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HelleN! -愛情よりも大切な-  作者: パンダらの箱
「ROUTE:SWEET」編 vs神
30/98

偶像 -神と呼ばれた男-

 塩谷は、その人間離れした身体能力を遺憾なく発揮し、超高速で冷蔵庫へと走り抜ける。

 実は、彼には三つ目の勝算があった。それは、天川照真よりも塩谷の方が速い、という事実が示す勝利の可能性である。彼が天川照真にグラスを投げた時、天川照真は反応出来ていなかったのだ。だから顔面に直撃した。

 あれは奇襲気味の攻撃だったとはいえ、天川照真は塩谷のように身体スペックを普段から封印しているわけでもなさそうなので、もし反応出来るのならばしていたはずだ。それが無かったという事は、スピードではこちらの方に分があるという事である。人形は本体よりもスペックが劣っているというのなら尚更だ。

 だから塩谷は動く、誰よりも早く、音を置き去りにするイメージで。

 一気に。素早く。一本の線のように、駆けていく。

 その腕が、何者かに掴まれるまで。


「……えっ?」


 腕を掴まれた感触に、塩谷は急停止する。

 見ると、そこには顔の無い人形が居た。その人形が、半透明な身体なのにも関わらず、しっかりと塩谷の腕を握りしめているのである。まるで骨がないかのような脱力した挙動で塩谷の腕を掴み、無い目でひたすら見つめてくるのだ。

 それは、塩谷の心に恐怖心を芽生えさせるのには、十分すぎる効果を発揮していた。

 少し離れた位置にある調理台から、天川照真の声が届く。


「へえ、速いね」

「……っ! 離せっ!」


 塩谷が腕を振るうと、やけに呆気なく、掴んできていた腕は離れた。それでも、人形の挙動は落ちついていて、不気味としか言いようのない静寂さを孕んでいた。

 しかし、そんな恐怖に立ち止まっている間など、塩谷には無かった。彼は再び目標を冷蔵庫に定め、再び解き放たれた矢を越えるスピードで一直線に駆け抜けていく。

 が、途中で人形に追いつかれ、追い抜かされる。人形の動きは速かった。塩谷すらも越えたスピードで冷蔵庫にいち早く辿りつき、乱暴な動作で扉を開け、まさに神速とも呼べるスピードで複数の食材を取り出し、それらを抱えて戻っていく。

 もちろん、塩谷でなければ視認すらも不可能な速度でだ。


「……!? なん、で……?」

「気にしてる場合じゃないです始音さん! さっさと食材を!」

「……! そうだった!」


 背後からようやく追いついてきた辛籐に言われ、塩谷も遅れて冷蔵庫に辿りつき、彼も凄まじいスピードで食材を取りだしていく。そして、さっさと必要な食材……キャベツやニンジンやピーマンや玉ねぎや牛肉などを取り出し、すぐに調理台へと引き返す。

 それからすぐに辛籐と共に調理を進めていく。

 速さで負けた。塩谷は、その敗北感に打ちのめされながらも、必死に頭と体を動かして料理を完成へと近づけていく。もちろん、調理過程も凄まじい速度だ。

 しかし、天川照真の方から、食器が触れ合うかちゃかちゃという音がしたので振り向くと、もう既に人形は料理を完成させていた。それも四枚程度のクッキーである。天川はパティシエの家系であるため、得意なお菓子類できたのだろう。

 だが、塩谷の方の作業は、まだ開始して間もないぐらいだ。

 こんな短期間でクッキーを焼くなど、物理的に不可能である。何が起こったのか、塩谷の身体が驚愕により停止する。


「えっ……!?」


 同時に思考も止まってしまう。

 あまりにも速過ぎる相手に、つい反射的に感じてしまった敗北感を抑えきれなくなったのだ。

 だが塩谷はここで、事前に辛籐が味覚破壊を発動している事を思い出し、少しだけ気分を落ちつかせる。

 これならば向こうが何を用いようが、完全に封殺とまではいかなくとも、ある程度ならば無力化出来るはずだ。彼はその可能性に賭け、落ちついて自らの調理へと意識を戻していく。

