正体 -彼女の道の出発点-
291vs342。
その事実に、もう塩谷始音も辛籐空美も天川甘音も言葉を失っていた。
何も言うべき言葉が見当たらないどころか、身動きさえも取れなくなる。
むしろ誰一人として倒れなかったのが奇跡のようなものだ。
だが、ある意味では倒れられる余裕すらも無かったとも取る事が出来る。
もう勝利が霞むだとか、そこまで肉薄したレベルの話では無くなっていた。
絶対的勝利者の前では、どんな者も等しく敗者で無ければならない。
考えてもみれば当然の結果だ。
塩谷の過去持っていた異名は「三柱天使」であり、辛籐の異名は「不落嬢」だ。
天使と人だ。その上に神が居る。
天照大御神は最高神だ。絶対にかなわない。
塩谷は、圧倒的恐怖に震えが止まらなくなっていた。目に涙を浮かべ、歯をカチカチ慣らし、寒さを堪えるように身体を抱えているのが精いっぱいだ。
「も、もう…………本当に、無理だ。無理だよコレ……どういう事だよ……諦めるとか闘うとか、もうそういう次元じゃない……無理だ。こんなのに、一体どうやって勝てばいいんだ…………もう、可能性なんてゼロだ…………むしろ、そんなもの最初から無かったんだ! 何だよこの化け物はぁ!!! 何でもありじゃないか!!!」
先ほどの天川甘音の言葉でなんとか絶望から立ち直る事が出来た塩谷だったが、今回ばかりはもう無理だった。
可能性が一ミリでも残っているのなら、そこに立ち向かうのは勇気である。
しかし、可能性がゼロなのに立ち向かっていくのは、既に勇気では無い。無謀とも言わない。
無駄だ。
こちらが何を作ろうとも全て0点にされるのに、向こうは料理を一秒で完成させ、その上で90点台を叩きだしてくるのだ。加え、今の点数ならば、天川照真は残り二回料理を作るだけで決着はつく。そのための所要最低時間は、移動時間を抜いてたったの二秒ときたものだ。
塩谷達に残された手札は、既に攻略された味覚破壊と、単体では何の役にも立たない地獄料理と、点数を稼げない以上意味を為さない三柱天国程度しか無い。
念動力による複数同時操作や、罵倒による口撃や、身体能力による高速移動などに関しても、現状する意味が無いので全くの無力だ。
ここから塩谷達が逆転するには、零点地獄を何らかの手段で回避した上で、天川照真が二回料理を作るまでに残り209点を稼がなくてはならない。それも、今のこの手札のみでだ。
だが、そんな事は不可能である。
塩谷の視界にはもう絶望以外映っていなかった。
その背後では、同じく辛籐も立ち尽くしていた。
目に涙を浮かべ視線を逸らし、荒れた呼吸を何とか整えようと心掛けては失敗して、妙な声を漏らしている。もう言葉を発せられる状態じゃないのは誰の目からも明らかだ。
今回ばかりは、いくらなんでも相手が悪すぎた。
HelleNは潰れる。
三人の日常はここで終わってしまうのだ。
その場に居る誰もが天川照真の勝利を確信した。
もちろん、たった一人の少女を除けば、の話になるが。
「だ、か、ら……何だって言うのよっっ!!!!!!? しゃらくさいっ!!!!!」
その叫びに、その言葉の意味に、今度は違う意味での沈黙が高天原を支配する。
天川甘音は、ここまでの惨状を前に、尚もまだ腕を組んで力強く立っていた。
彼女一人では何も出来ないというのに、それでもなお意志を揺らがせない。
この呼吸するのも苦しい空間で、少女は思いっきり息を吸い込んで吐き出す。
その様子に茫然とする者、驚く者、どんな表情を浮かべていいか迷う者も居た。
が、笑っている者など一人も居ない。
だから、天川甘音は力強く笑みを浮かべる。
負けないように、置いて行かれないように、前へと進むために。
ここに居る誰もが忘れていたのだ。
天川甘音が、辛籐空美に挑んだ時の無謀さを。
そして、それでもなお挑んで、挙句勝ってしまったこの女の恐ろしさを。
天川照真の表情が、初めて強い困惑で歪む。
そんな自らの父を見て、甘音は人指し指を天に掲げてから、地獄の底まで叩き落とすかのように一気に振り下ろした。
