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HelleN! -愛情よりも大切な-  作者: パンダらの箱
「ROUTE:SWEET」編 vs神
34/98

停止 -太陽はいずれ沈む-

 辛籘空美が意識を現実に戻すと、天川甘音と天川照真はまだ口論をしていた。


「だいたいさー。僕ちんは甘音ちゃんにね……」

「父上は何もわかってないわっ!」


 よくわからないが好都合である。

 辛籐空美は、塩谷始音に指示を飛ばす。

 まだ塩谷が立ち直っているかどうかは分からない。

 こちらの思惑には気づかず、あまり精力的に行動してくれないかもしれない。

 しかしそれでも、ただ信じて叫ぶ。


「始音さん! 食材、お願いします! 私のTHE END OF ROADの分と、甘音さんのは……なんか料理作れそうな適当な食材四つで、それで始音さんのはお任せしまーーーーーーーーーーーーーっす!!!!」


 そして当然、想いは届く。


「了解」


 叫ぶ辛籐の背後から、超高速の少年が飛び出す。

 その動きは一直線に、冷蔵庫の方まで瞬く間に駆けていく。

 塩谷始音は葛藤を振り切り、辛籐から想いのバトンを受け取って爆走した。

 しかし、その様子を見た天川照真は心底楽しそうに笑う。


「無駄な事を……」


 そう鼻で笑って、天川甘音との口論を打ち切り、調理台の前に右手を翳す。

 得意の一秒料理だろう。

 しかし、その手品のタネはもう割れている。

 だから、そんな滑稽なマジシャンを、辛籐も鼻で笑い飛ばしてやった。

 すると、明らかに不快そうな顔を浮かべられてしまう。


「辛籐ちゃん……何を調子乗ってるのかわからないけど、僕ちんの一秒料理の前には何をしても無意味だよ」

「御託はいいです。さっさとやればいいじゃないですか」

「フン。後悔して、泣かないでよ辛籐ちゃんッ!!!!!」


 天川照真の周囲に、四つの黒い球が等間隔に出現しようとしていた。素早く、形をはっきりとさせていく黒い靄。

 これが完全に出現してしまえば、また一秒で料理を作られてしまう。

 だが、辛籐空美の読みが上手く当たれば、何とか出来る可能性が出てくるのだ。

 そのために辛籐は、とある技を使わなければいけないわけだが、もう使う覚悟は出来ている。

 こればかりは、辛籐も禁じ手としていた大技だ。

 あまりにも卑怯すぎるからというのと、そもそも一対一では使う機会が全くないという事で封印していた技。

 しかし、もう選り好みはしてられない。

 辛籐はその封印を解き放つ。

 右手を天川照真に向け、ターゲットを完全に捕捉。

 そして、発動する。


「広大なる道の前に、ただただ立ち尽くして可能性を食らい潰してください…………えっと、完全拘束!」


 何気に格好つけたがる節のある少女は、何か技名をアドリブで考えて失敗した。

 だが、四つの黒い球が完全に出現しきる前に、何とか発動する事が出来た。

 その名の通り完全拘束完了。これで勝利がぐっと近づく。

 技の理屈は簡単である。

 辛籐空美の食柱毒の念動力は、自分の身体の動きと対象物の動きをリンクさせる類のものだ。

 ならば話は簡単だ。対象を捕捉し、後は自分が動かなければいい。

 辛籐の念動力は、捕捉数と精密動作特化であるためパワーはほとんどないが、相手の全身の力点をピンポイントで抑えてしまえば話は別である。

