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HelleN! -愛情よりも大切な-  作者: パンダらの箱
「ROUTE:SWEET」編 vs神
28/98

同類 -出会い方が違えば、本当に仲良しになれてたはず-

 天川邸は、街外れの森林地帯にある、規模の大きい洋館である。

 清潔な白を基調とした木造のその建物は、まるで周囲の木々をどかしたような広いスペースの奥に鎮座していた。どうやら二階建てのようで、遠くから見ても複数の窓が確認出来る。全体的に横に広がるデザインとなっており、それが見る者に妙な圧迫感を与えていた。

 玄関は、横から見た時少しだけでっぱるような形となっており、地面よりも何段か高い位置のため、ちょっとした階段が備え付けられている。

 洋館の前には、水が張られたプールのような広い水場があり、その上には白い橋がかけられていた。左右には噴水が備え付けられており、完全にこれはデザイン性のみを重視した意味の無い設備である事がうかがえた。

 その周囲には広大な庭が広がっており、この家の周辺のみは生い茂っている木々が無いので、自由に動き回れるだろう。

 そして、それらを外界から遮断するかのように、大きな煉瓦造りの門が存在していた。


 そんな外界から遮断された世界。

 それこそが天川邸という名の一種の異世界だった。


「それにしても、こんな豪邸に住んでるとか……凄いね……」

「私の実家はもっと凄いですけどね」

「張り合わなくていいから」


 塩谷始音と辛籐空美は天川邸の門を抜け、屋敷前の大きなプールにかけられた橋を、二人で渡っているところだった。

 門は、備え付けられているインターホンを鳴らし、自己紹介するだけで簡単に開いた。

 そんなこんなで、彼らは屋敷までのそれなりに長い道のりを歩いているわけであった。その道も後少しで終わりだ。もう洋館の入り口と、そのあたりに立つ少女の姿は見えているのだ。

 ウェーブがかった短髪に、季節外れの赤いコートと黒いロングスカートを着込んだ少女がそこに居た。


「誰でしょうか、あの子」

「ああ、あの人は確か、五味グループの霜月なんとかさんって人の妹なんだって」

「霜月って、ああ、あのキンキン五月蠅いクソ女の事ですか。妹居たんですね。ちなみに、そっちの方は性格まともだったんですか?」

「ちょっと変わってるけど、多分そんな問題ないと思うよ」

「あっ、おにーさんだー! やっほー!」


 色々話しているうちに、その少女、霜月散葉も塩谷達の接近に気がつく。

 若干テンション低めなのはいつも通りだが、心無しか嬉しそうに手を振っているようにも見えた。

 塩谷は、それに対して引き気味の笑顔で手を振り返しながら、とりあえず急いで橋を抜けて屋敷の玄関へと歩いていく。


「やー。おにーさん久しぶりだねー」

「ああ、しもつ……じゃなかった。散葉ちゃん。久しぶり。ここで何してるの?」

「みーは、ここのめーどさんでもあるんだー。あっ、めーど服はちゃんとコートの下に着込んでるからへーきだよー。ところで、そっちの女の人は?」

「……?」


 塩谷は、天川照真から何も聞かされていないのかという、単純な疑問を思い浮かべる。

 しかし、話を聞いた感じだと、天川照真もかなり適当そうな人間だったため、理由はいくらでも思い浮かんだので細かい事は気にしないようにした。

 辛籐の方は、問われるとすぐに照れたような柔和な笑みを浮かべ、両手を下の方でもじもじさせ始めた。どうやらキャラ作りは初対面の相手の前でも続けるようだ。


「こっ、こんにちは……! 私、辛籐空美と言います。よろしくお願いしますね」

「あー。しんどーさんってこの人だったんだー。おねーちゃんがいつも言ってるよ。あっ、あーあー……おほん『意地の悪くて細かい事に拘るグチグチ小五月蠅いクソ女デスわ!』って」


 今、霜月の声がまた少し変わった。かなり甲高いキンキン声へと。

 おそらくこれが彼女の姉の声真似なのだろうと塩谷は判断する。


「……は?」


 ちなみに今ので辛籐の笑みに亀裂が入った。そのせいで、再び臆病人見知りキャラを保てなくなるであろう辛籐に呆れつつ、塩谷はさっさと天川照真の元へ向かいたいなという盛大なため息を吐くのであった。