指さす対象はもちろん天川照真だ。しかし、語りかける対象は違う。
「始音くん。随分好き勝手言ってくれるじゃない。可能性がゼロ? 何でもアリ? ちゃんちゃら可笑しいわ。良く見て、あなたが相手にしようとしているのはこの冴えないクソ中年オヤジよっ!!!!!」
とんでもない物言いである。全員唖然とする事しか出来ない。
何故なら、たとえ相手がクソ中年オヤジだったとしても、このクソ中年オヤジは神懸かり的に強いのだ。
だから、相手がクソ中年オヤジだからといって、勝てる理由にはならないのである。
だが、そのクソ中年オヤジの娘は、芯の通ったはっきりとした声で叫ぶ。まるで声に鉄棒でも仕込んでいるかのような力強さだ。
「確かに相手が本物の神様で、万能の奇跡でも起こして襲ってくるのなら話は別よ。だったらちょっと厳しいわ! だけど、この男は神様でも何でも無ければ、食柱毒は万能の奇跡を起こせる程都合の良いものでも無い! 何よ! ただちょっとこっちの点数を全部ゼロにして、自分は一秒で90点台の料理を作ってるだけじゃないっ!!! そのどこが恐いって言うの!!!!?」
意味がわからなかった。
言っている意味もそうだが、何よりこの状況下で、何故そんな事を言えるのかが意味不明であった。
聞いている側からしてもびっくりである。
しかし、その声音には妙な安心感があった。
その影響で、塩谷の心は高天原の恐怖から少しだけ解放される。
だが、思考は未だネガティブなままだ。
「全部恐いよ何言ってんのっ!!? 意味わかんないし!!!!」
「あのね、始音くん。向こうがこっちの点数をゼロにするッていうのなら、ゼロにならない料理を作るまでなの。それはわかるわよね?」
「わかるわけないよ何言ってんのぉ!? 全然、ちっとも、欠片も何言ってるのかわかんないよ!!!」
「いい? 向こうが一秒で料理を作れるのなら、こっちは一秒もかけずに作ればいい。向こうが90点以上を取ってくるなら、こっちは満点以上を取って対抗すればいいの。ほら、何も恐くなくなった」
「馬鹿すぎるよ!!!!? だから何でそういっつも性能が偏ってるのさ!!!? ああああ、もう!!! 僕にどうしろって言うのさ全く!!!!」
「勝、て、ば、いいの!!!!! 勝つための最善に、まだ届いてない事を、いっぱいいっぱいこれからやればいいの! 出口が塞がってるのなら隙間を探して、それでも無いなら抉じ開けて進むまでよ!!!! まだ、わたし達はっ!!! 探してもいなければ抉じ開けてもいないっ!!!!」
理屈のようで理屈じゃ無かった。
だが、根性論のようで根性論じゃ無かった。
どうにでもならなそうで、どうにかなりそうだった。
これはどう考えても、一人じゃ何も出来ない少女の言葉では無かった。
天川照真も、ついに娘に対して何か思う所があったのか、初めて娘に対して冷たい視線を送る。
「で、甘音ちゃんさぁ……具体的にどうするつもりなのかな?」
「まずはこの零点地獄をどうにかするわ。父上の食柱毒を、ここで何とかする」
「出来るの? だいたい、僕ちんが本気出してればもう終わってる試合なんだよ。これは。情けで生かしてもらって、それはどうなのかな?」
「でもまだ続いてるわ。わたしを絶望させたいのなら、大人げなくさっさと殺せばいいんだわ。最強の父上なら、わたし達のような取るに足らない存在なんて呆気なく倒せちゃうのでしょうね。出来るのならさっさとやった方が吉よ? どんな理由があれど『やれなかった理由』じゃなくて『やらなかった理由』っていうのは、全部ただの言い訳にしかならないわ。やれるのなら、やりなさい。今なら無抵抗よ?」
これは、天川照真が本気を封じられているため、本当ならとっくに決められているはずの勝負が長引いている、という事実を踏まえた上での皮肉だ。
だが、当然、そういった事実が無かったにしても、天川甘音は同じ発言をするだろう。
それは、恐ろしいまでに漲る自信や心の強さの権化であった。
