伝説始動っ!
「……というわけだったんですよ。酷いと思いませんか?」
辛籐が語り終え、周囲はしんと静まり返る。
塩谷始音は考える。天川が、どっちの言い分を信じるのかという事を。
普通に考えれば、塩谷に非があるとしたら、勝手に水を飲んだ事ぐらいだ。そんな不潔だの何だの言われる筋合いはない。
話を聞いた天川は、うんうん一人で頷いてから、いきなり機敏な動きで辛籐を指さす。
「それ、あなたが悪いんじゃないの?」
「はあ!? さっきまで何聞いてたんですか!?」
「ほら、やっぱり僕は間違って無かったんだ。謝ってよ」
天川は正しい審判を下した。
塩谷は勝利の感触を胸に、にやりと笑う。
やはり第三者から見ても、彼は正しかったのだ。塩谷は心の中で正義の旗を掲げ、凱旋を始めていた。
もっとも、そんな思い込みは、天川の次の一言によって粉砕されるわけだが。
「でも、始音くんも勝手に飲んだのは良くないわ。二人とも、謝る点はあると思うの」
「ええー……」
「ちょっと待って下さい! だったら私が一方的に悪いとか、そういう話じゃなくなりますよね!?」
「ううん。たしかに今回、どっちもどっちな所は確かにあったけど、事の発端がそもそも空美だったのと、店のものを勝手に武器に使ったのと、始音くんに脅迫まがいの事をしたのと、いくら自分が気に食わないとはいえ突然大声挙げてキレたのと、喧嘩の際に先に昔の事を掘り返したので、数え役満だったから。総合的に見たら、空美の方が絶対に悪いわ」
「そ、そんな……!」
「……流石、天川さん。料理の才能は無いくせに、時々見せつけるこのまともさは何なんだろう……」
塩谷は素直に感服した。
普段の天川は、自分勝手で他人を振りまわす事をいとわない性格な上に、料理を作らせたら地獄絵図を展開出来るような奴だというのに、本当に時々、こうして誰よりもまともな事を言い出す時があるのだ。
何気に、この店の経営などを管理しているのは天川であり、この三人の中では一番世の中の情勢に詳しく、成績が高くて優秀なのも天川なのだ。彼女は根幹的な部分が残念なだけで、スペックに関してはかなりの物をもっているのだ。もちろん、料理以外は、の話だが。
「む。今、失礼な台詞が聞こえた気がしたわ」
「空耳だよ。天川さんは凄いって言ったんだ」
「そう!? やっぱりそう思う!? そうよね、わたしは万能だから……」
「待って下さい。話を逸らさないでもらえますか?」
「えっ? ああ、ごめんなさい、空美。でも、これでお互い謝って終わりじゃない?」
「そんなわけありません。確かに、さっきの言い分を考えると、悪いのは私かもしれません。でも、たとえ悪く無かったとしても、そこの変態がした事は不潔な事に変わりありません! 私は、ドン引きしています! その件については、どうお思いでしょうか!?」
「……なんだこの人、面倒臭いなぁ……」
塩谷は大きくため息を吐く。
今度はアプローチを変えてこっちを責めようとしてきているようだが、塩谷としてはもう至極どうでも良かった。
彼は、天川に借りがあってこの店で働いているのであって、やめられるならすぐにでもやめたいぐらいなのだ。
そんなに解雇させたいのなら、勝手に手続きでも何でもやればいいと、彼は半ば投げやりな気持ちでいた。
しかし、そんな適当な態度すらも、辛籐の逆鱗に触れたらしい。
「面倒とは何ですか!? だいたい、さっきからなんでそんなに無関心な態度なんですか!? 他人事じゃないんですよ!」
「ああ、うっさいなぁ。じゃあ、何? どうすればいいのさ? 一体、何をすれば辛籐さんは納得すんの?」
「貴方が非を認めて私に不快な気分をさせた謝罪をし、以後、人のものに手をつける時は必ず殺菌するのならば私は納得します」
「なんだそれめちゃくちゃだ。それに、食べ物や飲み物を殺菌って、除菌剤でもかけるつもりなのかな?」
「その通りです。よくわかりましたね」
「マジでやるつもりなんだ!? それじゃ身体に毒だよ!」
「……人の口の汚れよりは、数百倍マシですよ」
塩谷は咄嗟に「じゃあ除菌剤でも飲んでなよ」と言おうとしたが、本当にやりそうな勢いだったので自重した。
それにしても話が通じない相手である。このままでは何を話しても平行線だ。永遠に終わらないだろう。
だから、何か考える必要がある。互いに落ちつける妥協点を。
しかし、彼の頭では何も浮かばなかった。今までずっと考えていたのだが、何も浮かばなかったのだ。
けれども、助け舟は意外なところから、意外な形で流れ着いてきた。
「じゃ、料理対決で全部解決だわ!」
「「は……っ?」」
天川が何かを言いだした。
塩谷は、さっき彼女を心の中で優秀と褒め称えたのを、全力で訂正したい気分にかられてしまった。
こんな状況で料理対決をして何になるのか。というか、何の解決になるのか。彼にはさっぱりわからなかった。
