勝者の名 -愛情よりも大切な 4-
塩谷の次のターゲットはこのハンバーグらしき謎の物体だ。
土と雪の塊のように見えるこれは一体何なのか、彼は引き攣りまくった嫌な笑みを堪え切れなった。
当然、ここでもう彼の味覚は消えているわけだから味の心配はしなくていいはずなのだが、こればっかりはどうにも笑わずにはいられなかった。
「は、ははっ……ね、ねえ。これ、何?」
「見てわからないの? これはそこの辛籐空美と全く同じ料理よ!」
「「はあ!?」」
塩谷のみならず、辛籐までもが口をそろえて驚く。
実際、元の素材が肉と魚と若干のフルーツだったのにどうしてそれがこうなり、しかもパスタの真似と言い張れるのかが謎であった。
辛籐の料理とは何もかもが全く違うというのに、何を言っているのだこの女。そんな空気が会場一帯を支配する。
そこに突っ込みを入れられるのは最早、塩谷ぐらいしかいなかった。
「ね、ねえ。辛籐さんと同じって、これ、どこがパスタなの……?」
「THE END OF ROADです! 何度言わせれば気が済むんですか!」
「あーもうわかったよ! で、これの何処が麺類なのさ? もう麺の要素無いよ」
「甘いわね。お肉とお魚の肉、それらを練り合わせて作った麺の塊がそこにあるじゃない。もちろん、わたしなりにアレンジはしたけどね。そっちが赤いソースでくるなら、こっちは白よ!」
「……そのソースの出所は?」
「まずは出汁よ出汁! とりあえず鍋の中に色んなそれっぽい物ブッ込んだわ。このあいだ料理本で読んだけど、出汁ってあんまり常識にとらわれなくてもいいみたいね! そして、後は適当に汁になりそうな物を入れたらソースっぽくなったの」
「「……」」
ここまで自信満々に言いきられると、もう誰も何も言えなくなってしまう。
塩谷と辛籐は思わず顔を見合わせる。お互い、目を見開いていた。
やはりそこに居る自称天才のこの女はどこかおかしいという事を、二人は改めて認識したのだ。
(ていうか、本気で勝つつもりあるのかな。この人……)
実は、塩谷が事前に天川に出していた指示はたったの二つだった。
「手を抜いて料理を作って。あとは、フルーツ盛るだけ盛っといて」というシンプルな指示だ。たったこれだけで辛籐を倒せるかもしれないと信じてここまで来たのだが、当の天川自身が全く手を抜いている気配が無いというのは一体どういう事なのだろうか。
塩谷は多少の苛立ちと共に、天川を軽く睨む。
「何よ? 睨まなくたっていいじゃない。大丈夫よ。ちゃんと指示は守ったわ」
やりきった顔でウィンクを飛ばす天川だが、塩谷の心にはもう呆れた感情しか残っていなかった。
どうやら、これはこれで彼女なりに手加減した結果だったようだ。
たしかに今回は虹色要素が無い。それだけでも大きな進歩である。
それに付け合わせのデザートは何も余計な手を加えていないだけマシである。そっちは普通に楽しんで食べられるはずだ。塩谷はもう何も言わずに箸を手に取り、天川版THE END OF ROADに手を伸ばす。
塩谷は箸で、端の方を軽く切り離す。すると肉汁とは似て非なる液体が溢れ出る。オイルのように汚い虹色の液体が、まるで肉汁のように物体から溢れ出てきたのだ。
「うっ……!」
思わず嫌な声が出るが天川は変わらぬ笑顔で、辛籐は同情の笑顔で、塩谷を眺めるだけで何もアクションを起こしてくれない。
塩谷は仕方なく観念し、一口ぶんに切り離したその泥雪のような塊を箸で掴み、口元まで持っていく。何故か妙に脆く、本物の土のようにぼろぼろと崩れていく部位があったが、逆に妙に硬い鉄のような部位も存在していた。
その事実に言い知れぬ不気味さを感じつつも、塩谷は止まらない。そうしてその物体を口へと放り込む。
「――――――!!!」
まあ当然のごとく、味がどうこう言う以前に彼の生命活動は停止する。
元々、天川にはあえて未完成にとどめた比較的生存率の高い料理を作らせ、それで戦ってもらう予定だったのだ。が、途中天川が焦ったせいで結局即死級の料理が出来上がってしまったのである。
やはり、手加減作戦は無理だったのだ。
これが他の審査員ならば食べた時点で人生終了だ。
しかしここに塩谷が来るというアクシデントのお陰で、彼女の殺人の罪は未然に防がれる結果となる。
何故なら塩谷始音は不死だからだ。
生命活動、数秒間停止。身体部位の修復、復元。修正。修正。内臓系に深刻なダメージを確認。修復、復元。修正。修正。体内に未確認物質確認。確認、食品であると認定。高速消化開始。修正。修正。消化完了。修正。消化により異常発生。修正。修正。修正。修正。修正! 修正! 修正!
