延長戦 「ANOTHER:SWEET」
と、言いたいところだが、その前に一つの終わりを語らなければならない。
これは後日談と呼ぶにはあまりにも些細な話。
時系列は未だに五年前の過去から動かぬままだ。
このエピソードを経て、ようやく時は未来へと進むのである。
これは、試合後倒れた渋堂と塩谷が運ばれた病院の一室からスタートする小話だ。
この小話は、渋堂我竜が語らなかった物語。
「何でテメェと同室なんだよ……」
「それは僕の台詞だよ……何この罰ゲーム?」
死力を尽くして闘いあった二人は、真っ白な病室に二つ並ぶベッドにそれぞれ寝ていた。
両者、全身を包帯に包まれている。
その姿は、ミイラ男に酷似していた。まさしく生ける死者、リビングデットのようだ。
互いに再生系の食柱毒保持者であるが、渋堂は己の能力によってついた傷が主であり、塩谷も能力と肉体の酷使による負傷が主なので、食柱毒でそうやすやすと治せる問題でも無かったのである。
しかし、身動きさえも取れないというわけでもない。
渋堂は、ベッドの脇に立てかけられてあった歩行用の杖を取り、試合中からはとても想像出来ないような緩やかな動きで、何とか起き上がって床に足を置く。
逆に、寝たまま一切動こうとしない塩谷は、渋堂の方を見もせずに声だけで質問してきた。
「どっか行くの?」
「ああ。ちょっくら外の空気吸って来らぁ。やっぱ、じっとしてんのは性に合わねぇ」
「そんな所まで僕と逆か。まー僕も一人になりたかったし丁度いいね。じゃあね渋堂。一日ぐらい帰ってこなくてもいいよ」
「相変わらず口の減らねえ奴だな……」
渋堂は苛立ち気味に歩みを進めていく。
塩谷に背を向けて歩き出し、病室の扉から廊下に出て、エレベーターへと乗り最上階へ。
そこから先は階段を使い、一番上まで登り詰めた所にある重い扉を開く。
目的地は屋上だ。
この病院は屋上が解放されているので、外出出来ない身で外の空気が吸いたいのならば、そこが最適なのだ。
扉を開けると、いきなり強い風が吹き抜けてきて、渋堂も思わず目を閉じて息を止めてしまう。
ほんの数秒。視界が塞がる。
そして、再び目を開けた時、そこには屋上の風景が広がっていた。
「……おお!」
そこまで広くは無いが、それなりに歩けるスペースのある空間。
そこにはほとんど物が無いが、やはり病院だという事なのか、いくつかのベンチが用意されている。また、自販機まで設置されているという有り難い仕様だ。
周囲は転落防止用の高く頑丈そうなフェンスが張り巡らされており、その先には斜め上から見える街並みが広がっていた。
そんな中、たった一人の先客が端の方で街並みを眺めていた。
その小柄な影は、両手を後ろで組み、フェンスの前でじっと立ちつくしている。
普段、帽子を深く被る癖のあるその少女は、珍しく外に出した短い髪と、珍しく穿いている短いスカートを風に揺らしながら物静かに佇んでいた。
渋堂は、その姿を見て小さく皮肉気な笑みを浮かべると、ゆっくりとその人物へと接近していく。
「よっ、天川。何してんだオメー?」
名前を呼ばれた少女、天川甘菜は、横目でちらりと渋堂の姿を確認すると、また風景に視界を戻してしまう。
「だから、天川ってゆーな……」
その声は、これまでのような強気な色が籠ってなく、八歳という年相応の口調であった。
渋堂の心臓が跳ね、彼は一瞬言葉を無くす。
「あっ……。お、おお。悪ぃ悪ぃ……! で、何でオメーがここに?」
「お見舞い。風邪のお姉ちゃんと、ついでにアンタの。さっきお姉ちゃんが終わったから、ちょっと気分転換に」
「そうか。でも、病院で気分転換っつーのも難しくねーか? 俺なら、さっさと終わらせて帰りたいモンだけどな」
「アタシもそう。でも、お姉ちゃんと一緒に居たら滅入ってきて。正直、さっきまでアンタに会わせる顔が無かった。文字通り」
「…………そうか」
天川の家庭事情。
それは以前聞いた感じだと、かなり複雑なようであった。
まず、最強の父、天川照真が家のトップというのは周知の事実だ。
そこは問題無い。
問題は、跡取りについてである。
甘菜は、小さなため息を漏らす。
「アタシ、天川って大っ嫌い。みんな自分の事ばっかり」
己の名字、己の「家」に対する嫌悪感。