それは辛籐も同じようで、彼女も疑問に首をかしげていた。
「それで、何が解決するっていうんですか……?」
「ふっふっふ。わかってないわね空美! あのね。今の感じだと、多分どっちも納得しないで終わると思うの。ならいっそ戦って、勝者は全てを得て、敗者は全てを失うでいいんじゃないかしら!? つまりはそういう料理対決をすれば、お互いすっきりすると思うの!」
「いや、仲直りさせるんじゃなかったの? なんてバイオレンスな……ていうかこれ、料理してる時点で僕は損だよね」
「……面白いですね」
「はい?」
辛籐が不気味な笑みを浮かべていた。
どうやら彼女は、この戦いに賛成のようだ。というか、彼女は元々塩谷の料理を見たがっていた。そういった気持ちもあるのだろう。これで意見は二対一。塩谷はどんどん不利になっていくのを感じていた。
辛籐が参加する意志を見せた事によって、天川まで嬉しそうにしている。
だが、彼としては勝っても負けてもどちらでも良かったので、もう辞退する意志しか無かった。
「いや、僕は参加しないよ。悪いけど、料理はもうしたくないんだ」
「ええー。始音くん参加しないの。仕方ないわね、じゃあ、本来ならわたしが審判を務めるつもりだったけど、役者変更ね! 代打、わたし! いっきまーす!」
「「えっ!?」」
そんな天川の発言に、場の空気が凍りつく。
勝負に乗り気であった辛籐でさえも、引き攣った笑みを浮かべる。それも当然だ。何故ならば、この天川の料理のせいで、辛籐は随分と手痛い敗北を味わわされたのだ。
だが、それ以上に塩谷は恐怖していた。今、代打と言ったという事は、天川が塩谷の代わりに料理をするという事になる。となると、審査員は必然的に塩谷になるだろう。それは不味い。
何故ならば、天川の料理には特徴があり、それはなんと食べたのが何者だろうと関係なく即死させられるという恐ろしい物だったからだ。塩谷の食柱毒の特性は「不死」なので、なんとかこの世へ生還する事は出来るのだが、それでも死というのが良い感触では無かったのだけは確かだ。
その上、料理の味は、不味いとかそういう次元を遥かに超越しているレベルの代物だったので、彼としてはもう二度と関わりたくない味であった。
「あの、天川さん。落ちついて……それは駄目だよ。やっぱり、第三者が介入したら、ね」
「大丈夫。わたしは勝つわ。安心して」
「そうじゃないし、だいたいこの間君が勝ったのは、相性が良かったっていうのもあったし、それなりに勝算があったからだよね? 多分、次はもう対策立てられてるから、勝つのは難しくなってるんじゃないかなぁ……」
「へえ。それを聞いたらもっと燃えてきたわ! 尚更、勝つのが楽しみになってきたわね」
「待って待って待って。何その自信? あ、あと! ほら、君の料理は人死にが出るから……」
「ふふふ、今日のわたしが今までのわたしだとは思わない事ね! 今のわたしの実力なら、もう死人を出す心配も無いわ! ……多分」
「ええっ、多分!? ああ……ああ……うわあああ……! もう、もうやるしかないのか……くそっ。あー! もう! わかった! わかったから、僕が戦うから! お願いだから審査に回っててよ!」
「そこまで言うなら……仕方ないわね」
天川が諦めてくれたお陰で、塩谷は安堵のため息を吐き捨てる。
しかし、こうなってしまえば、もう後には引けなくなってしまったのも事実だ。
辛籐空美と、もう戦うしか無くなっていた。仕方がない。もし、これで代打天川が発動してしまった場合、塩谷が彼女に殺される回数は、通算で三回目となってしまうだろう。流石に、三回目は嫌だった。だから、これは仕方のない事なのだ。
どの道、大舞台で戦うわけでも何でもないので、もうやるしかないと決意を決め、戦いに臨む。
「……じゃあ、ルールはどうするの。天川さ……」
「甘音さん。私から提案があります」
「っ!?」
塩谷が言いきる前に、辛籐が割り込んできた。
その速さに、彼は思わず下唇を噛みしめる。やられた、という表情だ。
何故ならば、辛籐空美の料理は、ルールに非常に左右されやすいという特性を持つからだ。具体的には、先攻後攻のターン制で辛籐が先攻を取ってしまった場合、その時点でもう彼女の勝率はほぼ百パーセントとなる。
自らの能力を応用し、一時的な味覚破壊を引き起こす新たな調味料を生み出せる彼女は、最早先攻を取らせてしまえば無敵なのだ。
おそらく辛籐は、それを活かすための提案をするはずだ。塩谷は推測をする。
だが、その推測は微妙に外れた。
「なに、空美?」
「この戦いのルール。デュエルルールにしてみてはどうでしょう?」
「えっ!?」
塩谷の予想とは裏腹に、辛籐は必勝とはかけ離れたルールを提案してきたのだ。
というのも、このデュエルという形式は、今まで彼女が好んでいたスタンダードバトルというターン制の形式とは大きく異なり、非常に安定性に欠けるものであるのだ。