修正完了。
生命活動、停止解除。再起動まで、あと五秒。四。三。二。一。
「―――ふう」
塩谷は目を開き、復活を遂げる。
どうやら周囲は思っていたより騒いでいないようであった。当然だ。今のは客観的に見たら、数秒意識が飛んでいるだけのようにしか見えないのだから。
天川と辛籐だけは大きな目を見開いて、顔全体で驚きを表現していた。それもお互い違う理由で驚いているようだ。
「あっ……その、ごめんなさい。わたし、また……」
「えっ……今一瞬、生体反応が消えたような……いや、見間違いですよね……」
この状況で、正しく事態を把握出来ていたのは天川の方だった。
まあ人が料理を食べただけで即死とは、普通思わないだろう。塩谷自身、まだ信じられないぐらいなのだから。
兎にも角にも、辛籐にちゃんと説明したい塩谷だったが今はそれどころではなかった。彼の口内に遅れて不快感がやってくる。言い知れぬ不快感。しかし、ここで審査員が吐いては天川の負けを認めるような物だ。彼は必死にこらえ、何とかこれを緩和する物を探す。
そこで見つかる歪なフルーツタワー。もうピサの斜塔を彷彿とさせる危ういバランスだが、塩谷にはこれが天へと至る柱に見えた。
それほどまでに口の中の不快感が酷かったのだ。塩谷はすぐに一番上に乗っかっている“大きいがただ皮だけ雑に剥かれた林檎”を手に取り、なるべく多くの面積が口の中に入るようにとむしゃぶりつくようにして噛みつく。飛び散る果汁。そう、普通の果汁だ。
(っ! ……これはっ!)
一瞬で甘い味が口全体に広がり、爽やかな空気が地獄で飢えた彼の身体を癒す。
生気がみなぎる感覚。彼は死の淵より生還した勢いそのままに気分をそのまま昂らせ、天にも昇るような錯覚に身を委ねる。充実する陶酔感。信じられない甘さだ。
フルーツにしては度が過ぎているレベルの甘さが、この林檎にはあった。果汁はまるでフルーツジュースのように濃厚で、果実自体の甘味もまるでそういうお菓子かのような甘さだ。
しかし、だからといってくどさを感じる事は全く無かった。甘さが強いくせに妙な爽やかさがある風味。そのおかげなのか甘さが全然悪い方向に機能していない。
塩谷は思う。今、ここで食べたのは林檎というカテゴリに属しているものだが、もしこれが林檎の上位互換に相当する果物だと言われても納得可能である、と。
これはまさしくアダムとイブが食べたという禁断の果実だ。かつて楽園に存在していた神の味だ。
先ほど食べた料理があまりにも地獄過ぎたため、余計に強すぎる程の満足感と充足感が彼の世界を満たしていく。
塩谷は、天川にくれぐれもフルーツにだけは余計な手を加えないようにと指示を出した自分を称えたい気分に駆られる。それから一生懸命噛んで口内の不快感を消し、限界まで噛んだ後にゆっくり呑みこむ。
それからまた次の果実に手を伸ばす。妙に味の濃いバナナ、酸味控えめのキウイフルーツ、異常なほど瑞々しいパイナップル。
それら全ては共通して甘味が強いのにくどみが無いという特性をもっており、塩谷はその全てに満足する。ここはまさしく極楽浄土。地獄から天界へと引きずり上げられた気分だ。皮の剥き方や切りそろえ方が歪である事以外は、全く不満は無かった。
そうして塩谷は天界の食材を全て食べきる。食事完了。
これにより塩谷の理性が戻り、二人の声がようやく彼の耳に届く。
「……し、始音くん。そんなに必死に食べなくても……」
「まるで獣じゃないですか。ていうか、何ですかこの例外まみれの後攻は!」
辛籐は少し焦っているようだ。
事実、その焦りは正しい焦りである。何故ならば今の天川の料理によって、辛籐の牙城は既に崩されているからだ。
何にせよ塩谷がやるべきことは、もうそんなに残ってはいない。勝敗判定もそうだが、まずその前に天川の料理の感想だ。嘘発見器のような機械がある以上、彼はもう正直な気持ちで感想を言うしかない。彼は、口元の果汁を手元のタオルで拭いながら言葉を選んでいく。
