過去 「REAL:FIGHT」
試合が始まった。
と、一般人が認識した。その直後。
渋堂我竜の立っていた地面が派手に爆ぜ飛び、その一瞬後には塩谷始音が観客席のフェンスの所まで吹き飛ばされていた。塩谷がフェンスに激突する。信じられない勢いの衝撃で、フェンスの形が激しい震動と共に思い切り歪む。
何の事は無い。渋堂が、ただ全力で加速して塩谷を殴り飛ばしただけである。
空気抵抗の膜を二重も三重も纏った渋堂が直線起動で塩谷の元まで移動し、突進の勢いそのままに拳を強く強く強く握りしめ、岩でも砕きそうな勢いで思い切り塩谷の顔面を殴り飛ばしたのだ。
結果、塩谷はされるがままに吹き飛んでいき、フェンスに直撃したというわけである。
渋堂は、殴った衝撃のせいで煙だってしまった右拳を眼前に構えたまま、じっくりと塩谷に鋭い視線を向けた。
「霜月との試合ン時言ったよな……今は、ぶん殴らねぇって。そん時の分だ」
まずはファーストアタック成功だ。
渋堂は、ずっと塩谷を一発殴ろうと思っていたのだ。そして、この闘いは妨害可であるため、ルールからして絶好の機会である。
殴らないわけが無かった。
これは結果として奇襲攻撃のような効果を発揮し、塩谷が何かする前に叩きつぶしたのだ。
開始間もなく起こった怒涛の展開に、ギャラリーも一気に湧きたつ。
まるで、ここが格闘技のリングかのような盛り上がり方だ。
『おぉぉぉぉっとぉぉぉぉぉ!!!! 渋堂選手先制ッ! 先制ッ! 先制ぃぃぃぃぃぃぃ!!!! これは好機! またとない好機ぃぃぃぃ!!! さあ、渋堂選手どうでるかぁぁぁぁぁぁあぁ!!!!』
塩谷はフェンスにめり込んでいる。一見、絶好のチャンスだ。
しかし渋堂は動かない。むしろ塩谷に対し、隙を見せないかのような仕草で構えを取り直す。
渋堂は、塩谷がこの程度で終わるとは、まったくもって思っていなかった。
そして、その予想はこの上無く正しい。
塩谷がめり込んだフェンスから、小さな金属音がした。
「……ったいなぁ。いきなり……」
塩谷は頭から血を流し、遠方の渋堂を睨む。その全身には、大量の生傷が付いていた。
殴られた時の分と、フェンスによって傷ついた分だろう。
こうして見ると如何にも疲弊しているようだが、渋堂は、塩谷の手に折れたフェンスの破片が握られているのを見逃さなかった。
もし、これで何事も無かったかのように調理に戻っていたら、即座に投擲されていた事だろう。
『むうぅぅぅぅぅぅ……!? う、動かない!? お互い、全く動かなぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!! 一体、どんな思惑が、どんな駆け引きが二人の間に存在しているのでしょうかッ!?』
響く審判の声。
しかし、実際に対峙している二人の耳には一切入ってこない。
むしろ、互いが対戦相手の意識が逸れるのを望んでいるかのようであった。
しばらく続く膠着状態。渋堂は、塩谷の一挙一動に気を配る。
だが、先に動いたのは塩谷の方だった。
塩谷は、左手に握られていたフェンスの破片を、弾丸のような速度で渋堂に投げつける。
『投げたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!? 何を投げたのでしょうかッ! アッー! アレはフェンスですッ! フェンスの欠片ですッ!!!!』
異常なまでに早口な上に、意外と動体視力も良かったアナウンサーの言葉を無視し、渋堂は襲い来るフェンスの破片を右手の甲で弾き飛ばす。
が、塩谷はその一瞬の隙をついて体勢を変えていた。
フェンスに曲げた脚と伸ばした手だけをくっつけた、まるで変形型クラウチングスタートのような姿勢。
渋堂が、急いで回避体勢をとる。
直後、塩谷が跳ねるような勢いでフェンスを蹴り、ミサイルのような加速で闘いの場へと戻ってくる。
塩谷は、さっきまで渋堂が立っていた調理スペースのすぐ傍に着弾する。凄まじい速度で地面に激突した影響で、激しい振動と共に床が砕けた。破砕の衝撃。それから、塩谷はゆらりと立ち上がった。
