせた最高傑作の刃物であり、これらを使うだけで料理の味まで変わってくるという業物である。
薄く蒼光りしている蒼月は、切れ味が高いので包丁として最高峰の活躍をする事が可能で、濃い紅の光を放つ紅月は、刀身が独特のざらつきをもっており、他に無い料理を作る事が可能だ。
三ヶ峰は、普段はその二つを使い分けて調理をしているというわけだ。
ちなみに、この店は注文があった瞬間調理を始めるという方式を取っているのだが、今のような「店長瞑想時間」というものが存在し、その間はどのような客であっても例外なく待たされる事になる。
だが、作り始めてしまえばほぼノータイムだ。
何故ならば、この忍者は最速だからだ。
三ヶ峰は、組んでいた腕をほどき、最速故の自信に満ち溢れた声色でこう言い放つ。
「不要。此度の戦は……黄月で往く」
「えっ、黄月……!? て、店長……本当に?」
「無論……」
黄月とは、三ヶ峰酸叉之雄が愛用する包丁の中でも最も優れているどころか、全世界に存在する全刃物の中でも最高傑作と呼ばれている代物だ。
その性能は、蒼月と紅月の良い部分を特化させて融合させ、更に独特の技法まで用いて昇華させているという、まさに最高の包丁と呼べるようなモノなのである。
しかし、高すぎる性能を持つ反面、この世で黄月を扱える人間は相当限られていると言われる程に、黄月には扱い辛すぎるという欠点があった。
その上、真に黄月を使いこなせる者となれば、三ヶ峰酸叉之雄を措いて他に居ないだろうとまで言われている。
けれど、やはりいくら三ヶ峰とあっても、一度使うだけで相当な疲労があるという黄月を、一日にそう何度も使う事は出来ない。だからこそ日常的に使う事はあり得ないのだ。
だが今回、三ヶ峰にはこれを持ち出す理由があった。
「我を料理人まで導いてくれた者達に…………可能な限りの誠意を見せる……」
三ヶ峰が本格的に料理人を目指した切っ掛けは、渋堂我竜と塩谷始音にあった。
そして、その二人は今日、この店に来ているのだ。
だから、恩人の二人に、今の自分の全力を食らわせたいというわけなのである。
その言葉を受け、癒葉の表情も徐々に軟化していく。
今ので理解したようだ。
「そっか……だったらお好きにどうぞっ! やるなら全力、ですもんね!」
「……言われるまでも無い……我が忍法の真髄を見せてやろう……」
そう言うなり、三ヶ峰は自らの忍装束の下半身部分を、思いっきり下までおろした。
高速でズボンを脱ぐようなその仕草に、しかし癒葉は笑みを崩さず、むしろ忍者の脱いだものを拾って抱えてくれる。慣れているのだ。
露出した三ヶ峰の下半身は、まだ厚手の布に覆われていた。普段は二重に履物を穿いているのだ。
しかし、左脚に関しては違った。そこだけは布に覆われていない。
つまり、左脚に関しては完全に露出しているはずなのだが、見える皮膚の色や質が完全に生身の人間のモノでは無かった。黒光りしている硬質的な皮膚。まるで左脚だけ機械のようだ。
否。これは機械そのものなのだ。
黒い義足。
それが忍者の左脚に相当する部分にくっついているというだけの話だ。
かつて、飯岳という男の襲撃によって左脚に重傷を負った三ヶ峰は、片足を義足にする事によって素早い料理人としての立場を守ったのだ。
「……久し振りだな……」
「ですねえ」
数か月ぶりに黄月の封印を解き放つ。
三ヶ峰は、左脚の膝関節部位を左手で軽く叩く。
そして、太腿の部分に触れると、腿表面のパーツを一気に後方へとスライドさせた。腿の表面部分のパーツは稼働するように作られており、腿後ろに収納されるように出来ているのだ。