 天川照真は、手を翳した体勢のまま固まる。

 その表情は苦々しい。一秒料理は、いくら待っても出てこない。

 辛籐空美はその様子を満足げに見て、咲くように微笑む。


「どうしました? もう一秒過ぎましたよ」

「~~~~~~~~ッ!!!!!!」


 辛籐の読みは当たった。

 辛籐の中で最後まで消えなかった疑問。

 それは何故、一秒料理を召喚する「前」に黒い球が出現するのか、という疑問だ。

 未来で料理を作り、他の全てを過去に戻すのならば、時間を反転出来る黒い球を先に出す意味は無いのである。

 未来で黒い球を発動し、それを用いて戻ってくるだけでいいのだ。

 しかし、そうなると客観的には、料理が出現すると同時に、黒い球が出現するように見えないとおかしい。

 ならば何故、先に発動していたのか。

 辛籐はそれをこう推測した。


「やっぱり、録画的なアレだったんですね」

「……なんの、事かな……?」

「貴方は料理を作ってから、自分と料理以外の、周囲の時間を戻していた。だから料理は一秒で完成したように見えたんです。ですが、どうやら戻れるのは、その黒い球が出現した時間までのようですね。録画した番組は、録画前の時間まで巻き戻せない。貴方のその黒い球は、いわばRECマークだったんですね」

「……くっ、そこまで見抜いてッ!!!!?」


 己の能力を見抜かれた事に対し、天川照真は驚きを隠せないようだった。

 もし辛籐の読みが外れて、時間を自由に戻せるのならば、辛籐の拘束に意味は無い。

 拘束する前の時間に遡り、後は拘束を回避すればいいのだから。

 しかし、辛籐の読みが当たった現状ならば話は別だ。

 まず拘束された状態ならば、単純にいつまで経っても動けないので、未来で料理を作る事がまず出来ない。

 それでいながら、どの過去に戻っても、拘束された状態からスタートする事に変わりはない。

 人形を出せば、拘束されつつも攻撃は可能だが、そうする場合時間操作球を引っ込めなければならない。黒い弾丸に関しても同様だ。

 完璧な攻略法である。

 不落城は、何があっても揺らがぬから不落城なのだ。

 それと同等に、不落嬢も揺らがない。

 加え、ブラフを撒くのも忘れない。


「これで、貴方の能力である時間遡行は封じました……貴方は食柱毒を複数持っているようですが、同時に使う事は出来ないようですね。言っておきますが、今、貴方は動けないので能力発動動作も封じられていますよ。さあ、どうします?」


 天川照真の能力は、複数ではなく一つを応用している形になるが、あえて勘違いしたフリをする。

 反転には気づいていないという露骨なアピールだ。

 そうでないと味覚反転を使ってもらえないからだ。

 天川照真の表情が苦悶に歪む。

 だが、やはり辛籐の予想通りの結果になる。

 天川照真が笑う。


「はは……そんなんで僕ちんの能力を見切ったつもりになってたのかい? 勘違いも甚だしい。一個だけ教えておいてやるけど、僕ちんの能力は全て共通のモノなんだよ。だからもう能力発動動作は満たしている……後は、若干遅くなるけど、全部! 心の切り替えだけで! それを手伝う言葉だけで!」


 天川照真の傍に浮かんだ黒い球が霧散し、黒い靄となる。

 その靄は一点に集まっていき、人型に変わっていく。おそらく、空気中に微量ながらも存在する流れを一斉に反転させ、空気を靄の内側に集中させているのだろう。まるで風船を膨らますように。

