ROUTE:SPICEっ!
「…………はっ!? 私は一体何を!?」
真夜中、HelleN店内で辛籐は目を覚ました。
どうやらいつの間にか寝てしまっていたらしい。客用のソファーの上で覚醒した彼女は、現状把握のために周囲を見回す。だが、店内の灯りも消えていて、既にほとんど全てが真っ黒に染まっていた。
「これは、一体……」
彼女は、記憶を手繰って、あの料理対決の時に何が起こってこうなったかを思い返す。
たしか、あの勝負自体は塩谷の圧勝だったはずだ。相変わらずの圧倒的加速力によって調理を終えた塩谷の料理は、まさに絶品という他無い味だったようで、天川はかつて無い程に絶賛していた。
結果、辛籐は負けたわけだが、彼女の心は不思議と穏やかだった。心の奥底にこびりついていた不満が解消され、ついに彼女はきちんと謝る事が出来たのだ。
しかし、そこまでの出来事には何の問題も無かった。こんないつの間にか眠っていて、深夜帯になってしまうような要因は一切無かったのだ。そこまでならば。
「……! そういえば、あの後……!」
辛籐はようやく思い出す。
そう、料理対決までの流れには何の問題も無かったのだ。問題はその後発生した。
彼女は、過去の思い出と合致させるために、塩谷のオムライスを一口食べてしまったのだ。その結果は悲惨の一言に尽きた。
たしかに、味は、あの時食べたものに近い何かを感じさせるような出来であった。むしろ、それよりも進化しているかのようだった。だが、あまりにも進化し過ぎていたのだ。
塩谷の必殺技は「三柱天国」という代物で、それは彼が本気に勝ちに行くときに利用する大技である。
その詳細は、まず普通に美味しい料理を出して、食べた者に幸せの天国を与えるのだが、実はその料理には彼の不死の力が付与されているのだ。不死の力が付与された料理を食べたところで、別に不死の力が得られるわけではない。その代わり、食べた者は激しい拒絶反応を起こし、一瞬気を失い、本質的な意味での天国を垣間見てしまうのだ。
そしてその後、後味の良いデザートを出して、あの世から生還した直後に、天国のような幸せを与える事によって完成する技、そう、食べた者に三度の天国を味わせるこの技こそが、三柱天国なのだ。
もちろん、今回のオムライスにもこの技が用いられており、これがいけなかった。ちなみにデザート部に関しては、内部の味付けを一部変える事によって対応してきていたが、辛籐はそれを味わう事なく撃沈してしまっていた。
「……ああ、あれは流石にヤバかった記憶しか……」
この不死の力を食した事による拒絶反応が、辛籐の場合、尋常じゃないぐらいに大きかったのだ。
彼女の体質のせいで、拒絶反応の効果が極限までに膨れ上がり、彼女は気を失ってしまったのだ。その時の衝撃はかなりのもので、まるで地面が揺れているかのような錯覚をしてしまうほどに、彼女は激しい痙攣を繰り返し、その末に意識を失ったのだ。
おそらくその後、とりあえずという事でこのソファーまで運ばれたという事だろう。
そんな事実を思い返し、辛籐は頭痛がしてくるのを抑えられなかった。
「あーあ……って、あれは……?」
辛籐はソファーから立ち上がる。そして、ふと何かが動いたように見えた場所へと移動する。
そこには、机に寝そべる形で塩谷が眠っていた。
彼の傍らには、桃色のブヨブヨした頭蓋骨のような「何か」が皿の上に乗せられていた。おそらくこれは天川の料理だろう。天川は最近腕を上げたようなので、きっとこれは人を殺す料理などでは無く、気を失わせる料理だったのだろう。
その証拠に、塩谷の表情は苦悶に歪んだままになっている。彼は死ぬとすぐに蘇生する。だからこうして、料理を食べてから苦しそうな顔で倒れている事など無かったのだ。よって、これはただの気絶であると判断出来た。
辛籐の推測では、おそらく料理対決に触発された天川の作った料理を、塩谷は無理矢理食べさせられたという形になったはずだ。彼女は同情しつつも、とりあえずその辺を歩き回る。
そうして、厨房まで来て電気をつけた時だった。彼女は、とある物が置かれている事に気がつく。
「これは……料理?」
そこには、またしてもラップに包まれたオムライスが置かれていた。出来の良さからして、間違いなく塩谷製だ。天川のわけがない。
そのすぐそばには、切り取られた手帳の一ページに雑な字で「辛籐さんへ。負けたペナルティとして食べて」と書かれていた。これは後日食べさせる予定だったのか、それとも夜食にしろという事なのか、彼女には判別がつかない。が、珍しくお腹が鳴ったので、折角だし食べてみる事にする。