そんな不敵な発言に、天川照真は悔しげに唇を噛む事でしか口惜しさを表現出来なかった。
「…………ッ!!!! あれ、おかしいなぁ……僕ちん、こんな風に育てたっけなぁ……? どこで間違ったのかな……」
「こんな風に育てた、ね。子供は家だけで育つ生き物じゃないのよ? 親って立場に没入し過ぎて、自分の少年時代も思い出せなくなったの? 父上は」
「う、五月蠅い……! こんな問答くだらない。詭弁だ! そもそもにして、僕ちんの食柱毒をどう攻略するつもりなのかな!? 甘音ちゃんにそれが出来るのかなぁ!?」
絶対的有利。
そのはずなのに、精神的に押されているのは天川照真の方だった。
本来あってはならない光景だ。
天川照真が化け物クラスの実力を持っているのだとしたら、天川甘音は異次元クラスの精神性を持っていた。
天川甘音は、自信に満ち溢れた双眸で、真っ直ぐに己の父の目を見据える。
ほんの少しのにらみ合い。
だが、先に目を逸らしたのは、娘ではなく父だった。
その瞬間。心の隙をついて、天川甘音は喋り始める。
「確かに。わたしだけじゃ無理かもしれないわね」
その言葉は、付け入る隙としては充分すぎる失言であった。
けれども、精神的動揺を突かれた天川照真はすぐに対応出来ない。
その間に、天川甘音は容赦なく言葉を続けていく。
「だけどこっちは三人もいるのよ。あなた達、そう、ここに居るみんなは過小評価し過ぎなのよっ! 辛籐空美を!!!! 塩谷始音を!!!!」
その言葉は、無論本人達にも向けられていた。
辛籐が、塩谷が、俯いたせいで暗くなっていた顔を上げる。
忘れかけていた事だが、空は晴天だった。
ここに居る神を名乗りし男の力、高天原の支配空間は空まで届くだろうか。いや、届くまい。太陽神なのに、空も支配出来ないのだ。
辛籐が、ようやく長い沈黙から復活する。
その目には、いつの間にか闘志が宿っていた。
「……笑わせますね。この程度で神を名乗っているクソ中年オヤジも、そんなのに怯えていた自分自身も……」
辛籐は自分に出来る事を考える。
辛籐の武器は念動力と味覚破壊だ。
だが、念動力だって最初からここまで使いこなせていたわけでは無かったし、味覚破壊はもっと後になってから発見した技だ。
ならばそれ以前、一体何を武器にしていたのか。
答えはすぐに出る。
そもそも、辛籐が主に武器にしているのは念動力だが、彼女が優れているのは別に食柱毒が凄いからという理由では無い。むしろ、本来ならば汎用性が高すぎて使いにくいはずの力を使いこなし、いくら常軌を逸脱した方法とはいえ新たな香辛料を生成してしまえるという点に、辛籐空美の真価がある。
総合すれば技術力だが、それを支える大きな支柱が辛籐の中にはあった。
それこそが、辛籐空美の原初の力。
それは、ありとあらゆる可能性を考え、実現にまでもっていけるだけの思考力。更に、それらを同時に展開可能であるという圧倒的脳力。
つまりは、複数同時思考だ。
辛籐の念動力は、複数同時操作を売りとしている。それを実現しているのは頭の中で複数の動きを考えているからだ。
ならば、ただ思考するのはもっと簡単だ。
その上、現状は考えるのに最適な状況である。
「甘音ちゃん。目を覚ましなよ。そんな事じゃ現実は……」
「変わる! 変えてやるわ! ただの天照大御神なんかに、わたし達は負けない!!!!!」
天川親子は口論していた。好都合である。
辛籐は、立ち直ってから数秒かけずに、ありとあらゆる可能性を模索する。
まずは、天川照真のやってきた神懸かり的な奇跡のタネを暴かねばならない。
そうしない事には何も始まらない。
あの食柱毒の正体を見極めるのだ。
思考は自然に小声となって漏れ出ていく。天川親子は口論で聞いていないので、無問題だ。
「天川照真が何かをする時、あの黒い球が必ず周囲に出現していた……つまり、あれが何らかの操作を行っている事は明確…………そして高天原という名称や、これまでの言動や現象から推測するに、恐らくアレは黒い球を自由に生成、操作出来る空間の名前なのでしょうね……その効果はまだわかりませんが…………考えるんです、辛籐空美……!」