 その際に、霜月がクッキーを咀嚼し、飲みこんでいるところまで確認出来た。

 しかし、塩谷が高速で作業を再開させようとしたのと丁度同じタイミングで、その残酷な宣告は聞こえてきた。


「59点っ。これおいしーね」

「……えっ?」

「……59点、ですって……?」


 塩谷と辛籐は驚愕に目を見開く。

 この点数は、先ほどの辛籐を大きく越えているだけでなく、更に味覚破壊の影響があるのにも関わらず、こんなに高かったのだ。それはどう考えてもおかしな数値である。

 たったこれだけで、100vs59だ。もうポイント差がほとんど詰められていた。

 どんどんアドバンテージが消えていく。塩谷もスピード負けした。どういうわけか味覚破壊も攻略された。

 塩谷と辛籐は分かっていなかったのだ。自分達が相手にしていたのが、如何に強大な敵だったのかを。そして理解する。

 天川照真の異名は「天照大御神」であり、神に人が勝てるわけがないという真実を。

 人形の動きが止まる。それは、どうやら少しの間止まっているという、ハンデのつもりのようだ。


「これもハンデだ。説明してあげるよ。今のはね。再現だよ」

「再現って……なんの?」

「五味グループに三ヶ峰っていう家があるんだ。そこの現当主、三ヶ峰酸叉之雄という男はね。スピードが武器なんだよ。自らの食柱毒である『自分とその近くの時間をコマ送りのように加速する能力』と本人の超次元的加速力の組み合わせによって、誰よりも速く料理を完成させるんだ……」

「三ヶ峰さん……再現……まさか、天川さん! 貴方は……」

「僕ちんはね。ちょっとでも実力見せると周囲から警戒されちゃうんだよねー。だからさ。他者のスタイルを真似る事にしたんだ。もっとも、僕ちん自身にあんな高速移動は無理だし、する必要も無いけど、人形にならさせられる。させる意味がある。しかも、より早く調理をするため、味を犠牲にしてでも可能な限り効率をあげた上で、更に裏技的技術を用いて、通常よりも遥かに速く調理を完了させた。それがさっき見せたスピードの正体さ」

「……まさか、嘘だよね……!?」

「能力では無く単純に技術を極める事によって可能となる模倣技術。異能模倣。それが本気を出せない僕ちんの武器だよ。ちなみに、姉の方の霜月ちゃんのも真似出来るよ。五味グループではこの二人だけだけど、僕ちんはそういう事が出来る。ま、本気を出したらもういらなくなる技なんだけどね」

「「――――――っ!」」


 勝てるわけがなかった。

 相手は、まだ本気の片鱗すらも見せていないのに、五味グループの人間を二人融合させたような力を発揮してきたのだ。

 塩谷より速く、その上で辛籐の味覚破壊を攻略出来るような「何か」を秘めているという反則気味の力。HelleNの優位性をことごとく潰す最悪の力。

 天地殺し。

 それは、塩谷と辛籐では到底届かない相手だったのだ。

 あまりにも格が違いすぎる。この時点で、勝利がかなり遠のいていく。

 不可能。その言葉が二人の脳内にちらつき始める。


「ちなみに味覚破壊を突破したのは姉の霜月ちゃんの技の真似ね。彼女の食柱毒は『自分以外の人間の五感強化』でね。これで強化した人間に料理を食べさせる事によって、味覚だけでなく五感全てで料理を体感させる事が出来るんだよ。僕ちんにそんな食柱毒は無いけど、五感で体感させる料理なら作れる。料理は味覚だけじゃないんだよ。他の付加価値で点数の底上げは可能だ。それに、味付けをかなーり濃くすれば、ほんの少しでも味覚を感じさせられる。この技術は、味覚破壊に対抗するためのものだよ」


 つまり、その技術さえあれば、たとえ味覚破壊を食らってようと問題は無いのだ。

 確かに、味覚に関してはいくら頑張っても、作ったものの味を薄く感じさせるのが限度だろう。が、それは見た目、香り、咀嚼時の音、食感が、かなり強調された料理として成立するのだ。

 薄味だが、他の五感に訴えかけるような要素が多段に含まれた料理。

 そんな食べ物が評価されないわけがない。

 もちろん、これは味覚破壊を完全に無効化させたり、塩谷のように強制解除させたりする技、というわけでは無い。そこまで優れた力では無いはずだ。

 だが、これを用いれば、辛籐がいくら味覚破壊を使おうが、点数を稼ぐ事は可能なのである。

 言ってしまえば味覚破壊貫通だ。

 平時と比べて打点は落ちるが、無効化だけは絶対にされない。

 これでまた、塩谷達のアドバンテージが、まるで太陽を前にした雪のように溶けていく。


「……何だよ、それ……どうすればいいんだこんなの……そんな事されたら、もうどうやって勝てばいいんだ!?」

「だから、始音さん、落ちついて下さい! こんな状況ですが、とにかく最善を尽くしましょう!」

「さーて、ハンデタイム終わりだよ。もっと僕ちんを楽しませてよ、さあ!」

「「!」」


 人形が再び動き出す。

 が、塩谷も辛籐も人形が止まっている間、ロクに調理が出来ていなかったので、今の説明によって生まれた有利はほとんど無かった。

 塩谷は、持ち前の身体能力を活かして野菜を刻み、肉と一緒に炒める準備をする。辛籐は、今度はパスタの材料を持ってきており、次は本来のTHE END OF ROADを作るつもりのようだ。しかし、味覚破壊を強化したところで、なんの解決になるのだという話である。