 天川照真は、やはり軽薄な笑みで辛籐を見下してくる。


「モード高天原解除。モードチェンジ……モード偶像ッ!!!」


 人型の靄が弾け、天川照真に酷似した女性型の姿へと変わる。

 相も変わらず穴が二つ開いただけの不気味な顔で、人形は、信じられないほどの速度で辛籐に向かってくる。

 だが、辛籐の目には、一切の恐怖が浮かんでいなかった。

 何故ならば、その視界に映ったものがあったからだ。

 塩谷始音。

 辛籐の元へと超速で迫ってくるその少年は、走ってくる勢いそのままに跳ね、勢いよく人形を蹴り飛ばした。

 一直線の飛び蹴り。

 人形は為すがままに吹き飛び、地面を何度も跳ねまわっていく。

 蹴った少年、塩谷始音は空中で体勢を整えるよう、ひらりと一回転してから危なげなく着地し、憎々しげに呟いた。


「へえ、速いね。その人形」


 それは、塩谷がかつて人形に腕を掴まれた時に言われた言葉だ。

 悔しかったので、そのまま返してやったというわけである。

 そして、狙い通り天川照真は怒りと困惑で顔を歪めていく。


「……そ、そうだ! 僕ちんの人形は速いんだ……! な、なのに、何故……何故対応出来る!?」

「悪いけど、僕より速い相手と闘ったのはこれが初めてじゃなくてね。ようやくコツが掴めたよ」


 塩谷始音は、何かを思い出すかのように上を向く。

 身体スペックで負ける事はあっても、彼には並外れた経験値がある。

 それが長期間のブランクで上手く発揮出来なかっただけで、身体が馴染んできた今ならば容易に対処可能だ。

 途中で加速も出来ない人形など、よくよく考えれば対応しやすい事この上無い。

 が、塩谷は急に何かに気がついたように辛籐の方を見る。


「て、いうか! 危ないよ辛籐さん! 僕がもう少し遅かったら……」

「間に合いますよ」

「へ……?」

「だって、私が信じた始音さんですから」


 辛籐は己の直感と思考だけで、あの無茶な作戦を実行したのだ。

 その際に、ほとんど勘で塩谷はいけると判断したのである。

 塩谷が食材持ってきて、置いて、それから助けてくれると。そこまで考えていたのだ。

 だから、辛籐からしてみれば計算通りなのだ。

 しかし、言葉の意味は塩谷には伝わらず怪訝そうな顔になってしまう。


「急に何言ってんのさ?」

「別にわからなくてもいいですよ。そんな事より……天川照真の能力がわかりました」

「えっ?」

「あのですね」


 塩谷の顔を引き寄せ、口を寄せる辛籐。

 天川照真には決して聞こえぬよう、手早く要点だけを耳打ちする。

 そして、ちょうどだいたい伝え終わった時。

 遠方の人形が再びゆらりと立ち上がる。

 闘いはまだ終わらない。

 そして、天川照真が盛大な叫び声をあげた。 


「力よッ!!! もう一度僕ちんの中へと戻れッ! モード天岩戸あまのいわと!」


 瞬間。人形は黒い靄へと姿を変え、天川照真の中に入っていく。

 これは今までに見せた事の無いパターンだ。

 流石に、これは辛籐も想定していなかった状況である。

 人形を取りこんだ天川照真は、重々しい笑みと共に復活した。


「こればっかりは、ホント、やるつもり無かったんだけどね……でもこのままじゃ流石の僕ちんも困るし、何でもアリになりそうな反則技でも何でも使ってやるよ……!」

「い、一体なにを……えっ!?」


 辛籐の腕が、本人の意図とは全く無関係に動いた。

 前を見ると、天川照真も普通に腕を動かしている。

 これは絶対ロクでもない現象だ。

 辛籐と塩谷が警戒していると、天川照真が、半ば瞳孔が開きかけている目で睨みつけてくる。


「本ッ当に使うのヤだったんだけどね……! このモード天岩戸は守りの力。だから僕ちんに降りかかる災悪から守ってくれるのさ。詳細は言わない。ま。何を言っているのか理解できないと思うけど、今、念動力を僕ちんが辛籐ちゃんに使っている形になる」