塩谷が着弾した部分の床は大きくひび割れており、塩谷が蹴ったフェンスは観客に被害を与えかねないぐらいねじ曲がって変形している。
だが、戻ってきた。
その派手すぎるパフォーマンスに、またしても盛り上がる会場。
『すッ……凄すぎるぅぅぅぅぅぅぅう!!!! 彼らは最早人間なのだろうかッ!!!? この超常的料理バトルゥ!!!! い、一体、一体どうなってしまうんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!』
今のアナウンスにより、会場に居る数人が「あ、これ料理対決だった」と思い出したのは別の話だ。
しかし、戦場は今それどころでは無い。
回避行動を取って床に伏せていた渋堂が起き上がるその瞬間、今度は塩谷が殺人的加速力で渋堂の目の前に出現した。
渋堂が防御行動の選択肢を脳内に並べるが、それらが実行される前に、塩谷の鋭い貫手が渋堂の身体を何度も刺し貫く。左肩、右脇腹、右側の首筋、左の太もも、喉。いずれも致命傷には至らないダメージだ。
しかしこれは、致命傷を与えようとする動作をフェイントとして織り交ぜたからこそ、初めて成立する攻撃回数であった。渋堂もそれは理解している。
だから、攻撃終盤の頃には、渋堂もダメージを覚悟で右拳を強く握りしめる。一か八かのカウンター狙いだ。
しかし、それは塩谷には読まれていたようで、渋堂が拳を振り上げた瞬間、塩谷はくるりと手早く半回転していた。回し蹴りだ。これを食らってしまえば、ダメージ覚悟の反撃を狙っていてもその思惑ごと叩きつぶされてしまう。
渋堂は、慌てて拳を叩きこみにかかるが、塩谷の方が数段速かった。
電柱が飛んできたかと思ったレベルの蹴りが、渋堂の腹にクリーンヒットする。
渋堂はその衝撃に吹き飛ばされ、自身の調理台に直撃しそうになる。が、咄嗟に拳を地面に打ち込んで軌道修正し、何とか地面を転がって砂埃を巻き上げるだけの結果で済ませた。
今ので調理台に直撃していたら、調理台が壊れてしまって、その時点で敗北が確定してしまう所であった。
『凌いだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!! 渋堂選手、凌いだぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁ!!! あ、ああ……だがッ! あああああああああ!!!! だがあッ!!! 塩谷選手が……ッ!!!』
アナウンスが聞こえ、渋堂はすぐに体勢を立て直し構えをとる。
塩谷がすぐに襲ってきてもおかしく無いからだ。
しかし、一秒の半分ほど待ってみても塩谷は襲ってこない。その間に、先ほど刺された傷は生命力強化によって塞がりつつあるが、ここまで攻撃が遅いと流石におかしい。
少しすると、渋堂の周囲に展開していた砂埃がようやく晴れ、ここで渋堂は初めて塩谷の様子を確認する。
塩谷は、料理の材料を自分の調理台の上に乗せていた。
調味料ゾーンから大量の塩を、米ゾーンから必要分の米を、渋堂が構えている間に取ってきていたのだ。
今、ようやく野菜を持ってきたようで、視線からして次は肉に狙いを定めていた。
肉は渋堂も使おうと思っているものだ。良い物を取られてしまえばその分不利になるし、全部持っていかれてはその時点で渋堂の必殺料理が作れなくなる。
そこまで追い詰められてはもう打つ手が無くなってしまう。
渋堂は、雄叫びをあげながら肉の方へと全速力で駆ける。
『塩谷選手一手リィィィィィィドッ!!!!! いやッ、一手どころか二手も三手も超リィィィィィィド!!!! だがだがだがァッ!!! 渋堂選手も負けじと追いかけるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!』
しかし間に合わない。
渋堂我竜は、客観的に自分の能力を鑑みてそう判断した。
渋堂と塩谷は戦闘スタイルこそ似ているものの、その本質は大きく異なっている。
渋堂の身体強化は能力によるものだ。