「……ごめん。ちょっと取り乱したけど、感想だね。まず、これだけ言わせて。フルーツ、どれも美味しかったよ。これ、良いの使ってるね」
「……えっ!? 塩谷さん、貴方、今、なんて……?」
天川に向けた塩谷の言葉は、辛籐の驚きの声によって遮られる。
それもそうだ。辛籐からしてみれば、今の塩谷の発言はあり得ないのだ。何故ならば自らの料理で殺したはずの味覚が戻っていない限り、美味しかったという言葉はまず出てこないはずなのである。
だがこれは塩谷の読み通りの結果だったわけで、彼の側には何の意外性も無かった。
辛籐の味覚破壊は一般には公開されていない技であるため、塩谷はあくまで白々しく答える。
「何を驚いているのか知らないけど、美味しいって言ったんだよ。一度、死にかけたせいかな? 妙に味がはっきりするんだよね」
「死にかけ……? まさか、あの泥のような料理で味覚をリセットしたというのですか!?」
「何言ってるのよ! あれは立派な麺類だからね!」
「貴方は黙っていてください! どうなんですか塩谷さん!」
「さあね。僕にはよくわからないけど少なくとも今、味覚は凄いクリアだよ」
もちろんそれは一度死んだから味覚がリセットされた、という辛籐の予想が半分当たっている形になるが、あくまで塩谷は真実を語らない。流石に料理食って死にましたというのも敗北につながる話なので、これも隠し通す。
これが塩谷の作戦の全貌である。
元々、彼が現役で使っていた必殺料理は「三柱天国」と呼ばれている代物で、それは人を三度の天に誘うと言われている。
だがその実態は酷い物であった。この技は、まず塩谷の能力を用い食材に不死の力を付与するところから始まる。
けれどもその力が付与された食材を食べると、人間は必ず激しい拒絶反応を起こしてしまうのだ。塩谷はそれを利用した。なんと、その拒絶反応を引き起こす事により前の人間の料理の味をリセットさせ、尚且つ次の味に飢えさせ一気に食わせるという技。それが三柱天国の全貌である。
これは最初に美味い料理で天に誘い、次に拒絶反応によって気を失わせ二度目の天に誘い、そして最後にデザートを食べさせていい思いをさせ三度目の天へと誘う、という技だったのだ。
そんな辛籐版THE END OF ROADの天敵とも言える技を、今回、塩谷は天川に使わせたのだ。もちろん天川にその自覚は無いし塩谷もわざわざ教えていないが、原理は何も変わらない。
ただ辛籐の味覚破壊を強烈な不味さによる地獄送りでリセットし、その後、飢えた審査員に美味しい果物を食べさせて天国へと誘っただけだ。彼はその天と地を行き来する大技に賭けたのである。
もちろん普通の審査員ならば、地獄料理を食べただけで死んでしまう。なので塩谷は手加減を言い渡したわけだが、今回、その思惑は交錯しまくった挙句に意味を無くしてしまった。
結局、不死である塩谷ならば別に死ぬ威力の料理でも問題は無いのだ。彼がその事実に気付いたのが中盤である。
それからは、詳しい作戦までは知らない天川が頑張って加減をしようとしながらミスを連発しているのを見て、塩谷は死を覚悟して待ちかまえていたのだ。彼は、本当に審査員が自分で良かったと安心する。
これが塩谷でなければ今頃大惨事である。しかし、彼だったからこそ逆境をチャンスに変える事が出来たのだ。
「どうしたの。なんか僕、変なこと言った?」
「い、いえ、何でも無いですよ……ただちょっと貴方のリアクションが気絶という良く分からない物だったので、気になっただけですから」
辛籐も、未知の香辛料の副作用を知られたくないあまり、深く踏み込んでは来られない。こうなってしまえば、もうこちらのものだ。
これで辛籐空美を守っていた味覚破壊の城壁は崩壊し、勝利へと繋がる道が伸びていく。後は、不落嬢本体との直接対決を残すのみだ。今まで誰もたどり着けなかった未知の領域、道の先、先攻の辛籐との直接対決。ようやくこれで同じ土俵だ。
