道の終焉 -愛情よりも大切な 2-
二人が辿りついた先はコロッセオの中心部。
中央がくりぬかれたようなデザインのこの施設の中心、つまり日の光が当たる場所だ。空は快晴で雲ひとつ見当たらない。風もほとんど無く、ほとんど夏のような空気感が世界を満たしていた。
足場は、室内のように整備された白く硬い床だ。それから向かい合っている二つのキッチン。間に挟まれた審査員席。上部に取り付けられた数台の大型モニター。
そして、それらを取り囲むように用意された観客席。席は既に満員な上、異常な熱気に包まれていた。観客の叫び声に耳をすませば、聞こえてくるのは辛籐コールばかりだ。流石、最近話題の料理人は伊達じゃなかった。
その“歓声の支配者”は片側のキッチン中央に腕を組んで立ち、鋭い視線を正面に向けている。
彼女は多少のアナウンスが終わった直後、すぐに口を開く。
「ついに、ここまで来てしまいましたか……いいですよ。そこまで戦いたいのなら構いません。お互いベストを尽くして料理を楽しみましょうね」
不落嬢、辛籐空美。
低い背、二つ結びの長い髪、真っ直ぐ切りそろえられた前髪、鋭い目つき、平坦な唇、そしてゴスロリ気味の格好。それら全てが、異様な存在感を放っていた。ゴスロリ風味のドレスは右側だけがノースリーブになっており、肩が見えている右腕の先には黒い穴抜きグローブがはめられている。
スカートは二重構造になっていて、ミニスカートを右側だけ覆うように半分だけのロングスカートが伸びている、という何がしたいのかよくわからない形となっている。簡単に言えば、右側だけ長いミニスカートである。
「いや、その前に何その格好? 一体何を思って、料理対決にそれ着てこようと思ったのさ?」
そう言う塩谷は、どういうわけか審査員席にいた。
彼の言葉を受けた辛籐は「フッ」と馬鹿にするような笑みを浮かべ、口元を歪める。
「わかっていませんね。たしかに普通、料理対決にこんな格好をしてくる人はほとんどいません。でも、だからこそオリジナリティが輝くんですよ。あと、これ見て下さい」
そう言って、彼女は指抜きグローブを装備した右手を開いて見せつけてくる。
塩谷は怪訝そうな表情でそれに応える。
「それが、どうしたの?」
「胸の炎が燻るぐらい格好よいでしょう? これ、勝負服なんですよ。そうですね。これは対戦相手を葬るための喪服代わりだと思って下さい」
(喪服のつもりなら、せめて店の時みたいにスーツ着てくればいいじゃん……)
「というわけで、さようなら。天川甘音さん」
辛籐は勢いよく身体を半回転させ、正面に立つ人物を指さす。
そこにはもう一つのキッチンに立つ、満面の笑みを浮かべた天川甘音がいた。もちろんさっきと変わらぬ普段着だ。
ちなみに辛籐の方のキッチンに置いてある食材がベーコンや麺の生地や野菜類などという統一性を感じさせる物なのに対し、天川のキッチンに置かれているのは大量のフルーツと、生鮭一本丸々と、これまた複数のパックに詰められた肉のみという、まるで何が作りたいのかよくわからない物であった。
今回は食材の持ち込みが自由で、事前にスタッフに渡す事によって、自分が用意した食材をここに置いてもらっている形となっている。つまりこの食材は天川が持ち込んだ物なのだが、そのチョイスと意図は誰にもわからなかった。
しかし、本人にそれを気にしている様子は無い。全く無い。
「ならその服、譲ってくれないかしら? 多分、負けて死ぬのはあなたになると思うから」
(いや、実際人殺せる君が言うと洒落になってない)
天川のかっこつけた台詞に対し、律義に心の中で突っ込みを入れる塩谷。事実、冗談になっていない。
(いや、これマジで僕の葬式になったらどうしよう……あっ、僕死なないの忘れてた)
塩谷のいる場所は、審査員席。
つまり彼は審査員に抜擢されたのだ。天川と同じように入場しようとしたら黒服に止められ、別の入り口から入場させられたのだ。話を聞くところによると戦闘前に辛籐から詳しい説明があるようだが、何ともまあ勝手な話である。
兎にも角にも、塩谷始音は今回審査員としてこの場に立つことになったのだ。辛籐空美によって天川の指導的立場として仕立て上げられ、挙句過去にしていた審査員を再度やる羽目になったのである。
ある意味、一番この戦いに密接に関わっているとも言えるこの立場に、塩谷はため息を抑えきれない。何故、ただ弁当を食べただけでここまでしなければならないのか。
加えて、彼は入場の時にもサプライズゲストとして大々的に紹介されてしまい、それだけでももうメンタルポイントが削られて削られて仕方がなかった。目立ちたくないのもあるが、こんなに大きく取り扱われたらまるで塩谷始音が料理の世界に戻ったかのようで何とも不快であった。
その上、塩谷自身もかなりラフな格好であるため違和感が半端無い。せめて着替えぐらいは欲しかったと、またため息が出る。
(というか審査員の僕はまだしも、何でこの人ら調理服着ないんだろう……?)