なので、素で高い身体能力を誇る塩谷よりも、幾分か出力で勝っている。
しかしながら、その差は塩谷の実戦経験によって補われているのだ。確かに渋堂も今まで色々な連中と戦ってきたが、公式戦記録を見ると、どういうわけか塩谷の実戦回数の方が明らかに多かった。
これは、渋堂が練習や日常に使っている時間を、塩谷は全て実戦に費やしているという事である。
どちらがいいという話では無く、今この場においてどちらが有利かを言うのならば、経験もあって恒久的に身体能力を持続可能な塩谷の方だろう。
それを意識しての事なのか、塩谷は渋堂がギリギリ追いつけないぐらいの位置に立っていた。
渋堂が追いかけてくるのを見越して、そのポジショニング取りをしているのならば大したものである。
『渋堂選手ッ! 追いかけるが間に合わないぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!! 無念んんんん!!!! この距離は間に合わないぃぃぃぃぃいいいいいいいい!!!』
その上、渋堂の食柱毒には制限がある。
これを用いて身体を酷使した場合、後に反動があるのだ。
それさえ意識しなければいくらでも使えるのだが、過去に死にかけた経験があるため、あながち軽視も出来ない。
無反動で使えるのは十分程度。使用時間三十分を超えれば命に関わる。故に、家族からは二十分を超えないようにと怒られている。
しかし、料理対決の時間の平均は三十分から一時間だ。どう考えても常時発動は不可能である。
だから渋堂は考えた。節約の方法を。
そして偶然発見する。
自分の能力を強化させる方法を。
修業中、そのコントロールが上手くいかずに痛い目を見た記憶があるため、この試合中は使おうかどうか迷いどころであったが、ここまで来れば使わざるを得ない。
ぶっつけ本番の一発勝負。
渋堂は覚悟を決め、走るのに必要な部位のみに生命エネルギーを充実させた。
「っけぇぇぇぇぇえええええええッ!!!!」
叫ぶ。加速。そして、世界が変わる。
景色も、体感も、何もかもがだ。
あまりにも速く動き過ぎているため、前以外全てが線にしか見えなくなったのである。
今見ている風景が、今まで以上のスピードで後方に流れていく。
速度が変われば視界と体感が変わり、それは結果として自身が認識している世界の変化という結果に繋がる。
平たい話が、渋堂の走る速度がただ神がかり的に上昇した、というだけの話だ。
渋堂我竜の編み出した節約法は、無駄な部分を省くという極端にシンプルなものであった。
つまり、手を動かしている時に脚を強化する必要は無いし、逆に脚を動かしている時に腕を強化する必要は無いわけだ。
そうして節約をしていくうちに、今やっているような身体の一部に生命エネルギーを充実させるという技能を発見し、こうして実戦投入したというわけである。
これをやる事によって、まず単純にその部位の身体能力が今まで以上に激しく上昇する。しかも、生命エネルギーの量自体は変わらずにだ。
加え、負担が心臓などと行った重要部位に直接行きにくくなるため、最悪一生下半身が動かなくなるリスクはあっても、ぽっくりと簡単に死んでしまうというリスクは無くなるわけである。
節約、部分強化、リスク軽減。
これが渋堂我竜の切り札だ。
『おおおおおおおおおおおおおッ!!!! は、速いぞおッ! 渋堂選手速いッ!!! 疾走いぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!』
これには流石の塩谷も目を丸くしている。
今の渋堂の視界は、前方以外は全て線なので、他の事実はほとんど分からない。
だが、渋堂にはその事実と目的物である牛肉のパックだけ見えていれば、なんら問題は無かった。
今ので十二分に勢いづいた。だから渋堂は大地を強く踏み締め、大胆に跳ねるように一歩を踏み出した。前方へ向けて、まるで低空飛行するかのように跳ねた。
これで目的物までは最短で届く。
ならばもう脚の強化は不要だ。解除。
そして、その分の生命エネルギーを全て両腕に回す。