後はもう純粋にパスタと果物のみの戦いとなる。彼は、フルーツの味を反芻し、天川の料理の感想を組み立てていく。
「そっか。じゃあ、感想続けるね。まず最初の料理、あれは酷かったよ。本当、地獄が見えるかと思った。でも、あれにはちゃんと意味があったんだね。あれを食べることにより、まず前に食べた料理の印象が飛んで、まっさらな状態でデザートを食べる事が出来るわけね。
しかも不味さのお陰で、次の品が余計美味しく感じるのも武器だね。挙句の果てにあんなものを食べたせいで身体から水分が抜けた感じがしたから、それもフルーツの瑞々しさを際立てる結果を生み出している。
これは、いわばバネの役割をもつ料理だね。これ単体に効果は無いどころか、これだけならマイナスもいいとこだけど、これによって次食べるフルーツが凄く美味しく感じられた。そしてこういう料理を作れる料理人は、一周回って素人にも居ない事を考えると、オリジナリティがあって悪くないのかもしれない」
「……いや、全然褒められてる感じしないわね」
天川が不機嫌そうに唸るが彼女自身が己の実力を知ってしまった以上、あまり強くは言えないようだ。せいぜい申し訳なさそうに立ち尽くす事しか出来ていなかった。
「……何ですかその評価は、聞いたことありませんよ。と、いうかそのオリジナリティはずるくないですか?」
対する辛籐は冷や汗気味だ。
もう彼女を守る城壁は無くなり、終わっていたはずの天川の勝利の道が真っ直ぐ伸びてきているのだ。これは危惧せざるを得ない。
けれどもまだ天川のターンは終わらない。塩谷は更なる解説に努める。
「それで次はデザートのフルーツタワーね。形は歪だし、大して手も加えてないみたいだけどすごくいいフルーツ使ってるね。これ、高級品じゃないの?」
その一言に、天川がぴくんと反応する。彼女は最初の料理の感想に少し落ち込み気味だったのだが、塩谷のその問いかけだけで見事に復活を遂げる。
「そ、そうよ。よくわかったわね! これは天川家の庭で自家栽培している果物たちよ。わたしも時々水あげたりするから、結構手に入るのよ。今回はそれを持ってきたの!」
「天川家のフルーツ、ですって……!?」
辛籐が目を見開く。これまでに無いぐらいの動揺だ。それもそうである。天川の果物はそこらの料理人相手に、ただの素材だけで戦える強力な武器なのだ。
塩谷は天川と出会って数日後、天川家について調べていた。その際に見つけた情報の中にあったのが、天川家のフルーツは知る人ぞ知る高級品であるという事実だ。そんな良い物を使っているのなら、それは間違いなく美味しいはずだ。
しかもそれが地獄の後に救いとして君臨するのだ。これは最早、一つの料理として成立するほどの強力な武器である。
もちろんそんないい果実を持ってくるとは塩谷自身想像していなかったが、しかし高級趣向の天川の事だから絶対に良い物を用意してくるとは確信していた。だから塩谷に驚きは無い。
これで更に大きく勝利へと近づいていく。
「なるほどね。道理で美味しいわけだよ。瑞々しくて、甘さにドカンとインパクトがあって、尚且つしつこくなかった。それがあの地獄料理の後にくるものだから、もう砂漠の中のオアシスみたいだったよ。これは良い物だね。
正直、ほとんど手の加えて無い食材を絶賛するのはあまり好きじゃないけど、こればっかりは前の料理とコンボが繋がってるのもあって手放しで褒めても問題無いぐらいだよ。うん、本当においしかった。と、いうよりは満足度、幸福度が高かったね。うん。超満足だよ」
「でしょ? まあ、あれよ。今回持ってこれなかったぶんが家に残ってるから、もし良かったら今度分けてあげてもいいわよ」
「おお、ありがとう!」
塩谷は歓喜した。だが本当に果物を分けてもらったりしたら、塩谷が望んでいた「繋がりを断ち切る」という目的の達成が困難になってしまうのだが、この時ばかりは完全に忘れていたという。
