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HelleN! -愛情よりも大切な-  作者: パンダらの箱
「ROUTE:DRAGON」編 ~塩谷始音の前日譚~
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過去 「INFLATION:SKILL」

 試合開始から十五分が経過し、残り十五分となった。

 コロッセオの上を大きな雲が通り抜けようとしている。

 この雲が通り過ぎる頃には、もう決着はついているのだろうか。

 などと、審査員席の黒人は空を眺めて考えていた。


(……ムゥ。この状況、どう致すべきか……)


 この黒人、今は飯岳食と名乗っているが、それは全くの偽名であった。

 もちろん、顔も作り物だ。ただの変装である。

 本当の名前などとうに忘れてしまった。

 何故ならば、彼は忍者なのだからである。

 もう数年も経てば、彼は酸味系料理の名門・三ヶ峰家に養子として迎え入れられ、三ヶ峰(さんがみね)酸叉之雄すさのおと呼ばれるようになるのだが、今はまだただの名無しの草だ。

 彼が、こんな黒人風のどう見ても違和感しかない格好で、会場入りしてしまったのにはわけがある。

 本物の飯岳が本当にこういった黒人のような容姿であるため、影武者の彼としては同じ格好をする他無かったのだ。


(拙者は……本当にこんな事がしたくて忍になったのだろうか……否! 今は下積みで御座る……)


 忍者、始めませんか。

 そんな張り紙から始まった彼の忍者人生は、思いのほか苛酷なものだった。

 その苦労を語るには一日じゃ足りないぐらいであるが、それでも今の彼はまだまだ下忍とも呼べる位置づけにある。

 だが、今大事なのはそんな昔話では無い。

 この現状だ。

 渋堂我竜と塩谷始音の料理対決。その審判を、この忍が取り行う事になってしまっている。

 理由は簡単。

 主である美食家の飯岳が、食柱毒がぶつかり合うような戦場に出る事が出来ないほどの臆病な性格であるためだ。そのせいで忍者は、影武者として戦場まで連れてこられる事が多かったのである。

 最終的に飯岳は、ついに料理対決の審判という重要な立ち位置すら放棄する、という暴挙にまで出てしまった。

 その結果、そのしわ寄せを受けた忍者が、本物の審査員でもないのに審査をするという事になってしまったのである。


(だが、拙者も料理人のはしくれ……味覚判断は、主よりも優れていると自負している……)


 この忍者は、食柱毒も持っている立派な料理人である。

 詳しくは、自分とその周囲一メートルの時間だけを切り取って、コマ送りのように時間を一気に経過させるという能力を持っていた。部分的時間経過能力は、誰よりも素早く料理を作るのに欠かせないスキルだ。何せ、これを使えば煮込み時間や炒める時間を大幅に短縮可能なのだから。

 それを利用して、この忍者は最速で料理を作るというのを目指していた。

 しかし、そんな彼の目の前では、今信じられない光景が展開している。


「渋堂ォォォォォォォォォォォォォオオオオオ!!!!!」

「塩谷ァァァァァァァァァァァァァアアアアア!!!!!」


 二人の料理人が、目にも止まらぬスピードで料理を作っていた。

 その速度は、現段階の忍者よりも圧倒的に速かった。渋堂に至ってはラストスパートのせいか、序盤よりも動きが速くなっているようにも見える。

 もうお互い手を高速で動かし過ぎて、今、調理過程がどうなっているのかすらも確認出来ない。

 それでも時々見える部分はあるのだが、断片的過ぎて、何が何だかやはり理解出来なかった。

 素人が、プラモデルの制作中にパーツの一部を完成させても、一体それが何に使うパーツなのかわからないのと一緒だ。

 だいたいにして、距離があるせいで全貌すらも確認不可能である。

 渋堂と塩谷は、最早大抵の人間がついていけない領域にまで突入していた。


(まったく、何で御座るか……これは……!)


