現代 「渋堂、死す!」
「あれ? 本人から聞いた話とだいぶ違う……」
渋堂我竜の語った過去話を聞いて、天川甘音は唖然としてしまった。
今の話は、かつて塩谷始音自身が天川に語っていた過去話の内容と、大きく意味合いが異なっていたのである。
塩谷の語っていた内容は主にこうだった。
自分は昔、渋堂我竜と友人で、料理も渋堂が理由で始めた。だけど、渋堂は強くて自分はついていけなかったので料理をやめた、と。
要約すればこういう内容であった。
確かに、今の話と照らし合わせてもだいたい間違ってはいないが、ニュアンスが激しく異なっていた。
恐らくこれから先、渋堂は強くなって塩谷すらも置き去りにするのだろうが、最初は塩谷の方が圧倒的に強かったのならば、その意味合いも変わってくる。
塩谷の言い分だと、まるで塩谷が終始追いかける側だったように聞こえるが、渋堂の話を聞く限りでは、そんな空気は微塵にも出ていなかった。
天川は、単純な疑問を頭に浮かべながら、話が一旦途切れたタイミングで質問を飛ばす。
「あの……質問いいかしら?」
「あっ、私もいいですか? めちゃくちゃあります」
一緒に話を聞いていた辛籐も、同時に挙手する。
やはり、今の話を聞いたならば、言いたい事の一つも出てくるだろう。
二人から同時に質問された渋堂は、腕を組んで一息つく。
「ま、構わねーぜ。天川のねーちゃんが先だったから、天川のねーちゃんからだな。何だってよ?」
「えっと、始音くん本人は、あなたの実力に付いていけなかったみたいな事を言ってたんだけど、それってどこまで本当なのかしら?」
「はあーっ!?」
渋堂が思い切り顔をしかめた。
見るからに心外な質問をされた、といった雰囲気の顔だ。
これには天川と辛籐も、意外そうな顔で返す事しか出来ない。
何故ならば、塩谷よりも渋堂の方が圧倒的に強いというのが、彼女らの中での前提条件だったからだ。
だが、渋堂は解せない顔のまま、額に皺を作りながら人指し指を立てた。
「いいか。言っておくがな。俺が塩谷を圧倒的に上回った事なんて一度も無いぜ? たったの一度もだ!」
「待って下さい。でも、始音さんは貴方に四度も負けているはずですが……?」
公式戦における塩谷始音の敗北はたったの四回であり、その全てが渋堂我竜によってつけられた黒星である。
ここまで圧倒されていては、実力差がかなりあると考えても自然だ。
しかし、それでも渋堂は首を横に振って否定する。
「あいつは元々鬼のように強かったし、その後も毎回パワーアップしてくるからこっちも苦戦しまくりだったっつーの。正直、毎回毎回ギリギリ過ぎて、もうどっちが勝ったのかも結構曖昧だしな。だいたい、公式戦以外だったらなんぼか復讐果たされてんぜ。俺」
「えっ……? でも始音君は一度も勝った事が無いとか言ってたわ! たしかだけど!」
「あー? そら意味わかんねーな。多分アレじゃね? あいつも変なところで拘る馬鹿だから、自分の中で勝ちカウントしてねーだけじゃねーの?」
「何よそれ!? じゃあ今まで始音君が語ってきた過去話は、全部本人の主観でねじ曲がった事実だって事!? うそー!?」
衝撃の真実である。
結局のところ、塩谷始音は渋堂我竜に、過剰なコンプレックスを感じていただけだったのだ。
だが、聞かされる側からしてみれば、劣等感で事実を変えられても困るというものである。
お陰で天川は、ほんの少しだけ、塩谷に呆れという感情を抱いてしまった。
しかし、辛籐の方は真顔で渋堂を見つめていた。
「……ですが、おかしいですね」
「何がだよ?」
「始音さんの強さについてです。私達は以前、貴方と同格と呼ばれている天川照真さんと戦いましたが、その強さは完全に始音さんを圧倒していましたよ? 貴方と始音さんが同格なら、この結果はおかしくありませんか?」
天川照真。
それは、数ヶ月前に辛籐空美と天川甘音と塩谷始音が、共に闘った強敵の名だ。
その時の闘いの内容は、渋堂も詳しくは知らない。ただ、かなり険しい闘いだったという話だけは聞いていた。
しかし、そんな話は今どうでも良い。
辛籐は単に、力関係が可笑しいと言いたいだけなのである。意識すべしはその一点だ。