 それから少々の口論が起こった後、塩谷達は天川邸の中を案内された。

 全体的に日本らしからぬ空気感と、複数の部屋をまたぐ長い廊下があるというのが特徴的な建物であった。

 霜月は長い廊下を先導して歩き、塩谷と辛籐はそれについていく形となった。その間、窓と扉と壁ばかりの単一的な風景が続いた。

 そうして数分後、一つの大きな両開きの扉の前で、霜月が歩みを止めた。


「さーて、ついたよーん。ここ食堂ねー。あまかーさんは二人ともここにいるよー」

「あまかーさんは二人とも? 何ですか、あの地獄お嬢様はついに分身でも会得したんですか……?」

「ああ、この人、天川照真さんも天川甘音さんも、両方あまかーさんって呼ぶんだよね」

「へえ」

「そーだよー。さ、開けるねー」

「えっ、ちょっ、待っ、まだ心の準備が!」


 ちょっとした雑談中に、突然扉を開けられてしまう。

 あまりにも唐突すぎる対面に、塩谷の心は一瞬竦み上がる。が、辛籐が平然としているのを見て、彼もなんとか平常心を取り戻す。

 これぐらいで動揺していては、これから先、対応出来ない事に気がついたのだ。

 そして、扉は完全に開かれ、食堂の内部が露わになった。


「……やあ。よく来てくれたね、二人とも。歓迎するよ」


 そこは、長方形の大きな部屋だった。少し高い位置の窓から光が届き、白い壁を照らしている。天井には派手なシャンデリアが三つ下げられており、壁には複数の絵画が飾られている。全体的に清潔感あふれる部屋である。

 そして、部屋の中心にある大きなテーブルの一番奥には、一人の男が座っていた。

 温厚そうな顔立ち以外は特に特徴の無い、スーツを着た中年男性だ。中年、とは言っても顔の造詣自体は妙に若々しく、まだ二十代後半と言っても通用しそうなほどである。そんな彼は、天川照真。

 この天川邸どころか料理界全てを掌握しかねないほどの大人物、天川家の当主なのだ。


「こんにちは。天川さん。今日は貴方にお話があって来ました」

「へえ。とりあえず座りなよ。ほら、そこの君も」

「へっ……? あ、はい……」


 小慣れた雰囲気の辛籐に対し、塩谷は完全に空気に呑まれていた。

 事実、慣れ以前に気持ちの差というのもあるだろう。辛籐の目的が徹底抗議なのに対し、塩谷はとにかく天川照真が気に食わないというだけでここに居る。その差は大きい。

 兎にも角にも、二人は促されるまま移動する。すると、霜月の手によって扉は閉められ、彼女は入り口のところで控える形となった。

 辛籐は迷わぬ足取りで左側の奥にある席に座ったため、塩谷もおずおずとその隣に座る。これは、ただ単に辛籐がいつも通りの席に座ってしまったために起きた現象なのだが、三人もいるのに座っている位置が左斜め奥に偏ってしまった。

 そこに、霜月がやってきてコップに水を入れていくが、塩谷はとても手をつける気にはなれなかった。

 その状況の居心地の悪さを塩谷だけが感じながら、こうして話し合いの場が完成する。そんな中、天川照真は依然としてにやにやとした不気味な笑みを浮かべていた。


「さて、そのお話っていうのは何だい?」

「一応言わなくてもわかっているでしょうが、天川甘音さんの件です。彼女、学校にも行ってないそうですが、何かあったのでしょうか?」

「学校にも?」


 塩谷は初めて聞く事実に疑問符を浮かべる。

 しかし、冷静に考えればすぐにわかる話であった。一応、塩谷だけ学年が一つ下とはいえ、HelleNで働く三人は同じ学校に通っている。ならば、天川が学校に来ていれば辛籐が見逃すわけがない。