 これは、忍がこれまでの人生で体験してきた幾億もの料理対決の中でも、トップクラスの闘いである。

 こんなに気合いの入った物を採点しなければならないのか。

 流石に気が滅入ってきた忍者は、気休めに周囲の声に耳を傾ける。

 彼は、常人よりも遥かに優れた聴覚を持っており、それを利用して多くの人が望む料理を用意する事が出来るのだ。今回は、それを用いて観客席の声でも聴こうというわけである。

 忍が耳を澄ますと、女二人の興味深い会話が聴こえてきた。


「…………渋堂くん。か、勝てるかなぁ……?」

「さあ? でも、これ、それどころじゃないカモ。お互いの持ち味が合わさって大変な事になってるみたいだから」


(持ち味……どういう意味で御座るか?)


 どうやら渋堂側の客席で話しているこの女子二人組は、渋堂と塩谷の特性について何か知っているようだった。

 ちなみに、かなり距離が離れているからといって、忍は聴き逃すような愚かなミスは犯さない。

 会話しているのは、気弱そうな女子と、落ちついた雰囲気の女子の二人組だ。

 それさえわかっていれば、他に雑音がいくら混じってようと聴き取れる。忍者の武器はそれだった。


「も、持ち味って……?」

「そ。我竜自身は気づいてないみたいだけど、アイツ、実は他人の料理コピるの超上手いって知ってる?」

「た、他人の料理のコピー……? ご、ごめん。聞いた事無い……」

「アイツはバカだから、料理人は一人で台所に立つもんだ、とかバカな事言ってるけど、それがリミッターになってるの気づいてないみたいで」

「リ、リミッター? ど、どういう事……甘菜ちゃん」

「んー。そうだ、モニタ越しでもいいから、アイツの顔見た方が早いカモ」

「えっ?」


 そのような会話を聴いて、思わず忍者……もっとも今は黒人の姿だが、とにかく彼もつられて渋堂我竜の方を見る。

 そこで初めて気がつく。その動きの特徴に。

 もしやと思い、対戦相手の塩谷の方を見ると、やはり同じであった。

 忍者は逸る気持ちを抑えられずに、女子二人の会話に、より一層聞き耳を立てる。

 すると、彼の期待通りの会話が聞こえてきた。


「わ、わあっ。し、塩谷くんの方を、す、凄いチラチラ見てる…………」

「そ。あれがアイツの持ち味。んん、普段隠れてるから隠し味とでも言うべきカナー」

「ど、どういう事ぉ……? それだけじゃ流石にわかんないよ……」

「アレ、良く見ると、見た動きをちらほら真似してるのがわかるんだよね。つまり我竜は、他人の動きを見て、即座にオイシイ部分を自分に取り込める料理人だっていうハナシ。本物の天才って、多分ああいうのの事を言うんだと思う」

「ええっ……!?」

「で、これはもうわかると思うけど、対戦相手の塩谷始音も同じ才能持ってる。だから詠華ちゃんの月下氷城を、たった一度見ただけで真似出来てたってワケ。そこで本題」


 落ちついた声の方の少女は、たっぷりと焦らすように溜めに溜めて結論を出す。


「そんな二人が闘っている今、一体何が起きているんでしょうか。ってハナシ」


(「…………っ!!!」)


 遠方の少女の驚く声と、忍者の心の声が綺麗に一致し重なる。

 だが、そんな事を気にしている場合では無い。

 問題なのは、今の会話の内容である。

 お互いの技術を盗める者同士が闘ったら、相互に技術を吸収し合うという現象が起こり、最終的には果ての無いインフレーションが巻き起こる可能性すらあるのだ。

 見たところ、闘っている二人は盗んだ技術をそのまま使うタイプでは無く、必ず何らかの形で昇華させている。

 ならば、相手から盗み昇華させた技術が、相手に盗まれ更に昇華されそれを更に……といった無限ループが成立しても何ら不思議ではない。

 ちなみに、これは忍者が理解しきれなかった次元の話だが、正確には塩谷の方が他人の料理に自分なりのアレンジを加えて「上位互換」を作る才能なのだとしたら、渋堂の方は他人の技術を見て、他の知っている技術と組み合わせていいとこ取りする「合成」を行う才能なのである。

