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HelleN! -愛情よりも大切な-  作者: パンダらの箱
「ROUTE:DRAGON」編 ~塩谷始音の前日譚~
47/98

過去 「ROUTE:DRAGON」

 それから、会場は実食フェイズへと移行した。

 渋堂と塩谷、双方の調理台を稼働させ、審査員席と合体させるのだ。

 しかし、ここで大きな問題が起きてしまった。

 これまでの闘いで地面が損傷し過ぎて、台が動かなくなったのだ。

 結局その問題は、壊した張本人達が調理台を直接持ち上げて移動させるという形で解決したが、試合会場全体は妙な雰囲気に包まれてしまったという。

 何はともあれ、これで長かった料理対決は終わりを迎える。

 勝利の女神は果たしてどちらに微笑むのか。

 その鍵は、この忍者が握っている。


(責任重大で御座るな……)


「……で、どっちから先に食べさせればいいのかな?」

「……食柱毒の能力次第で有利、不利変わるかんな。ここは平等に決めてーよな」

「じゃあ、ジャンケンはどうかな?」

「構わねーぜ」


 そうして、渋堂と塩谷はジャンケンによって先攻後攻を決める。

 試合経過を見る限り、本当はどちらも倒れそうな程弱っているというのに、元気なものだと忍者は黒人仮面の下で苦笑した。

 しかし、この態度もある意味当然である。彼らはやれるだけの事をやったのだ。

 後はもう、それをどう評価されるのかを見守るだけ。

 だから、こうして平然としてられるのだ。

 もちろん理由はそれだけでは無いだろう。

 自分の料理に対する絶対の自信。それが無ければ、この余裕はあり得ない。

 結局、ジャンケンによって決まったのは、塩谷先攻、渋堂後攻という結果であった。

 忍者は、塩谷の料理をじっくりと見つめる。


(これはまた、変わった料理で御座るなあ……)


 塩谷の料理は、まるで聖書に出てくる天使のような、白い羽根だらけの形をしていた。

 つまり、大量の白い翼が中にある何かを包みこんで、球体のような形になっているのだ。

 だいたいボウリングの球ぐらいのサイズはある。かなり大型だ。

 塩谷は、相も変わらず死んだ目で、その料理を指さす。


「これが、僕の必殺料理。自分で名付けたわけじゃないけど、天界球ヘヴンズコアって呼ばれてる。どうぞ」


 見るからに適当な態度だが、要するに喰えという事だろう。

 忍者は、何とか自らの主の飯岳の喋り方を思い出し、演じてみる。


「オー! アリガートネ!」


 今ので、渋堂と塩谷から少し引いたような気配を感じたが、言った忍者自身が一番ドン引きしていた。

 他人を主観的に見るというなかなか新しい体験をした忍者は、何かこう今猛烈に死にたくなってしまったという。自分を客観的に見るよりも辛かった。

 だが、あまり落ち込んでもいられない。

 忍者は、気を取り直して塩谷の料理を食べようとする。が、どこから手をつけていいかわからない。

 だから、嫌で嫌で仕方無い口調をもう一度繰り返す。


「スミーマセーン。コレ、ドヤッテ食ベルーノ?」

「羽根の部分、取れるから箸かなんかで摘まんで食べなよ。あ、箸使えるかな?」


 一応、本物も日本人のはずなのに、ついに箸を使えるかどうかすら疑われてしまった。忍者は、主に対する忠義を一旦遠くへ放り投げかける。

 しかし、これで食べ方を知った。

 忍者は、手元の箸を掴み、塩谷の料理に箸を伸ばす。

 その横では、塩谷と渋堂が何やら話していた。


「つーか、塩谷。これもしかして白いの塩か?」

「そうだけど。よくわかったね」

「そら、あんだけ塩持ってったらな。でもよ。これ、明らかに致死量の塩じゃねーか?」

「うん。多分死ぬよ」


 相当物騒な話が横で繰り広げられていた。

 言われてみれば、塩には致死量という物が存在する。

 最低三十グラムの塩で、人は死に至る可能性があるのだ。

 そして、塩谷の作った天界球ヘヴンズコアは、明らかに人間が摂取していい塩の量の限界を超えていた。

 しかし、塩谷はそんな事などまるで問題無いかのように、歪んだ笑みでこう続けた。


「でも、試合中。僕も、三柱天国トリニティヘヴンを発動させていたからね……僕の再生の力をつぎ込んだ料理を食べれば、たとえ死人でも蘇るんだよ」

「……すげぇ腑に落ちねぇけどな。その理屈。ま、全部喰わなきゃ問題無いんだろ、ようは。流石に一口で三十グラム以上はいかねーだろ」


(いやいやいやいや! 大問題で御座るからそれ! ……一口食べて終わるのが無難で御座るな……)