ルールはシンプルで、ただお互い同時に料理を作り始め、出来た順に食べて貰うという形式だ。ただし、品目はお互い同じものと指定されているため、自由度は少ない。
ここで重要視されるのは、早さだ。これはただ単にスピードがある方が有利というわけではなく、先に食べさせて腹を膨れさせるか、もしくはゆっくり作って完成度を高めるかなど、完成までの速度が絡む駆け引きが発生するという試合形式なのである。
しかし、先攻逃げ切りの辛籐にしては妙な提案である。このルールでは、必ずしも先手を取れるとは限らないからだ。
その疑問は天川も抱いたようで、彼女も不思議そうな顔で応じる。
「えっ、ああ、別にいいわよ? でも、本当にいいの?」
「もちろんです。だって、塩谷さん相手に、私の味覚破壊が通用するとは思えないじゃないですか。だから、ここは真っ向勝負でいかせてもらいます」
「そう? ならいいわ。お題は何がいいかしら?」
「塩谷さんの側で特に何も無いのでしたら、オムライスがいいです」
「「オムライス!?」」
これには、塩谷のみならず、流石の天川も驚いた。
何故ならば、辛籐という家はそもそも中華の名門であり、辛籐空美もその系統を歩んできたからだ。事実、彼女の店は中華で売れていた。
だいたいにして、塩谷はそう簡単に、味覚破壊を破れるとは思っていなかった。
実際に試した事がない以上、断言する事は出来ないが、せいぜい上手くいく可能性は六割いくかいかないかの瀬戸際である。だから、そこまで警戒される筋合いは無かった。
それにしても、辛籐の料理と言えば「最後の切り札」以外は全て中華だったはずだ。
なのにも関わらず、何故急にこんなお題を出したのか。塩谷はそれが疑問でならなかった。
しかし、その答えを知る者は、本人しか居なかった。
「駄目ですか? それとも、他に何か提案があるんですか?」
「いや、僕は別にいいけど……」
「……じゃ、じゃあ、これで決まりでいいかしら?」
「問題ないです」
「……うん。僕もそれで」
塩谷は、辛籐がどう仕掛けてくるか疑問に感じていた。
彼女は今まで、素の実力では無く、味覚破壊によって現在の地位まで駆けあがってきた人間だ。そんな相手が、今更正攻法を使ってくるなど到底思えなかったのだ。
味覚破壊が無いだけで、辛籐の実力は上の中から中の中まで下がってしまう。だからこそ、このまま本当に正攻法で来るか疑問で仕方なかったのだ。
兎にも角にも数分後、二人は厨房に移動し、互いに調理の準備を始める。
塩谷にとっては、久しぶりに、まともな調理をするために立つ厨房である。それはいつも目にしておきながら、何処か懐かしい空気を感じさせた。何気に、数年のブランクがあるため、彼はほんの少しの不安と、結局やる事になった大きすぎる不満と、不思議な高揚感を感じていた
作った料理は、客席で待つ天川の元まで配膳して、初めてポイントとなる。食柱毒の使用もアリの料理対決なので、運ぶ間に攻撃を喰らう可能性も十二分にあった。
塩谷は、あらゆる可能性を考慮しつつ、コインを手に取る。このデュエルというルールは、このコインを投げ、それが地に落ちると同時に調理開始となる。今回のコイントスは塩谷だ。
そんな彼に対し、辛籐はほんの少しだけ唇を動かして、笑みを向けてくる。
「妙な事になりましたが、これはこれで良い物が見られそうで嬉しいです。なんせ、あの伝説と戦える日が来たのですからね」
「君は、僕の事を変態扱いしたり不潔扱いしたり、かと思えば伝説扱いしたり……一体なんなのさ」
「料理人としては尊敬していた。それだけの話ですよ」
「そっか、じゃあ、投げるよ」
「はい、お好きなタイミングでどうぞ」
こうして、塩谷の親指によってコインは投げられた。
その間に、塩谷も調理器具を手にとって構える。
そして数秒し、落下の音がした。
それと同時に二人は動き出す。塩谷はここで、ゆっくりと肩を回しながら考える。どう料理しようかと。そして、今の自分に出来るべストはどういう展開なのかを。
そして、思いついた時、彼は心のスイッチを切り替える。これは、必要な心の動作だ。
彼は、不死という特性を生かし、本来ならば何回死んでもおかしくないレベルの過酷な修行をした事があり、正直身体スペックだけなら人間レベルなどとうに超えているのだ。
けれども、普段はそれを抑えないと、心や身体に負担がかかりすぎてしまう。だからこその切り替えだ。彼の目の色が変わり、鋭くなる。
直後、塩谷は、音速すらも彼方へ置き去りにするほどの圧倒的速度で動き始める。辛籐が、目を見開いて驚いていたが、その動きすらもゆっくりに見える。動体視力を限界まで引き上げたからだ。これにより超高速移動と超精密動作が同時に行える。
こうして、過去に伝説と呼ばれたその男は、その名に恥じぬ技術を惜しみなく発揮するのであった。
今、伝説が再び幕を開ける。