ちなみにその間、辛籐は一言も発さなかった。彼女なりに危惧しているのだ。敗北を。
「と、天川さんの方はこんな感じかな。さて、じゃあ最後に決着だね」
そんなこんなで天川の果実の感想も終わり、ついに戦いは最終局面に入る。
勝敗の判定という、最後の段階だ。
地獄への送り人、天川甘音。不落嬢、辛籐空美。
この二人の戦いの結末は、もう塩谷の本能にかかっている。
塩谷は、頭につけられた装置のお陰で嘘はつけない。元々そうするつもりは無いにせよこうなってしまった以上、もう彼が本能でどちらを選ぶか、という話になってしまっている。
この局面になって観客も含め、誰ひとりとして声を発さなくなった。
不思議な緊張感に一帯が包まれる。辛籐含め、多くの人がこの危うさに気付いてしまったのだ。というのも、これまでは辛籐の“後に”料理をふるまった人間は軒並み微妙な評価をされてきたのだ。当然である。味の無い料理に出来るコメントなどたかが知れているのだ。
しかしながら今回は例外である。それも天川が審査員と師弟関係にあるという発言があったとはいえ、頭についている嘘判別機は反応していない以上、八百長はあり得ない。それらの情報から人々は拮抗している現実を認識し、この空気を作りだしたのだ。
塩谷は静かに目を閉じ、二つの料理を比べる。この状態が数分続いた。そうして、どれだけの時間が経過しただろうか。
ついに塩谷が重い口を開いた。
「勝者―――」
天川と辛籐は二人揃って腕を組んでいるが、お互い物凄い量の汗をかいていた。案外似た物同士のようである。
不安を拭いきれない二人の少女は、その少年の判決を待つ。
辛籐空美。辛い料理の使い手にして、超・激戦区の絶対王者である不落嬢。その戦法は“一時的に高い中毒性を発揮する未知の香辛料”を使って人を引き込み、追撃として味覚破壊を用いることにより後に続く者の料理を無力化するという物だ。
料理の特性はあえて完全に香辛料頼りのシンプルなベースを作って、香辛料のメリットを極限まで引きあげているという代物だ。一見、香辛料頼りの一発屋にも見えるが、事実、素の実力もそれなりに高いため上記の特性に対処出来たところで、倒すのは難しいだろう。だから彼女は強い。
天川甘音。地獄料理の使い手にして、パティシエの名門である天川家の娘。その戦法は審査員に“文字通り死ぬほど不味い料理”を食べさせる事により味覚破壊をリセットさせ、追撃として高級品のデザートを用意して辛籐の素の実力と張り合おうという物だ。
これによって同じ土俵に立てているわけだが、問題はここからだ。いくら高級とはいえ、単なる果物が手の込んだパスタに勝てるのかどうか。問題はそこにある。これはあくまで単なる食材なのだ。しかし天川の戦う術はこれしかない。むしろこれだけ武器を投入して勝てなければ、もう一生勝つのは不可能だ。
塩谷は悩む。
結果的にお互いの大技を打ち消し合い、パスタ対果実というシンプルな勝負になってしまったが、だからこそ判別が付けられない。塩谷は――――今この瞬間だけは――――完全に料理の世界の住人として思考を働かせる。
が、浮かびあがる結論はどちらも甲乙つけがたいという事実だけだ。それに天川が素人だったり、辛籐が天才だったり、そういった要素も含めて考えてしまうのが人間の思考の弱みだ。考えれば考えるほど、料理以外の要素も絡んでくる。
だが、迷っていても仕方が無かった。
塩谷は覚悟を決め、己の本能そのままに告げる事にする。どうせ嘘発見器があるならば素直に思った事を口にするだけでいいのだ。むしろ無いよりもやりやすいだろう。だから彼は万感の想いを込めて口にする。
その少女の名を。
短い間ですっかり定着してしまったその名前を。
これまで以上に感情を込めて口にする。
そして、塩谷始音が最終的に告げた勝者。
その名は。