 それなのに、その辛籐が、しばらく天川に会ったような素振りが無かったという事は、即ち天川甘音は学校に来ていないという事なのだろう。

 そして、その理由も簡単に察する事が出来た。

 なぜならば、辛籐の言葉を受けた天川照真が。薄気味悪い笑みをまだ浮かべ続けていたからだ。


「ああ。その話ね。それはね、僕ちんが行かせてないだけだよ。学校に電話かけたら、いつまでも休んでいいなんて言われちゃったから、しばらく甘音ちゃんは家から出さないつもりだよ。それがどうかしたの?」

「どうかしたのって……!」


 塩谷はテーブルの下で拳を握りしめる。

 天川照真の笑みは、何の悪意も思惑も感じられないただ純粋な笑みであった。まるで、やって当然の事をしたと言わんばかりの顔だ。

 この男が、娘の通う学校にただ電話しただけじゃないというのは、簡単に想像出来た。普通、親が電話をかけたぐらいで、そこまで長期的に休む事を許可されるわけがない。おそらく、持てる権限のうちどれかを使ったのだろう。ただ単に、娘に対する独占欲に近いエゴのために、それだけの事をしでかしたのだ。

 塩谷には、それが何とも気に食わなかった。


「そんな、何でそこまで……!」

「始音さん、落ちついて下さい。とにかく、話はわかりました。ところで、この部屋に来る前、甘音さんもここにいらっしゃると聞いていたのですが……聞き間違いですかね?」

「あ、そういえば……」

「ああ、甘音ちゃんなら、たったさっき部屋に戻したよ。何でかって? 決まってるじゃないか」


 そこまで言ったあたりで、天川照真は急に笑みを消して、塩谷に視線を向ける。

 淡々とした仕草だったが、その身体から漂っているのは間違いなく殺気であった。一見温厚さを保っているような目元からも、隠しきれない憎悪と嫉妬がにじみ出ていた。

 だが、この反応によって、塩谷はようやく落ちつきを取り戻す。彼は、相手が自分に敵意を向けているただの「敵」だと言う事を再認識し、自身も怒りと敵意を全開にして対抗する。


「何……すか?」

「君と娘を、会わせたくないんだよ。あのさ、伝言でも言ったと思うけど、僕ちん、君の事が大嫌いなんだよね……えっと、なんていったっけ?」

「塩谷、始音……です」

「ははははっ! なぁんだよその取って付けたような敬語! 似合ってない! 似合ってないよ! いっそ、ここはさぁ。お互いタメ口でいこうよ塩谷……お前だって僕ちんが気に食わないんだろ? ああ、来た時の雰囲気から全部わかってたよ」

