傍観 -決戦開始-
天川邸は、正方形の真ん中を四角くくり抜いたようなつくりとなっている。それはつまり中庭が存在するという事であり、塩谷達はそこに移動させられていた。
中庭は、天川邸の特徴である白い壁に四方を囲まれており、どことなく監獄のような息苦しさを感じさせるような場所となっている。複数の窓からはまるで覗かれているような気配が見え隠れしており、ここら一帯の空気感をより緊張状態へと近づけていた。
地面は、花と草で埋め尽くされている。まるでカーペットのようだ。基本的に人が歩き回る中央部分は草だが、壁際に近い場所には色とりどりの花が植えられている。どうやらここに花壇という概念は無いようだ。
そして、そんな中庭の中央には、料理対決用のセットが用意されていた。とはいっても調理台が二つと、その間にある審査員席と、少し離れた位置に巨大冷蔵庫があるぐらいだが。
もっともこの調理台は、オーブンやレンジに複数の調理器具など、多数の料理に必要なものが備わっている多機能調理台となっている。審査員席に関しても、上部に妙に画質の良いモニターが備え付けられている。全体的に高級感漂うセットだ。ここまで完成された設備は、公式試合の会場でもなかなか見られないだろう。
それに加え、審査員席の正面には、普通の倍以上の大きさを誇る大型冷蔵庫が設置されていた。ここには古今東西あらゆる食材が詰まっており、今回はそこから食材を選んで戦うという形になるようだ。
そんな中、白い調理服を身に纏った塩谷始音は、片方の調理台のあたりに立ち、頭を抱えて盛大なため息を吐いていた。ちなみにこの服は借りものである。先ほどこの屋敷にあったものを借りたのだ。
「……大見得切ったはいいけど、さて、どうしたもんかな……」
「何です、今更怖気づいたんですか?」
塩谷の隣には辛籐空美が立っていた。髪型はいつものツインテールに戻っている。もちろんヘアピンも装着済みだ。彼女はどこから持ってきたのか、いつも通りの黒いゴスロリ風の左右非対称ドレスを身に纏っていた。どうやら意地でも調理服は着ないつもりらしい。
結局、塩谷は彼女と二人で天川照真に立ち向かう形となった。
サドンデスルールは人数自由であり、途中参加も可能な何でもありルールではあるものの、この状況で塩谷が味方に出来る者は辛籐しか居ない。
もっとも、今回の場合は多人数対多人数の戦いなどではなく、二対一のシンプルなものであるので、特に人数差で不利になる事は無いわけだが。
「別に、逃げたければ逃げてもいいんだよ。もっともそうした場合、僕ちんはお前を全力で笑ってやるけどね」
「……別に逃げないよ。あんたが眼の前に居る限り」
「そうかいそうかい。ま、精々楽しませてくれよ」
もう片方の調理台には天川照真が立っていた。
彼も白い調理服を纏い、腕を組み、顎を軽く上げて見下すような視線を飛ばしてきていた。
もちろん彼は一人だ。それ以上必要無いのだから。
「ああ、どーでもいいけどお腹へった……早く何か食べたい……」
審査員席には霜月散葉が座っていた。
簡易な白いテーブルを前に、椅子に座って待つこの少女は、何と驚いた事に審査員だ。
どうやら審査員としての資格も実績も持っており、ほんの一握りの例外を除けば、この世の誰よりも正確に味を計る事が出来るようである。それも食柱毒の能力を用いた代物であるため、その正確さは料理界屈指の才能と言っても過言では無いそうだ。
「そうだ。先に説明しておこう。この霜月ちゃんの食柱毒は『口に関する基準点の変更』だよ」
「基準点……? どういう事です?」
「声、味覚、口調、話し方、それらは人によって異なる物だよね。そして、味覚なら美味しい、不味いを判断するための『基準』が、発声なら上手い、下手などを他人に判断されるような『基準』が誰にでも存在する。でも、霜月ちゃんの場合は、味覚の基準を変更して今までとは違う味覚で料理を楽しんだり、発声の基準を変更して他人の声を再現したり、そういった色んな事が出来るんだよ。もっとも、口にまつわる物限定だけどね」
