現代 「塩谷、語る!」
現代。ここから先は後日談である。
夕暮れ、洒落たバーのような焦げ茶色の店内。オレンジ色の照明が落ちついた空気を醸し出している空間。
この「HelleN」という名の店に、塩谷始音十六歳は居た。
彼は、色々あって、今はこの店に勤めている。
だから、この店に複数存在しているアンティークじみたテーブルや椅子を避け、店内の清掃をしていたのだ。
他の従業員、とは言っても三人程度だが、そのうち二人は用事があるだとかでここには居ない。残り一人に至っては、今日は休みだから絶対に来ないのが確定している。
しかし、掃除程度なら塩谷一人でも問題は無い。
塩谷は、それなりに掃除を済ませ、今はカウンター席の一角に思いっきり寝そべるような形でもたれかかっていた。こうやって疲れを癒しているのだ。
そうしていると、木製のドアがベルの音を伴って開かれた。
「た、ただいまー……」
「た、ただいまです……」
ドアの方に視線を向けると、そこにはここの従業員である天川と辛籐が居た。
だが二人は、あたかもドアを盾にするかのように、開いたドアの後ろに隠れている。
二人揃って一体何をしているのか、塩谷にはそれが疑問で仕方が無かった。
「う、うん。おかえり。何してるのかな? 入ってくればいいのに」
「そ、そうね……!」
天川は、そうやって応じるかのような態度をとるが、しかしその体勢のまま動かない。辛籐も似たような反応だ。
何かあったのだろうかと塩谷は首を傾げるが、心当たりらしい心当たりは何も無かった。
日が沈みかけているというのもあり、ずっと扉を開けているとほんのり冷たい空気が入ってくる。
そろそろ寒くなってきた塩谷は眉をひそめ、少しだけ声のトーンを落とす。
「だから、入ってこないの?」
「「ひ、ひぃっ!!」」
「?」
明らかに怯えられてしまったが、何故そうなってしまったのかが、塩谷にはまるで理解出来なかった。
まったくもって意味不明である。
塩谷が混乱に頭を悩ませていると、今度は辛籐からの問いかけがあった。
「あ、あの始音さん……?」
「何さ?」
「きゅ、急に手刀で心臓刺しに来たりしませんよね……?」
「はあ? 僕が? 何で?」
それはあまりにも突拍子のない質問であった。
そんな事をするなんて一体どんな状況なのかと、塩谷は本気で考えてみるが答えが見当たらない。
辛籐がふざけているのかとも思ったが、横の天川の顔も真剣だったので、その線は無さそうだと考える。
そもそもにして、ふざけるにしてもこの態度は些か不可解だ。
だが、そういうのを抜きにして、もう本気で寒くなってきた塩谷は苛立ってくる。
その気配を察したであろう天川と辛籐が後ずさりする気配を感じるが、そんなものなど構わずに塩谷は怒る。
「いいから、早く入ってきなって! 寒いよ!」
「「は、はぃいぃ!」」
「全く……!」
こうして二人は、渋々ながら店内に入ってくる。
けれども、身に纏っていた上着を脱ぐとき時の態度も、余所余所しさ全開であった。
その態度は未だ解せないものである。
仕方なく塩谷は、まず事情を聞く事にした。
こんな反応は何か無ければまずあり得ないし、その理由を聞かない事には何も始まらないからだ。
「で、何があったのさ?」
「そ、その……」
「あの……実はですね……」
天川と辛籐の説明が始まる。
彼女たちの話によると、どうやら今日、二人はちょっとした用事をこなしに渋堂我竜の家に行ったらしい。
その時に、塩谷と渋堂の思い出話を聞いたそうだ。
そこで渋堂から、過去の塩谷の悪逆非道な振る舞いを聞いて、直接会うのが恐くなった、というのが事の真相だそうである。
しかし塩谷はその話を、頭に手を這わせながら、どこか納得しかねる顔で聞いていた。