 能力を知っている辛籐には、全ての事情が理解出来る。

 つまり、天川照真の「モード天岩戸」は迫りくる力を反転させて防御する事が可能で、今回は辛籐の念動力のエネルギーの流れを反転させたのだ。

 反転とは言っても、単純に跳ね返すのではない。正確に言えば、逆流させた。

 その結果、念動力の力は天川照真から辛籐空美に向かう形となる。

 早い話が、制御権の逆転だ。


「「…………っ!!!」」


 それは、反則一歩手前の使い方だった。

 天川照真は、国から禁じられている本気を解放する一歩手前まで来ていた。

 本来、そこまでこの男を追い詰めた時点で、もう勲章モノである。

 しかし、今回は勝たなければいけない。

 HelleNの存亡を賭けて、絶対に勝たなければならないのだ。

 けれどもそれをあざ笑うかのように、天川照真は次々と状態を進めていく。


「念動力の制御権は僕ちんにある。だからまず、能力解除」


 天川照真の身体と、辛籐空美の身体が自由になる。

 が、能力の支配権を奪われた反動か、辛籐は頭を抑えてへたり込んでしまった。

 これでもう天照大御神を止める者はいない。

 それから、天川照真はまたしても調理台に手を向けて叫ぶ。


「そして、モード高天原ッ! 一秒料理発動ッ!!!!!」

「「なっ……!」」


 天川照真を取り囲むように、四つの黒い球が等間隔で出現。

 今回ばかりは間に合わない。

 発動。出現。

 天川照真の手の前には、今度は、黄色い変わった形のケーキの乗った皿が置かれていた。

 何の捻りも無いようだが、勾玉状のチーズケーキだ。

 これも恐らく、天川照真の「三種の神器」のうち一つだろう。

 そして、塩谷達が何かアクションを起こす前に、天川照真は霜月にケーキを贈呈してしまう。

 八尺瓊勾玉やさかにのまがたま風チーズケーキ。

 霜月は待ちわびたといった表情で、皿を掴んで一気に口の中へと放り込む。

 貫禄の一口。長い咀嚼。

 頬が桃色に染まっていく至福の表情。

 そして、口の周りにスポンジをくっつけた霜月は、だらしのない、気の抜けた笑みで告げる。


「えへー、94点…………」


 打点は更に上昇していた。

 これで291vs436だ。

 あまりにも絶望的な点差である。残り70点足らずで負けてしまいそうな絶望。

 天川照真は残り一品で決めてくるそうだが、ここまでこんな高得点を記録した彼がこんなところでしくじるわけが無い。

 ここで塩谷達も本格的に動き出そうとする。

 が、天川照真はあろうことか更に、絶望の上塗りを行ってきた。

 自由になった両手を振りおろし、力の限り叫ぶ。


「よし……そして後は……貫けッ! 高天原の裁きよッ!!!!」


 天川照真の攻撃は続く。

 黒い靄が天川照真の身体から溢れ出してきて、徐々に球体をかたどっていく。

 食材に対する味覚反転を行うつもりだ。

 これでこちらの点数を下げられては、圧倒的に不利になる。

 というより、天川甘音以外で点数を取れなくなってしまえば、勝てなくなるのだ。

 なかなかに絶望的な状況。

 味覚反転発動までには多少時間がかかる、が、一度発動してしまえば一瞬だ。

 しかし、ここで思わぬ出来事が起こる。


「わー! ちょっと、どいてどいてー!」


 それは、単なるアクシデントだった。だから、これが大きな綻びになるというのは、誰もが気付かなかった事実である。

 天川甘音が、何やら桃色のモアイ像のような何かを皿に乗せ、塩谷達の方へ走ってきたのだ。

 どうやら彼女は描写されていなかった時間の間、ずっと料理を作っていたらしい。

 しかし、作った物は想像以上に危険だったので、捨てようとしたのだろう。


「ちょっとゴミ箱に行きたいの! そこよけてーーーーっ!!!」

「何やってんのさ天川さん!」


 見たところ、料理の手順を間違えたようだ。

 とはいっても、彼女の料理は料理の原型を留めていないため、一体どこをどう間違えたのかは不明だったが、とにかく間違えたのなら危険である。

 食べた者を、速やかに死へと誘う地獄料理バージョン1「地獄送り」は、間違っても審査員に出せるものではない。それをやってしまうと殺人罪になってしまう。

 だから捨てようとしたのだろう。もちろんそれは「持ってきた食材は必ず使わなければならない」というルールがある以上反則だ。途中参戦の天川甘音はそれを知らないのだから、こんな行動に出たのだろう。