「―――天川、甘音」
天川甘音、その人だった。
瞬間。会場は荒れに荒れた。観客から飛ぶブーイング、野次。これらが雨あられと降り注ぐ。
だが勝者は変わらない。どうあがこうと変わらないのだ。塩谷の頭に取り付けた機具が反応する事は無い。嘘をついているとは判断されなかったのだ。つまりこれは真実なのである。故に勝者は揺らがない。
天川と辛籐が同時に硬直する。どう反応していいのか本気で分からないかのような表情で、二人揃って塩谷を眺めてくる。だが、その表情の裏にある感情は全く間逆の物であるというのは言うまでも無い。
「……何で、ですか……!」
先に口を動かしたのは辛籐の方だった。
彼女は俯き、目を更に鋭くし、低く唸るような声で問いかける。
「何故、私が負けるんですか……!」
「……」
だが塩谷は、辛籐の怒りを何の抵抗も無く受け止める。彼はもう慣れているのだ。審査員をやっていれば、言いがかりをつけられる事など珍しくも無い。
それに辛籐からは納得いかないという感情に加え、素直に理由が聞きたいであろう感情も汲みとれた。その姿はただの料理人である。だから塩谷は恐れない。
シンプルに、聞かれた問いに答えるだけだ。
「君の未知の香辛料の力とインパクトは、天川さんの料理的な物体で相殺出来てたんだよ。だとすると後はもう自力の勝負だよ。でもここで大事なのは、君は香辛料を活かすために最低限のオーソドックスなパ……麺類を完成させてしまった。それに対し、天川さんは普通にレベルの高い物を用意してきたんだ。たった、それだけの差だよ」
「じゃあ何ですか。私のかけた手間暇は、ただ単純に品質がいいだけの食材に負けたというんですか……?」
その眼には、少し厚みのある水の膜が張られていた。
ここまでのし上がってきた辛籐空美は、ここにきて単なる素人以下の小娘に負けたのだ。そのうえ料理というよりは“ただの食材”相手に敗北を喫したのである。それは泣きたくもなるだろう。
しかし負けは負け、事実は事実だ。塩谷はそこに私情を挟まない。だから、ただ単純に事実だけを述べる。結局は未知の香辛料に頼りすぎていたというのが、辛籐の敗因なのだ。それは決して悪い事ではなかったものの、この土壇場においてその戦法は功をなさなかった。ただそれだけだったのだ。
「うん、そうだよ。君は負けたんだ。これは単純に相性の勝負だよ。辛籐さんがパーを出したから天川さんは全力でチョキを出した。ただそれだけの話なんだよ」
「そんな……! 認め、られますか……! こんな敗北、あり得ませんよ……! 絶対、何かの間違いに決まっています……!」
辛籐は、ひたすら下を向きながらぶつぶつと恨みの言葉を積み重ねていく。このまま放置すれば、いずれ何かをやらかしかねない勢いである。現在、観客も全体的に不満げである。何か暴動でも起こされたらたまったものではない。塩谷も少し焦りを感じるが、けれども何をすべきか判断がつかなかった。
しかし、この状況は彼が何とかするまでも無く収束することとなる。
「じゃあ、あなた自身が味見をして確かめてみればいいんじゃないかしら?」
「……!」
天川の真顔の発言に、辛籐の動きが止まる。
観客席の音も少し緩和される。
これで、先ほどまで殺気立っていた空気が少しだけ緩和される。塩谷はそれに安心しつつも、これから先の展開に目を向ける。実際、本当に天川の料理を辛籐に食べさせてしまえば、彼女は間違いなく死んでしまうだろう。そこだけは回避しないとならないので、彼の緊張も自然と高まる。
辛籐は数秒前とは打って変わって汗を垂らし、口元を笑みにしたまま硬直していた。
「あ、味見、ですか……?」
「そうよ。自分で食べて、それから納得いくかいかないか判断すればいいじゃない」
「いや、でも、勝手には不味くないかな? 一応、偉い人とかの許可とかさ……」
「問題ないわ。ここに居る女が今回主導権を握っているみたいだから、この女さえ納得させてしまえば何も問題は無いはずよ。で、どうするの?」
