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HelleN! -愛情よりも大切な-  作者: パンダらの箱
「ROUTE:SPICE」編 ~性感帯克服~
20/98

偽装敗北っ!

 辛籐空美は、開始早々絶望した。

 彼女の調理スタイルは、自信の念動力を用いて、複数の調理器具や食材を浮かせて、同時に調理を展開するというものだ。しかし、念動力は自分の身体を動かす向きに対応しているため、複数同時に動かすためには全身を動かす必要があり、結局その動きは踊るようになってしまう。今では、意図的に踊りながら調理しているぐらいだ。

 だから、現在彼女は踊っていた。踊りながら念動力を操作し、切るのと炒めるのを同時にしたりしているため、その動きは相当早いはずだ。

 そう。早い、はずなのだ。

 しかし、それでも、眼の前の男には到底及ばなかった。


「何ですか、それ……! 嘘でしょう!?」


 塩谷の動きは、常人が目で捉えられる速度を、三テンポぐらい追い越していた。まるで彼だけが、ビデオで極限まで早送りされているかのような速度で動き回っている。彼が腕を動かす時など、腕や手が何十倍ぐらいにも増えているかのように見えてしまう。それなのにも関わらず、彼は時々立ち止まっては欠伸をしたり、身体を伸ばしたりしている。まるで、久々の運動で疲れたとでも言いそうな態度である。

 そんな事をしているのに、それでも辛籐の何十、何百倍も速いのだ。塩谷始音の動きは、もう既に人間のそれを遥かに凌駕していた。

 辛籐は、自分が特撮番組の中にいるかのような錯覚を覚える。これが食柱毒を使用していない人間の動きであるのが、とても信じられなかったのだ。


「っ! 私も負けてませんよ!」


 辛籐が踊る速度を上げる。

 けれども、彼女が包丁を一回上げて振り落とすまでの間に、塩谷は一品全てを切り終えている。速度の次元が違った。その上、断面の仕上がりも比べ物にならないぐらい綺麗だ。

 あろうことか、塩谷は速さのみならず正確さも身につけているらしい。しかも、細かい裏技も熟知しているのか、本来ならば絶対に火が通りきっていないようなタイミングで火を止めているのにも関わらず、その炒め物はどう見ても火が通りきっているような見た目になっていた。などなど、まるで手品のような事までやってくる。

 全てにおいて格が違った。辛籐もそれなりの腕前は誇っていたわけだが、それでも塩谷の作業と比べたら全てが雑に見えてくる。

 調理前から、既にクオリティの違いを見せつけられ、彼女はほんの少しだけ涙ぐむ。


「……ようやく、会えたんですから! これぐらいで、負ける私じゃありません!」


 辛籐空美が初めて料理に感動したのは、意外な事に小学二年の時だった。

 彼女はもともと特異体質なのもあり、それまで料理には興味や関心を示さなかった。ただ、そういう家系だから、やるだけやらされていただけであった。彼女にとって料理とは、たったそれだけのものだったのだ。

 しかし、ある時のイベントで食べたオムライスだけは違った。それは確か、当時天才小学生と呼ばれていた料理人が、何かの折に作ったものだった。もちろん、口の過敏な反応のせいで多少涙目になってしまったが、それでも味が苦痛を上回った初めての瞬間だったのだ。それ以来、彼女は料理が好きになった。

 その話した事も無い少年が、実は塩谷始音その人だったと知ったのは、ついこの間の事である。一度、辛籐の店に来た彼を、色々と調べてみたところ判明した事実だ。だから彼女は、いつか塩谷と戦う事があった時、種目はオムライスにしようと、いつもこっそり練習していたのだ。


 ちなみに、その際にわかった事実がある。

 それは、塩谷始音の戦績である。彼は、料理を始めてから今まで、公式戦においてたった四度の敗北しかしていなかった。そして、彼を倒しているのは、ほとんどが渋堂我竜しぶどう がりゅうという同年代の少年だ。そして、最後の敗北をきっかけに、塩谷は料理の世界から消えてしまっていたという。