 忍者は心の中で突っ込み、マスクの中で冷や汗を流す。

 そして、箸を器用に用いて白い羽根を一枚剥がし、軽く匂いを嗅いでみる。

 瞬間。全身の血が、細胞が、本能が、この天使の羽根を求めるかのような錯覚に襲われる。それが何の香りか確認する前に、忍者の身体そのものがこの料理を求めたのだ。

 手が震えてくる。期待感、恐れなどの感覚が入り混じった感覚。

 禁忌。その言葉が忍者の脳裏をよぎった。

 忍者は、おそるおそるその料理を、口の中へと放り込む。

 直後。口内で味が爆発した。

 正直、いざ食べてみるまでは「どうせ塩の塊」だと思い侮っていた忍者だが、実際にはそんな単調なものでは無かった。まるで肉汁のような旨みが、まるで新鮮な野菜のような瑞々しさが、まるで刺身のようなとろみが、古今東西あらゆる料理の味が、絶妙な具合で口の中にて混ざり合い、そこに駄目押しとばかりに程良い塩気が君臨する。

 忍者は、動揺のあまりマスクを盛大に変形させながら、己の心の中に潜む叫びを解放した。


「何だこれマジやべーっ!!!? 超うめーしっ!!!!! ……はっ!」


 思わず数年前に捨て去ったはずの口調に戻ってしまった。

 それほどまでのポテンシャルを持った料理だったのだ。これは。

 冷静さを取り戻した忍者が周囲を見回すと、それなりに冷やかな視線が注がれていた。

 どうやらただの変な黒人だと思われたらしい。

 しかし、どういう理屈かはわからないが、この料理は相当に美味しかった。

 もう一口食べたい。忍者の心に魔が差す。

 だが、この料理はあらゆる意味で危険である。迂闊に手を出しては、痛い目を見るのは自分だろう。

 けれども、視線を逸らした先には塩谷がいて、つい眼が合ってしまう。


「あ……ああああ…………!」

「どうしたの。食べないの? まだあるよ。こんなに」

「うああああ…………!」


 それだけで、忍者の生涯が一度終わるのが確定する。

 忍者は羽根をちぎり口の中に再度放り込む。その行為は文字通りの意味で自殺行為だ。

 しかしながら、それでも抗えぬ誘惑がそこにはあった。


「やっべこれうんめーーーーーーーーっ!!!! ヤバいこれ、ヤバッ! ヤバいっしょ! 普通にやべーっって! やべえやべえ!」


 忍者のキャラは既に崩壊していた。もうヤバいしか言えていない。

 これが、塩谷が作る最強料理の力である。

 一度こうなってしまえば、忍者は死んでも食べ続けるだろう。

 そして復活して、尚もまた死んで、復活するのだろう。

 この料理は、塩谷が不死の能力の研究の末に生み出した、文字通り「必殺」の料理なのだ。

 彼の再生の力は、既に死んでいるものに対して効果を発揮する。

 けれども、一度死んで料理化したモノに不死の能力を発動しようとすると、食材一つ一つが個々のあるべき形に戻ろうとし、分離しかける性質が発見されたのだ。そして、少しして再生の力が抜けると分離は収まり、今度は再結合しようとする。この一連の現象を、塩谷は分離運動と名付けた。

 その分離運動は、意外な事に調味料にも発揮された。

 だから、塩谷はその分離運動を利用し、再結合時に料理の一部が塩と融合するように仕向けたのだ。

 何故塩かというと、塩が一番激しく分離運動を起こしてくれたからである。

 その融合塩を、一番美味になるよう何度も分離再結合を繰り返した結果が、この天界球ヘヴンズコアの正体だった。

 忍者は、水に餓えた砂漠の人間が生まれて初めて飲める水に出会ったかのように、勢いよく羽根を毟って食べ続ける。


「やべやべやばやばばばばばばばばばばばばばばばば……ばっ?」


 忍者は突如停止すると、突然胸を抑えて苦しみ出す。

 この料理と、塩谷の大技「三柱天国トリニティヘヴン」の相性は抜群である。

 三柱天国トリニティヘヴンは、食べた相手に三度の天国を味あわせる技だ。まず、食べた最初の一口で天にも登る気分にさせ、次に料理に仕込んでおいた不死の力は生者と拒絶反応を起こすので、その拒絶反応にて文字通りあの世という意味の天国を体感させ、最後に復活したのち後味のいいものを食べさせて天国のような安堵感を与える。