辛籐の思考は、今まで天川照真が食柱毒を使ってきた場面を、全て同時に検証していた。
最初はこちらの食材に向かって黒い球を複数撃ち込み、次に、調理の際にいくつかの黒い球を自分の周囲に浮遊させていたように見えた。発動したのはこの二回だけである。
黒い球を撃ち込まれた食材で作った料理は、不味くなっていたそうだ。つまり食材に何らかの影響を与えるのだけは確かだ。そして、黒い球は何らかのエネルギー体である事が本人の口から明言されている。
では、あのエネルギー体はどのような効果をもたらすのかという点についての問題だ。
しかし、それにしては起きた現象があまりにも多すぎる。それらは本当に同じ能力なのか。
そんな疑問が辛籐の頭をよぎる。だが、すぐに同時展開していた思考が追い付く。
サンプル不足。追加、黒い人形、高天原。
サンプル不足。追加、原則・食柱毒は一人一つ。
更に言動回想。
『あと、これ使ったら人形出せないからさ。僕ちんも、そろそろ動くから』
重要事項回収。高天原と人形の両立は出来ない。
となってくると、あの二つは独立した別々の能力ではなく、同じ能力によるものと考えるのが自然だ。
黒い人形と高天原。同じ能力で具現している以上、その本質は同じはずなのだ。
ならば思考ルートは簡単である。
黒い人形の時、「何」にどのような影響が与えられていたのか、そして、一秒で料理を作った時に、「何」にどのような影響を与えていたのか。
加えて、食材を撃ち抜いた時は「食材」にどのような影響を与えていたのか。
情報整理。食材を撃ち抜いた黒い弾丸。
疑問浮上。何故撃ち抜く必要があったのか。
サンプル不足。言動回想。
『それは塩谷。お前だって不死の力を料理に注いでたろ? 僕ちんのは、それを他人にしただけさ』
重要事項回収。天川照真の食柱毒によって生成されたエネルギーを食材に注ぐ事によって、料理が不味くなる。つまり、食材にエネルギーを注がなければ意味が無い。
推理開始。
エネルギーを料理に注ぐ事によって何らかの効果を発揮しているのならば、人形を操作している時や、料理を突然出現させた時は一体「何」にエネルギーを注いでいたのかという話になる。
エネルギーを注ぐ対象。
少なくとも、人形操作の時や料理召喚の時は、周囲にエネルギーを注げそうな物など何も無かった。
そう。物理的には何も無かったのである。
ならば、見えない概念的ないしは固形物では無い何かに注いでいた、と考えるのが自然だ。
可能性リストアップ。空気、重力、光。
疑問浮上。何故、料理に外傷を残さなかったエネルギー体が、人形になった時物理干渉力を持っていたのか。
そうなれば、物理的な干渉力を持つ何かに、力を注いでいた可能性が出てくる。
可能性リストから、どう頑張っても物理干渉不能な光が外れる。
空気か重力だろう。
そして、重力も恐らく違う。理由としては少し弱いが、前例が無いからだ。重力の操作は、たとえ食柱毒を使用したとしても難しいと言われている。これは料理人の中でも常識だ。せいぜい対象に重力を上乗せする事や、自分の重さを削って軽くするのが限度である。
重力操作特化の能力ですらそれなのだ。
それなのに重力を固め、ましてや人の形にしてまともに動かすなど、聞いたことすら無い。それに、仮にやろうとしたところで、かなり複雑な操作が必要になってしまうだろう。たかが手加減にそこまでするのは不自然だ。ならば、これも違うと仮定する。
可能性リストに残ったのは一つ。
空気だ。固めた空気は触れられる。もしも空気を一点に凝縮して、まるで風船のように空気人形を作っているのだとしたら、一番辻褄が合うのだ。それならば、重力ほど複雑な操作を行わずに、物理干渉力をもつ事が出来る。
だから、まずは空気と考えておく。辛籐は思考の片隅で、本当に空気で正しいかを検証しつつ、同時に空気と断定した場合の思考も進める。