「……え、えっと……」
辛籐が本格的に視線を逸らし始める。
どうやら味見に躊躇いを感じているようだ。その姿に塩谷は疑問を覚えるが、少しして彼は思い出す。辛籐が、人と食事をとるのは嫌だと言っていたという事実を。
けれども今回はそれとは別のようだ。辛籐は「食べ方が気になるせいで嫌」と言っていたが、今回に関してはそんな事を言っている場合じゃない上に、大して食べ方を重視するシチュエーションでもない。これは間違いなく何かある。
もちろん天川作の“糞がまだまともに感じるほどの料理”を口にすることに抵抗があるのも間違いないだろうが、明らかにそれだけではないのは目に見えている。塩谷の胸中でそんな疑惑が膨らんでいく中、天川が更に状況を動かす。
「別に、食べたくないならそれでもいいわ。でも流石にそれで納得いかないと言われても、こっちとしても納得がいかないわ。駄々をこねるなら、せめて審査員の機械の不調を確かめるだとか、何か具体的な動きをしてくれないと駄目じゃない。でないと、本当に駄々っ子と何も変わらないわよ!」
「……! う、うっさいですね……ここに来て、説教、ですか……! な、なら、そこ、そこまで言うなら、い、いいでしょう! たべっ、食べてやりますとも……! 食べますよ!」
辛籐は、何故か涙目だった。
だが、先ほどの涙とは随分方向性が違っていた。さっきのが悔し涙だとしたら、こっちは素直に心が折れそうな涙である。
その理由は塩谷に想像出来る物では無かったが、何にせよ辛籐が何か大変な覚悟を決めたという事実だけは伝わってきた。よくわからないけど頑張れ、そんな無責任な応援を心の中だけでする塩谷であった。
辛籐は、塩谷の隣の席に座り、手元に置かれた食器を手に取る。
「じゃあ、食べ比べね。はい。じゃあまずはあなたのから」
そこに天川が、制作時に出た料理の余りを移動させる。
天川の料理から食えと言いださなかったあたりに塩谷は安堵しつつ、今後の動きに目を光らせた。
このまま地獄料理を食べさせてはいけない。塩谷は警戒心を引き上げるが、そういった事実に目を向けているのはどうやら塩谷だけのようだった。
ましてや辛籐に至っては、見るからにそれどころじゃない様子だった。カタカタという表現が似合うレベルで震えている彼女は、まるで何かに怯えているようである。
先ほどまでの威厳は何処に消えたのか。辛籐は小動物のように震え、何かに恐怖している様子であった。
「わ、私のからなんですか!? 何故ですか!?」
「何言ってんの? 今回の戦いは食べる順番が大事でしょ? ちゃんと順番通りに食べないと」
「……わかり、ました。じゃ、じゃあ。自分の、自分のからですね……わかりました。わかりましたともさ……いってやりますよ」
「ところで。さっきから何を怯えているのかしら? 別に自分の料理なんだから……あっ、もしかして負けを認めるのが……」
「ほっ! 放っておいてください! 色々と思う所があるんですよ! ちょっとぐらい黙れないんですかこの糞野郎! だから私は貴方の事が大大大大大~~っ! 大っ! 嫌いっ! なんですよ!」
「何怒ってるのよ?」
「怒ってないもん! 違う! 怒ってないですよ! 私は、私は……ただ、その、あの……とにかく! 食べればいいんでしょう!? 食べれば! 食べますよ! そして食べた上で正しいジャッジをさせてもらいますよ! 私が、この私が、天川甘音なんかに負けるわけが無いじゃないですか! じゃないと、おかしいですよ絶対! おかしいんですよ!」
「し、辛籐さん……?」
辛籐のテンションが妙なことになっていた。困惑とやせ我慢と昂ってしまった感情のせいで混乱して、一種のトランス状態に陥っているようだ。