 何故、これほどの逸材が消えてしまったのか。辛籐は疑問に思いつつも必死になって料理を作り上げていくのであった。



「はい、しゅーりょー! じゃあ早速、ジャッジを下すわ!」



 そうして数十分後、決着はついた。

 結果だけを見れば、勝負は完全に圧倒的な結末を迎えていた。

 塩谷が、辛籐の何十分も前に調理を終え、辛籐が妨害する間もなく、捉えられないほど素早い動きで、天川に料理を届けてしまったのだ。

 天川は、それを極楽浄土に居るかのような笑顔で食べていた。まさしく、三柱天使トリニティエンジェルの異名を持つ男、塩谷始音の本領発揮である。

 それから辛籐も遅れて作ったオムライスを提供したわけだが、これは彼女にしては珍しくあまりに正統派過ぎるせいか、天川からの反応は今一つだった。

 これはもう、勝負がついたも同然の差である。


 現在、彼女らは結果待ちの状態だった。

 二つのオムライスをペロリと呆気なく完食しきってしまった天川は、両方の味を思い出そうとしているのか、うんうん唸っていた。

 しかし、そんなに悩む事は無いだろうと、辛籐は思う。当然だ。食べた時の反応がまるで違う上に、先手まで取られたのだ。これでは負けても仕方がない。悔しいが、満足感はあったので良しとしたい。そんな感情に支配された辛籐は、もう結果を待てるほど心の余裕が無くなってきていた。

 だが、そんな彼女のじれったさが爆発する直前に、天川がぱちりと目を開いて満面の笑みを浮かべた。どうやら決まったらしい。


「勝者……っ! じゃかじゃかじゃかじゃかどーん! はーい、辛籐空美ーーーっ! はいっ、おめでとー!」

「えっ……?」


 辛籐は、意外さに目を見開く。

 そんな彼女の胸中に、嬉しさだとか優越感などという物は、一切存在していなかった。

 ただ純粋な、疑問のみが脳内を埋め尽くして離れない。ようするに勝った気がしないのに、無理矢理表彰台に乗せられたような違和感を覚えてしまったのだ。


「なんで、私なんですか……?」

「うーん。始音くんのオムライスは確かに美味しかったけど、なんというか少しくどかったのよね。妙に凝り過ぎていたというか……でも、空美のは普通に美味しい正統派だったから、僅差で勝利って感じだったわ。おめでとう! まさか本当に始音くんに勝っちゃうなんて、やるじゃない!」

「……」


 説明を聞いても、辛籐には違和感しか無かった。

 どうにも、ピースが噛みあっていないように感じられたのだ。

 辛籐は、ある程度なら、調理風景だけで完成品のクオリティの高さを察する事が出来る目を持っていた。

 そして、その審美眼を信じるのならば、塩谷の料理は、明らかに次元を越えた出来になるのは確実なはずだったのだ。

 なのに、そう。塩谷の料理の評価が低すぎるのだ。

 辛籐は、この時のためにあえて正統派でいった。だから、特別な何かが無いというのは承知だった。だから、辛籐の料理が想像よりも評価が低い、という結果ならば納得は出来たのだ。

 けれども塩谷のは違う。明らかに普通じゃない作り方で、普通より少し劣る物を生み出したのだ。あの作り方で、辛籐のオムライスに負けるわけがないのだ。これが違和感の正体である。

 あまりにも、不自然過ぎるのだ。何もかもが。

 その証拠に、塩谷の顔もあまり悔しそうでは無かった。むしろ、やりきったような笑みさえも浮かべていた。


「あーあ。久々に運動したから疲れたよ……やっぱり、ブランクを埋めるのは難しいね……」

「……」


 そんな塩谷の態度に、辛籐は全てのピースが噛みあった感触を感じていた。

 彼女は、実は塩谷が負けず嫌いだったという事実を見抜いていた。何故なら、戦績を見てみても、敗北後は、まるで療養期間のように毎回長い休みをとっていたりしていた。また、彼が肩入れしていた天川が、料理対決で負けそうになっていた時もかなりムキになっていたり、それなりに片鱗は見せてはいたのだ。それらの態度から察するに、彼は負けて平気な顔でいられるような人種では無いと、辛籐は判断していたのだ。