 そんな彼らの作業が、まだ中盤にも差し掛かってもいない頃、もう既に天川照真は第二品を完成させていた。

 今度は赤いゼリーである。だから、どうしてそんなに速く作れるのか疑問であったが、これもおそらく三ヶ峰の超高速料理を模したものであると考えられた。

 異能を模倣した調理短縮技術。それは他の料理人には絶対真似出来ない、天川照真ならではの才覚から生まれた技術だ。それも、本気を封じるためにやむなく使っているという手加減用技術である。

 ならば、本気はどれだけ恐ろしいのか。湧きあがってくる危機感が、塩谷の心臓を締めつける。

 そもそも、この超高速調理の時点で差はついているのだ。具体的にどんな技術を用いているのかは不明だが、この男ならば何をしても不思議では無かった。

 そして、それもすぐに採点される。


「51点っ!」

「あー点数落ちちゃった。残念残念」


 天川照真は悔しがっていたが、これで点差は逆転した。

 100vs110ポイント。これでお互い目標点数の五分の一は満たした事になる。

 もっとも天川照真の場合、これから残りを埋めていくのも、さほど難しい事ではなさそうである。そう思えるほどの、恐ろしいまでの速度と高得点。

 そんな事実に、もう塩谷も辛籐も、まともな言葉を発する事すら出来なかった。

 口から出てくるのは、後悔と悔しさの混じった、ただの呻き声のみである。


「くそっ……くそっ……!」


 塩谷の手元も徐々に狂っていく。

 彼は生涯、ここまで追い詰められた事は無かった。

 渋堂との戦いも、ここまで一方的な物では無かったのだ。もっと拮抗した戦いだったはずなのだ。

 それなのに、この絶望である。

 現在、この男と同格と言われている渋堂は、昔と比べてどれだけ腕を上げたのだろうか。考えるだけでも恐かった。

 だからもう、彼の心に希望など、ひとかけらも残っていなかった。


「………………畜生!」


 それからの戦いはもう一方的な展開であった。

 塩谷は、何とか肉野菜炒めを完成させ提出するが、精神的動揺のせいか、その評価はたったの21点であった。

 一応、彼の不死の力を料理に付与する事により拒絶反応を起こせるので、それで味覚破壊の効果はある程度消したはずなのだが、それでもこの点数だったのだ。メンタルのせいで上手く不死の力を調合しきれず、味覚破壊を殺しきれなかったというのも確かにある。しかしながら、こんな点数、普段の彼では絶対にあり得ない。つまり、心のせいで味がもう駄目になっていたのだ。

 辛籐もTHE END OF ROADで続くが、やはり味覚破壊以外は中毒性の強いただのパスタであるため、評価は39点で止まってしまっていた。

 これで160vs110になったが、その後、すぐに天川照真の人形が作ったアップルパイが58点だったので、あっという間に逆転し返されてしまった。

 更に、塩谷達が次に何を作ろうかと考えている段階で、人形はもう一品を完成させていた。今度はチョコバナナである。それは32点だったが、塩谷の心を折るのには十分すぎる破壊力を持っていた。

 160vs200ポイント。点数的には辛うじて拮抗しているように見えるが、実際は塩谷サイドに100点のリードがあってのスタートである。事実、この短時間のみでついた点差は140ポイント分だ。これが実力差の分である。

