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HelleN! -愛情よりも大切な-  作者: パンダらの箱
「ROUTE:SPICE」編 ~性感帯克服~
22/98

塩辛終戦っ!

「はぁぁぁぁ~~~」


 夜。自宅で夕飯を食べ終えた辛籐空美は、ゆっくりと超激戦区の道を歩いていた。夕飯、とは言っても栄養剤なのだが、夜に摂取する食事という意味では間違っていないだろう。

 そんな彼女は現在、かなり気まずそうに肩を落として歩いていた。


「うう……いきたくない……」


 辛籐は、家で今日の不満をノートに書き綴り、全力でストレスを爆発させた。

 その結果、妙にすっきりしてしまったのだ。それこそ怒りが霧散するレベルに。

 よく、書いて暗記するという人種が存在するが、辛籐の場合は全く逆で、彼女は書くと忘れてしまうような人種であった。記憶力はかなりいい方なので、ずっと脳内に留めておく分には問題が無いのだが、どうもそれを書くとなると、まるで記憶を外に出してるかのような感覚にとらわれ、気が付けば忘れてしまっているのだ。

 正確に言えば、記憶自体は簡単に忘れられるものではないのだが、それを書いた時の感覚や感情がすっぽりと抜け落ちてしまうのだ。どうしても、自分が書いたものを後から見返しても既視感がないというか、他人の書いたものかのように見えてしまうというわけだ。

 そんなわけで、今回、彼女は怒りを忘れてしまった。そうなってしまうと、今度はどんな顔をしてHelleNに行っていいかわからなくなってしまったのだ。


「塩谷さんにも、後日謝らないと……はぁぁぁ……」


 冷静になった彼女は、もう既に自分の非を認めていた。そしてその上で、相手の非を許容出来ていた。

 しかし、だからこそ後には気まずい感情しか残らない。

 彼女は、そんな事情に心を痛めながらも、とにかく一度行くと言った以上、行かないわけにもいかず、店の方まで直行する。

 そうして、悩んでいるうちに、いつの間にかHelleNの店の前まで来ていた。店内からは、薄いオレンジの照明が漏れ出ていた。やはり中には誰か居るようだ。

 辛籐は、重たくなった感情を少しでもため息で吐きだすようにし、意を決して木製の扉を開けた。取りつけられたベルの音が、ちりんちりんと小気味の良い音をたてる。


「こ、こんばんはー……」

「あら、早かったじゃない?」

「あ、甘音さん」


 店に入ると、天川が奥の方から歩いてきたので挨拶をかわす。

 天川は、制服にエプロンといった姿だったので、もしかして料理をしているのではないかと、辛籐の中で不安が膨れ上がる。

 しかし、天川はすぐに向けられた視線に気づき、即座に柔和な笑みを浮かべ、エプロンを両手でひらひらさせる。


「あ、これ? これはさっきまでちょっと準備してたから着けてただけよ。別に料理してたわけじゃないわ」

「そう、なんですか……あっ、昼間は迷惑をかけて申し訳ありませんでした……」

「いいのよ、そんな気にしなくても。わたしも気にしてないし、始音くんだって自分の非を認めてるみたいだから、ね?」

「そうですか、でも……それでも、自分の感情を上手くコントロール出来なかったのは私の責任です。本当に、すみませんでした……」

「だから、いいって言ったじゃない。気にすることないわ」


 辛籐は何度も頭を下げようとするが、そのたびに天川によって止められる。

 結局、根負けしたのは辛籐の方で、彼女はせめてものお詫びという事で、持ってきたお菓子類を渡す事にした。これが近所からのおすそ分けというのは内緒だが。

 そんなやり取りがあった後、彼女はふとした違和感に気がつく。


「あれ、水道の音がしてますね? 止め忘れじゃないですか?」

「ああ、それは問題ないわ」

「えっ、もしかして奥に誰かいるんですか……?」

「その通りよ。その人は、あなたを待ってるみたいだから、ちょっと行ってあげてくれない?」

「……? はあ、わかりました」


 天川の態度に疑問を抱きながらも、辛籐は店の奥へと誘われるかのように歩いていった。

 どんどん水の音が近づいていき、自然に辛籐の心も大きく揺れ動く。

 彼女には、奥に誰が居るのか、だいたい想像がついていた。だからこその緊張である。どんな表情をして会ったらいいのかわからないのだ。そんな彼女の不安は解消される事無く、その足はついに厨房の床を踏みしめてしまった。