 もちろん、その憶測が間違っている可能性だってある。しかし、それを差し引いても、あまりにも塩谷からはやる気という物が感じられなかった。だから辛籐は直感で理解した。

 塩谷が、実は、さっきの対決で手を抜いていたという事実を。


「僕の負けだよ、辛籐さん。とりあえず、先に謝った方がいいかな?」

「……何、ヘラヘラしてるんですか?」

「えっ?」

「負けたんですよ。悔しく無いんですか?」

「……ええと、悔しい気持ちは、あるけど……なんというか、ブランクがあるし、辛籐さんも強いから仕方ないって思って、今はかえって納得してるよ」

「嘘、ですね」


 今の反応で疑心が確信に変わった。

 辛籐は、もう遠慮する必要など無いと判断し、表情を作り変える。

 怒りに歪んだ憤怒の形相へと。


「塩谷さん。はっきり言って下さい。今、明らかに手を抜きましたよね?」

「えっ、何のことかな?」

「とぼけないで下さい! わかっているんですよ! その態度、さっきの料理のクオリティ、全部が不自然過ぎるんですよ! 貴方はもっと、負けず嫌いじゃなかったんですか!?」

「そっ、そんな事言われても、僕だってあれが全力だったし、だいたい手を抜いて僕にメリットなんか無いよね?」

「……!」


 この言葉で、更に理解する。

 塩谷始音という人間が、何故料理をやめてしまったのか。その片鱗が、今の発言に表れていた。

 そんなふとした隙が、今までの全てと繋がり、一つの真実を浮き上がらせた。それは、彼女からしてみれば知りたくも無かった答えであった。

 辛籐は、怒るというよりは呆れた表情を浮かべ、どうすればいいのかわからなくなった感情をぶつける。


「わかりました。何で、貴方がここまで料理を作るのを拒むのかも、何故料理をやめてしまったのかも、全部わかりました」

「ちょっと空美、急にどうしたのよ!?」

「部外者は引っ込んでいてください!」

「う、うん…………っ。……くすん。わたしオーナーなのに……」


 天川は店の端の方へ移動し、体育座りで落ち込んでしまった。

 が、辛籐は一瞥もせずに、塩谷の方へと向き直る。

 塩谷は、今まで本気を出してこなかった。それは、恐らく本気を出しては、何か不味い事情でもあるのだろうと考えられる。

 辛籐は即座にそれを推測し、糾弾を続ける。


「で! 塩谷さん、ようするに貴方は本気を出して負けるのが恐いんですよね? 違うなら違うって言って下さい。その時は謝りますので」

「……それはっ! 何をっ、根拠にそんな……」

「否定、しないんですね? やっぱりそうですか。貴方の過去の戦績を見た事があるのですが、公式戦での敗北はたったの四度でしたね。何千試合もしてきているのに。そして、その負ける時に限って、貴方は前後よりも、やや気合の入っている料理で挑んでいましたね」

「それは、そう見えるだけ……」

「そうでしょうか? 私には、前回負けた相手にリベンジを果たそうとして、なるべく良い食材や得意な題材で挑もうという気概が感じられましたよ? そして、その敗北が四回になった時、貴方は料理人の世界から忽然と消えた。それは、関係無いとは言い切れませんよね」

「……でも、だからといって……」

「何です? 今回とは関係ないと言いたいんですか? でも、私にはとてもそうとは思えませんね。料理人時代にプライドを折られた貴方は、もう本気を出すのが嫌になったのでは無いですか?」