「よくわかりませんが、ようするに声や味覚を自由に変えられるという解釈でいいんですよね?」
「うん。その通りだね」
「なるほど……そういう事だったのか」
これで、前に霜月が天川照真の声を再現していた謎が解ける。
表情まで似せていたのは、おそらく話し方を本人のものに変えたからであろう。その状態で伝言を話せば、確かに録音……というよりは録画のような状態になるだろう。
しかし、ここで塩谷の脳内にふとした疑問が浮かぶ。
「という事は、今回は味覚をどういう風に変更するつもりなのかな……?」
「そーれーはーねー。みーは普段、味覚を、一番一般的な基準に設定してるんだよー。つまり一番ふへん的な味覚で味を評価しようってわけー」
「なるほど……となってくると、万人受けする料理が有利ってわけか……」
「話は最後まで聞かなきゃだめだよー。今回は、プロの美食家の平均ぐらいでいくからー。ちなみに、一度設定したらもう何があっても変更しないから安心していーよー」
「……そっか。それだと、結構厳しいかもね」
けれども、それならば味覚に異常をきたす類の技が味覚変更によって回避される、という現象は起こらなさそうだ。
塩谷は真面目に考察する。
どういう料理を作れば優位に立てるのかは、料理対決において最も重要な要素である。
しかし、その点に関しては天川照真の方が熟知しているだろう。
だからこそ、こちらも必死で分析して、なんとかアドバンテージを埋めていく必要があるわけだが、いくら考えようと塩谷サイドの不利は覆らない。
それでも塩谷には自信があった。何故ならば、彼は今までこういった一見圧倒的不利な状況で負けた事がないからだ。だから、もういっそ開き直って、当時を思い出しながらの自然体で料理に挑む事にする。
「……よし。こっちは、準備オーケー。だよね、辛籐さん」
「もちろんです」
「僕ちんも問題ない、ってことで試合開始……の前にルール確認だけしようか」
「人数、品目無制限、妨害アリのサドンデスバトル。採点形式はポイント制で、先に500点を取った方が勝者となる。基本的に、食材はお互いあの冷蔵庫の物限定。だから、調味料のようなちょっとした物以外の持ち込みは不可となる。で、よろしかったですね」
「うん。そこに、冷蔵庫から持ってきた物は必ず使うというルールを足せば問題ないね。じゃ、霜月ちゃんカウントお願い」
「はーい。じゃーいくよー。さーんっ」
塩谷と辛籐は呼吸を整える。
このサドンデスルールにおいて、まず一番最初に重要視されるのは食材確保の速さだ。
サドンデスルールの場合、食材は互いに共通だ。複数の食材の入った冷蔵庫などが用意され、そこからお互いに必要な物だけを抜き出して料理するのだ。
だが、最初の食材確保に出遅れた場合、相手に必要な食材が取られてしまったり、逆に得意料理を作られてしまうかもしれないというリスクがある。そもそもにして、早く作ってどんどんポイントを稼いでいった方が有利なルールなので、それと同様に食材の確保も早い方がいいに決まっていた。
だからこそ、二人は走るため、呼吸を整える。天川照真の方は両腕を組みながら微動だにしていなかったが、そんなものなど気にせずに最善を尽くそうと心がける。
「にーっ」
塩谷は心のリミッターを外し、不死の力を用い無理して手に入れた強靭な身体能力の全てを扱えるようにしておく。
そんな彼の胸中は、不思議なほど穏やかであった。
何故ならば、彼はここに来る前に辛籐から、いかにこちらに勝算があるかという話を聞かされていたからだ。