 そういう技だ。

 そして、この天界球ヘヴンズコアには、必要以上に不死の力が注ぎこまれている。

 その結果、上記の苦痛が延々繰り返される上に、途中で本気で死んでも生き返るという「幸せな拷問」のような料理となるのだ。生き地獄、というよりは生き天国である。

 塩谷は、ついに死と生をループするようになった忍者を見て、満足そうににっこりと微笑む。

 忍者は、もうまともな言葉を発せなくなっていた。


「うわじゃばぁああああああああああああああああ!!!!」

「ひっでぇ」


 渋堂は、もうそういう突っ込みを入れる事しか出来なかった。

 だが、この惨状はまだまだ終わらない。

 忍者黒人がどんどん天界球ヘヴンズコアの羽根を毟っていくと、徐々に徐々に羽根によって隠されてきた、この料理の「本体」が明るみになってくる。

 天使の作りしモノの正体。

 翼の中に隠れていたのは、これまた真っ白な食べ物であった。

 しかし、多くの人間がそれを見た事があるだろう。

 それほどありふれた食べ物だ。

 ここでようやく、そう本当にようやく、忍者も渋堂も気がつく。

 この天界球ヘヴンズコアが、何という料理に部類されるのかを。

 渋堂の目が、驚きによって大きく見開かれる。


「……んなバカな……! これ、握り飯かよ……ッ!」


 天界球ヘヴンズコアの正体は、俗に言う「塩おむすび」であった。

 そう。何枚もの羽根の中に隠れていたのは、丸まった純白のご飯だったのである。

 ただ、塩が外部に露出し過ぎている握り飯。それがこの最強料理の正体だったのだ。

 しかし、すっかり涎を垂らし半ば野生化してしまった忍者黒人は、米が見える部位が食べられる程露出してきた瞬間、本能がままに思い切りかぶりついた。

 いくら美味とはいえ、やはり塩ばかり食べていては、ご飯が欲しくなってくるのが必然だ。

 いわばこれは、超長期スパンで行われる連続・三柱天国トリニティヘヴンなのである。というのも、まず塩の美味しさで天国のような気分を味あわせ、次にその羽根に多段に含まれている不死の力の連続拒絶反応と致死量の塩で文字通りの天国に連れて行き、最後に白米というギャップで天国のような安心感を体験させるのだ。

 だがもちろん、その米にも塩谷の不死の力が必要以上に含まれており、忍者黒人は拒絶反応に苦しみ涙を流しながらも食べ続ける。

 米も食べるようになってからは、忍者黒人が叫ぶ事は無くなった。

 しかし、キャラが定まらなくなっていた。


「うおおおああああ…………! んめえ。んめえええええ……オラ幸せ……イナカの味だあ゛……」

「いやいやいや、田舎にこんな飯があってたまるか!」


 相当錯乱しているらしい黒人に、突っ込みを入れる渋堂。

 だが、彼にとって状況は想像以上に芳しく無かった。

 塩谷始音は、これ以上無いぐらい渋堂を潰しに来ている。

 超人的身体能力を活かした妨害、必殺技の三柱天国トリニティヘヴンの使用、そして公式戦では滅多に使わないと言われている必殺料理の天界球ヘヴンズコアの生成。

 これで三つ。三柱だ。

 まさしく三柱天使トリニティエンジェルの本気である。

 渋堂我竜は、これに勝たなければならないのだ。

 しかし、彼は即座に己の料理の自信を思い出し、何とか立て直す。

 そのすぐ後に、塩谷からの追撃が入る。


「どうかな、渋堂。勝てそう?」

「嫌味かテメェ……!」


 覚悟を決めたはずの渋堂から、一筋の冷や汗。実際、それぐらい塩谷の実力は圧倒的だった。

 ちなみに、その会話の裏側では、完食した黒人忍者が地面に倒れ伏して悶絶していたという。

 短時間に現世と天国を行ったり来たりしていた忍者は、早速何かコメントを残そうとし、しかし自分の口調すら思い出せなくなってしまっていた。

 この名も無き草は、料理によって人格を粉々に粉砕されてしまったのだ。何ともまあえげつない話である。

 忍者は、地に手をついてゆっくりと立ち上がり、己の席まで戻った。

 そして、何とか自分のキャラを思い出しながら喋る。


「……この勝負、我の判定は……」

「いや誰だよオメー!?」


 忍者……渋堂からしてみれば黒人の口調が、信じられないぐらい変化していた。

 だが中身忍者黒人は、その件について触れるような事はしてこない。どう頑張っても、自分の口調はこうだったとしか思い出せなくなってしまったのだ。今の彼は、己の主の顔すらも思い出せない惨状になっていた。