 もっとも肉眼確認が条件なので、雑誌のレシピなどが対象では発揮出来ないが、今は対象が生身の料理人であるため問題は無い。

 無論。忍はそんな事などわからない。しかし、凄さは雰囲気で理解可能だ。

 忍者は、改めてこの闘いのレベルの高さに驚愕する。

 そして遠方の少女も、どうやら忍者と同じ結論に至ったようだ。


「……そ、それ、無限ループなんじゃ……」

「果てが無ければね。でも大丈夫。あの才能は、自分が理解出来るモノ限定だから。そのうちどっちも理解が及ばない領域にまで突入して、そこで止まるハズ」

「そ、そうなんだ……」

「例えば、ウチのパパの料理なんて絶対コピーとか無理だし、たぶん一定領域までが限度なハズ。だから、お互いの限界点まで高めあった料理が出来るカモね。ただ、難点はその場限定なんだよね。コレ」


(成程で御座るな……)


 忍者は納得しつつ、審査員の立場に戻って調理過程を眺め続ける。

 が、相変わらず速過ぎて、何が何だかよくわからないままであった。この時点の忍者では、まともに捉えることすら出来ない。

 しかし、ここで分かりやすい異変が訪れる。

 渋堂我竜の右腕から、鮮血が飛び散ったのだ。突然。何の前触れも無しに。

 詳細はわからないが、筋肉が千切れ飛んだかのような出血であった。

 だが渋堂我竜は、自分の和服の袖を切り裂いて強引に腕に巻き、作業を再開させた。

 ここらで、忍者はまたしても会話が気になって、女子二人の会話に耳を傾ける。


「し、渋堂くぅぅぅぅんっ!」

「あのバカ……また食柱毒を無理な使い方して……!」


 この会話を聞いた時の忍者は理解出来なかったが、この時、渋堂は己の腕のみに生命エネルギーを充満させて超高速作業を行っていたため、腕に負担がかかり過ぎてついに出血してしまったのだ。

 もう一生腕が動かなくなってもいい、という覚悟の上の無茶だったのだが、ここまでわかりやすい負傷をしてしまえば自重せざるを得ない。

 これで、渋堂はある程度力をセーブしなければいけなくなり、かなりのハンデを負う事になるのだが、それは見ている側にはほとんど伝わらない話である。


『おおおおおおおっとぉぉぉぉおおおおおお!!!!! 渋堂選手謎の出血ぅぅぅぅぅぅううううう!!! それは自己に負担をかけすぎた結果なのかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!? これはいけないッ!!!』


 急に思い出したかのように、アナウンスが再び言葉らしい言葉を発した。

 実はさっきまでも絶え間無く話し続けていたのだが、あまりにも料理の細部を超スピードで事細かに説明していたため、一種の暗号のようになっていて誰も聞き取れなかったのである。

 なので忍者は、そんな音声など聞きたくなかったので「聞き分ける」事にしたのだ。

 聞きたい音だけを聞き、聞きたくない音を遮断するという特殊鼓膜振動忍法によって。


(それにしても、あの渋堂我竜とかいう選手……一体大丈夫で御座ろうか……)