これは、確かに当然の疑問だ。
けれどもその疑問を、渋堂我竜は軽く笑い飛ばす。
「ああ、天川のオッサンな。俺も、まともにやりあったら絶対勝てねーぜ、あんなの。だから、試合前にはいつも限界まで鍛え上げてたし、あと、俺の食柱毒は代償次第で一時的に超強化出来っから必ずしてたしな。そんで初めて同等だ。ま、俺も世界最強だの何だの言われてるが、あのオッサンだけは例外だっつの」
「はぁ……なるほど」
今ので、辛籐も納得したのか大人しくなる。
が、すぐに自分自身の分の質問をしていなかった事を思い出したのか、間髪いれずに再度挙手してきた。そして、それに続くように天川も挙手する。
その後の質問は、半ば雑談のようなものだった。
渋堂我竜と天川甘菜は何故知り合ったのかについての質問や、過去の辛籐についての質問や、霜月の性格が激変している件についての質問や、壊したフェンスの弁償はどうなったかについての質問など、いくつもの質問が飛び交っていく。ついには、辛籐が気弱な演技をしている時に参考にするのは昔の霜月詠華という、本当にただの雑談的な話題まで出てくる。
だが、いくら雑談を交えようと、本来の質問という目的を皆が忘れたわけでは無く、時々思い出したかのように質問が飛ぶようになっていた。
質問があるたびに、渋堂もいちいち律儀に説明こみで答えていくため、いつの間にかそれなりに長い時間が経過していた。
それに気づいた渋堂は、おもむろに提案してくる。
「そろそろいい時間だな。一旦、飯にでもすっか? 何か作るぜ」
普通の人間が言う分では、さほど珍しくも無い発言。
しかし、今これを言っているのは、世界最強と呼ばれている料理人である。
これを言われたら、並大抵の人間は、感動のあまり何も言えなくなるだろう。
だが、ここに居る二人は違った。
「いや、今日は父上のお弁当があるからいらないわ」
「私も遠慮しておきます。私の食事はいつも栄養剤なので」
「……そうか」
世界最強の男にすら恐れられる料理人を父にもつ天川甘音と、事情があってまともな食事をとる事が出来ない辛籐空美の前では、渋堂我竜の料理の魅力はあまり効果を発揮出来なかった。
これには、流石の渋堂も意気消沈せざるを得なかったという。
結局、食事はこの客間でとる事となり、天川は弁当、渋堂は冷蔵庫でたまたま見つけたオムライスを食べる事となった。辛籐は一人だけ栄養剤だ。
「……確か、このオムライスは、誰かが非常食用にって持ってきた奴だったんだよな……いつのか覚えてねーけど」
「そんな放置した料理なんて食べて大丈夫ですか? お腹下しますよ?」
「はっ、問題ねーよ」
渋堂は明るく笑い飛ばすと、左手を握りしめて、手の甲で自身の顎を拭うように撫でる。
今の言動と行動から察するに、それは食柱毒発動のための行動であった。
そして、渋堂は親指で軽くオムライスの表面に触れると、まるで拳法家のように深い呼吸を繰り返し「フンッ!」と力を入れるような仕草をする。それにより、地面が軽く震えた。
しかし、オムライスの表面にまるでダメージが無い事から、恐らく物理的に押したのでは無く、何か「気」のようなものを注入したのだろうと天川と辛籐は推測した。
結論として、それは概ね正しい。
渋堂は自らの生命力を強化する食柱毒の持ち主であり、今のは古いオムライスに生命力を撃ちこんで、まるで作りたての頃のような真新しい状態に戻したのだ。
その証拠に、先ほどまで冷たそうだったオムライスは、一瞬で暖かそうな蒸気を発するようになっていた。
渋堂は、自信に満ち溢れた笑顔で親指を立てる。
「こうすりゃ食える。じゃ、いただきまーす!」
「……っ!? 渋堂さんっ、ちょっと待っ……!」
「あ?」
何かに気がついた辛籐が制止するも間に合わず、渋堂はオムライスを口の中に入れて、呑みこんでしまう。
瞬間。渋堂の動きが完全に制止し、白眼をむいて、座った体勢のまま後ろ向きにコテリと倒れてしまった。
一体何があったのか、ここで天川もようやく気付く。
渋堂が食べたオムライスの中身が、ドス黒く染まっていて、異臭を放っていたのだ。