「……別に、そんな事は……」


 あるのだが、事を面倒にしたくなかったので、塩谷はあえて言葉をそこで切った。

 しかし、それだけの行為に、ほとんど意味など無かった。どの道、この二人は相容れないという事をお互いに理解し合っていたのだ。

 だから、何らかの形の争いが避けられないのは、もう周知の事実と言っても過言では無かった。

 だが――


「はい、ストップです。天川さん。喧嘩売らないで下さい。あくまで私達は話し合いに来たんですから」

「ああ、ごめんねー。ついカッとなっちゃって。でも、塩谷。お前は僕ちんにタメでいいっていうのは本当だよ。逆に敬語とかはやめてくれよ? 辛籐ちゃんと被る」

「被りませんよ。何を言っているんですか。とにかく、話をしましょう。話を」

「話、ねえ。でも僕ちんの側からは、もう話す事なんて何も無いよ? これ以上何を話すっていうのさ」


 天川照真が、また軽薄そうな笑みを浮かべる。

 これはあからさまな挑発だった。ようするに、辛籐側の目論見をさっさと話せという誘いである。

 それに対し、辛籐が更に目つきを鋭くして挑もうとしていた。塩谷は確信する。辛籐空美が、もう一気に本題まで行って決着をつけようとしているであろう事実を。


「では、私の話を聞いてください。話……いえ、もうまどろっこしい言葉はいりませんね。言い方を変えます。私の、いえ、こちらの要求を聞いてくれますか?」

「ははは、そりゃ物によるよ辛籐ちゃん」

「ですよね。では、こういうのはどうでしょう?」

「何だい?」

「天川甘音をさっさと返して、HelleNの営業を再開させて下さい。もちろん、潰すとかそういう話は撤回して頂くという事で」

「「「!」」」


 そのあまりにストレートすぎる物言いに、その場に居た辛籐以外の全ての人間が、一瞬言葉を失った。

 それから、塩谷はその激突不可避な言葉にため息を吐き、天川照真はじわじわと笑みを取り戻していき、入り口のところで控えていた霜月は首をかしげた。

 これは、早速本題に入ろうという大胆な攻め込みであった。

 しばらく硬直状態が続くが、少しして部屋の中に拍手の音が鳴り響いた。当然、鳴らしているのは天川照真その人である。

 天川照真は笑う。面白いジョークを聞いたかのように。


「面白い事言うね。でも、聞くと思ってるのかな? いくら辛籐ちゃんでもそれは……」

「ですよね。やっぱり、お互い妥協出来る部分なんて、この話にはそもそも無いんですよね」

「……辛籐さん、まさか……!?」


 ここに来て、塩谷は初めて理解する。

 何故、辛籐はわざわざここまで出向いたのか。そして、何故塩谷を連れて来たのか。

 それらのピースがかみ合って、今、最悪の形を形成しようとしていた。

 塩谷は嫌な予感に全身を震わせる。そんな事態、あってはいけないのだ。

 しかし、辛籐は無情にも話を進めていく。


「天川さん。貴方も料理人ですよね。でしたらわかるでしょう? こういう時、一体どうするべきか」


 やはり、それは料理対決の可能性。

 塩谷はその物言いに言葉を失ってしまう。

 だが、辛籐の目に、一切の冗談の色は浮かんでいなかった。

 本気である。


「あー待って待って。そういう話、僕ちん駄目だから」


 しかし、その進撃は天川照真の、あまり乗り気でない態度に阻まれる。

 当然だ。突然、料理対決をもちかけられてノリノリで応えられる者など、塩谷の知る限りでは渋堂我竜ぐらいしか居ない。

 けれども、辛籐はそれでも余裕を崩さない。


「何故です?」

「これは僕ら家族の問題だからね。そんな料理人のルールなんかで解決出来る話でもないよ」

「そうですか。でしたらわかりました。今から、貴方の身内が、かつて言った言葉を繰り返します。それなら聞いてくれますか?」

「むう……? ま、別にいいよ。どんなのだい?」


 辛籐の勢いは止まらない。彼女は、おそらく天川甘音がかつて言っていた事を繰り返すつもりだろう。

 それが創作と言われたり、言いがかりと言われる可能性が思いつかない辛籐では無いはずだが、それでも彼女は止まらない。何故か、こうすれば上手くいくと言う確証があるかのように。

 辛籐は突然立ち上がり、大きく咳払いする。そして妙に気取ったような声でしゃべり始める。


「じゃ、料理対決で全部解決だわぁ!」

「うわ、似てなっ!」


 辛籐空美の物真似はあまりにも似ていなかったため、塩谷は思わず突っ込みを入れてしまう。

 辛籐の顔が赤くなっていく。しかし、彼女は一瞬塩谷の方を睨んだだけで、半ばやけになるような形で口を大きく開ける。

 その内容は、以前塩谷と辛籐が喧嘩した時に、天川が料理対決を提案した時のものだった。


「あのねぇ。今の感じだと、多分どっちも納得しないで終わると思うのぉ。ならいっそ戦って、勝者は全てを得て、敗者は全てを失うでいいんじゃないかしらぁ!? つまりはそういう料理対決をすれば、お互いすっきりすると思うのぉ!」

「……全然似てないなぁ……」

「で、でも! 確かに甘音ちゃんなら言いそう! ていうか言われた事あるよ僕ちん! うわぁぁ、やっばい! こんな事言われたら僕ちん断れないよ!」

「……マジで?」


 効果は抜群だった。

 天川照真は一切の反論もせず、ただただ同意している。馬鹿である。

 どうしてこれで、今まで他人の意見を聞き入れてこなかったのかが逆に不思議なぐらいだ。あまりにもちょろすぎる。

 だがまあ、これで彼と料理対決を行う事が可能になったというわけだ。

しかし、これで状況がよくなったとは言い難い。

 何故なら、天川照真は実質この国のトップとも言える存在である。そして、そんな彼と同格の渋堂我竜という料理人と塩谷は何度か戦った事があるが、結果はほとんど全て惨敗だった。よって、塩谷がいくら伝説と呼ばれた料理人だからといって、勝てるわけではない。