そして、長い説明が終わると同時に、塩谷は深い深い溜息をついて、感想を一言だけ吐き捨てる。
「主観入りすぎだよ」
「「えっ?」」
「まず第一に、これ僕の視点から見てみたら相当理不尽だからね。渋堂が切れて観客席から僕の所に突っ込んできた時とか、内心結構本気で疑問だったしね。確かに、僕のコメントのどこかが渋堂の癇に障ったのかもしれないけど、基本的に間違った事は言って無かったし、何でそれでいきなり観客席の奴に殴られそうにならなきゃいけないの、って話だよ。しかも、後でちゃんとその分殴られたし」
「「は、はあ……」」
二人は思いのほか納得していないようだったが、塩谷からしてみれば当然の理屈である。
少なくとも、言葉の暴力に対して、拳の暴力で返していい道理は無いのだ。
だいたいにして、顔も名前も思い出せない当時の対戦相手には、かなり気を遣ったはずである。
塩谷の記憶が正しければ、相手が負けるのを怖がっているように見えたので、あえて負けてあげようという心意気をしっかりと見せたはずだ。
それをこうして糾弾されるのはお門違いである。
逆に、何故ここまで説明しているのに、天川も辛籐も納得していないのかが疑問でならなかった。
「ち、ちなみに渋堂さんは、始音さんの不敵な態度などは全て演技だったと言っていましたが……」
「あー……ぜ、全部じゃないよ!」
「一部はそうなのね……」
もちろんこれに関しては塩谷も否定しきれない。
あの頃は、格好つけたかった時期なのだ。
考えてもみてほしい。当時十一歳の塩谷は、同年代の友達が創作物のヒーローを真似ている中、本物のヒーローのようなスペックを持っていたのである。
それなら誰だって、死亡からの復活時の演出に凝ってみたり、不敵な笑顔の練習をしたり、戦闘中の態度が大きくなってしまったりする事の一つや二つや三つぐらいあるだろう。
これはどう考えても渋堂の曲解であると、塩谷始音は机を叩いて主張する。
「でも、やっぱり渋堂の主観は大きいよ! それに何だっけ、非公式試合では僕の方が何度か勝ってるって話? 大嘘もいいとこだよあの野郎!」
「そ、そうなのかしら?」
塩谷には大きな疑問があった。
それは、つい先日、料理界の最高得点を塗り替えて十万点以上を叩きだしたらしい渋堂の話を、何故この二人はそうも簡単に信じられるのかという疑問である。
どう考えても、そんな人間と今の塩谷が互角にやりあえるわけが無いのだ。
なのにも関わらず、当たり前のように同格と言ってのけたのであろう渋堂の姿を想像し、塩谷は更に苛立って仕方がなくなる。
「だってさ。たまに僕が勝った時、あいつほとんど万全じゃ無かったんだよ? 既に脚動かなくなってたり、全身血まみれだったり、大事な骨を何本も折ってたり、四肢千切れそうになってた時だってあった! そんな相手に勝っても、絶対に勝ちにカウントしちゃいけないよね!?」
「……それは、まあ、そうですね……」
渋堂は、あらゆる意味で自らの身を削るタイプの料理人だ。
塩谷が決闘を申し込んでも、その前に行っていた別の料理対決で負傷をしている事が多かったし、向こうから挑んできた場合でも、轢かれそうになった子供の代わりにトラックを受け止め負傷していたりなど、渋堂が万全の体調で挑んでこなかったケースは枚挙に暇が無い。
時々、たまたまその場に居合わせた塩谷が無理矢理人命救助に付き合わされて、その後お互い負傷した状態での闘いもあったが、その時はその時で普通に塩谷が負けてしまうのが悔しいところである。
だが、そんな事実をわざわざ口にする塩谷では無い。
塩谷からしてみれば、渋堂との思い出は胸糞悪い事の連続である。結構本気で洒落になっていない。
だから、話をここらで切り上げようと考える。