第一に、天川照真は本気を出せない。彼は料理によるあまりの人心掌握力の高さから、本気を封印されているのだ。それは国からの正式な命令であり、公式試合などでは無い限り封印が破られる事はない。だから、本気の天川照真と戦うわけではないのである。
第二に、天川照真と渋堂我竜がほぼ同格という点についてだ。塩谷は渋堂に一度も勝った事がないが、単純なスペック面ではそこまで大きな差があるわけではない。いつも土壇場の大詰めで負けていただけである。だから、こんな彼が辛籐と組んで挑めば、相手がいくら天川照真であろうと勝てるのではないかという話だ。
故に、塩谷は恐れない。勝利を手にするため、全力で気合いを入れる。
「いーっち」
カウントは、もう残りゼロを残すのみとなった。
塩谷と辛籐はもう臨戦態勢だ。天川照真が何を仕掛けてこようが、対処する自信がある。
だから、余計な思考を削ぎ落し、最後のカウントに意識を集中させる。
「ぜろっ。しあいかいしー」
霜月が大ぶりな動作で右手を動かし、試合開始を告げるブザーの音が、モニターのあたりから発せられる。同時に、モニターには各自の所持ポイントが表示される。当然、最初はお互いゼロだ。
音と同時に、塩谷と辛籐は走り出す。目指すは冷蔵庫だ。
塩谷は圧倒的なスピードで辛籐を追い越し、即座に冷蔵庫の前へと辿りつく。そしてすぐに冷蔵庫に手をかけようとし……途中で止めた。
彼にとって、思いもがけないような光景が目に入ってしまったのだ。
「えっ? 始音さん! 一体何してるんですか!?」
「……どういうつもりかな。天川照真!」
「えっ!?」
慌てて辛籐が振り向く。そして、彼女も塩谷と同じものを見て絶句する。
塩谷と辛籐の視線の先、そこには調理台の前から一歩も動かずに、腕を組んで不気味な笑みを浮かべている天川照真が居た。
そう。彼は先に食材を確保できるというアドバンテージを、自ら逃したのだ。
明らかに故意である。何故ならば、天川照真の顔は愉悦で歪んでいたのだから。
「ん? 僕ちんは別に後でいいよ。ていうかこの戦い500点先取でしょ? いいよ。100点ぐらい先に取らせてあげる。ハンデね」
「……全く、貴方って人は……!」
辛籐の表情が険しくなる。
天川照真は本気を出せない。だが、だからといって、こういう形で手加減すればいいという問題では無いのだ。
本気を封印されるという事は、本来得意としているスタイルが使えなくなるという意味なのである。つまり、食柱毒が強すぎる場合はその能力の封印で、スピードを活かした戦法を得意としている場合はその速さの封印だ。
だが、こういった露骨な手加減は、封印の内容には含まれていない。こういうのは、ついうっかり実力の片鱗を見せてしまった時など、国に言い訳をするためにやらないと意味が無いのだ。
つまり、仕方なくでは無く、本気でハンデを与えるためにやっているのである。それは際限の無い自信のあらわれであった。
「ふざけるな……じゃあ、僕も動かない!」
「えっ!? ちょっと、始音さん!?」
塩谷は冷蔵庫を開けずに調理台へと戻っていく。
彼は気に食わなかったのだ。こんなに露骨に手加減されるというのが、プライドに刺さって刺さって仕方がないのである。
彼自身、手加減をした事が無いわけではなかったが、それでもここまで露骨な手加減はした事もなければ、された事すら無い。それ故、負けず嫌いの血が騒いでしまい、こういった行動をとってしまったというわけだ。
「待って下さい! 貴方は、甘音さんを助けに来たんじゃないんですか?」
「……それはそうだけど、でも、こいつの行動は気に食わないよ。そんな100点差なんて、無くていい」
「別に、だったら100点差つけて勝てばいいじゃないですか! それに、貴方がふてくされてようと私は料理を作りますが、それでいいんですか!?」