彼女はラップを剥して、食器を取り出し、立ちながらの格好になるが黙々と食べる。
「味が全然しない……」
そのオムライスはほとんど味付けがされていなかった。外側にケチャップさえもかかっていない。
しかし、そのおかげか、不思議と問題なく食べる事が出来た。単に薄いだけの料理なら反応してしまう彼女だが、どういうわけかこれに関しては平気だった。
きっと、塩谷なりの工夫がされているのだろう。そのおかげで、辛籐は実に久しぶりにまともに料理を完食する事が出来た。どうやらこれは悪戯心によって作られたものでは無く、罰ゲームと銘打っただけの想いやりという事がよくわかった。
「ごちそうさま……」
それから、辛籐は下げた食器を洗って棚に戻し、その後結構全力で歯を磨く。寝起きの口内は非常に汚い事で有名だ。彼女はいつもより気合を入れて磨く。顔も洗う。
そんな事をしてから、今度は店の中を動き回って、毛布のようなものが無いか探し回る。
すると、物置の中からそれっぽい物が出てきたので、早速塩谷の元に持っていってかけてやる。せめてもの恩返しだ。
塩谷は苦しそうな顔で寝息を立てていた。どう見ても悪夢にうなされているようにしか見えなかったが、辛籐には何故かそれがほほえましい光景に見えてしまっていた。
「何と言うか、本当に巻き込まれてばっかりですね、貴方は」
辛籐は、自覚も無く自然な笑みを浮かべていた。
振り返れば、今日の塩谷との確執は全て消えていた。最初の水に手をつけた点は未だにどうかと思うが、しかしそれも事の発端は辛籐のためにしてくれた行動から始まったはずだ。
もちろん、こちらが脅したという前提はあるものの、一応気遣ってくれた事実に間違いは無い。わざと負けた件に関しても、辛籐に気を遣っていたという気持ちは少なからずあったはずだ。
少なくとも、彼の今日の行動に悪意が無かったのだけは確かである。そして、辛籐を気にかけている部分もあった。
最後には。どういう心変わりがあったのか、真摯に向き合ってくれた。
彼女には、それだけで充分だった。
「それにしても汚い寝顔ですね」
食べてすぐ寝ると、菌が口内に繁殖してしまう。もっとも、同じような理由で気を失った辛籐も人の事はあまり言えないわけだが、それでもこの人は起きてそういう事を気にするだろうかという事を考えてしまう。
もしかしたら、気にしないかもしれない。人が手をつけたコップで水を飲める人間なのだ。それはあり得る。彼女には信じられない事だが、可能性だけは十二分にあった。
だったらいっそ、唇でも直につけてもっと穢してやろうかという気持ちも芽生える。が、それは自分も嫌だったので、すぐに思考を霧散させる。
辛籐は、何故そんな思考が咄嗟に浮かんだのか疑問に感じつつ、どんどん顔に血液が集まってくるのを自覚していた。
結局、彼女は「もう、知りません」という、八つ当たり気味のよく意味のわからない台詞を吐いて、この店を立ち去る事しか出来なかった。明日は学校があるので、ずっとこの店に留まっているわけにもいかなかった。
しかし、そうなってくると同じ学校に通っているはずの塩谷は、朝、非常に困るだろう。一応、それだけは考慮して塩谷の身体を揺さぶったり叩いたりしてみたが、死んでいるかのように動かなかったので、もう放置する事しか出来なかった。
辛籐はそれを気にかけながらも荷物をまとめ、そそくさと店を出ていく。その際、店の出口のところで振り返り、再度塩谷の方を見る。
「もちろん起きてからも言うつもりですが、一応、先に言っておきます。すみませんでした」
それは今までのぶんも含めた謝罪だった。
何だか、この一日は終始塩谷の事だけを考えていたような日だった。もっとも、ほとんどが恨みごとや純粋な怒りばかりだったのだが、終わってしまえば笑える話だ。
それに収穫もあったので、結果として、彼女の中でこの日は「いい一日だった」と言う事が出来るような日になってしまった。
そんな思いを胸に詰め、辛籐は今まで以上に純粋な笑顔で、最後にこう告げる。
「それと、どうもありがとうございましたっ!」
その後、すぐにベルの音と共に扉が閉まる音がした。
それでもどうせ塩谷は目を覚まさないだろうなと思いつつ、辛籐は熱を帯びた顔を夜風で冷やそうと、なるべく速足で帰宅していったという。
そして、そんな彼女の予想通り、塩谷が朝大幅に遅刻してしまったのは言うまでも無い。