天川照真は空気にエネルギーを注ぎ、空気人形を作りだしたという可能性があった。
ならば、何らかの力で空気を固定しているのか。恐らく違う。
動いているのならば、むしろ空気に「方向性」を与えている事となるのだ。
ここで仮定。天川照真のエネルギーは「方向性」を司る力である。
情報不足。その思考は一時停止。
同時に考えていた他の疑問に意識を向ける。
というわけで、今度は料理を突然出現させたカラクリについてだ。
そう。天川照真は料理を突然出現させたのである。
どう見ても作っていない。辛籐は塩谷という超高速料理人を知っているし、それよりも早い人形の動きも見たが、どれだけ早く料理してもああはならない。
疑問浮上。ならば何処かから、転移能力か何かで持ってきたのか。
それはあり得ない。何故なら、事前に作って隠しておいたにしては真新しかったし、他の誰かにあれは作れない。何故なら天川照真の必殺料理だからだ。
となれば、あれは天川照真の作った料理に他ならない。
ならば、いつ作ったのかという話になる。
ここで言動回想。
『なあ塩谷。僕ちんが本気になったら、だいたいどれぐらいの時間で完成品を用意出来ると思う?』
重要事項回収。作り終える、ではなく完成品を用意するという発言。
既に作った料理を用意するかのような言い方だ。
ならば用意してあった既存品を、能力で何処かから持ってきたのだろうか。
矛盾点発生。あれは正真正銘、天川照真がその場で作ったもので間違いない。
よって、他の誰かが作ったモノを持ってきたわけではないのだ。
そのはずなのだが、辛籐空美はここで一つの可能性に気がつく。
「いや、あえて矛盾を受け入れて考えて…………あの料理を作れたのは天川照真しかいない、でも天川照真は何処かから料理を持っていた疑惑がある…………完全にあり得ない仮定ですが、別の場所で天川照真の作った新しい料理を、天川照真が持ってきた……? 違う。場所じゃ、ありませんね」
天川照真は一人しかいない。
わざわざ力の劣る分身を生み出しているというのが、何よりの証拠になるのではないか。
しかし、別のところにいるであろう「もう一人の天川照真」の存在に、辛籐は気がつく。
それは、食柱毒という超常現象を加味しても飛躍した発想。
だが、その穴を埋める情報がもう既に開示されていた。
言動回想。
『五味グループに三ヶ峰っていう家があるんだ。そこの現当主、三ヶ峰酸叉之雄という男はね。スピードが武器なんだよ。自らの食柱毒である『自分とその近くの時間をコマ送りのように加速する能力』と本人の超次元的加速力の組み合わせによって、誰よりも速く料理を完成させるんだ……』
重要事項回収。時間に干渉可能な食柱毒が存在する。それも時間を「部分的に」操作可能な食柱毒もある。
可能性リスト更新。
空気、時間。
ここで思考一時停止解除。
仮定。天川照真のエネルギーは「方向性」を司る力である。
ここで閃く辛籐空美。
「もしかして……飛躍した思考かもしれませんが…………未来で自分自身が作った料理を持ってきた……?」
もう一人の天川照真の正体。
それは未来の時間軸に居る天川照真の事だ。
方向性を司る力で時間を操作したという可能性。
食柱毒を用いて、過去に料理を送ったのならば、あの現象にも一応の説明はつく。
だが、辛籐はまだ引っかかりを感じてしまったので、もう少し考える。
天川照真が方向性を司る力で時間を操作したのだとしたら、どうにも辻褄が合わなく感じられたのだ。
そして、すぐに自身が納得可能な結論へとたどり着く。
「いえ、惜しい、ですね。恐らく、天川照真は一度普通に料理を作り、料理のある場所と自分以外の時間を巻き戻した……です。そうすれば、傍目から見れば一秒で料理が出現したように見えるわけですしね……」
確かにこれは飛躍した思考だ。
けれども筋は通っている。
それなら方向性を司る力で時間操作をしたとしても、何の矛盾も生まれない。