 だから、何者でも無くなった忍は、何事も無かったかのように料理の味を回想し、己の意見を纏めにかかる。

 彼が事前に伝えられていたのは、この試合の点数は青天井で複数判定、というルールだ。

 つまり、点数に上限を決めずに、複数の要素を加味して闘うルールである。

 これだけは、もう事前に決定事項として組み込まれていた選手二人の希望だったので、もちろん渋堂も塩谷も納得済みである。

 参考までに、今までの公式戦青天井ルールでの平均点数は、だいたい二万九千点だ。

 項目は、味、見た目、香り、食感、工夫性の五点に、何か加味すべき特有の要素があった場合適用される特別点を加えた六点評価となっている。

 個別評価は、だいたい六千程度で超人、一つでも一万を超えれば化物だ。

 忍者は、持ち前の高速思考用忍法によってありとあらゆる可能性を模索し、そしてこれ以上無いぐらい正確な評価を叩きだした。


「……先ず味……之は一万千点!!! あの味、説明不要! まさに天界ッ! 我は満足したので此の点数だ……!」


 いきなり一万点超えである。

 これはお互いインフレーションを引き起こした結果でもあるが、それを差し引いても恐ろしい点数だ。

 ここ最近の公式戦では、まず見られない超高得点である。

 野球で言うのなら、三十年間全打席ホームランレベルの快挙だ。 

 この時点で、ギャラリーのテンションは沸騰する。

 渋堂からしてみれば、とてつも無く大きな壁だ。この時点で、渋堂は何も言わなくなる。

 だが、塩谷の快挙はこれだけに留まらない。


「見た目……一万三千点!!! その姿、天使が如く……隙の無い高い芸術性は心に浸みわたるッ! 香りッ! 九千三百点ッ! その誘いは禁断の果実が如く……ッ! 食感……八千七百点! 羽根と米の絶妙な親和性マジやべえ! そして工夫性ッ! 一万五千ッ点! よくぞ塩むすびをあそこまで昇華したッ! あの創意工夫は後世に語り継がれるべき伝説だ……ッ!」


 次々と語られる超高評価。

 数日前の渋堂ならば、もうとっくに卒倒している次元の点数である。

 確かに、渋堂と塩谷は相乗効果で点数をに引き上げた経緯があるものの、肝心の渋堂自身がその事実を知らない。全て無意識だからだ。

 だから、本来ならばここで渋堂の心が折れても不思議では無い。

 その上、更なる絶望が叩きつけられる。


「最後に……あの連続輪廻転生天界廻りについて……だが」

「ああ、僕の三柱天国トリニティヘヴンね」

「この穢れた現世では決して味わえないような神懸かり的幸福を得られた…………我は、感謝してもしきれない……よって、特別点一万八千点を贈与するッ!!!!」


 それは、通常では絶対にあり得ない点数である。

 天川照真という怪物さえいなければ、とっくに料理界の常識が覆されている程の天変地異だ。 

 龍と天使が闘うというのはそういう事なのである。

 まともに終わるはずが無い。

 そして忍者黒人は、最後に全てを纏め上げた点数を口にしようとする。

 ある意味、これが特大の絶望だろう。

 何せ、相手がどれほど高い位置に居るのかを、はっきりと纏まった数字で説明されるのだから。


「合計……七万五千点ーーーーッ!!!!!」


 それは、現代最高得点に届く勢いの、超ド級の高得点だ。

 少なくとも、ほんの十一歳の少年が出していい点数では決してない。

 まさしく、この地上を揺るがしかねないレベルの衝撃である。

 余談だが、塩谷が後に伝説と呼ばれるようになった理由は、今この点数を取ったという事実も含まれての事だ。

 揺るぎなき絶対強者。

 後の、伝説の料理人、塩谷始音。

 その実力は何処までも果てが無く、底も無い。

 渋堂は、ただ茫然と立ち尽くす事しか出来ていなかった。


「……マジかよ……」


 呟き、少し俯く。

 その様子を見て、塩谷はまたしても、人として何かを間違えたような笑みを浮かべる。

 会場に居る誰もが思った。

 渋堂我竜は、今更ながら自分の立ち位置に気づいて唖然としたのだろうと。

 山に登った人間が、ちょうど上部の断崖絶壁に差し掛かった時点で、ようやく下を見て己の位置に気がついたようなものだ。登っている時は気がつかなくても、一度下を見てしまえばその高さに恐怖を感じてしまう。