 なのにも関わらず、辛籐の顔には勝気な笑みが宿っていた。


「じゃあ、料理対決は受けてくれるんですよね?」

「うん、甘音ちゃんの提案ならもちろんさ! でも、本当にいいの?」


 天川照真の顔から、またしても笑顔が消える。

 だが、今回は前みたいな怒りではなく、どちらかと言えば真顔に近い表情であった。

 その顔から、何とも言えぬ能面のような雰囲気を感じ取った塩谷は、咄嗟に姿勢を整える。その動きは明らかに警戒によるものだった。


「僕ちん、相当強いよ。勝てるの?」


 それは、一見すればただの傲慢な台詞であるが、天川照真が言った場合、それは実力を伴ったものとなる。

 現代料理界の二大巨頭のうち一人であり、ハイレベルな料理人ばかりを集めた五味グループの長でもあり、料理人の家系である天川家の中でも一番の実力を誇り、そのあまりの人心掌握力のせいで国から本気を封印されている数少ない料理人であり、世界レベルを圧倒する渋堂とも張り合えるレベルの男、天川照真の言葉である。重みが違う。

 事実、塩谷は勝てる気がしなかった。

 しかし、それでも、彼よりも実力が劣るはずの辛籐は、折れていなかった。むしろ計算通りと言わんばかりの顔で腕を組む。


「そうですね。正直、ちょっと厳しいかもしれませんね」

「でしょ、ならやめておいた方が身のためだと思うよー?」

「いえ、それでもこっちに勝機はあります」

「へえ。面白そうだね。言ってみてよ」


 天川照真が攻撃的な笑みを浮かべる。

 どうやら、ここまで挑発されたのは久しぶりのようだ。

 さっきまでとは打って変わり、非常に楽しそうな顔となっている。それはどことなく獣を彷彿させる笑みだった。

 やはり塩谷は、それに冷や汗を流してしまうが、対する辛籐は汗一つかいていなかった。


「サドンデスルール、なんていうのはどうでしょうか? それなら、個人の実力はさほど大きな差になりません」

「サドンデス……!? 辛籐さん、それ本気!?」

「はっはっはっは! 面白い! それは本当に面白いねぇ! 最高だよ! 本当に君は最高だ!」


 サドンデスルールとは、ほとんど何でもアリという無制限さが特徴のルールである。

 まず、人数無制限で、品目や品数も指定無しというのが一般的なサドンデスルールだ。ローカルルールや特殊ルールで多少異なる事はあっても、公式戦では主にこの自由方式が採用されている。

 そして、採点の仕方はポイント制である。料理を出せば出すほどポイントは加算していき、最終的に指定された上限点数に達した時点で勝負は決する。

 しかし、このルールは自由度が高すぎるため戦略や戦法の幅が広く、一般的に上級者向けのルールとされている。

 塩谷には、この土壇場でこのルールを指定してくる辛籐の気持ちが、全く理解出来なかった。


「私は本気ですよ。お互い人数は無制限なので、好きな人を呼んできていいですよ。サドンデスルールはチーム戦とも言われていますし」

「へぇ。それで君らは勝つ気でいるんだー。面白いよ本当に。でもさぁ……」

「「!」」


 天川照真はねちっこい笑みを浮かべ、顎を少し上げて見下すような視線を向けてくる。

 それは、まるでこちらの思惑を読んでいるかのような、底知れない何かを感じさせる表情であった。


「ちょっと甘いんじゃない、辛籐ちゃん? そら、君らは複数でもいいよ。でもさ。僕ちんがなんて答えるかぐらい予想出来たよね?」

「……何です?」

「僕ちん一人で充分だ。これは、君らが誰を連れてこようと変わらない僕ちんの意見だよ」

「……そうですか」


 サドンデスルールの醍醐味は、複数の料理人が集まるところにある。

 しかし、一概に多くの人間がいればいいという問題では無い。確かに複数居た方が作業効率は上がるが、しかしながら本当にそれだけなのだ。それどころか、天川照真や渋堂我竜などのレベルに達した場合、相方が相当の使い手で無いとむしろ邪魔になってしまうというケースも過去に存在した。