 止めるしかないが、もうどうする事も出来ない。

 この料理には三柱天国トリニティヘヴンを撃ち込み、死なないようにするしか無いだろう。 

 これは大幅な時間のロスではあったが致し方ない。

 だが、ここまでは問題無かったのだ。まだ巻き返せるチャンスはあったのだ。

 しかし、事態はそんなところで収拾などしなかった。


「あっ、ちょっと始音くん!」

「えっ!?」


 天川甘音が即死料理を手に持ったまま、塩谷のそばで足をくじいたのだ。

 それにより、彼女の料理が宙に浮かんだ。咄嗟の事だったので、塩谷はそれに反応する事が出来ない。

 そうして、最悪の事態が起こった。


「へぶっ!」

「し、始音くーん!?」


 皿を離れて宙を舞った虹色の物体が、なんと塩谷の顔面に直撃したのだ。口の中にも入ってしまった。これはもうどう考えても即死コースだ。

 塩谷始音が、ばたりと後ろ向きに倒れる。

 彼は不死の力を持ってはいるが、復活までには時間がかかる。そして、余裕の無くなってきた天川照真はその隙を逃しはしないだろう。


「ちょっと何してるんですか甘音さん!」

「ご、ごめんなさい……」

「ふう、運の悪い奴だね……ま、これで君たちも終わりだ」


 薄れいく意識の中、塩谷が聞いたのはそれらの言葉だった。

 三人ならば勝てると思った矢先にこれである。

 ルールに関しては、これは味見の一環で誤って食べきってしまったと言い訳するしかない。が、そういう問題では無い。

 塩谷始音が復活するまでに時間がかかり、その間に勝負がついてしまう危険性がある事に、問題があるのだ。

 彼は何とか無理にでも身体を動かして戦いに戻ろうとするが、もう死にゆく身体は言う事を聞いてくれない。視界が消え、音が消え、匂いも消え、口内の不快感も消え、全身の感覚さえも消えていく。五感が徐々に無くなっていき、完全に消えて無くなった。これが死だ。

 最後に残るのは意識だけだが、それもいつまで保てるか分かったものではない。


(くそっ、待って、待ってくれよ! 僕はまだ、まだ動かなくちゃいけないんだ! だから、動いてくれよ!)


 塩谷の叫びは、もう声にすらならなかった。

 これでは完全に敗北が確定してしまう。このままではHelleNが無くなってしまう。

 天川甘音ともう会う事は無くなり、辛籐空美との接点もほとんど消えてしまうのだ。

 三人で過ごしていた時間はもう二度と戻らなくなってしまうのだ。


(……嫌だ。それは、嫌だ……!)


 塩谷は、ここに来て初めて自分の気持ちに気がついてしまった。

 バスで辛籐に問われた時は気付けなかったが、塩谷はやはりHelleNでの生活に文句をつけながらも、楽しさや居心地の良さを感じていたのだ。

 いつの時だったか、辛籐と料理対決した時だって、あんなに料理が嫌だったのにも関わらず、不思議と嫌な気がしなかったのだ。そう。彼はそんな日常に満足していたのだ。

 それに、よりにもよってこんな時に気がついてしまった。


(まだ、まだ終わりたくない……! くそっ……この状況を打破出来るような、強い力が欲しい!)


 今まで強くて当たり前だと思っていた少年は、生まれて初めて力を欲した。

 それはあまりにも遠い願いであり、あまりにも神頼みすぎる願いであった。それでも、もう彼には祈る事しか出来ない。

 彼の食柱毒は不死だ。死を否定する力。この力はあまりにも料理に向かなさすぎる。だから、もっと強い力が欲しいと願うしかないのだ。

 それこそ目覚めたその時、すぐにでも状況をひっくりかえせるような力が。無根拠で無意味な思考かもしれないが、それでも希望に縋りつきたかったのだ。どうしても諦めたくなかったのだ。


(もっと、強い食柱毒だ……それさえあれば……くそっ!)


 例えば、辛籐の念動操作のように汎用性の高いものだったり、噂の三ヶ峰の部分的時間経過のように使うだけで相当なアドバンテージを得られるものだったり、同じく話で聞いた霜月姉のように審査員の五感強化で自身の料理の評価を底上げするものだったり、天川照真のように反則級の能力だったり、とにかくそういった役立つ力が欲しいのだ。

 不死など何の応用も出来ない。能力としては優秀だが、料理人としては最低の力だ。

 彼は、この力によって本来死んでもおかしくないような修行をクリア出来たわけだが、そんなものはこの力を活かしたうちに入らない。もっと、即物的な何かが欲しいのだ。これでは、天川照真には絶対敵わない。

 もっと応用が出来る力が、どうしても欲しかった。


(……待てよ。応用……!?)