 これに関しては、観客席の甘菜や霜月も、渋堂なら乗り越えられると思いつつも、やはり渋堂は恐怖しているのだろうという見解で捉えていた。

 事実は全く違うというのにも関わらず、だ。

 誰も気づかなかった事だが、渋堂の目は、玩具屋前の男児のように輝いていた。


「……スゲェな……」

「何だって……!?」


 塩谷の眉が不快気に跳ね上がる。

 渋堂の反応が、彼の気に食わないものであったからだろう。

 だが、渋堂の抱いていた感情は、塩谷の予想を遥かに超えていた。

 渋堂我竜が顔を上げる。

 その表情に、塩谷は驚き、何歩か後ずさっていく。それほどまでの衝撃がそこにある。

 渋堂は、純粋な笑みを浮かべていた。

 顔を上げた渋堂の顔には、早く先に進もうとする百パーセントの好奇心しか無かったのだ。

 それはまるで、新しい遊び場を見つけた少年のようで、次々と今後の展開に胸を膨らませているようにしか見えなかった。

 渋堂は、目を輝かせて両拳を強く握りしめる。


「俺……ここまで高い場所まで登ってくるのには、もっとすんげー時間がかかるモンかと思ってたにのよ……まさか、こんなに早く、こんなにスゲェ……本当に凄ぇステージでお前とやりあえるなんてな…………最高だ。ありえねぇよ…………夢じゃ、ねえよなぁ……」