紙に垂らしたインクのように滲み出る感情。容器はもう既にひび割れているようにも見える。
渋堂は、かつて聞いた話を思い出す。
天川甘菜には兄と妹が居た。
天川甘太郎と天川甘音。
しかし、本来後を継ぐべき甘太郎は料理人では無く演歌歌手になると家を飛び出し、残った甘音は料理が絶望的なまでに下手糞ときている。
そのため、本来なら絶対に回ってくるはずの無い跡取りの権利が、甘菜にまで回ってきたのだ。
「なのに、好き勝手してるくせに、お姉ちゃん、またアタシに申し訳無さそうに、頑張る、とか言って……」
天川甘音は、跡取りになれなかった自分に少なからず負い目を感じているらしく、今日も甘菜は謝られたそうだ。
だが、甘菜からしてみれば、甘音に謝られても仕方が無いのだ。
不幸だったのは、父である天川照真があまりにも最強すぎるのに、甘菜には普通レベルの才能しか無かったという点にある。
結果、甘菜はさして好きでもない料理の世界へと無理矢理連れてこられ、今も跡取りのために勉強をし続けているというのに、結果が追い付かないという事になっているのだ。
これから五年が経過して他が全員代替わりしても、天川照真だけは未だに現役だったというのは、裏にそういう理由であったためである。代替わりすると「天川」が、急激に弱くなってしまうのだ。
甘菜が辛いと思っているのはそこだ。
だから、跡取りになった事自体を謝られても仕方が無い。
滅入るだけだ。
天川甘菜はそれらの事実を締めくくるように、どうにもならない思いを籠め、誰に向けていいかもわからない感情を、ただただ無理矢理吐き出すのであった。
「ホント、参る……」
「そうか。それは、大変だな……」
渋堂にはそれしか言えない。
ここで共感するのも、否定するのも、肯定するのも何か違う。そう思ったからだ。
これはあくまで他人事だ。そうでなくてはいけない。部外者が口を出す話じゃないのだ。
家の問題はデリケートだ。人によって捉え方が大きく違うのに加え、上を見ても下を見てもキリが無い。
信じられないぐらい幸せな家庭も、信じられない不幸な家庭もたくさん存在する。
他よりまともな事にほっとして安心する者もいれば、もっとまともな生活がある事に嫉妬を感じる者もいる。
結局のところ、家庭の問題は、家族である自分自身がどう納得するかにかかっているのだ。
他者の言葉だけで何とかなるのなら、最初からどうとでもなっている。
何とかするつもりが無い以上、渋堂に発言権は無い。
甘菜も、甘言が欲しくて言ったわけでは無いのだろう。
ただ、聞いてほしかったというよりは、吐き出したかったというのが痛いほどに伝わってきた。
だから、渋堂は黙っている。
すると、甘菜は「さて、と」と軽く呟き、暗い話はここまでと言わんばかりに口調を変える。いつもの甘菜だ。
「ま、そんな事より、試合お疲れ様」
「お、おう。あんがとよ」
「あ、そうだ。ちょっと待ってて」
唐突に、甘菜が自動販売機の方へと小走りで移動し、少ししてから缶を一本持って戻ってくる。
しかも、どういうわけか缶には「なめこ汁」と書かれていた。
そして、あろうことか甘菜はそれを渋堂に手渡し、薄い笑顔でこう言うのであった。
「はい。勝利祝い」
「いや、急に思い出したかのように渡さんでもいいじゃねーかよ!? ……いや、貰っておいてこう言うのもアレだけどオメー、だったらせめて選ばせろよ! 何でなめこ汁なんだよ!?」
「いいじゃん。思い出思い出」
そう言って、無邪気に笑う甘菜はやはり年相応に見えた。
やはり甘菜は、家庭事情によって幾分か擦れているだけで、本当はただの八歳の少女なのだ。
渋堂は思う。
いつか、この少女が今のような純粋な笑みを、ずっと浮かべていられるような日が来るのかという事を。
渋堂には、甘菜の家庭事情に首を突っ込めるだけの理由が無い。けれども、心の中で願う分ならばノーカウントだろう。
だから、せめてどうにかなれと願う分だけ願うのだ。
渋堂は、せっかくだからとなめこ汁の缶を開け、ちょっと飲んでみる。
しかし、やはり夏に飲むようなモノでは無く、そのチョイスに幾分かの悪意を感じた渋堂は、心の中の願いを撤回しかけてしまう。
「あーあ。オメー。せめてこういうのは冬の寒い日にだなァ……」