 塩谷はとある事実に気がつく。

 辛籐の武器は念動力だが、正確に言えばそれを用いた味覚破壊が一番の武器である。それは能力を応用して手に入れた必殺の武器である。

 霜月妹は声真似と味の採点の両方が出来るが、それは能力を使いこなしているから出来る芸当であろう。天川照真の言っていた霜月姉だって、本来使いにくいはずの能力を上手く活用しているのだ。

 そもそもにして天川照真自身も、応用の幅はかなり広い。

 皆、自身の能力を把握して、その可能性を広げていっている。それは能力の応用と呼べる行為だ。

 そんな中、塩谷は自分の能力をきちんと把握し、応用出来ていたかを考える。


(そういえば、長い付き合いなのにも関わらず、僕はこの力の事をほとんど知らない……もしかしたら、何か隠されているのかもしれない……って、こんな時に!)


 塩谷の身体にほんの少しだけ感覚が戻る。それは死から肉体が再生しようとしている合図であった。

 生命活動、数秒間停止。身体部位の修復、復元。修正。修正。

 死に至るほどの身体の破損が、徐々に治っていく感覚。それが彼の力の本質であった。


(……なおる? なおす、ちから……? 待てよ。これ、もしかして……)


 塩谷は可能性に気がつく。この力の本質は不死というよりは「身体修正」に近いものがある。だから、死んでもいない人間にこの力を分け与えても、拒絶反応を起こすだけなのだ。

 彼は、今まで能力を意図的に制御した事がなかった。

 しかし、この力、この修正の流れを意図して制御出来るとしたら一体どうなるのか。


(自分の身体を、都合のいいように作り変えられるかもしれない……もっと、強くなれるかもしれない!)


 彼は、より強くなれるように、それだけを意識する。その結果が単なる身体強化で終わったとしても、速ささえあればまだ追いつけるかもしれない。だから、強化だけを強くイメージする。


(イメージするんだ。もっと強く! もっと速く! もっと激しく! もっと圧倒的な! 強い力を!)


 そして、塩谷の脳裏に和服を着た筋肉質な男の姿が浮かんだその瞬間。

 本格的に能力が発動する。


 内臓系に……深刻なダメージを確認。

 修復、復元。修正。強化。修正。体内に未確認物質確認。確認、危険物であると認定。摘出開始。修正。強化。修正。摘出完了。修正。強化。修正。強化。修正。強化。強化。人体に多大な負荷を確認……強制終了……強化……強制再起動……強化。強化。強化。強化! 強化! 修正! 強化! 強化! 修正! 強化!

 修正完……強化。強化。強化。強化。強化。

 強化! 強化! 強化! 強化! 強化! 強化! 強化! 強化!


 強化完了。


 生命活動、停止解除。再起動まで、あと五秒。四。三。二。一。

 目覚める。そして


 塩のように真っ白なこの世界に

 谷底のような深淵から

 始まりを告げる

 音が鳴り響く。


「うっ……ああああ……あああああああ…………!」


 全身に激しい痛みが走り抜け、絶叫する。

 今の彼に、周囲を気にする理性など残っていなかった。

 どうやら強化は成功したようだが、やはり無茶な使い方をしたせいか、全身が悲鳴を上げている。まともな思考が働かない。とにかく、彼はひたすら本能に従って叫び続けた。

 が、それも長くは続かない。

 時間が経過していくにつれ、理性は徐々に戻っていき、ようやく周囲の空気を五感で感じられるようになった。

 そうして、塩谷始音は意識を取り戻した。


「……なんだ。これ?」


 彼の眼前には妙な景色が広がっていた。

 周囲を見回すと、意識を失っている間に何が起こったのかという点に関してのみ、把握する事が出来た。

 モニターを見ると、点数は291vs436となっていた。点数が変わっていないのは、思いのほか気絶時間が短かったからだろう。

 だが、妙なのはそこじゃ無かった。


「止まってる……?」


 ここには塩谷除いて四人の人間がいる。

 天川甘音、辛籐空美、天川照真、霜月散葉だ。しかし、その四人は塩谷が復活したというのに微動だにしていなかった。

 単に固まっているわけではない。何故なら、彼女らからは呼吸の気配すらも感じられないのだ。

 他にも異常なものがある。それは花びらだ。この天川邸中庭には花が植えられていて、その花びらが風に乗って舞う事も珍しくは無い。だが、その花びらは空中で静止していた。まるでそのまま空間に固定されているかのようにだ。