 これは、まだ料理が上手く出来なかった頃ですら、料理人としての高みを目指し続けていた渋堂我竜だからこそ言える言葉であった。

 目を輝かせているものの中には、涙もあった。しかし溜めるだけだ。流さない。泣くのはまだ早い。だから溢れる前に一度で拭う。男の意地だ。これは泣いているわけではない。

 渋堂は、どんな形であれずっと待ち焦がれていたステージに立てたのが嬉しいのだ。そして、そこで戦えているという事実が嬉しくて仕方が無いのだ。

 だから、渋堂は心の底から感謝する。

 ここまで連れてきてくれた男に。ここから先も、共に進んでくれるであろう男に。

 そして、闘志を漲らせた笑みを浮かべる。


「ありがとよ。塩谷始音……」


 夢はまだ終わらない。

 少なくとも、これほどまでの実力を持った塩谷と対峙している以上、まだ渋堂はこの高みに立っていられるのだ。

 この空前絶後、史上最強にして最悪の強敵に、己の料理が何処まで通用するのかを確かめる事が出来るのである。

 それは、料理人なら誰でも心躍るような展開だ。

 だから、渋堂は今更挫けない。

 力強い笑みを浮かべる渋堂の顔には、もう不安や絶望など一片たりとも残っていなかった。

 あるのは純然たる喜びと、漲る自信だけである。

 渋堂は、これで塩谷に勝てると自信を持って料理を作り上げたのだ。

 ここで折れる意味がわからない。

 渋堂我竜は、自信満々に真っ直ぐ塩谷始音を指さす。


「さあ、次は俺の料理だ。だがな。先に一つだけ言っておいてやる」


 まるで炎を吐きだす前の龍が如く、渋堂我竜は肺いっぱいに空気を吸いこむ。

 そして、己が想いと共に全力で吐きだす。


「まだ俺の番が来てねーのに勝ち誇ってんじゃねぇッ!!! 勝つのは俺だッ!!!!!!」


 二言だった。しかし、その感情は痛い程に伝わる。

 これは塩谷のような相手を見くびった勝利宣言では無い。ただの勝利への意気込みだ。

 それと、ほんのちょっとした意趣返しでもある。

 その意図はどんぴしゃりと的中した。

 異変はすぐに現れる。

 これまで多少崩す事はあれど、基本的には不気味な笑みを保っていた塩谷の表情が、急にひび割れたのだ。

 黒かった目に光が戻り、大きく見開かれる。

 それは普通に、驚いているかのような反応であった。


「……は……?」


 ぐにゃりと、塩谷の歪んだ表情がついに崩壊する。

 自らに向けられた言葉に驚きを感じつつもそれを覆い隠そうとし、すぐに笑みを浮かび直そうとして失敗したような顔になったのだ。

 それはまるで、化けの皮が剥がれたかのような印象を見る者に与えてしまう。

 今の発言が相当響いたようだ。

 いつも自分がしている勝利宣言だが、ここまで実力が切迫した相手に言われたのは初めてだったのだろう。

 それから思い出したかのように怒りの表情を浮かべるが、その目には驚きの色が隠せていない。

 だが、塩谷はそれにすら気づいていないかのような態度で、口元をひくひくと痙攣させながら言葉を返す。


「……あのさ、渋堂。勘違いしてるようなら教えておいてあげるけど、君が僕と張り合えてると思ってるならそれは間違いだよ……!」


 感情が安定していないせいか声音も不安定だ。

 しかし、その不協和音の中からでも確かに伝わってくるのもあった。

 渋堂は、塩谷の本当の声に耳を傾ける。

 塩谷は、わざとらしい笑みで、渋堂を見下すような顔をしてきた。

 だが、その挙動はどこかぎこちなく、無理矢理表情を弄った印象が拭えない。

 今、確実に塩谷の中の何かが壊れつつあった。


「……これまで君がしてきた事は、単に肉弾戦闘と、ただの早い料理作りと、僕の必殺技の丸パクリだけじゃないか……! 君はね。僕と料理で張り合ってきたわけじゃないんだよ……ッ!!」


 声が震えているのは恐れか怒りか。

 渋堂には判別がつかなかったが、その代わりに、塩谷の言葉から強く感じたものが一つだけ存在していた。


「どうした塩谷。最初の余裕はどうしたんだよ?」


 まさしく図星。

 塩谷の顔はそのように変化し、ここでついに完全に決壊する。

 今になって浮上してきたのは、わかりやすい怒りの表情。

 塩谷始音は、今の今まで被ってきた仮面を放り投げたのだ。

 これは今まで判明していなかった事実であるが、ようやくそれが明らかになる。

 それは、精神性においては塩谷始音よりも渋堂我竜の方が圧倒的に勝っている、という事実であった。

 心、技、体。

 この料理対決は、その三柱を試されるような内容であった。

 素材を奪い合う際に体――つまり身体能力を試され、料理を作るときには技――つまり調理技能を試され、そして最後に己の作った料理を最後まで信じ抜く心――つまり乱されぬ精神力を試されるのだ。

 ここで、塩谷はブレた。

 塩谷は、かつて無い程感情のこもった声で叫ぶ。その声はほんの少し泣きそうであった。


「五月蠅いっ! 君……いや、お前が変な事を言うからだよ! 僕はっ……!」

「料理人ならぁ!!!」


 だが、渋堂も負けじと叫び、大気を震わせる。


「テメェの料理に自信持って、ドンと最後まで構えてろよ。……これぐらいでへばっちまうなんて、お前それでも料理人かよ?」

「~~~っ!!! 分かってる! そんな事、言われるまでも無いよ!」


 明らかに余裕が無い塩谷。

 だが、こちらが素であると渋堂は確信していた。

 というのも、霜月と塩谷の一戦、そして今回の一戦で、渋堂は気づいてしまったのだ。

 料理対決の時、塩谷があえて対戦相手を恐れさせるよう振る舞っていた事に。

 例えば、蘇る時にあえて不気味な立ち振る舞いをしたり、常に不敵な態度をとってみせたり、時には不気味な表情を浮かべる事もあった。相手を必要以上に煽るのもその一環だ。

 何故ならば、こいつにだけは負けられないと思った相手に負けそうになる時、人は多少なりとも心に敗北の恐怖を抱きかねないからである。だから、きっと今までの塩谷の対戦相手は、途中で恐怖に心を縛られていたのだろう。霜月も終盤はそうだった。