ならば、多少は引っかかりがあるものの、まだ思考を進められる余地が出てきた。
時間を、方向性を司る力で、自分と料理以外を残して過去に戻した。
それならば一応の筋は通る。
「しかし、本当に方向性……ですか……?」
本当に方向性を操作するにしては、方向性が一定し過ぎている。
時間を戻し、料理の美味しさを減らした。
方向性操作にしては、マイナス方向に偏っているようにも感じる。
ならばいっそ、そういう能力なのでは無いかという推測も可能だ。
そう考えれば、こういう仮定が浮かび上がってくる。
仮定。天川照真のエネルギーは注いだもの方向性、それもマイナス方向に操作する能力である。
これならば正しいようにも感じられる。
しかし、辛籐の中では、まだ歯車が噛み合わない感触があった。
「…………何か、惜しい気がしますね……あ。いや、待って下さい……これなら…………!」
それは閃きとフラッシュバックによる相乗効果だった。
言動回想。
『わけがわからないけど、味はそのままのはずなのに、全然美味しく感じないんだ……! 意味がわからない……何だよこれ……!?』
重要事項回収。不味くなっているのに味はそのままである。
そんな不可思議な現象を、人体の側に問題を起こさずに発生させられるのだ。
ならばこれはもう、食材の概念的部分に干渉しているとしか考えられない。
何に干渉しているか、もう言うまでも無い。
「美味しさ」という概念だ。
では美味しさをゼロにする力なのか。いや違う。
ゼロにするというのは、辛籐の味覚破壊のようなものを言うのだ。
あれはむしろ、美味しい物を不味くしている。
つまり、「逆」にしているのだ。
逆にする力、反転させる力の可能性。
そこまで思考が至った時、辛籐の中で全ての歯車が噛み合った。
「モノ……概念的なものから物理的存在までを対象とし、反転させる力……」
料理の美味しさを反転させ、あの零点地獄が生まれた。
時間の流れを一部残して反転させ、突然ケーキが出現したよう見せかけた。
人形に関しては難しいが、あれは全エネルギーを一点に集中しているため、複数の空気の流れを反転させて一点に集中させ、空気人形を作っているとすれば筋が通る。
思い返してみれば、人形発動時に天川照真は腕を振るっていた。ならば、それで起こした微量な風の方向を、一点に集めたエネルギーで一気に内側に反転させ、エネルギーの中に空気を閉じ込めたのだと仮定可能だ。そう、まるで風船のように。
そうしてしまえば、後はエネルギーの塊を操作するだけで、中に空気を閉じ込めた空気人形は滞りなく動いてくれるというわけである。
これで、天川照真の秘密が明らかになった。
そして、この「気づき」は逆転の可能性を秘めている。
最後の言動回想。
『何さ……? 僕と辛籐さんの食材に何をした!?』
超重要事項回収。僕たちの食材、では無く、僕と辛籐さんの食材という言い方。
まるで天川甘音の食材は、被害にあっていないかのような言い方である。
それを天川照真が狙ってやったのだとしたら、いくつかの疑問が生まれてくる。
疑問浮上。そもそもにして、何故天川照真は、天川甘音の使う食材に気がついたのか。
これに関してはすぐに答えが出る。
天川照真は、料理の世界に君臨する神だ。故に、次に誰がどの食材を使うのかを、見分ける事が可能なだけの洞察力があると推測出来る。
その上、塩谷は食材を持ってくる際に辛籐の指示を受けているため、必然的に情報は耳に入ってくる。そして、それだけの情報量があれば簡単に見分ける事が出来るだろう。
こうなってくると、またしても歯車がかみ合ってくる。
ここでようやく核心へと触れられるのだ。
疑問浮上。何故、天川照真は天川甘音の使う材料に、あえて意図的に反転エネルギーを撃ち込まなかったのか。
わかりやすい疑問だ。
地獄料理を反転させてしまえば、生まれるのは最上級の料理だからである。
つまり、天川甘音の地獄料理は反転の天敵だ。
これが最終結論である。
辛籐空美は、上記の思考を約五十秒でやってのけた。