 実際、渋堂の表情は苦々しい。

 先ほどまでより明らかにペースが落ちて、腕の動きが可視可能になってしまっている。

 対する塩谷は余裕顔で、一切ペースを落としていない。

 対照的なこの二人から察せる未来は、渋堂の敗北という結末であった。

 料理は早さだけでは無い。

 しかし、限られた時間内で最良のものを作ろうとするのなら、作業スピードは速いに越した事は無い。

 速さとは時間と同義だ。速ければ速いほど、体感時間は延びるのだから。

 これは、スピードタイプの料理人である忍者にはよく理解出来る。

 だから、ここでスピードを無くした渋堂は、残り時間のほとんどを失ったと言っても過言では無いだろう。

 残り時間。ほんの五分程度。

 そこに渋堂我竜の勝機はあるのだろうか。

 そんな会場内に蔓延した疑問に、塩谷が厭らしい笑みで応えた。


「渋堂」

「んだよ……!?」

「君の負けだ」


 塩谷始音の勝利宣言に会場がどよめく。

 確かに現状は塩谷の有利だが、だからといって勝利が確定する程のアドバンテージを得たわけではないはずだ。

 しかし、塩谷は勝つと言ってのけた。

 その表情からは、一切の偽りや誇張が感じ取れない。

 天使の異名を持つその男は、自信に満ち溢れた挙動で作業をする手を止める。調理台の上には白い「何か」が乗っていたが、恐らくそれはまだ制作途中の料理であろう。

 なのにも関わらず手を止めた。

 一歩間違えれば、油断や慢心とも取られかねない愚行。

 けれども、会場の誰もが知っていた。

 三柱天使トリニティエンジェル塩谷始音が、今から勝利を確定させるだけの何かをやろうとしている事を。

 塩谷は、調理台の上に右手を翳す。


『おおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!! 塩谷選手ッ! これは一体な』


 忍者は、アナウンスがまともな発言をしたので、その声を鼓膜が拾ってしまった事に苛立ちを感じ、五月蠅いのでアナウンスの声だけを完全遮断する事にする。

 そんな事より、これから塩谷が何をしようとしているかについてだ。

 会場の興味も、今は完全にそちらに注がれている。渋堂も、調理しつつ不安げな冷や汗を拭えていない。

 塩谷は、眼前に翳した右手に左手を重ねる。

 すると、塩谷の右手が青白く発光し始めた。それは、まるで内側から電飾で照らしているかのようだ。

 塩谷始音は、息を大きく吸って全身に力を充実させる。

 この時点で、会場に来ていた数人が気づく。これは、塩谷が必殺技を発動する時の動作であると。

 この技は、塩谷の代名詞とも呼べる技であり、彼が何故「三柱天使トリニティエンジェル」と呼ばれているかというのにも関係している技である。

 その男、三柱天使トリニティエンジェルは、不死なる力を手の平に充実させ、そして力の限り解き放つ。

 叫ぶ。

 その技の名は――――


「――――三柱天国トリニティヘヴンッ!!!」


 彼の右手から、青く蒼く碧い光が様々な方向へと迸る。

 瞬間、発光。会場内に存在するありとあらゆる視界を埋め尽くす勢いの、光の暴力。

 地上に天国が降りてきた。

 光は更に激しさを増し、この世界ごと消し去ってしまいそうな程の勢いで、何もかもを強引に包みこむ。

 世界の終焉。新しい世界の到来。

 そこに居る全ての人間が光に溶けた後、その中で再度激しい光が爆発した。それはまるで宇宙創成の光のよう。

 塩谷は、己の再生の力を先ほどの渋堂のように一点集中し、あろうことか外部へと放出したのだ。

 そして、その力を全て自らの料理に吸収させた。その結果どうなるのかは、後々のお楽しみだ。

 まだ完全に完成していない技だというのもあり、相当なエネルギーが外に放出されてしまったが、今の渋堂に引導を渡すのには十分すぎる破壊力である。

 渋堂に絶望を運ぶのは、世界を包む青く蒼く碧い光。それはまるで龍を刺し貫く聖槍。

 その状態はしばらく続き、光が収まった頃には、もう残り時間は三分を切っていた。


「さよなら、渋堂我竜」


 相も変わらず、目だけが真っ黒な白い笑顔。自信に満ち溢れた声音。