「……それは別に止めないよ。でも、それでも僕はやらないよ。だって、こいつが余裕面ぶっこいてる横で、あせあせとこっちだけが必死になりながら料理するっていう構図が気に食わない。だから、僕は絶対にやらないから」
「ああ、もう、本当にこの人は……! いいですよ。じゃあ勝手にして下さい! その代わり、埋め合わせはきちっとしてくださいね! これで勝てなかったら、それこそ貴方を責めますから!」
「わかってるよ」
こうして、塩谷と辛籐はすれ違うように、それぞれ望む場所へと移動する。
早速冷蔵庫の中身を物色している辛籐を尻目に、塩谷は調理台の方へと戻っていく。辛籐が調理する邪魔にならないように、なるべく端の方に立つ。
そして彼も腕を組み、天川照真を睨みつける。よくも舐めた真似をしてくれた、この視線にはそういう意味がこもっている。
対する天川照真は余裕の笑みを浮かべていた。底の知れない何を考えているかもわからない不気味な笑みだ。
「ははは、塩谷。お前は馬鹿なんだね。いや、愚かと言い換えてもいいかな」
「本当に愚かなのはどっちか、すぐにわかるよ」
「へえ。それは楽しみだ」
二人は視線と殺意をぶつけ合い、そのまま膠着状態となる。
その間に、辛籐は冷蔵庫から葱や豆腐やひき肉やその他もろもろの調味料などを持ってきて、早速調理に取り掛かっていた。食材からして麻婆豆腐だろう。
辛籐の食柱毒は念動力である。腕や指を動かす事により、指定した物体を浮かせたり自由に動かしたりする事が可能な能力だ。
だから彼女は、いつも食材や調理器具を一斉に浮かせて複数同時に作業を行っている。補足数、精密動作特化の念動力なので、その動きに淀みは無い。そんな能力発動のキーは首を左右に動かして音を鳴らすことだ。
そして、塩谷のすぐ傍で、首の骨を鳴らした音が響いた。
それからすぐに、辛籐は全身を激しく使ったダンスを踊り始めた。彼女の念動力の操作方法は、補足した物を動かしたい方向に、身体を動かすという物だ。だから、複数同時操作の場合、全身を使う必要があるわけで、それは最終的にダンスという形に落ちつく。
「いやー。僕ちん、久々に辛籐ちゃんのダンス見たよ。やっぱりいいね」
「随分と余裕そうだね、天川照真」
「あー正確に言うなら、余裕そうじゃなくて、余裕なの。僕ちんが負ける事なんて、そもそもの前提からしてあり得ないからさ」
「吼えるね。まあ、そんな余裕の態度が命取りにならないといいね」
「ははは、それはまた面白いジョークだね」
「ジョークかどうか、すぐにわかるよ」
そうして、時間は経過していく。
塩谷と天川照真は、ひたすらに実りの無い口論を続け、その間に辛籐は料理を作っていく。
辛籐は、時々食材を新しく補てんしつつ調理を続けており、いつの間にかその品数は三つほど増えていた。
そんなこんなで時は過ぎ、辛籐の料理が完成した。
麻婆豆腐、エビチリ、シュウマイ、肉団子の四種だ。量は全て小皿レベルである。点数を競うバトルに量は必要ないのだ。塩谷は、これらの品をどうして同時に完成させられたのだろうという疑問を浮かべるが、しかしそれだけ彼女は複数同時料理のノウハウを熟知しているという事だろうという事で納得する。
これらは彼女の得意とする中華料理だ。その中でも特に武器としている辛い物も二つほどある。彼女の麻婆豆腐は非常に辛いのだ。これは高得点が期待出来るだろう。
辛籐は料理を全て盆に載せ、中央にある審査員席のテーブルまで持っていく。
「できました。どうぞ、冷めないうちに」
「おー。おいしそーだねー。じゃー早速いっただーきまーす」
審査員席の霜月はまず肉団子の載った皿を手に取り、大口を開け、一気に傾け口の中へと放り込む。その食べ方に、辛籐は少し不愉快そうな顔をしていたが、何とかそれだけに留めていた。確かに、ここで文句を言っても仕方が無い。