 だからこそ、天川照真が他の誰かと組むなどあり得なく、同時に彼は一人の方がむしろ力を発揮出来るという事も周知の事実なのである。

 故に辛籐は、塩谷と組んだ二対一ならば勝機は見えるという判断を下したのだろう。

 続く言葉も強気だ。


「では、改めて確認させていただきますが、貴方は、勝者は全てを得て、敗者は全てを失うという条件を呑んだという事で……よろしいですね?」

「構わないよ。ま、僕ちんの条件は、んんと、何て言ったっけなぁ……とにかく君らの店、潰すって事でいいよね」

「問題ありませんよ。ただし、貴方が負けた場合はどうします?」

「別に、好きにしていいよ。僕ちん、無駄な事考えるのって苦手でさー」


 それは、何があっても己が負けるわけがないという、絶対的な自信の表れだ。

 事実、不利をひっくり返して圧勝出来るだけの実力が、この天川照真には備わっているのだろう。

 辛籐も少し苦い表情で「わかりました。後悔しないで下さい」と言うが、ほんの少し自信に揺らぎが見えた。もちろん、すぐに隙の無さそうな表情を浮かべ直したが、それでも一瞬だけ動揺してしまったという事実は揺るがない。

 じわり、じわりと、言い知れぬ不穏な空気が漂い始める。

 それゆえ、塩谷はこのままでは絶対に勝てるわけがないという不安しか感じていなかった。


「辛籐さん。やっぱり無理だよ……勝てるわけが……」

「始音さん」

「何さ?」

「貴方、言ってましたよね。そこのニヤニヤ笑っている男が気に食わないって」

「ちょっ……! 何も今ここでそれを言わなくてもいいよね!?」

「はっはっは。いいよ、塩谷。僕ちんだってお前が気に食わないから。お互い、同じ想いを抱えて戦おうよ。ここは、さ」


 辛籐の発言のせいで、話が妙な方向へと進んで行く。

 塩谷はそろそろ不安を抱えきれなくなっていた。

 彼は強いがプライドも高い一面があるため、格上相手に正面切って喧嘩を売るのは苦手というか、むしろ絶対にしたくない事のうちの一つであった。

 しかし、辛籐の目は塩谷を射抜いたまま放さない。むしろ、先ほどよりも強い光が宿っている。


「始音さん。それでいいんですか? 貴方は、こんな男相手に負けを認めたままでいいんですか? 鼻っ柱へし折るんじゃなかったんですか!?」

「いや、それはあくまで話し合いで……」

「だったら話し合っている時にもっと発言してくださいよ! なんでほとんど黙っているんですか!?」

「いや、それは、その……ごめんなさい」

「謝罪なんて何の意味もありません。そんな事より、貴方の名誉挽回の話です。勝ちたくないんですか!?」

「……それは……」


 塩谷は俯き、何を言っていいのかわからなくなった。

 彼は、一応料理をやめている身である。もっともこの場合、手伝わざるを得ないというのは理屈と感情の両方で理解している。状況が状況というのもあるが、だから彼は基本的に文句を言わなかった。

 しかし、それと闘争心は別問題である。正直、確実な勝機が無いのならば、引くべきだと彼は判断したのだ。

 本気を出して負けるのが恐い。それは辛籐に以前指摘された事であるが、まさに図星である。塩谷は格上相手に本気を出せるような性格では無いのだ。

 だから、いくら辛籐から発破をかけられても、心が動く事は無かった。


「僕は……僕には……」

「はっはっはっはっはっ! 無駄だよ辛籐ちゃん。この腑抜けインポ野郎にそんな度胸は無いよ!」

「……何?」


 天川照真の嘲笑に、さっそく心が動いた。

 塩谷始音は、何とかその苛立ちを抑えようとしながら、その男を睨みつける。

 だが、天川照真は全く意に介さず、煽るような笑みで罵倒を始める。


「えっ、なに怒った? 怒ったのー? ごめーん! でも事実だから仕方無いよねー。甘音ちゃんに惹かれて勤め先決めて、適当にだらだらやってたんでしょどうせ。評判見たけど、君ほとんど料理してなかったんだよね。それを叩く声も少なくないみたいだよ。はっ、何が伝説だよ」