 並みの人間なら、ここで手を止めて逃げ出したくなる程の絶望。

 塩谷始音という絶望の具現がそこに居た。

 渋堂我竜に残された勝機が、ここにきて潰えてくる。

 渋堂は負傷し、高速作業を封じられ、更に塩谷に大技まで使われてしまった。おまけに残り時間三分以下ときたものだ。

 ここまで条件が揃えば、ポーカーでロイヤルストレートフラッシュを出されたようなものである。ここから逆転するには明らかに手札が足りない。

 現に、彼の眼には薄い絶望が宿っている。ここで闘志すらも折られてしまえば、もう勝負ありだ。

 詰みである。

 会場の空気もそちらに流れていった。

 もちろん、まだ実食していないのだから勝負はわからないと言う層も存在していたが、その層の中からも不安げな声が漏れてくる。

 その不安は徐々に大きくなっていき「何か手は無いのだろうか」だとか「渋堂は本当に勝てるのか」だとか、ネガティブな発言がどんどん目立っていった。忍者もそう思った。

 会場内が、渋堂の勝利を疑うようになっていく。それは、当然の結果だった。

 だが、例外も存在した。


「ま、勝つだろうね。我竜は。一度予想を外したアタシが言うと、縁起悪いケドさ」


 それは平坦な声。

 しかし確かに、龍の勝利を信じる声。

 そして、それに続く気弱な声。


「…………そ、そんな事無いよ。す、すっごく心強いよ!」

「ありがと。ま、後はあのバカが何処まで頑張れるかってハナシだね」


 会場全体が不安げな声を漏らす中、先ほどの会話の少女達は、さも当たり前かのように渋堂の勝利を確信していたのだ。

 だが、忍者もその態度には疑問を抱かざるを得なかった。

 何故ならば、現段階で渋堂の勝機など見えやしないのだ。

 ここらからの逆転はあり得ない。誰もがそう思って然るべき状況なのだ。

 それでも、少女達の声に迷いは無い。


「あのバカは、元々スピード任せの奴じゃなかったし。むしろ、ここで目を覚ませって感じ」

「……そ、そっか。そうだよね。だって、渋堂くんが作る料理はいつも……」

「そ。アイツの作る料理はいつだって……」


「「単純に、一番美味しい料理を目指していたから」」


 その言葉に、忍者も気づかされる。

 スピードをいくら活かしたところで、凝れるのは細部までである。

 もちろん凝るというのも良い事ではあるのだが、今重要なのは渋堂我竜の本来のスタイルはそういった部分に拘らない、という点にあるのだ。

 単純に美味い料理を目指すという事は、一つの料理を極めるのとは、また違った方向である。

 刀を研いで洗練さを増すのではなく、そもそも刀よりも強い武器を考えるという方向性。

 七を八や九に昇華させるのではなく、一を十にしてしまえるような劇的な要素を探す果てなき旅。

 つまり、細部のディテールに凝るのでは無く、もっと全体を利用するような仕掛けで、大きくポイントを引き上げる一発逆転戦法。

 それこそが渋堂我竜のスタイルだと、彼女たちは言いたいのだろう。

 そして、その方向性ならば残り時間が近くても、可能性が見え始めてくるのだ。


「それに、アイツの才能はまだまだこんなもんじゃないってハナシだし」

「そ、そっか……! し、渋堂くんの食柱毒はアレだもんね……」

「そゆこと」


 その会話に、ついに忍者も理解する。

 渋堂我竜の才能。

 それは他者の技術を目視する事により、一時的に模倣する事が可能になるというものだ。

 そして、渋堂の食柱毒は生命の活性化。これは、あらゆる点で塩谷始音の能力と似通っていた。

 どちらも方法は違えど死を回避可能で、それ故にどちらも常人には不可能な無茶をする事が出来る。

 つまりは同系統の能力。

 そんなベクトルの対となる相手が、今、目の前で必殺技を放ったのだ。

 それを、相手の技を盗める男が見たのだ。

 ならば、そこから導き出される結論は一つしかない。

 だからだろう。

 少女の声は、自然と弾んでいた。


「……アタシはあそこにいるバカのように、頑張って手を尽くし切った人間に頑張れなんてひどい事は言えない。でも、今のアイツのようにまだ足掻ける余地がある人間には遠慮なく言ってやる」