塩谷は冷静に考えてみる。辛籐の食に対する態度は、どこか変なのだ。調理室での一件でも、彼女は自分のぶんの弁当を用意しなかったことを何故か誤魔化していた。今考えてみれば、恐らく人の食べ方が気になるというのは嘘だろう。思い返せば、たしかに嘘っぽい反応であった。
疑う理由はそれに尽きるが、現状と重ねて考えてみれば一目瞭然だ。見たところ、辛籐は単純に食べるという行為自体を嫌がっているようだった。
しかし、そこが塩谷の限界だった。ここで彼が気付けていれば、後の惨事は回避出来たのである。けれどもこれは天川すらも気付けなかった事実であり、それに気付けという方が無理な話だったのだ。
「じゃ、じゃじゃじゃじゃじゃあ……食べますよ! 食べてやりますからね! 後悔しないで下さいよ!」
「いいから早く食べなさいよ。何でそんな……」
「いただきますっ!」
やけに濁点混じりの意外と礼儀正しい一言と共に、フォークに巻いたパスタを一気に咥内に持っていく辛籐。
彼女が料理を口に入れた瞬間だった。事件が起きた。
ここから先は凄惨過ぎてテレビの中継が一度停止され、SPに連れられた辛籐が退場するレベルの大惨事であった。
単刀直入に起きたことだけを書きだすと、こうだ。
まず料理を口に含んだ辛籐は、急に痙攣しだしたのだ。
辛いのが苦手だったのか、香辛料の刺激が強すぎたのか、塩谷たちにはわからない。だが辛籐は身体を思い切り仰け反らせて白目をむいて、そのまま倒れて床で痙攣し、意識を失ってしまったのだ。
黒服達に守られるようにしてコロッセオを後にした不落嬢の跡地には、何故か薄黄色の水たまりが出来ていたという。
一体何が起きたのか。本当に、塩谷に判別する事は不可能だった。観客の中にすら把握している人間はいないだろう。
その後、天川は「わたし、何か悪い事しちゃったのかな」と反省しているようだったが状況が呑みこめない以上、善悪を判断するのは難しかった。
何はともあれ、こんな呆気の無い幕切れで辛籐対天川の戦いは幕を閉じた。そのまま辛籐不在のまま閉会式が行われ、塩谷と天川は裏方へと戻って行く。
すると数分後、控室に生気が抜けてやけにぼーっとしている辛籐が訪ねてきて、こう言ったそうな。
「お見苦しいところをお見せして、申し訳ありませんでした。その、ほんと、どこから言うべきかわからないぐらいですが、とにかくすみませんでした。それで、最後に一つだけ、聴いてもよろしいですか?」
こうして辛籐は、どうやって自分の味覚破壊をかいくぐったのかと質問してくる。
その姿はあまりに弱々しくて、塩谷も少し気を遣いながら最後の解説をする。先ほどは味覚破壊に関しての話題を出しづらかったというのもあり、辛籐は何気に戦いの真実を知らなかった。
だから塩谷は、今回の策を全て教えることにしたのだ。
何にせよ。塩谷のこの解説を最後に、この戦いは幕を閉じることとなった。
辛籐は心ここにあらずといった体で去って行き、それなりにやることを済ました塩谷と天川は帰路につく。 その時、二人が交わした会話は意外と短く、去り際のたった四回の言葉のやり取りだけで終わったという。
「これで、終わったわね」
「そうだね。よくわからない最後だったけど」
「そうね。あっ、今まで言い忘れてたけど、ありがとう。始音くん」
「いや、いいよ今更。僕も楽しかったし。それじゃあね」
こうして、二人はそれぞれ違う道を進んで行く。この戦いが終わった以上、彼らが一緒に行動する必要は無いのだ。何はともあれ塩谷はこれで再び日常に戻れるのである。
それから塩谷が財布の事を思い出して、辛籐に文句をつけ普通に落し物として管理されていたのを伝えられるのは別の話だ。
そこからお金がだいぶ減っていた事に塩谷が気付くのも、まだ先の出来事だ。
また、塩谷達が「辛籐は咥内の粘膜が過敏な体質、つまり口が性感帯」という事実を知るのはまだまだ先の事である。
とにかくも、これで戦いは幕を閉じたのだ。塩谷は妙な解放感を感じながら、再び日常へと帰って行くのだった。