 カラクリはそこに存在する。

 最初は、渋堂も塩谷が変わってしまったと思い込んでしまった。

 しかし、言動や挙動を追っていくうちに違和感を感じ始めたのである。何というか、渋堂が知っている塩谷と比べて「らしく無い」のだ。

 そして、今の余裕を失った塩谷の態度を見て、初めてしっくりきたのだ。これこそ塩谷始音であると。

 そこでようやく、感じていた違和感の正体に気がついたのだ。

 今までの塩谷の態度、あれはわざとである。

 これは、渋堂が心の底から言える確信であった。


「ま、落ちついて見てるんだな。俺の料理の採点を。もう料理を作った以上、俺たちは見守るしかねーんだ」

「だから、分かってるって言ってるよね!? しつこいよ!」


 そう返す塩谷の言葉は、完全に素であった。

 これにはそれなりの理由があるはずだと渋堂は考える。

 どういう意図があるのか完全にはわからないが、相手に恐怖を与えていたという塩谷の行動は、どことなく自分自身の中にある何かを隠そうとしているかのようであった。

 渋堂は推測する。

 塩谷がここまでして隠そうとしていたのは、敗北の恐怖なのではないのかと。

 そう考えれば、何をしても自分は負けないと言わんばかりのパフォーマンスにも説明がついてくる。

 そして今、ここまで圧倒的な実力を見せつけているのに折れない渋堂を見て、もしかしたらと不安を抱えているのだろう。

 そんな相手に勝利宣言をされたせいで、内心怯えているのだろう。

 だが、この男は一度完膚なきまでに敗北を知らないと駄目だろうと、渋堂は理解していた。

 だから、決着をつける。

 渋堂は黒人の方へと向き直った。


「んじゃ、そろそろ俺の用意した飯。食ってくれ」

「……ム。食べて良いのか……いや、何か話しているようだったのでな……」

「かまわねーぜ。腹いっぱい食ってくれ」

「わーい、我楽しみー」


 黒人はまだ情緒不安定だった。

 しかし、先ほどの評価を見る限り、舌の精度は高そうである。

 だから、渋堂も安心して自らの料理を差し出す。


「これが俺の、龍神焼き定食だッ!!!!」


 王道。

 渋堂の差し出した料理。

 それは一言で言えば、王道であった。ただ一点を除いて。

 王道の基準は人それぞれではあるが、塩谷のものと比べたら相当に王道である。

 その内容は、定食の名の通り、まずご飯とみそ汁が普通についていた。キュウリの漬物も添えられている。

 おかずには焼いた鮭だ。絵に描いたような定食である。

 渋堂の家は和の家系だ。それ故、こうなったのだろう。

 しかし、この料理にはただ一点だけ不可解な点が存在していた。


「……これは、何だ……?」

「龍だ」

「!?」


 縦長の大き目の皿の上には、鮭と並ぶようにして大きな「何か」が鎮座していた。

 渋堂曰く龍。どうやら料理名の、龍神焼き、とはこれの事らしい。

 それは確かに黒い龍に見えた。

 鱗のような模様を纏った蛇のような細長い体に、小さいが鋭い爪の生えた手足。駱駝にも似た頭には鹿のような角が生えており、その巨大な顎が尋常ならざる迫力を醸し出している。

 それはどう見ても龍である。一種の彫刻にも似た造形だ。

 しかし、渋堂の利用した材料の中に龍の肉など無かったはずだ。というより龍の肉など誰一人として聞いた事すら無いだろう。

 だが、渋堂は歯を見せながらの笑みで、お盆ごと料理を差し出す。


「ま、食ってみろって」

「……?」


 忍者は差し出されるがまま、その龍肉に箸を伸ばす。

 まずは、食べるのならここからだろうという判断だ。

 龍の肉は、不思議な素材で作られているようで、妙に肉質的という以外に表現のしようが無かった。

 箸を入れると、柔らかい鶏肉のように案外すんなりとちぎる事が出来た。

 内側にまだ熱気が籠っていたようで、暖かい蒸気が溢れ出てくる。

 漂ってくる香りは、焼き肉のような空腹本能に訴えかけるようなもので、自然と忍者の口内にも唾液が充満してきた。

 忍者は、思い切ってその龍の肉を口の中に放り込み、咀嚼する。


「…………!!!!!?」


 刹那。口の中で肉汁の味が暴れまわった。

 忍者も、これまで色んな料理を食べてきたが、ここまで肉らしい肉には出会った事が無かったという。

 ジューシー。その表現すらも陳腐に感じさせる程に、激しく肉厚であった。

 霜降りなど相手にならないレベルの新食感である。

 そして、異変が起こった。

 身体の奥底から、熱い何かが湧きあがってくるような感覚があったのだ。

 簡単に説明するなら、急に元気が出てきたのである。

 これは今更説明するまでも無いが、渋堂が料理に打ち込んだ生命エネルギーが、食べた側にも作用したのだろう。

 忍者の中にあった疲労が、混乱が、身体の異常が、一気に軽くなっていく。気分も良くなる。

 ここで、忍者の思考にかかっていた靄がようやく晴れた。


「……我。いや、拙者は…………?」


 塩谷の料理によって人格を捻じ曲げられていた忍者は、今完全に元に戻ったのである。

 だが、渋堂は眉に皺を寄せて「あっれー。これで異常とか治るはずなんだがなー」などと言っていたので、忍者は咄嗟に「オー! スーミマセーン! ナーオリマシター!」と主の真似をして安心させた。