「……っ!」


 辛籐の言葉に対し、塩谷は目を逸らすだけで、反論らしい反論を一切しなかった。

 だが、彼女からして見れば、そういった反応が一番嫌だった。

 もっと否定して欲しかった。もっと格好の良い真実が聞きたかった。もっと真剣に戦いたかった。

 たしかに、辛籐も普段とは違う不利な条件を用意したわけだが、それでも彼女はその限られた枠の中で全力を尽くした。少なくとも、手を抜く事など無かった。

 それが何とも腹立たしくて、居ても立っても居られない。


「やっぱり、貴方はそういう人だったんですね。さっきの水だって、勝負が絡まないから承諾したんですよね。だって、本来ならもっと抵抗するじゃないですか。そして、今度は全力を出さずに負ける方向で来たわけ、と」

「……だって、仕方ないじゃないか」

「何ですか? 反論なら、もっとはっきりお願いします」

「仕方ない、って言ったんだよ。それぐらい聞きとってよ。だって、あのまま僕が勝っても辛籐さんは納得しなかったよね? だから、あれは僕なりにベストを尽くした結果だよ。それを、過去まで掘り返してとやかく言われる筋合いは無いよ」

「……そういうつもりだったのでしたら、さっきの発言は訂正します。申し訳ありませんでした。でも、だからといって手を抜くんですか? 私は正直、コップの件よりも、手を抜かれた方によっぽど腹を立てています!」

「あーあ。めんどくさ。あのね、じゃああのまま僕が勝ってても良かったっていうの? 圧勝だよ? 正直。君が得意としてる先攻逃げ切りならいざ知らず、こんな君に不利な種目用意されてもね。フェアじゃないから調整してあげてたのに何それ。それに、僕は別に、手を抜いたわけじゃないよ」

「じゃあ、何だって言うんですか……?」

「ギリギリ負けるレベルの物をピンポイントで仕上げただけだよ。結構、わざと負けるギリギリの位置って難しいんだよ?」

「……っ!」


 辛籐は、もう何も言えなかった。

 これ以上、何を言っても無駄だと判断したのだ。この男には、もう話し合いは通用しない。自分の気持ちをわかってくれないと。そう判断したのだ。

 だから、彼女は何も言わずに身を翻す。今日はもうこの店に居たくなかった。だいたい今日は休日であり、仕込みはまた今度でも出来るのだ。それ故に、彼女は帰宅を選択する。


「あっ、空美! 何処行くの!? 仕込みは……」

「すみませんが、今日は帰らせて貰います。仕込みは今度やります。別に、今日やらなくても、もちますから。平気です」

「ええーっ!? でもでも、さっき買ってきた海産物とかは……?」

「はーっ、忘れてました。わかりましたよ。じゃ、せめて今日の夜ごろ来ますので鍵持ってきますね。それと!」


 辛籐は振り向きざまに指を構え、勢いよく塩谷に向ける。


「それまでに、この人は帰らせておいてくださいね! 勝者の、特権です!」


 そうして、彼女は言うだけ言ってそそくさと店を出る。

 背後から「言われなくても帰るよ。何言ってんの?」と聞こえた気がしたが、空耳だと思ってやり過ごす事にする。

 辛籐はもう嫌な気持ちでいっぱいだった。


「……これはもう、カラミティノートに新たな一ページが刻まれる事になりそうですね」


 カラミティノート。

 それは辛籐空美にのみ許された禁断のノートである。辛籐の名字にある「辛」とは「からい」の他に「つらい」という意味もある。

 このノートには、そんな彼女が出会った災難や不幸が、ひたすらに書き綴られている。それは、彼女が家から持ち出せた数少ない私物のうち一つだ。

 何はともあれ、辛籐はまっすぐ自宅に向かって歩いていった。寄り道なんてしている心の余裕は無い。

 何せ、今日は、大切な思い出が一つ穢れてしまったのだ。彼女は、いつの間にか熱くなっている目頭に気付かず、ひたすら歩いていくのであった。その後ろ姿は、何処か儚げであったのは言うまでも無い。

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