「まあ、だいたいこんな所かな。で、店の作業は一人の時にだいたい終わらせておいたから、一旦食事にしないかな? どこか食べに行く?」
「「じー…………」」
天川と辛籐がじっと目を細める。
これは塩谷の知らない事実だが、食事の際に何か作ると言ってくれた渋堂の事を考えると、二人はあくまで料理を作りたがらない塩谷に対する落胆を隠しきれないのだ。
こんな所まで塩谷と渋堂は対極であった。
しかし、そんな塩谷の対応には手慣れた二人である。
これぐらいで引いていては、塩谷と共に行動など出来ない。
むしろ引いてばかりでは、最悪コミュニケーションが成立しなくなる恐れがある。
だから、押すのだ。押しに押して追いつめるのだ。
それが塩谷との正しい付き合い方である。
天川と辛籐は視線を合わせ、相互の意思に齟齬が無いのを確認する。
だが、その行動の意味は、塩谷には全くと言っていいぐらいに伝わらない。
「あれ、どうしたの……? 二人して」
「ねえ、始音くん」
「何さ?」
「料理なら私が作ります。それよりも、もっと話を聞かせていただけませんか?」
「え? え?」
「さあさあ始音くんは座ってて。まずどこから話してもらおうかしら……」
「ま、待ってよ! 僕やだよ! なんであんなヤな思い出語らなきゃいけないのさ!」
ここで渋るのも、また渋堂とは間逆で塩谷らしい。
既に達観してしまった天川と辛籐からしてみれば、この反応が逆に微笑ましくさえ見えていた。
結局、塩谷はこの流れに押し切られ、色々と語ってしまうのだろう。
それぐらい、彼とこれまで付き合ってきた二人には簡単にわかる事である。
本日のHelleNは、きっと遅くまで電気が消える事はないはずだ。
まだまだ話せる過去はあるのだから。
「まったく、仕方ないなぁ……」
結局、嫌々ながらも塩谷が語り出した頃には、既に太陽は沈みかけていた。
塩谷も、何だかんだで渋堂に言いたい事はたくさんあるので、恐らく話は結構長くなるだろうと想定する。
次に太陽が昇るまでに話が終わるのだろうかと、店内に居る全員が疑問に思いながらも、これから語られるであろう長い長い思い出話に期待を膨らませるのであった。
「そうだな……まず、これは僕がスーパーで渋堂と殴りあった話なんだけど……」
塩谷は、スーパーの商品棚を巻き込んで吹っ飛ばされた時の事を思い出しながら、事の成り行きを回想していく。
こうして、塩谷の主観にまみれた長い長い回想劇が幕を開けるのであった。
HelleNは今日も平常運転だ。
だが、ここに居る三人のうち誰もが、本日休みで来ていない「四人目の従業員」の事を頭の片隅に浮かべていた。
もし、その少女がここに居たらどのような反応をするのか、そんな事を惜しみつつも、塩谷から話を聞くチャンスは今しか無かったので仕方が無いと、天川と辛籐は己に言い聞かせるのであった。
けれども、その負い目は、塩谷の話が盛り上がるにつれて忘れさられていく。
今、塩谷にたくさん話してもらえば、後で語り継げるのだ。
だから、三人は楽しい会話に没頭し、夜はどんどん更けていくのであった。
これにて、一つの後日談が幕を下ろした。
しかし、物語はこれでは終わらない。
このエピソードには、後日談が二つ存在する。
一つはこれ、HelleN内の様子だ。
しかし、これだけでは足りないのだ。まだ、明るみになっていない事実が存在する以上、ここで話を終わらせるわけにはいかない。
そして残るもう一つの後日談は、今、この店内には居ない四人目の従業員にまつわる話である。
時は再び過去へと戻り、あの熱戦が繰り広げられた二ヶ月後へと舞い戻っていく。
塩谷始音と渋堂我竜の闘い、それそのものの後日談。
物語を締めくくるラストシーンへと、時系列は移動する。