 ここに至っても、塩谷と渋堂のスタンスは間逆であった。

 料理によって人に苦痛を与える塩谷と、料理によって人を癒す渋堂。

 勝つためには前者の方がいいのかもしれないが、普通に美味しく食べられるのは後者だ。

 その上、今ので異常が治ったという事は、塩谷の料理の影響力を渋堂の料理が上回ったという結果になる。

 塩谷が、酷く狼狽した顔をしていた。


「そ、そんな馬鹿な……!? あ、あり得ない……僕の天界球ヘヴンズコアの影響が……!」

「どうやら、そこんとこは俺の勝ちみてーだな。で、どうだ? 龍の肉はよ」

「メッチャオイシーデゴザルヨー! ワタシ、感動シータ!!!」

「そうか、そりゃー良かった。実はその肉な……」


 忍者は龍肉を食べた後、ごく自然にご飯が欲しくなり、そちらにも手をつける。

 龍肉の後に食べる白米は、これまた相性が良く、忍者……黒人の顔も自然に綻んでいく。

 そして、その状態のまま渋堂の言葉に耳を傾けた。

 曰く、この龍肉は、牛肉と秋刀魚とジャガイモを融合させたもののようだった。融合過程は、手順があまりにも複雑すぎて原稿用紙三枚じゃ足りないぐらいなので割愛するが、これは渋堂の創作料理らしい。複数のレシピを参考にし、ありとあらゆる事を試し続けてきた集大成がこの龍肉なのだとかという話だ。

 それが塩谷との闘いで更に昇華され、最終的に生命エネルギーを送り込む事によって完成した最強料理。それがこの「龍神焼き」だそうだ。

 渋堂曰く、それをわざわざ定食に組み合わせたのにも意味があるようだった。


「そらお前、いくら美味いおかずがあっても、ご飯は欲しいだろうが。で、味噌汁もあったら嬉しいだろ? 肉だけなら時々魚も食いたくなるとも思ったし、小休止としての漬物もやっぱあると違う。普段の食事だって、そうやってメニューが増えてくもんだろ? 俺はただ……」


 それは信じられない事に、忍者や塩谷が今まで出会ってきたどんな料理人も言わなかったような正論だ。

 恐らく、そんな事を言う料理人は、この世界に数えるほどしかいないだろう。

 だから、忍者も塩谷も何も返せない。

 そして、渋堂は言葉尻をこう締めた。


「俺が喰いたいモンをあんたに出した。そんだけだよ」


 この世界で生きていくのは難しいぐらい、真っ当過ぎる考え方だった。

 それは忍者も塩谷も、今まで考えた事も無いような思考である。

 今の料理界に必要なのは、こういう人なのかもしれない。忍者がそう思い始める。

 しかし、ここで塩谷が何かに気付いたような薄い笑みを浮かべた。

 どうやら、よほど嬉しい発見があったようだ。相当頬が引きつっている。


「そっか……でもね、渋堂。やっぱりこの勝負。僕の勝ちだよ」

「あん? そう言うなら、根拠を聞かせてくんねーか?」

「だって、審査員のリアクションは、明らかに僕の時の方が大きかった! 僕の時はもっと味の世界に没入してたからね! それに比べたら、こんな普通の食事……」

「んだよ、くだらねー。普通の飯の何がいけねーんだよ?」

「は、はあっ!? 勝つための料理はそんなんじゃなくて……!」

「だいたい、料理は優劣をつけるために作る物じゃねーだろーが。作った料理に優劣がつくだけだっつの」


 この世界のルールを壊しかねない勢いの爆弾発言である。

 料理こそが全て。そんな世界で、しかも料理の名門に生まれているのにも関わらず、何故こういう考え方が出来るのか。忍者には不思議で不思議で仕方が無かった。

 この件に関しては、塩谷も同じ疑問を抱いたような表情を浮かべていたが、何かを言おうとして何も言えなかったような間があった後、塩谷は憎々しげに溜息を吐いて背を向けてしまった。

 何はともあれ、これで忍者の食事は順調に進んでいく。

 濃厚な味わいの龍肉、米の旨みが引き立つ白米、肉の味に飽きを感じてきた頃に有り難い鮭、味の薄みがかえって爽やかな味噌汁、時折絶妙なアクセントを発揮する漬物。もちろん、食べれば食べるほど元気が湧いてくる。

 忍者の箸はどんどん進む。

 そして、最終的に。

 完食してしまった。この量全てを。

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