牛肉も、塩谷もすぐ傍だ。
渋堂は、超亜高速で両腕を動かし構える。
『あああああああああああああああ!!!! あ、アレはッ!? アレはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああ!!!!!』
まず、左手で牛肉のパックを何枚か確保する。
次の瞬間には地面を滑るように着地。まるでスキーのターンのような要領で、強引な方向転換を行う。
そして塩谷の真正面に立つまでに、右拳を半身ごと後ろに引いて一撃装填。
それから全てのエネルギーをパンチ一発のために部分強化。
塩谷は、このスピードと方向転換に思考がついていっていないようだ。仮に対応出来たとしても、この一撃だけは止められまい。
どんな攻撃を食らおうが、絶対にこの攻撃だけは当てる。渋堂にその覚悟がある以上、妨害は無駄だ。
雄々しく叫んだ渋堂の声は、最早人間らしさを無くしており、それを喩えるのならば龍の咆哮と呼ぶべき勢いである。
貶された上に敗北した霜月の無念や、勝ってくると約束した甘菜との誓い。それから、こうしてここに立っている自分自身の想い。
この拳に乗せられているモノ全てが、今、塩谷始音へと届かんとしている。
時は来た。
渋堂は、全身全霊を込めて、右拳を半ば振り下ろすような軌跡で解き放った。
龍帝の一撃。
龍が飛ぶような軌跡で放たれたその拳は、塩谷の胸のあたりに直撃したかと思うと、そのまま勢い余って射出するかのように爆ぜ飛ばし、遠方の地面へと叩きつけた。塩谷が爆撃のような勢いで叩きつけられた場所に大型のクレーターが出来上がる。
まさに一撃必殺。
ここで一息。こうすれば武闘家のようだ。
渋堂の手には、肉を潰し骨まで砕いた感触が確かにあった。
今ので吹き飛ばされていった塩谷は、遠方のクレーターの上で、もう身動きさえもとらなくなっていた。
この一撃で、塩谷は完全に死んでしまったようだ。
『き、決まったぁぁぁぁぁあああああああああああああッッッ!!!!! 渋堂選手の重く熱く硬い一撃ィィィィィィィィィィ!!!! 会心ッ! 痛恨ッ! クリティカルヒットォォォォォォォオオオオオオオオオ!!!!!! んほおおおおおおおおおおおおおお!!!! 決まったッ!! 決まったッ!!!! 決まったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああ!!!!!』
まるで今ので勝敗が決したかのようなアナウンスである。観客の盛り上がりも最高潮だ。
しかし渋堂からすれば、ただ一種の妨害行為として、調理の邪魔をされぬよう殴っただけである。
言ってしまえば肉を取りに行くついでなのだ。
「……ま、今のうちに……だな」
渋堂は、部分強化の反動で激痛が走る身体をなんとか動かし、手に入れた肉を自分の調理ゾーンへ置くと、すぐに身を翻し食材確保を心がける。
今ので塩谷を殺してしまったのは不味かった。
まだ気絶程度のダメージならば、塩谷が目を覚ますまでしばらく余裕が出来たはずだが、殺してしまっては塩谷の肉体が再生するまでの間しか時間が取れない。
勢いで攻撃しまったせいである。
渋堂は強く自分を戒めつつも、調理に必要な食材を集めていく。
具体的には、米、味噌、秋刀魚、鮭、ワカメ、かつお節、キュウリ、じゃがいも、などなどの食材を、両手で無理矢理抱えて持って移動する。調味料の中から塩を全て持って行かれたのは痛手だが、無いなら無いで補うだけだ。
米を炊く時間や出汁をとる時間は、ここにある最新鋭の料理グッズを使えば問題ない。
だが、料理を作るまでの時間はどうにでも出来るが、塩谷始音が復活するまでの時間までもはどうする事も出来ない。
「……ああ、今のは本当に痛かったなぁ」
ゆらりと、幽鬼のように塩谷が立ち上がる。
純白だったその衣装は、度重なる出血や返り血によって、すっかり赤銅色に染まってしまっていた。
すっかり死人のような顔つきが板についてきたこの男の姿は、天使というよりは悪魔そのもののようである。
それに恐れを抱いたのか、客席から怯えたようなざわめきが聞こえてきた。