「……あの、天川さん、あの……です、ね……」

「はっはー! ほらみろまた似合わねー敬語使おうとしてやがんのー! なんつーかいちいち小さいんだよねぇ! というかそもそもここまでロクな決心も無く来ておいて、終始だまりっぱなしで、女に励まされてもガキみてーにウジウジウジウジし続けやがってさー! ほんと、何しに来たんだお前」

「……だから、天川さん、いや、天川……!」

「何何? うわーキレてる恐いなー! とでも言うと思った糞餓鬼ィ? ぜーんぜん迫力ないから! ああ、もう。こんな男に甘音ちゃんは騙され誑かされ……可哀想に……うぅ……あー。考えれば考えるほどむかついてくるよなお前。ま、そんなお前はどうせ無様に負けるんだよ。だからやるだけ無駄……じゃないか、僕ちんの気が晴れるもんね。ほんの少しぃー? ま、好きにしなよ。僕ちんのサンドバックになるのが嫌なら逃げかえってもいいんだよ。そんでちっせー粗末な器隠して一生何かに脅えて生きてろ。この泥棒い…………」


 瞬間、天川照真の口から「ウヴェッ」という奇妙な声が漏れ、言葉が中断された。

 何かが高速で、天川照真の顔面に激突したのである。

 原因は明確。それは、何かを投げつけたような体勢の、塩谷のせいだ。

 塩谷は頭にきたので、咄嗟に何か投げる物が無いか探し、手元にあった水入りのグラスを全力投球したのだ。そう。全力だ。

 塩谷の食柱毒は「死亡後の復活」である。そんな不死の能力を利用し、塩谷は本来死んでも不思議ではないほどの過酷なトレーニングを耐え抜いて、超人的身体能力を手に入れているのだ。

 その肉体の繰り出す投擲の威力は、最早人間が叩きだしていいレベルを遥かに超えていた。故に、投げたグラスは低い風切り音を鳴らしながら音速で天川照真の顔面へと向かっていったのだ。

 それは見事に天川照真の顔面にクリティカルヒットし、グラスは勢い良く割れ、彼の顔と身体は水で濡れる。しかし問題は無いはずだ。料理人はこれぐらいじゃ死なないどころか、怪我すらしないだろう。

 現に、天川照真の顔は傷一つついていなかった。彼がもし凡人ならば命さえも危うかったのかもしれないが、料理人なので身体が常人よりも頑丈であるため、問題なんて何も無い。

 しかし、天川照真は一瞬何をされたかわからないような顔を浮かべ、茫然と塩谷の方を見る事しか出来ていなかった。


「…………え?」

「うっさい。ねえ、天川、いや、それだと娘の方と被るからフルネームで呼ばせて貰うよ。天川照真。あのさ、まず、人の話聞いてよ。その態度は、非常識だよ」

「いや、明らかにグラス投げた方が非常識でしょう? 何やってんですか」

「こっちは店潰されかけてんだよ……人一人ぐらい何さ」


 塩谷は視線を研ぎ澄まし、鋭い目線を天川照真へと飛ばす。

 ついやりすぎたという反省は、既に彼方へと消えていた。そんな事よりも、彼的にはもっと大事な事があるのだ。

 だから、それを優先するべく塩谷は指を空高くに掲げ、一気に振り下ろして天川照真に向ける。


「負けないから」

「…………はぁ?」

「僕、あんたには絶対に負けないから。覚えておいて。最初のうちは誤解を解こうとか色々考えてたけど、もういい。天川照真、あんたは僕にとってただの、食材でしかない」

「……すごい喩え持ってきましたね」


 塩谷はあえて「敵」や「障害」という言葉を使わなかった。なぜならば、その言い方だと勝利が確定しているとはとても言えないからだ。

 もっと、見下した言い方が良いと判断した彼は「踏み台」と迷った挙句「食材」を選択した。

 踏み台なら、もしかしたら跳び損ねる可能性もある。だが、相手が食材ならば後は調理するのみだ。たとえ放置し腐らせたとしても、それは人間が食材に敗北した事にはならない。料理に失敗したとしてもだ。何故ならば、人間はもう既に動植物を食材にした時点で勝っているのだから。