表面のカバーが移動させられ、露出した太腿の中身は、これまた奇妙なものであった。
ほとんどカバーを取る前と変わらぬ見た目なのにも関わらず、腿の中心に黒くて太い一本線が刻まれているのだ。
いや、黒い線では無い。これは空洞だ。
腿の中心に太線のような空洞が開いているのだ。
ここまで来れば準備完了である。
三ヶ峰は、左脚を一歩前に持っていき、そのままゆっくりと膝を曲げた。
すると、膝の部分から刀の柄のようなモノが出現する。
正確には、腿の空洞の中から柄が出てきたのだ。
刀の柄は、まるで脛を鞘にしているかのような角度で出てきている。
つまりは、義足の脛部分に小太刀の刀身が仕込まれており、抜刀の際には腿にある空洞から柄が出現するというわけだ。
刀の刀身と柄の間には間接が付いており、普段は義足の膝の動きに合わせて稼働するように出来ている。しかし、使用の際には、義足の膝関節部位を軽く叩いて固有振動認証をクリアし、刀の関節を固定しなければならない。
三ヶ峰が最初、膝関節を軽く叩いていたのはこういうわけである。
何はともあれ、脛に仕込まれた刀はこうやって、外部に柄を出現させたというわけだ。
後はもう抜刀だけ。
常時滅菌希少金属使用関節可動式脛仕込小太刀型特殊包丁「黄月」封印解除。
三ヶ峰は、左脛から伸びる小太刀の柄を、まるで抜刀するかのような格好で、右手でしっかりと掴む。
正直、これから作るのはハンバーガーやポテトなどなので、そこまで包丁を使う機会は無い。
しかし、パンはきっちり一から焼くし、間に挟む具も全てゼロから作るつもりだ。無論、ポテトもジャガイモを用意するところから始まる。だから、通常よりは使う機会に恵まれるのだ。
普通に考えて、今から全て用意するとなると、それなりに時間がかかりそうなものだ。
だが、三ヶ峰には忍者特有の神速移動と、部分的時間経過の食柱毒を持っている。
部分的時間経過とはつまり、三ヶ峰は自分と近くにあるモノを、一瞬で何分も経過した後の状態にする事が可能なのである。これだと忍者もかなり老けそうであるが、若返りの忍法を持つ彼に死角は無い。
食柱毒で揚げ時間や焼き時間を短縮させ、その他の作業は持ち前の身体能力によるスピードで補う。
最速料理人の力は今ここに発揮される。
三ヶ峰は、まるでこれから走り出す陸上選手のような心構えで、癒葉の方に顔を向ける。もっとも目は開けていないが、癒葉もそれを気にしていない。
「癒葉……」
「はいはい、わかってますよ。ストップウォッチの準備はオーケー!」
「良し……始めてくれ……!」
「はーいっ! じゃあカウント始めちゃいますねー。三……二……」
そして、癒葉が三から続くカウントダウンを始める。
これが三ヶ峰特有のタイムアタックだ。
忍者は何度もこれを繰り返す事により、徐々に徐々に自分の限界を高めていくのだ。
彼は昔、自分が一番速い料理人だと思っていた。
しかし、それを呆気なく上回る料理人二人と出会い、戦わずして敗北を知ったのだ。
だから彼は極めた。
真の最速。その領域にまで。
現世最強の料理人・天川照真という男は、三ヶ峰の速度を真似られるという話だが、そんなものは本物の前ではただの子供騙しに過ぎない。
三ヶ峰は確かな自信を胸に、左脛から伸びる柄を掴む右手に力を込める。
そんな彼の食柱毒発動の固有動作は、ガスコンロのツマミを回すような動きで、片足を半回転させる事だ。
右足を軽く浮かせ、地面にこすりつけるように半回転。点火。三ヶ峰の心に火がつく。