彼は、すぐに掬って口まで持っていったから気がつかなかったが、よくよく見ると気付かなかった事が不思議なぐらいの違和感である。
天川と辛籐は、咄嗟の事態に同じ事を考えた。
「こ、これはわたしの……!」
「こ、これは甘音さんの……!」
「「地獄料理!?」」
天川甘音にはとある才能があった。
それは普通に料理を作ろうとするだけで、口に入れた瞬間即死するという結果を生み出す「地獄料理」という存在を作り上げる事が出来る才能である。これはあくまで才能であり、食柱毒のような能力では無いという点がまた恐ろしい。
地獄料理の特徴として、異様な見た目と強烈な異臭というものが挙げられる。
今回のはかなり控えめだったが、それでも地獄料理と呼べるだけの危険な雰囲気は出ていた。
しかし、今回の問題はここに地獄料理があるという事実だけでは無く、何故ここにあるのかという点にもある。
天川は、真面目な顔で顎に手を当て思考を巡らせる。
そして、すぐに結論を出した。
「……この黒いお米は、わたしが昔作って、甘菜ちゃんにあげたモノだった記憶があるわ……!」
「ああ、なるほど。でしたら犯人探しはもう完了ですね。次は死体隠しです」
天川甘音が自らの才能に気づくまでの間、地獄料理は彼女の近しい人間に配られていた。
幸いなのは、全員本能で危険性に気がついたため、一人も食さず秘密裏に処理していたという点だ。お陰で死者が出ずに済んだ。
だが今回、天川甘音の妹である天川甘菜が、どういうわけか地獄料理を、渋堂我竜が食べるように仕向けていたらしい。状況からして、犯人は彼女しかいない。
けれども、この凶器は天川甘音にしか作れないため、これで事件になっては天川甘音の方が疑われて投獄されかねないだろう。
辛籐の一見残酷な発言は、ここまで考えた上でのものだったのだ。
しかし天川は、こんなつまらない事で世界最強の男が死んでしまった事に、深い悲しみを隠しきれなかったという。
「……って、勝手に殺すなボケぇっ!」
「「えっ!?」」
天川と辛籐は驚愕して、完全に動きを停止させる。
地獄料理を食べた人間は例外なく死ぬ。
だから、死んだはずの渋堂の声が聞こえるはずが無いのだ。
なのにも関わらず、死体であるはずの渋堂はムクリと起き上がり、オムライスの皿を顔の近くに寄せて何かを吐き出し、そのまま食器を持って部屋の外へと消えてしまった。
その信じられない光景を見て、天川と辛籐はぎこちない挙動で顔を見合わせる。
「「ゾンビ……?」」
「なわきゃねーだろーが」
「「ひぃっ!?」」
食器を片づけてきた渋堂がすぐに戻ってくる。
その様子を見て、女二人は恐怖で竦み上がってしまう。
死んでいるはずの人間が平然と立ち上がるというのは、思いのほか恐ろしい光景であると二人は再認識した。
だが、ほとんど涙目になりながら抱き合ってブルブル震えている二人を見て、渋堂は呆れたような目をした上に溜息までつきだした。
「あのな。確かにアレを普通の人間が食ったら死ぬレベルかもしんねーけど、俺の食柱毒は生命力の強化だから死なねーの。OK?」
「「ふえ……?」」
「だーかーら、いや、もっと正確に言うなら、俺の食柱毒は、俺が死にそうになった時にも自動発動してくれる性質があってな。足りない分の生命エネルギーを自動的に補填してくれっから、俺は滅多な事じゃ死なねーんだよ」
「「はあ……成る程」」
当たり前のように言う渋堂の顔には不思議な説得力があり、二人はそれでようやく納得する。
これで地獄料理を食べて無事でいられたのは、死を否定する力を持つ塩谷始音と、生を肯定する力を持つ渋堂我竜の二人になった。恐らく、完全な状態の地獄料理を食べて、こうして無事に居られるのはこの二人ぐらいだろう。
天川と辛籐は、ほっとしたように全身から力を抜いてへたり込む。
もちろん、地獄料理の制作者である天川の解放感は誰よりも大きい。
「良かったわ……殺人鬼にならなくて……」
「本当ですよ……でも、何故、甘音さんの妹が渋堂さんを殺そうと……?」
地獄料理は目に見えて分かりやすい凶器である。
これを誰かに食べさせようとする事は、銃やナイフを持って襲いかかるのと同義である。
いや、即死する分、ただの凶器やただの毒よりもずっと悪質だ。