肉団子を口に含んだ霜月は目を閉じ、ゆっくりと何度も何度も咀嚼をし続けた。それはまるで品定めをされているようであり、事実そうなので、辛籐も若干の緊張を隠せていなかった。
何せ、相手は天川照真の傍にいた少女なのだ。味覚基準はプロの平均に合わせてあるとの話だったが、それでもこんな相手は初めてである。塩谷も、おそらく辛籐もだ。
そんな緊張時間が続き、ついに飲みこむ音が聞こえる。霜月はどうやら肉団子を食べきったらしい。
そうして彼女は目を開き、人差し指を辛籐に叩きつけ、大口を開けて吼える。
「16点っ!」
「え……?」
「だから、16点だよ」
「いえ、わかっています。ちなみに貴方の採点は何点満点ですか……?」
「100点満点に決まってるよー。だから、何度も繰り返すけどーこれ16点だよー」
「……嘘だよね?」
塩谷は自分の耳を疑う。
しかし、上部のモニターには無情にも16点の数字が刻まれていた。
この勝負は500ポイントを先に取った方の勝利だ。それなのに5%未満の数値である。辛籐が、いくら得意の辛い要素を入れなかったとはいえ、気合いを入れて作った一品なのにも関わらずだ。
これでは、塩谷の料理がどういった評価を下されるかも怪しくなってくる。塩谷は、言ってしまえば、単純に全ての料理をハイレベルで仕上げられるだけの料理人だ。一点特化型では無い。故に、一点特化型には少なからず劣っている部分も存在しているのだ。
例えば、こと辛い料理に限定するなら、辛籐も塩谷に肉薄する可能性もあるわけだ。しかし、ここで中華一点特化型の辛籐がこの程度の評価だったのだ。
早くも、雲行きが怪しくなってくる。辛籐の表情にも焦りが見える。
しかし、彼女は不安を払拭するかのように机を叩く。
「わかりました。では次です!」
「じゃーシューマイ食べるねー」
霜月はまたしてもシューマイの皿を持って、直接口へと流し込んだ。豪快な食べ方である。
それからまたしつこいほどの咀嚼を繰り返し、目を見開いて結論を出す。
「13点っ!」
「……下がった!?」
「始音さん、黙って下さい! なら次です!」
「はーい」
総合点は二品にして29ポイントだ。このペースで、残り471点を天川照真より早く稼がなくてはならない。
塩谷の心に暗雲が立ち込めてくる。もしや、ここでハンデを嫌って行動しなかったのは、とんでもなく愚かな判断だったのかとさえ思えてくる。
そんな塩谷の心情とは裏腹に、霜月は、今度はエビチリの皿を手に持ってまたしても一気に傾けて口に入れる。それからまた長い咀嚼。
塩谷は、今回で駄目ならば、今後は厳しいだろうと考える。これは辛籐の得意とする辛い料理だ。これで、今までのよりも一気に点数が上がってくれなければ正直困る。
何故ならば、さっき霜月は100点満点と言ったのだ。ならば、彼女のいう100点の料理とは何なのだろうかという話になる。しかし答えは分かりきっている。
天川照真、そんな最強の料理人のそばにいる少女ならば、彼の料理を100点と称しても何の不思議もない。つまり、天川照真は100点すらも叩きだせる可能性を持っているというわけだ。
本気でない今ならば大丈夫なのかもしれないが、それでも50点ぐらいは余裕で取れるであろうと容易に想像できる。だからこそ、それに対抗できるほどの点数でなければ、勝利はあまりにも遠い。
そして、霜月が料理を飲みこんだ。
審判の時が訪れる。
「……25点っ!」
「……っ!? これは、厳しいですね……」
「そうでもないよー。しんどーさんは凄いよ。だって二桁も取れてるんだから」
「慰めはよして下さい。さ、これで今回のぶんは最後です。どうぞ」
「おお、まーぼーだぁ」
現時点で、総合54ポイントだ。
三品、それも得意料理を混ぜた上で、ようやく50を少し上回ったレベルだ。