その間にもカウントは過ぎていき、そしてついに始まりを迎える。
「ぜろっ!」
癒葉の声、ストップウォッチの音。
三ヶ峰酸叉之雄、開眼。黄月、出陣。
声と音が最後まで聞こえるのを確認すると、三ヶ峰酸叉之雄は即座に旋風となる。
抜刀音一つ残し、誰もが持つ認識の世界から、忍が消えた。
それと同時に、調理場に強い風が吹きぬけていく。
常人どころか超人にも見えない程の圧倒的速度。誰が見たとしても、消えたようにしか見えないだろう。
事実、三ヶ峰は風になった。
どれだけ目を凝らそうと、黄月の刀身の色である黄金色の残像が辛うじて見えるだけで、風となった忍の影を捉える事など絶対に不可能だ。
何者にも見られぬ隠匿性こそが忍の特徴ならば、この状態の三ヶ峰は誰よりも忍者らしいと言えるだろう。今の彼を視認出来る者など居やしないのだから。
渋堂我竜も塩谷始音も速い事で有名だが、今の三ヶ峰のスピードはそれすらも大きく上回っている。
己の影さえも残さないその速度は、傍目から見ればただの疾風のように見えるだろう。
影をも喰らう疾風が如き神速。
だからこそ「影喰ラウ疾風」なのだ。
異名に偽り無し。ルール次第では辛籐や霜月、渋堂さえも超越可能な最速は、何もかも全て振り切り先へと進む。
最速の果てまで。
ただ、誰よりも先に、誰よりも速く。
いつか、無秒の領域に達せるようにと。
いつだって忍者は、己の持てる速度を全て用いて加速していく。
極限加速は刹那すらも置き去りにする。
旋風は疾風となり、暴風と化して吹き荒れていく。
神風は舞い、空間を走る金色の奔流となり、やがて跡形も無く消えた。
そこにはもう風しか残らない。その様子を認識出来ずとも、癒葉は笑顔を絶やさなかった。
そして、唐突に風がやむ。
黄金の小太刀を持った三ヶ峰酸叉之雄が制止した時、全てはもう終わっていた。
調理台の上にはいくつもの完成品。
最速調理完了。
「終だ……」
「はいっ! すごいですねえ、32.02秒!」
世界記録更新。
「チィ……! そんなものか……!」
だが、三ヶ峰は黄月を脛に差し込みながら、悔しさを露わにする。
ちなみにもう目は閉じていた。開眼は本気を出した時限定だ。
三ヶ峰の持つ超人的聴力を用いれば、ほとんど聴力だけで補えるのだ。
しかし彼は、そこに視力を足した完全全力状態でも、未だ三十秒の壁を越えられない自分自身に不甲斐無さを感じてしまったのである。
三ヶ峰の挑戦はまだまだ終わりそうにない。
次は更なる果てまで。
いつだって加速しながら、ただひたすら前に進むのみ。
「癒葉……」
「はいはーい。持っていきますねー」
「……頼む」
今ので注文分全ては調理完了した。
後は癒葉含む従業員達に運ばせ、自分は少し休むのみだ。
思い出したかのように全身から滝のような汗が流れ、止まらなくなった。明らかに必要以上の疲労である。
やはり、黄月の負担は大きかった。
だが幸い、この店に来る客は少ない。
何故ならば、ここで三ヶ峰酸叉之雄が居るという事は情報遮断により、一般に知れ渡っていないのである。
忍はあくまで忍。
料理人になってもそれは変わらない。
だから、三ヶ峰はそのこだわりを捨てない。
強くなったのはあくまで実力だけだ。しかし、確かに昔と比べて大きくなったのは事実である。
三ヶ峰は、今自分が料理を出した相手に想いを馳せるのであった。
その頃、想いを馳せられた連中が大変な事になっているのすらも知らずに。
そして、これからどれだけ沢山の注文を、たった一人の人間から受ける事になるというのもまた、彼の知らない未来の出来事であったという。