 そして、極めつけに時計だ。モニターにはデジタル時計が備え付けられており、秒以下の時間すらも確認出来る仕様となっているのだが、その時間が一切動いてなかった。一秒どころか、それ以下の数値ですら完全に動きを止めていたのだ。

 ここで、塩谷は気がつく。自分がどんな領域にまで達してしまったのかを。


「まさか、嘘だろ……!」


 不安にかられ、彼は身体を動かしてみるが、まるで問題無く動かす事が出来た。

 試しに冷蔵庫の元まで行き、開けて食材を取り出してみるが、周囲から何の反応も無い。

 キッチンを弄ってみても、全く反応がない。

 火がつかなかったので、仕方なく火を使わない料理を作り上げる事にする。水も出なかったが、それに関しては既に汲んであったものがある。


「まさか、まさかだよな……」


 彼はため息を吐く。

 どうやらこれまでの全てを見るに、彼は遂に死どころか世界さえも否定しかねない力を手に入れたようなので、何だか妙にそわそわして落ちつかない気分になったのだ。


「まさか、時間止まるとか……あり得ないよ」


 強化し過ぎた彼の身体は、ついに時の枠組みすら否定してしまった。

 元の身体スペックがあまりにも人間離れしすぎているというのがあり、それが更に強化されたせいで、時間の流れを感じられないほど動体視力やその他もろもろの力が強化されてしまったのだ。

 ようは、今の彼は何もかもが超神速すぎて、時の流れが止まって感じているというわけだ。


「しっかし、まだ猶予あるみたいだし、何か作らないとな……」


 こうして彼は料理に取りかかる。

 時間が止まって感じられるほどの超スピードという特性上、火や冷気など熱の関わる料理を作れないのが難点だが、それを補ってあまりあるほどサドンデスルールに特化した力である。

 この新しい力で、どこまで行けるのか。

 塩谷始音は密かに歓喜し、行動を始めるのであった。


「……いや、待てよ」


 塩谷は、ふと思いついたままに調理台を強く指で擦ってみる。

 すると、指の軌跡そのままに激しい炎が立ち上がった。

 摩擦による燃焼。

 思い切り調理台を燃やしてしまったが、これでその気になれば炎も出せそうである。

 これによって、火も使えるようになった。これで選択権の幅が大きく広がる。

 塩谷の心には純粋なる期待感があった。

 この力には、果てが無い。

 更に、空中を見ると黒い球が制止していた。

 今にも食材の山に襲いかかりそうな勢いである。


「確か、反転かどうとか言ってたよな……なら、こうすればいけるような……」


 黒い球は、非常に読みやすい軌道をしていたので、辛籐に必要な食材と天川甘音に必要な食材の位置を入れ替える。

 本来、反転させられるはずの食材の位置を「反転」させたのだ。こうすれば互いに使う料理の点数が上がるだろう。

 これで、勝利が一歩近づく。

 更に、ここで料理を完成させて間髪いれずに提出すれば、この料理も味覚反転の悪夢から解放される事になるのだ。

 全てはもう振り切った。

 スピードの頂点に立った少年は、極限強化されたその力で世界を制止させたのだ。

 ここはもう高天原では無い。止まった世界には神の支配は届かないのだ。

 塩谷は調理器具を手に取り、勝利を確信する。

 ここで塩谷が言うのは、かつて自分が多用していた勝利宣言だ。

 もう既に一度だけ、勢いで天川照真に言ってしまったが、ここで再度言う事にする。

 それは、あらゆる実力で相手を上回り完全勝利をするという意思表示。

 塩谷の目は、昔のように黒く淀んでいた。

 そして、ニヤリと邪悪に頬笑み、告げる。


「さあ沈め……太陽。こっちは天上だ。だから、真上から…………叩き潰してやるッ!!!!!」


 こうして、塩谷始音は己の限界を目指す挑戦をスタートさせるのであった。

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