現代 「龍帝、登場!」
料理。それは人の空腹を満たす存在。
料理。それは人の心を魅了する存在。
料理。それは人の魂を救い出す存在。
だが、料理はそれ故に、世界を支配しかねない危険性を孕んだ存在である。その事実に、一体どれだけの人間が気づけたであろうか。少なくとも気づいた人間がいたという公式記録は無い。
だからだろう。
それらを作り出す料理人が世界を牛耳るまでに、そこまで長い時間はかからなかった。
料理人達が、作り出した料理の人心掌握能力によって、この世を支配してしまったのだ。
今では、総理大臣よりも天皇よりも大統領よりも、実力のある一部の料理人の方が遥かに偉い存在となっていた。
世界は料理によって変わったのだ。
そして、これは世界最強の料理人の物語である。
「……んで、何の用だってんだよ? 単にヒマ潰しとかじゃねーだろうな」
和風の屋敷。
その一角にあるだだっ広い客間、つまりは広い和室にその男は居た。
畳の上で胡坐をかいている、紺色の和服を纏った筋肉質な男だ。和服には龍の刺繍が入っている。
彼こそが世界最強の料理人であり、この屋敷は彼の自宅だ。
彼は、逆立てある髪を荒々しく掻きながら、鋭い眼を細めて前方を睨みつける。
対象は、目の前の客人だ。
だが当の客人は、世界最強の睨みを受けて、それでも微笑みを浮かべ受け流してくる。
「そんなわけ無いじゃないですか。それに、本当に暇ならわざわざこんな退屈な屋敷まで来ませんよ」
客人は、長い黒髪を左右で結んでいる小さな少女であった。
見たところ幼そうな印象を受ける少女だが、容姿にそぐわぬ鋭すぎる目つきと、身に纏っている黒いスーツが彼女の自立性を証明している。
現に、世界最強の男とこの客人はほとんど同い年である。
そんな客人であるこの少女の名は、辛籐空美という。
辛籐は、決して愛想の良いとは言えないような目で、世界最強をじっくりと見据えてくる。
「別に大した用ではありません。ただ、貴方に聞きたい事がありましたので」
「んだよ?」
世界最強は眉をひそめる。
彼と辛籐は家ぐるみの付き合いだが、当の本人同士はほとんど会う事が無かった。
故に、こうして話す場が用意されたという事は、何かがあるという事に他ならない。
もっとも今回は、辛籐が仕事についての話をしに来たついでに、世界最強に聞きたい事があると言ってここまで来たというわけだが。
なんにせよ、平穏無事な空気では無いのだけは確かな事実である。
辛籐は、ほんの少し緊張した面持ちでこう告げた。
「貴方は、塩谷始音という人を覚えていますか?」
「……!」
世界最強は、隠しようも無く動揺する。
何故ならば、その名は彼の友人の名だからだ。
だが、全く予想外の話題というわけでも無い。
この辛籐という少女と塩谷という少年は、同じ料理店で働いているという話を、彼は事前に聞いていたからだ。
だから世界最強――渋堂我竜というこの男は、力強い笑みを浮かべて質問に答える。
「もちろん知ってるぜ。たりめーだろ、俺があいつを忘れるわきゃねー」
今、話題に出ている塩谷始音という友人とは、何度も料理対決で戦った仲である。その事実を渋堂が忘れるわけが無かった。
何せ塩谷は、世界最強と呼ばれた渋堂我竜の、数少ないライバルとも呼べる存在だったからだ。
それにしても、と渋堂は思う。質問者の辛籐と、塩谷は同じ店で働いているはずだ。
だったら、どうして本人に直接確認しないのか。渋堂にはそれが疑問でならなかった。
そのせいで、渋堂の眉間に皺が寄せられていく。
「で、それが何だってーんだよ。なんでわざわざ俺に聞く?」
「いえ、単に好奇心です。本人は語りたがりませんし。出来れば、過去話のひとつでも無いのかなーと思い聞いてみただけですよ。ね、甘音さん」
「そうよ! その通りよ!」
「!?」
渋堂の背後から突然声がした。
彼が慌てて振り返ると、そこには紺色の制服に身を包んだ、長い茶髪の少女が居た。
どうやら客人は二人居たようだ。
そして、理由は全くわからない上に、いつからなのかもわからないが、これまで渋堂の背後に隠れていたらしい。
けれども渋堂の背後には、ほとんど何も無いスペース広がっているだけで、隠れられそうな場所は何処にも無い。意味不明である。
加え、その少女は、渋堂の知らない人物であった。
「うわ、びっくりすんな! 居るなら居るって言えよ! ていうか誰だお前!?」
「わたし? わたしは天川甘音よ! 父がいつもお世話になってます!」