 一呼吸。

 そして、落ちついた少女の声は、ここにきて落ち着きを無くす。


「がんばれ! 渋堂我竜! で! 勝って来い!」


 その声は届いたか届いていないか。

 それはわからないが、まさしくそのタイミングで渋堂我竜に変化があった。

 彼は、不利な己の現状を蹴飛ばすように、声援に応えるように、リスクの高い何かに踏み込むように、力強い一言を荒々しく発したのだ。


「…………しゃあねーなぁ!」


 渋堂が、何かに気付いたように作業する手を止める。

 塩谷は、そんな彼を見て静かにほくそ笑んだ。それは勝利を確信した笑み。

 しかし、今のは部外者である忍者にもわかる。ここで勝てると思うのは間違いであると。

 恐らく塩谷は、渋堂が諦めたとでも思っているのだろうが、そうではない事は眼を見ればすぐに分かる。

 渋堂は力強い光をその両目に宿し、右手で左腕を掴み、左手を調理台の上に翳した。

 調理台の上にあったのは、何かの肉の塊のようであったが、詳しい所まではよくわからない。

 それよりも、観客の興味は渋堂の不可解な行動についてだ。だが、ほんの少し前に見た光景を思い出し、渋堂が何をしようとしているのかに気が付いていく。全てが「まさか」に変わる一瞬。