あくまで可能性の話だが、もしかしたらこれは、向こうのたった一品に押し負ける可能性もあるほど小さな点数なのだ。
そして残った最後の料理は麻婆豆腐だ。これはかつて辛籐の店で扱われていた評判の料理であり、彼女の得意料理でもある。
しかし、これまでの流れを考えるに、これで状況を打開するのは難しいだろう。これでは総計100点もいかないはずだ。
それに辛籐は、必殺技である味覚破壊をまだ使っていない。彼女は、ありとあらゆる香辛料を、自身の念動力で最小単位にまで分解して融合させる事によって、未知の香辛料を生成する事が出来る。未知の香辛料には味覚破壊という付随効果があり、それによって対戦相手の料理を封殺する事が出来るのだ。
それを使っていないのは、おそらく様子見のつもりだったのだろうが、完全に裏目に出ていた。ここで一気に決めに行くのが懸命だったのだ。辛籐もそれに気付いたのか、苦虫を潰したような顔をしていた。
どうあがいても勝ち目など見えない。霜月は、小皿に入れられた麻婆豆腐を大口の中へと注ぎこむ。そして咀嚼。
しかし、結果など見えているも同然だ。ここで100点を越えるには、今までの倍以上の点数を取らなければいけないのだ。だが、エビチリの時点で、もう既に希望は潰えている。
塩谷は、自らの愚かさを嘆きつつ、ゆっくりと判決が下るのを待った。
「……46、点っ……!」
「「……何っ!?」」
意外な高得点に、塩谷と天川照真は同時に驚きの声を上げる。
これは畏怖でも何でもなく、ただの疑問だ。何故、言ってしまえばこんな普通の料理が、ここまで高く評価されたのか。
それが二人には理解出来なかったのだ。霜月も同様に、口をぽかんと開けて考えこんでいる。
不落嬢、辛籐空美だけが薄い笑みを浮かべていた。
今、この瞬間。
辺り一帯の空間は、辛籐空美によって支配されていた。そう。かつて彼女が連勝無敗神話を成し遂げた時のように。
「何故、貴方まで驚いているんです、始音さん……? 私はちゃんと確認しましたよ。もしかして、気付いていなかったんですか?」
「確認……? 一体何を……?」
「そうですね。復唱はあまり好きではないんですが、まあいいでしょう。私、言いましたよね? 『食材はお互いあの冷蔵庫の物限定。だから、調味料のようなちょっとした物以外の持ち込みは不可となる。で、よろしかったですね』と……」
「調味料……? はっ! まさか……!?」
調味料。
辛籐空美の用いる必殺の調味料は特殊なものだ。何せ、一時的に凄まじい中毒性を発揮する上に、食後の味覚破壊効果まであるのだから。
しかし、複数の香辛料を、能力で最小単位まで分解して再融合させるというプロセスのため、調合は目立つ物だと思われていたのだ。今回、作ったような動きがなかったから、塩谷も気がつかなかった。
だが、それがもし、事前に持ち込まれていたとしたらどうだろう。そんな素振りをほとんど見せずに、味覚破壊料理を作る事が可能だ。塩谷と天川照真が下らない口論をしている間に、自らの料理にふと混ぜる事ぐらいは可能なはずである。
つまり、それらが意味する事実とは……
「THE END OF ROAD……応用版です。天川照真さん。貴方の道は、ここで終焉を迎えます」
『THE END OF ROAD』とは、辛籐空美の奥の手である必殺料理だ。
それは元々、ただのパスタに味覚破壊香辛料を混ぜただけのものであった。何故そんなにシンプルなのかというと、これは香辛料を活かすための料理であり、肝心のパスタ部分の味付けは普通に留めておく必要があったのだ。だから味覚破壊を封じられてしまえば、大きな弱点となってしまった。
しかし今回は違う。彼女が元々得意とする麻婆豆腐に味覚破壊香辛料という組み合わせであるため、元の味付けのせいで味覚破壊効果は若干弱まっている。だが、今回は逆に一時的中毒性と麻婆自体の美味しさが融合して、やみつきになる美味さを演出する効力を発揮したというわけだ。