だが、相手が天使だろうと悪魔だろうと、渋堂我竜には関係の無い事だ。
必要な食材はもう確保した。
もう渋堂は調理に取り掛かるだけである。
塩谷がここで妨害してくる可能性もあるので構えだけは取っておいたが、塩谷は緩慢な動作で食材をいくつか持っていくだけで、渋堂には何もしてこなかった。
しかし、横目で恨めしく、憎しみだけは全力で主張してくる。
「あーあ。いくつか欲しいのあったのに、取られちゃったなあ……ああ。もう……」
痛いほどに突き刺さる敵意と殺意。
それにより、渋堂も迂闊には動けなくなる。
会場は、またしても塩谷始音によって黙らされていた。
あのやかましいアナウンスですら、一言も発しない。何かを察したのだろうか。
一陣の風が、息苦しいコロッセオの中を吹き抜ける。
そして、風がやんだ時、塩谷も顔を上げた。
「っ!?」
それは、渋堂すらも顔をしかめる程の不気味な表情であった。
この状況で、塩谷は満面の笑みをしていた。
眉の形も、頬の皺も、三日月状に広がる口も、全て笑みの形になっている。
だが、強烈な違和感を発しているモノが一つだけあった。
それは目だ。
これだけ笑顔なのに、唯一目だけが笑っていなかった。
それも普通では無い。
普通、目が笑っていないと表現する時は大概眉が歪んでいる状態や、視線だけが真剣であるという状態を指している事が多いだろう。
しかし、今の塩谷の場合は違った。
文字通り笑っていない。いや、それどころか目元に感情の色が一切浮かんでいないのだ。
この表情が何を意味するのか、渋堂は恐れを隠しきれない。
「……んだよ。オメー、そのツラはよ……」
「僕、ようやく思い出したんだよね」
「……何をだよ?」
「僕が、料理を始めた理由。正確には、君の誘いに乗った理由」
「…………」
渋堂が何も言えずにいると、塩谷は両手を広げてこう宣言する。
「それはね、渋堂。僕は、料理なら君に勝てると思っちゃったからなんだよ」
明らかに説明不足な台詞だったが、渋堂にはそれだけでだいたい伝わった。
昔から、渋堂の方が年上だったのもあり、基本的に塩谷よりも渋堂の方が勝っている事が多かったのだ。
これは当時、渋堂の側からはまるで気にしなかった事である。
しかし、塩谷の中ではすくすくと「とある感情」が育っていたようだ。
その感情は、劣等感という名前を持っていた。
塩谷の中の劣等感はいつの間にか大きくなり、そのうち彼の中の人間性をも歪めてしまったのだろう。塩谷にとって料理は、そのストレスを吐き出すための場だったのだ。
渋堂の中で、塩谷と再開してからの違和感全てに納得がいった。
そして、塩谷は気持ちの悪い表情のまま、言葉を続ける。
「だからさ、これで良かったのかもしれないよ。だって、今の食材不足はいいハンデだよね。そうだよね。ちょうどいいや。僕のやり方だ。いっつもそれで何人も何人も蹴散らしてきたんだ。今更出来ないわけが無いよね。うん、いいよ。これでやったけるよ。これで、倒してあげるよ。渋堂我竜。もう拳による勝負はいらない」
そこで一息。
溜めて、感情を解き放つ。
「さあ、料理で君を倒してやる。天上から……羽虫のように叩き潰してやる!!!!」
それは後半戦開始の合図であった。
食材を取り合うバトルは今のでお終いで、次は料理で決着をつけようというわけだ。
ここからが正念場だ。
渋堂は、まだ痛む全身や早鐘を打っている心臓に不安感を感じながらも、力いっぱいの笑みで応じる。
「歪み過ぎだ馬鹿野郎。いいぜ。真っ直ぐにかかってこいよ。俺は、真正面から受けて立ってやる!!!!」
そして、ついにこの二人が料理によって戦う事となった。
その後の未来で、公式戦で塩谷は渋堂に勝った事が無いと言われている。
しかし、これは最初にも説明した通り非公式戦であるのだ。
故に、勝敗は見えない。
その先の未来を知っていても、勝敗だけは最後までわからないのだ。
龍帝、渋堂我竜。三柱天使、塩谷始音。
勝つのはどちらか。
その答えを知るものは、この時代には誰一人として居ないのである。