「父……? ああ、天川のオッサンか……おう」
どうやらこの天川甘音という少女は、渋堂の知り合いの娘だったようだ。
振り返ってみれば、塩谷と辛籐と共に同じ料理店に勤めている、という話を聞いた事があった。
だから、辛籐と共に来ている事にも得心がいく。
だがやはり、渋堂の背後に隠れていた事に関してだけは本当に謎である。
それゆえ、渋堂もそれなりに質問をしなければ気が済まなかった。
「で、いきなり背後から出現したっぽかったけど、一体何処に隠れてたんだよ?」
「あ、それは私の食柱毒で天井に張り付けていました」
「はあ?」
食柱毒。
それは腕の立つ料理人なら、誰でも持っている特殊能力の事である。
「食」によって進化した人間のみが使える、天へと続く「柱」のような神秘の力。しかし使い方を誤れば己の身を蝕みかねないという「毒」を孕んだ超常的能力である。
辛籐の能力は念動力だ。
それを用いて天川を浮かせていたのだろうと、渋堂は渋々ながら納得しそうになる。
が、何故浮かせていたのかだけが解せなかった。
「いや、何でそんな意味わからん真似してんだ!?」
「超恐かったわ」
「正確に言うと、私の能力では人一人持ち上げるのは重量制限に引っ掛かってしまうので、服を利用したり色々大変でしたよ。でも、そんな事より……」
渋堂の胸中にはいくつもの解せない疑問。
なのにも関わらず、辛籐はその件には一切触れずに話を進めようとしてきた。
「兎にも角にも、私達に塩谷始音さんについて話をしていただけないでしょうか? でないと、こんな何も無い屋敷まで来た意味がわからなくなります」
「ナワバリの話しに来たんじゃねーの?」
現代では、料理店があまりにも増えすぎたため、一部では縄張りを決めて不可侵条約を結んでいるところもある。
そして、渋堂は自分の系列の店を多く持っているため、相手や場所によっては縄張りを広げたり狭めたりしていた。
渋堂と辛籐は、同じ五味グループという組織に属している人間だ。五味グループとは、五つの料理人の家系同士が手を組んだ同盟であり、渋堂、辛籐、天川、霜月、三ヶ峰という料理の名門ばかりがその名を連ねている。
ここにいる天川甘音の父と、渋堂に面識があるのもそのためだ。
そして、五味グループには相互不可侵条約が結ばれており、その間の縄張りに関してはかなりデリケートな物になっているというわけだ。
辛籐は最初、その話をしにきたはずである。
が、その話はもう終わったと言わんばかりに、辛籐は首を横に振って否定した。
「どうでもいいですあんなの。実家に頼まれただけですし。だいたい人を勘当しておいて、こういう時だけ頼ろうって精神がもう腐りきってますよね。蛆虫の方が遥かに上等だと思いません? 当然、全員に頭を下げさせましたよ。本当は土下座でも良かったんですがね」
「あー。そーいやお前、家追い出されてたもんな」
辛籐は、とある料理対決で負けたのをきっかけに、実家から勘当されていたのだ。
なのに、こういった縄張り問題の時だけ頼られるという事は、それだけ彼女の能力が辛籐家に欠かせないものだったという事実に他ならない。
絶対勝利を理念に掲げる辛籐家にそこまでさせる辛籐空美は、やはり有能だという事を渋堂は改めて実感する。
だが、そんな渋堂の関心などまるで眼中に無いかのように、辛籐と天川は思いっきり顔を寄せてくるのであった。
「私の本題は、貴方と始音さんの過去話です。正直、もの凄く気になります。ぶっちゃけ、話してくれそうなの貴方しかいないんですよ」
「その通りよ! だからお願い! わたしもすんごーく気になるの」
正直、縄張り問題は、ついでで済まされるほど軽い問題では無いはずなのだが、この二人は一切気にしていないようだった。
その真剣な眼差しに射抜かれ、渋堂も仕方ないと言わんばかりに溜息を吐き捨てる。
ここで一人だけ真面目に考えていた自分が馬鹿らしく思えてきたのだ。
だから、渋堂は強く笑みを浮かべ、この流れに乗っかかる事に決めた。
「……ま、そこまで頼まれちゃしゃーねーか。別に、渋る話題でもねーしな」
考えてもみれば、これは渋堂側からも、連絡の途絶えた友人・塩谷始音の話を聞くチャンスである。
それに、この話題を人に話した事はほとんど無かったが、彼としては悪い思い出でも無いので、単純に語りたい気持ちがわいてきたというのもあった。
だから、渋堂は回想を始める。
塩谷始音と渋堂我竜の戦いの記憶を――――