「しかし、私の実力もこの程度とは悲しいですね。ですが、この料理はあまりの辛さで人の味覚を一時的に麻痺……いえ、数分間味覚を破壊する事が出来ます。始音さんは必殺技を用いれば解除する事が出来ますが……果たして貴方はどうですか、天川照真さん?」
以前、塩谷は辛籐の味覚破壊を突破できる可能性は六割前後と考えていたが、それは誤りではない。
だが、辛籐はそれを考慮した上で、塩谷が味覚破壊を破壊しやすいように、普段と微妙に調合を変えていた。
だから、今回に関してはその心配は無い。
それは、今の辛籐の態度や言葉から、きっちりと塩谷に伝わっている。
これで無用な心配はいらなくなった。見えてくる勝機。
この展開に、流石の天川照真も苦笑しつつ頭を掻いてしまっていた。
「……やられたねぇ。流石、不落嬢といったところかな……」
不落嬢。それは彼女の二つ名だ。
辛籐の味覚破壊は、条件次第で絶対に勝利出来るという必殺の武器である。故に難攻不落。故に不落嬢。
確かに、これ単体では、天川照真にはとても叶わないだろう。これだけで攻略できるはずは無い。何かしらの対策を用いられるのは目に見えている。
しかし、この力と塩谷の力が組み合わされば、途端に可能性が見えてくる。希望が見えてくる。
モニターには堂々とした100ポイントの文字。こうして見れば、彼女は単体で全体の五分の一を確保出来るだけの実力を保有しているという、揺らがぬ事実が浮上してくる。何よりその数字が、その真実を如実に表していた。
「うーん。こんなに早く点数取ってくるとは僕ちん予想外。じゃあ、仕方ないね……そろそろ動くか」
天川照真は組んだ両腕を下ろし、目を閉じて静かに一呼吸する。
すると、唐突に、彼の隣に黒い人影の靄が出現した。
「!? これは、食柱毒!?」
「みたいですね。まさか、分身……!?」
「違うよ。近いけど、僕ちんのこの力はそこまで優れてないよ。ほらっ」
天川照真が左腕を振るうと、人影の身体から黒い部分が弾け飛び、一気に見た目が変化する。
天川照真の隣に立っていたのは、天川照真に瓜二つの人物だった。というより、本人とほとんど相違点がなかった。今、突然出現した方は、顔を伏せていてどんな顔をしているのかはわからなかったが、それ以外の特徴はほぼ全て一致している。
違うのはたった二点。出現した方は髪が長く、指先や身体つきなどの細部が女性的になっているという点と、幽霊のように半透明の姿をしているという点だ。
「これはね。僕ちんよりも力が劣っている人形のようなものなんだ。正直、使いどころなくて困ってたけど、こういう公式じゃない試合の時は助かるよね。だって、本気を出さなくて済むから」
「……!」
天川照真の生み出した人形が顔を上げる。
すると、そこには人間的な顔がついていなかった。眼の位置に二つの穴があいているだけで、その他のパーツが一切ついていなかったのだ。何故かシルエットが女性的であるため、それがより一層不気味さを際立てている。
どうやら、これを遠隔操作して料理をするというのが、彼の本気封印という事なのだろう。
しかし、油断は出来ない。天川照真は本気でなくても強いはずなのだから。
「じゃあ、僕もそろそろ動くかな……」
「やっとですか」
塩谷も腕を回しながら動き出す。
こうして、お互いに戦いへと繰り出していく。第二ラウンド、否、ここからが本当の戦いである。
塩谷始音は本気で挑む事を決意する。向こうは、いくら本体に比べて力が劣っているとはいえ、それでも最強の力の片鱗ぐらいは見せてくるはずだろう。
だからこそ、もう一度心のリミッターを外し、力を全開放する。
「行くよ。天川照真」
「来いよ。塩谷始音」
こうして、彼らの心の中でゴングが鳴り響いた。