そんな危険物を、そうとわかっていながら人にけしかけたのなら、それは立派な罪である。
しかし、その恐ろしい事実を、渋堂は豪快に笑い飛ばした。
「殺す? んなわけねーって! アイツぁ全部わかってやってんだよ。その料理のヤバさも、俺が死なねーって事もな。ただ、溜まったアレを処理したいってだけで、俺に押しつけてくるんだよ」
「それも相当酷いですけどね。でも、だったら食べなければいいのでは?」
「あー。それも考えたけど、アイツの料理は基本的に当たりばっかだかんなー。つい忘れた頃に入れてこられっから、こっちとしても無視するわけにもいかねーんだよな」
「……何というか、始音さんの時も思いましたが、命が軽いですよね。この世界」
「空美。それは言わない約束よ」
辛籐が、あまり触れてはならない事に触れそうになったので、天川が軽く諌める。
何はともあれ、本人達が満足そうならば、文句を言うべきでは無いだろう。
結局、渋堂は自分でオムライスを作り直して、自分で食べていた。
ちなみに天川家の弁当は重箱であり、中身は何故か洋菓子の詰め合わせとご飯という、嫌がらせのような組み合わせだったという。
しかし、天川は事もなさげに食べ、さも当然であるかのように完食した。
そして、食事が終わり、片付けが済んだ後、過去話は再開されるのである。
「……で、どこまで話したっけ?」
「始音くんと戦いの約束を取り付けるところまでよ」
「そうか。じゃ、料理対決が始まるまでの事をざっくり話すとだな。絶対勝つために、俺は修業したんだ」
「修業、ですか……?」
「ああ、渋堂家に代々伝わる『龍帝の門』と呼ばれる修行場があってな。そこで命を落とした連中が何人もいたって話の場所だ。んで、そこを抜けてパワーアップして、俺は塩谷との戦いに臨んだわけでな……」
「それ、凄まじい修行場という話なのに、随分あっさりクリアしたみたいな言い方よね」
これは、天川がふとした気持ちから放った言葉である。
しかし、それに対する渋堂の目は真剣そのものであった。
「いや、結構厳しかったぜ。実際、何度も死にかけた。修業内容は一族の秘密だから言えんが、マジでキツいぜ。お前らも家の修業場を甘く見ない方がいいぜ。俺は、正直見くびってて痛い目見た」
「でもそれ難易度ハードモードの話ですよね? 辛籐家のイージーモードは簡単すぎて驚きましたよ」
「えっ?」
唐突に辛籐が変な事を言い始めた。
もちろん、その場に居る誰もが理解出来ない内容である。
これには、天川も渋堂も目を丸くする他無かった。
「なあ、辛籐。イージーモードとかって何だ?」
「修業場の難易度ですよ。もしかして知らないんですか?」
「いや、知っているとかそれ以前に無かったぞ、渋堂の家には。多分それ、お前のとこだけじゃね?」
「……えっ?」
「父上が前に修業場の話をしてたけど、そんなゲームみたいな難易度設定の話はしてなかったわ。やっぱりそれ、辛籐家特有のシステムじゃないかしら?」
「ええええええ!? そんな、嘘ですよね…………こうなったら、きっと、始音さんなら理解してくれるはず!」
「落ちつけ! あいつは五味グループでも無ければ料理人の家系でもねーぞ! あいつの家族で料理人はあいつだけだ!」
錯乱し始めた辛籐を、渋堂が止める。
この時、今更ながら渋堂の胸中には一つの疑問があった事を、天川も辛籐も知らない。
それは何故、この二人は塩谷を下の名前で呼んでいるのかについての疑問だ。
ただ天川に関しては、妹もそうだが、あまり名前の上下に拘らないどころか、基本的に面と向かった相手は下の名前で呼ぶスタイルという、例外中の例外なので問題は無い。
だが、辛籐は明らかに違う。これはどういう事なのか。
と、渋堂がそこまで考えた矢先に、天川が大声で仕切り直しの声を放った。
「とーにーかーく! 過去の話だけれど、そろそろ語ってもらってもいいかしら?」
「……すみません。取り乱しました」
「ああ、なんか、俺もすまん。そんでな……まあ、間は特に話す事もねーから、時間は対決の時まで飛ぶんだが……」
再び、時系列は過去へと舞い戻る。
龍と天の激突。その瞬間へと。
決別の時は、近い。