 塩谷の余裕顔に亀裂が入る。

 その瞬間。

 渋堂我竜は世界最強に近づいた。


「…………そ、それは、まさかっ……!」


 塩谷の余裕が剥がれ落ちる。

 渋堂が放とうとしているその技は、誰もが初めて見るものであった。

 しかしながら、それは未来の渋堂が大技としていつも使う技なのである。

 つまり、ただの料理人である渋堂が、未来の世界最強である渋堂に近づいた瞬間が今なのだ。

 今は誰も知らない事だが、未来人からしてみれば羨望の一瞬である。

 渋堂は、まるでゆっくり濃い息を吐き出すように、低い唸りを上げて全身に力を込めていく。

 それと同時に、彼の左手が熱したかのように赤と紅と朱の色に染まっていき、やがて乱反射のように光をばら撒いていく。

 その光は、まだ未熟だから外に溢れるものだ。

 だが、目の前の相手に多大なインパクトを与えるのには、十分な効果を発揮している。


「……嘘、だろ……それは……それは……!!!」


 塩谷は、ここにきて初めて心の底から狼狽したような声を上げた。

 その怯えは、声になって溢れでる。


「それはっ…………僕の三柱天国トリニティヘヴンじゃないか……!!!!」


 先ほど放った塩谷始音の三柱天国トリニティヘヴン

 そして、その発動時の状態が今の渋堂と酷似しているのは、誰の目から見ても明らかだ。

 だからこそ、塩谷は自分の必殺技と同じだと考えたのだろう。

 それは概ね正しい。

 もっとも、渋堂の模倣は無意識によるものなので、真似しようとして真似たわけでは無いのだが。

 しかし、塩谷の反応がよほど小気味良かったのか、渋堂はここに来て初めて必要以上に声を弾ませた。


「へえ。これ、そういう名前なのかよ。でもオメーと被るのは気にくわねぇな……だったら、こっちは天国とタメ張れるぐらいスケールでかいモン持ってこねーとなぁ!」


 これは本人しか知り得ない事だが、渋堂はただ体内に充満する生命エネルギーを外に出せないのか、と考えただけである。

 通常時にやるのが不可能でも、一度体内にエネルギーを満ちさせれば、余剰分を吐きだせるのではないかという発想だ。

 食事とは生命を糧としている。だから、モノによっては生命エネルギーが良い作用を引き起こしてくれるはずだという確信。

 それこそが、この大技誕生の秘密である。

 料理に生命の息吹を打ち込む事の出来る新しい力。


 渋々ながらと鈍重に、堂から来たりしその魔物は、我は竜と言わんばかりの咆哮で、この世の闇を一つ残らず消し去り飛翔する。


 渋堂は、歯を食いしばった笑みで、自らの全身全霊を己の料理に直撃させた。


「これが……俺の……! 三柱世界トリニティジアースだッ!!!」


 渋堂の左手から、赤く紅く朱い生命エネルギーが一気に放たれる。

 まるで手から極太のビームを放ち、それを料理に喰らわせているかのような光景。

 放つ姿はまさしく吐息ブレスを放つ龍帝のよう。それはありとあらゆる秩序を破壊する滅界の力にも見えるだろう。

 いくら相手が天国とは言っても所詮は国だ。

 だが渋堂が掲げたのは、今自分たちにのいる世界そのものの名である。つまりは星の名だ。

 スケールが違う。

 世界を背負い、ありとあらゆる障害を蹴散らし進む龍の力を持ってすれば、天国などまるで相手にならない。

 渋堂は、そのネーミングだけで勝ち誇った顔をしていたが、観客席は思いのほか名前に意識を向けていなかった。

 しかし、渋堂自身はそれに気付かぬまま力一杯最後の一滴まで己の命を赤い奔流に変え、調理台を壊しかねない勢いで吐きだし続ける。料理に入りきらなかった分のエネルギーは天へと舞うように方向を変え、まるで天へと至る柱のようになってから消えていく。その光景は、あたかも天界に向かって龍が飛びだって行くかのようだ。

 とても料理しているようには見えない神話的光景。世界が終りそうな勢いの現実離れした風景。

 けれども、光は徐々に弱まっていき、渋堂はその反動でよろめきそうになりつつも手をかざし続けた。自分の打ちだした赤い光に負けぬよう、全力で両脚に力を込め、大地に食らいつく。

 そして、最後の一瞬で大きな光が爆ぜると、渋堂はふらりと一瞬倒れそうになる。ほぼ全ての力を出し尽くしたのだ。

 が、すんでの所で踏ん張って、塩谷に人差し指を向けるのであった。


「……どうよ!」


 それに対し、塩谷始音は何も言い返せなかった。

 そして、それと同時に鳴り響く調理時間終了のブザー。

 この段階まで来ると、流石にアナウンスが聞こえないのは困るという事で、忍者はこめかみのあたりを軽く指で叩いて特殊鼓膜振動忍法を解除する。


『調理時間終ぅぅぅぅぅぅぅぅうぅぅぅぅぅうぅぅ了ッッッッッ!!!! なんて……なんて素晴らしい試合だったのでしょうッ!!!! 感動ッ! 感涙の嵐ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!』


 忍者は、音声遮断の忍法を解いた事を早速後悔する。

 あまりにも五月蠅すぎるのだ。だいたい、あたかも試合が終わったかのような口調だが、むしろ本当の勝負はこれからである。それなのに、司会がこんなんでどうするのかという話だ。

 忍は非常に嫌な気分になる。

 しかし、これから先はそうも言ってはられない。

 味による採点。そして決着。

 それらがまだなのだから、元忍者・現黒人は、そういえばとお腹に手を当て空腹度合いを確認する。これも忍法だ。

 すると、やはり相当空腹状態だったのが確認出来た。

 ならば、きちんと料理が評価出来そうである。


(……ていうか本当にアナウンスは必要なので御座るのだろうか……拙者が食事の時、コメントと混じるから流さないとかだったら、殆ど意味が無いという事になるで御座るよな……)


 忍者の懸念は当たり、アナウンスは別れの言葉を一言放つや否や、静寂だけを残して去っていってしまった。忍者としては誠に遺憾である。

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