 蛇口をしめる音と、水滴が落ちる音がした。それを機に、時間が止まってしまったかのような錯覚が芽生える。辛籐の呼吸が一瞬止まる。

 厨房には、塩谷始音が立っていた。

 白い調理服に身を包んだ塩谷が、辛籐を待ちかまえていたのだ。その表情は真剣そのものである。


「……!」


 その異様な空気に一瞬面食らう辛籐であったが、すぐに表情を作り変える。皮肉気で小馬鹿にするような表情へと。

 それでいながら声のトーンはいつもより低めにしておく。秘めた怒りの演出だ。

 彼女はさっきまで謝ろうとしていたわけだが、いざ本人を眼の前にすると、何故かそういう態度が取れなかったのだ。


「なんで居るんですか? 塩谷さん、貴方は帰って下さいと言ったはずです。まさか勝利者の特権すら反故にするつもりですか?」

「その件に関しては、ごめん。だけど、もう一回チャンスをくれないかな?」

「はあ? 何都合のいい事言ってるんですか。もしかして、再戦してくださいとでも言いたいんですか?」

「……まったくもって、その通りだよ。もう手は抜かない。前の負けに関しては、何か他の方法で払うから……」

「何を言っているんです。馬鹿じゃないですか? そんな勝負をうやむやにするような人とは、もう戦いたくありません」

「……そっか」


 塩谷が肩を落とす。しかし、ある程度は予想出来ていたのか、吐いたため息には諦観のニュアンスも含まれていた。おそらく、彼の内面は今、それなりに荒れている事だろう。

 しかし、内面が大変な事になっているのは彼だけじゃ無かった。むしろ、辛籐の方が重傷であった。

 彼女は不機嫌そうな表情を浮かべながら、内心激しい葛藤に身を苛まれていた。


(って、何やってるんですか私―! 謝るんじゃなかったんですかぁ!? と、いうか、なんで喧嘩腰になっちゃってるんですか! ああ、もう、どうしてこんな態度とっちゃうんだろう……!)


 もちろん、これらの感情は内側でのみ展開されているので、外側の塩谷には届かない。

 彼からしてみれば、辛籐はただただ機嫌が悪いだけの女だろう。塩谷に人の心理を察する力は無い。

 よって、もうこのままお開きになりそうな空気が流れる。

 それは、お互い望むところでは無かったのだが、しかしこの流れを修正する事はどちらにも出来なかった。

 だが、この凍りかけた世界に、一筋の光明と共に救世主が舞い降りる。


「じゃあ、こうすればいいんじゃないかしら?」

「「!?」」


 たたんだエプロンを両手で抱えた天川が、厨房に入ってくる。

 どうやら彼女には考えがあるようだ。

 このパターンは、普段ならばどうせ碌でもない事なのだが、今回に限っては妙に頼もしく感じられた。


「これは第二ラウンド! でも、始音くんは手を抜くというルール違反をしたため、ペナルティで一回負けたのと同じぐらいの罰をきちんと受けなくてはいけない、というのはどうかしら?」

「手を抜いたのが反則行為、ですか? それは不自然なのでは……」

「デュエルルールは本来、純粋な実力のみの真剣勝負を前提としたルールのはずだから、これも立派な反則行為に含まれるわ」

「そんな無茶苦茶な……」

「これでいいじゃない。空美、どうしても納得いかない?」

「……いえ、決してそういうわけでは……」

「始音くんは?」

「僕も別に、問題無いよ」

「じゃあ決まりね! 料理対決、夜の部! これより開催ー! ぱちぱちぱちぱち」

「えっ……ちょっ……待っ……」


 辛籐の制止虚しく、天川の手によって料理対決が再開されてしまった。

 そんな慌ただしい結果に、彼女は深い深いため息を吐き捨てる。が、これは今までの物とは違い、あくまでポーズであった。

 本当は嬉しかった。

 天川と塩谷が、彼女のために再戦の場を用意してくれたという事実が。これから本気の塩谷と戦える光栄が。何もかもが嬉しかった。

 だが、そんな露骨に嬉しそうな顔を浮かべるわけにもいかず、あくまで嫌嫌な表情を作りながら彼女は問う。


「で、ルールはどうなるんですか?」

「わたしは、最初と同じで、デュエルルールのオムライス指定でいいと思うけれど、二人はどう?」

「僕は、それでいい」

「私もそれで構いません」

「はい、決まりね! じゃあ、はい、空美。次のコイントスはあなたよ」

「……はい!」


 辛籐は、天川の手に乗せられていたコインを強く掴む。それは天川から手渡されたバトンのように感じられた。

 コインを渡すと、天川はそそくさと退散してしまった。

 辛籐が周囲を見渡すと、何気にオムライスに必要な材料は既に出されていた状態だった。どうやら彼女のために前もって用意していたようだ。何故か、後日のための仕込みも既に終えられていた。おそらく先ほど天川がエプロンをつけていたのはそういう事だろう。

 彼女は、またも視線を鋭くするよう意識しながら、塩谷の方を見る。今度の彼は表情が違った。今までの適当な感じは一切無く、むしろ冷たささえも感じさせるほどの強烈な気配を発し続けている。どうやら、本気でやると言った言葉に嘘偽りは無いようだ。

 これだけで多くを察した彼女に、もうほとんど言葉は必要なかった。塩谷の方もそうだろう。


「塩谷さん」

「何?」

「良い勝負をしましょう」

「ああ、そうだね」


 こうして、辛籐はコインを跳ねあげる。

 その後、すぐに能力を発動し、調理器具たちを浮かせて準備を始める。

 彼女としては、塩谷との実力差はよく理解しているつもりだった。だが、それでも尚、負けないように気持ちを高める。

 辛籐は強い笑みを浮かべ、念動力に気持ちを乗せて構える。憧れに負けないように。そして追いつけるように。

 そして、コインが床に落ちる音がした。

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