「……あのさ。真面目な人が急に不真面目になったり、らしくない事、をすると雨が降るとかって言うじゃん?」
「んだよ、急に」
「寒いのがお望みなら、雪でも降らせてみる?」
「どうやって」
「好き」
信じられないぐらい不意打ちだった。
確かに「らしく」はない発言だ。
話の趣旨はずれていない。が、あまりにも辻斬り過ぎだ。
渋堂からしてみれば、いつも少し距離を置いて接してくるのが、天川甘菜という少女である。
だから、こんな事を言うのはどう考えても「らしく」無いのだ。
小学生に告白される中学生の図。
最高のギャグである。
甘菜の顔は全くと言っていいほど平常である。
まるで当然の事を言ったと言わんばかりの態度だ。
だが、渋堂はそれに対し一瞬驚いた顔を浮かべるが、すぐに笑みを作り直して甘菜の頭を撫でようと手を伸ばす。
「うるせーよ。あと十年経ってから出直して来いってんだ」
「んー?」
しかし、甘菜は不敵な上目使いで、その手を払いのける。
「今一瞬ドキッとしたでしょ? そういう顔してた」
「は、ハアッ!? 何言ってんだオメーはよ!?」
渋堂は心にも無い事を言われ、ついカッとなって大声を上げてしまう。
一瞬動きが止まってしまったのは驚きのせいだ。渋堂にそんな趣味は無い。
つまり彼の主張は純然たる事実なのである。
しかしそれは、目の前の少女には一切通用しない。
むしろ、薄い笑みを浮かべられ、軽やかにかわされる。
「ロリコン」
「ああ? そういうのはもっと年上に使うモンだろうが! 俺は……!」
「五歳も年下の女の子に興奮してるって? こわーい」
「マセてんじゃねーよ、このクソガキ! 興奮してんのは怒りのせいだっつの! もうアタマきた……そこ座れ!」
「動揺しすぎ。冗談もわからなくなった?」
「う、うるせーよ! バーカバーカ!」
もうどっちが年上かもわからなかった。
後に最強となる龍帝にも、かなわない相手は存在したのだ。
あれほどまでの激戦を潜り抜け、死闘の末に天使をも沈めた男が、このうろたえっぷりである。
八歳でこれなら、これはもう一生敵うような相手ではないだろう。
これは現在、誰も知らない事だが、そう遠くない未来から渋堂我竜と天川甘菜と霜月詠華の三人は、頻繁に行動を共にすることになる。
例えるのならば、未来の塩谷始音と天川甘音と辛籐空美が行動を共にしているようなものだ。
渋堂の苦労は続くのである。
だがもちろん、当時にその事実を知る者はいない。
だから、人知れず悲劇が起こった。
渋堂が直感で何となくこれから先の苦労を幻視していた時、塩谷は退屈になって屋上の扉の前まで来ていたのだ。
しかし、もう完全に入っていける空気では無いのは明らかである。
「…………まさか渋堂とあんなに仲のいい女の子がいたなんて……ていうか告白……!?」
塩谷は、甘菜の顔や事情を確認する余裕すら無かった。
彼の認識では、屋上についた瞬間「好き」という女の声が聞こえ、まず衝撃を受けたのだ。そのせいで渋堂の反応をきちんと脳が認識出来なかった。
その後、勇気を持って再度意識を向けていると、渋堂がまんざらでもない反応を取っいてるように見えたのだ。
忘れられがちだが、塩谷始音は十一歳の少年である。そして、彼の目からは天川甘菜は本来の年齢以上に大人びて見えた。
それが本来の事実を歪めてしまう。
塩谷始点で見ると、自分とさほど年齢の変わらない渋堂が、ほんの少し年下の少女に告白されたように見えてしまったのだ。しかも、それを受け入れたかのような態度まで見えてしまったのである。
故に、その誤解は決して解けない。
「……帰ろう……」
そして、塩谷は力無くドアをそっと音も無く閉じ、ゆっくりと階段を下っていくのであった。
何気に心に受けたダメージは大きい。
塩谷始音、真の完全敗北。
最後は誤解による決着だったが、これにて本当に決着がついた。
こうして、後日談にもならないこの延長戦は、まるで意図せず渋堂の勝利となるのであった。
さて。
次の場面からは本当に後日談だ。
時計の針が回転し、物語は加速する。
五年後。
場面は切り替わり、時代は変わり、主役も変わる。
時の着地位置は、渋堂我竜が過去を語り終えた少し後の時間軸となる――――
ちなみにこれは本当に余談だが、後日雪は降らなかったそうだ。
そして、余談は終わり。
時は、跳ぶ。