 だからこそ、このチョイスである。

 辛籐は若干引いていたが、塩谷は全身全霊の魂を込めて、既に確定した敗北者相手に勝利宣言を叩きこむ。


「いいよ、そこまで言うなら勝ってやる! 宣言通りあんたの鼻っ柱をへし折って、歪んだ鼻に更にもう一発叩きこんでやる!」

「いや、そこまで言っていませんでしたから。と、いうか。あの程度の煽りで怒りすぎですって。もう、落ちついて下さい!」

「……!」


 ちょっと本気の辛籐に怒られ、塩谷もようやくそこで冷静に自分の行動を思い返す。

 そして、急激に熱が冷めるように反省する。


「……たしかに、ちょっとやりすぎたかもしれない」

「どう考えてもやりすぎです。もう一度言いますが、落ちついて下さい」

「……う、うん……」


 辛籐に促され、塩谷は気持ちを落ちつかせる。

 そして、後から襲いかかってくる猛烈な後悔。負けず嫌いが転じてこんな事までしていまった自分への失望。彼はそんな感情に支配され、頭を抱えた状態から動けなくなる。

 こうして場は収まる……わけがなかった。

 さっきから一切動いていない天川照真が、にこり、と優しい笑みを浮かべたのだ。それには流石の辛籐も身構えてしまう。


「ははは……やってくれたね。いやぁほんと、ひっさびさだよ。こんなに苛つく相手と出会ったのは」

「あ、あの、天川さん落ちつい……」

「いや、本当にここまでとは思わなかったよ。僕ちん、これまでの人生でこんなに嫌いになった相手始めてかも」

「ちょっ……ちょっと……」

「その嫌いになった相手って、僕の事かな?」

「始音さんーー!? お願いだから今は黙って下さい!」


 いつの間にか塩谷まで起きあがっていた。

 どうやらまた煽られたせいで、後悔を脱ぎ捨て復活したようだ。

 これにより、再度争いが勃発しかねない爆発寸前の空気が展開する。

 この戦い、両者ともに煽り耐性ゼロである。故に、いつ爆発してもおかしくない。

 そして、二人とも同時にテーブルを叩いて睨みあう。


「ああ、僕ちんは本格的に君を潰す事にした。すぐにでも戦おうか? セットならうちの中庭にあるよ?」

「上等だよ。でもいいのかな? わざわざ負けるための舞台を用意してくれてさ」

「どういう意味かまるでわからないなぁ。はははは」

「わかんないんだ。でも大丈夫、すぐにわかるから。ははははは」

「な、何ですかこの二人……」


 高校生と中年がにらみ合いながら嗤いあっていた。

 その光景は不気味の三文字以外で表現するのは難しく、そこにはお互い私怨の二文字しか無かった。

 そうして、戦いの火蓋が切って落とされるのであった。


「やってやるよクソガキ! そのちっぽけなプライドを料理してくれる……!」

「いいよ、かかってきなよ! どうせ勝つのは僕だけど! 真上から叩き潰してやる!」


 それから、奇しくも合致したお互いの信念を、叫ぶ。

 それらの声は、偶然にも重なる。


「「出来る限り手を抜いて!」」


 それは、二人の気持ちが初めて一つになった瞬間であった。

 全力の敵を最小の力で潰すのがモットーのこの二人は、意外と性格が似通っていた。

 お互い意識していないだけで、本当に近いものがそこにあった。

 その勢いに、辛籐はとてもついていけない。

 だから辛籐は、それはもう空よりも広く海よりも深いため息を吐く事しか、出来ないのであった。


「仲良しですか、貴方たちは……」


 何はともあれ、これにてHelleN奪還のための戦いが幕を開けるのであった。

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