 その事実に、塩谷がついに膝をつく。もう勝負をしていても仕方がないと判断したのだ。

 それに対し、食材を取りに行く途中の辛籐が、慌てて振り返る。


「始音さん! 何してるんですか! 本当に、負けちゃいますよ!?」

「……辛籐さん。もう、無理だよ。諦めようよ……勝てるわけがないんだ……」

「まだ可能性はあります! 最後まで足掻いてみましょうよ!」

「駄目だよ。もう、僕にはわかるんだ。これは無理だ。僕じゃ勝てない……僕じゃもう無理なんだよ! 君だって理解してるはずだよね!?」

「えっ、何? 遂に僕ちんに負けを認めるつもりになったの? はは、情けな」

「そうだよ! もうこれ以上やったって無駄じゃないか…………続ける意味なんて無い。もう、どうあがいてもひっくりかえらない!」


 塩谷には、もう意地を張るプライドすらも残っていなかった。

 ここまで酷い敗北は、今までほとんど負け無しだった彼にとって、相当耐え難い屈辱だったのである。

 完全に心の芯が折れ、何か大切な物が死んでしまった感じがした。だからもう、何を言われても響かなかった。

 一時的に復活していた料理人としての塩谷始音は死んだのだ。

 今ここで、完全に。完膚なきまでに。死んだのだ。


「だから、辛籐さんもやめようよ……これじゃ、何の意味も無いし、君だってつら……」

「始音さん」


 遮るように、辛籐が言葉を紡いだ。

 その声色はいつもよりも低く、そして感情のこもった言葉であった。

 怒るというわけでもなく、失望するというわけでもなく、ただただ強い意志だけを感じさせる言葉であった。 

 塩谷は半ば死んだような目で、辛籐の方を見る。

 辛籐の表情は、まだ死んではいなかった。


「時間がないので手短に言わせてもらいます。ようは貴方のそういった思考は、本気でやって負けるのが恐いという恐怖心からきているんですよね」

「それは……」

「みなまで言わなくてもわかっています。ですが、私から言わせれば、そんなのただの甘えた思考にしか思えません。それに、その程度で傷ついてどうするんですか」

「そんな事言われても……」

「そんな貴方に一つだけ言っておきます。いいですか。私なんて、あの甘音さんに負けたんですよ!」

「!」

「もし、私と貴方の立場が逆だったとしたら、貴方は耐えられなかったでしょうね。まあ、私の言いたい事はそれだけです。貴方はそこでのんびりしていて下さい」

「……」


 塩谷は今までまともに考えようとしていなかったが、辛籐空美は天川甘音に敗北している。文字通り殺人的なほど料理が下手な、あの天川甘音に負けたのだ。

 それなのに、彼女はこうして立ちあがっているのである。食事という概念そのものに喧嘩を売るような、人体に有害な料理に負けて尚、彼女は立っているのだ。

 そんな辛籐空美の気持ちを、塩谷は理解出来なかった。今まで考えたことも無かった。


「……わかんないよ。どうして、わざわざ負けるためにやってるのか……理解出来ないよ」


 塩谷は、やはり下を向く。

 もう立ち上がれる気がしなかったのだ。もう何もかもがわからなかった。そもそもこれは現実なのかとさえ思えてくる。

 もしかしたらこれは夢で、起きたら何事も無くHelleNがあり、そこには天川も辛籐も居て……なんて都合のいい妄想までしてしまう。しかし、現実があまりにも都合が悪過ぎて、彼にはもう夢と現実の区別がつかなくなっていた。

 何処か遠くから、天川の呼ぶ声がするのだ。いつも通りやかましい声で「始音くん、始音くん!」と呼びかけてくるのだ。

 塩谷はもう、いっそこのまま地に伏して寝てしまおうかとも考える。それでも良いと思えたのだ。その方が心地いいから。

 頭の中で天川甘音の呼ぶ声がどんどん大きくなっていく。近づいてきているような錯覚さえもある。走り寄ってくるような足音も、拳の握り締めるような音も、「始音くんのぉぉ……!」と何か溜めているかのような声さえも聞こえてくる。

 と、ここで塩谷が「あれ、これ本当に夢か?」と思い始めた瞬間であった。


「馬鹿ぁっ!」

「へぶっ!?」


 下を向いていた塩谷の頭に激痛が走った。

 まるで上から拳骨でも叩きこまれたかのような錯覚。否。錯覚では無い。何故なら彼の頭は、まだじんじんと痛みを訴えかけてきているのだから。

 一体何が起きたのか。それが理解出来ない彼は、不思議そうな顔のままゆっくりと顔を上げつつ立ち上がる。


「……えっ?」


 彼の眼の前には、見慣れた少女が居た。

 頑丈そうな素材のホットパンツ、黒い肩紐が二本伸びている両肩を露出したタイプの白いTシャツ。

 綺麗に弧を描いた口元、整った鼻、強気な光を宿したつり目、そして背中まで伸びている長い茶髪。そして仄かに漂う甘い香り。

 その少女は、まさしく塩谷が待ちわびていた少女の姿そのものであった。


「天川、さん……?」

「そうよ! その通りよ!」

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