もっともな突っ込みである。
二人とも凄く料理がしにくそうな服装である上に、髪を結んでいる辛籐はまだしも長い髪を振りまわしている天川はもう完全アウトだ。ネイル含めて何もかもがアウトだ。それでも、やはり格好よりも実力の方が酷いというのが凄まじい。
それなのに、天川甘音の顔は自信に満ち溢れていた。
「あなたには負けないわ! だって、わたしは天才だもの!」
「やっぱり面白いですね、このお嬢様は。……折角のこの勝負、大いに楽しみましょうね。では、さて、と……」
辛籐が、調理台に置かれているマイクを手に取る。それと同時に、備え付けの大型モニタに彼女の顔がでかでかとアップで映し出される。
辛籐空美は強気な炎を瞳に宿し、平坦だった口元を歪に歪ませて微笑む。
「皆さん、こんにちは。本日はお熱い中、わざわざお集まりいただきありがとうございます」
(いや、何でこの人が仕切ってるみたいな空気になってるの? 司会とかアナウンスとかその辺はどうしたんだろう……?)
と、塩谷はそこまで考えて思い至る。彼女の店の横のあった、まるで他の店を潰して切り取ったかのような駐車場。その存在に。
この短期間で塩谷が辛籐について学んだ事は、彼女はしたい事のためなら手段を選ばない性格だということだ。もし本当に他の店を蹴散らしてまで駐車場を作ったのが彼女の判断だとしたら、今回も何かの思惑のためにわざわざ司会役を買って出たという可能性だってあるかもしれない。
当然、そんな塩谷の懸念などまるで気付かずに、辛籐は楽しそうに聞こえのいい言葉を振り撒いている。とにかく観客に感謝しているという旨の台詞を延々と繰り返しているのだ。
そんな辛籐のその口ぶりに、塩谷もいい加減嫌気がさしてきた頃……ついに状況が動いた。
「さてルールについてですが、今回は私の口から説明させて頂きます」
(お、ようやく説明か。というかこれもこの人が言うんだ……)
嘆息する塩谷。湧き立つ客席。得意顔の辛籐。不満げな天川。それぞれが異なるリアクションを見せる中、そのルールは説明される。
公式戦では複数の試合形式が用意されており、そこから好きな形式を一つ選んで戦うという流れになっている。
代表的なものだと“デュエル”という一対一の決闘系の形式や“デスマッチ”という複数人の中から徐々に脱落者が出ていく形式などが挙げられる。他にも“サドンデス”という決められた時間の中で好きなだけ料理を作って総合点を競う形式や“ランダムバトル”という毎回不規則に決められるお題を満たした料理を作って競う形式などもある。
採点方法も重要だ。審査員は複数人か一人か。食べてすぐ点数を出すのか、それとも全部食べ終わった後に優劣だけを決めるのか。そういった条件付けの自由度が高いため、それらも勝つための重要な要素となってくる。
もっとも今回用いられるルールに関しては、ほぼ全部辛籐サイドが決定している。これは不正でも何でもなく、辛籐はここら一帯の王者なので挑戦者に対しホームルールで戦う事が出来るという特権をもっているのだ。
当然、ルール内容は塩谷達が事前に聞かされていた物と同じだった。
「今回の試合形式は、王道的ですが“スタンダードバトル”という形式になります。品目、品数自由、ただし完食の義務はありません。調理中の妨害行為無し、味見無し、食柱毒の使用有りです。判定方法は、そこの審査員さんが双方の料理を食べた後、優劣だけを判断するという形になっています」
スタンダードバトル、それは全国で最も慣れ親しまれている基本的な試合形式だ。ルールは一番シンプルと言われていて、ただ単純に二人の参加者が指定無しの料理を作って先攻後攻の順に審査員へと提出し、後は審査員の判断によって優劣が決まるというものだ。
これは辛籐が最も得意とする形式であり、彼女が現在後攻である以上、天川側からしてみれば絶望的な状況である。
(それにしても、何で僕を審査員の位置に置いたんだろう……?)
事実、辛籐サイドがどれだけ有利な条件を並べたところで、どちらかと言えば天川サイドに立っている塩谷を審査員に置いてしまえば簡単に不正されて負ける可能性だってあるわけだ。もちろん塩谷はそんな真似をするつもりなど無いが、企画側がそんな穴を残しているのは完全に妙である。
けれどもそんな彼の疑問は、すぐにあっけなく解決されることとなる。
「ちなみに。この塩谷さんはそこの甘音さんの師匠でして、二人は協力関係にあるんですよ。それでは私が不利だと恐らく皆が思うでしょう。しかし、その心配はありません。何故なら、今回は試験的にある物を導入してみるからです」
「?」
塩谷は、全く心当たりのない話の流れに首を傾げる。今回、新しい何かを導入するという話は初耳であった。試しに天川の方を見てみるが、彼女も同じく不思議そうな顔をしている。どうやら彼女も知らないようだ。
もしかしたら、それこそが塩谷をここまで呼んだ理由なのかもしれない。彼はそんな事を考えながらも、聞き逃しの無いよう辛籐の言葉に意識を向ける。
そしてやはり彼の予感は間違えていなかった。
「ミルキーウェイ・ギャラクシー社。即ち天川さんの家が立ちあげた会社で開発された最新鋭マシンの試作品を、実は今日ここに持ってきています。まあ、味覚版嘘発見器と思っていただいて齟齬はありません。今回は、実食の際にそれを塩谷さんにつけて頂き、商品テストも兼ねた交流試合をしようというわけです」
(天川さん家の会社名ださいなあ……それにしても、なるほどね。あくまで実験がてらのお遊びバトルと銘打つことで、天川家や五味グループとの対立を避けたわけか。それに加えて天川さんにハンデとして僕をつけた上に、露骨に手加減アピール。それによって手心を加えてる演出も出来るわけね。ここに居るのが僕である必要性はあまり感じられないけど、だいたい意図はわかった)
ちなみにこれは塩谷の知らない事実だが、彼が選ばれた理由は、辛籐が考える“天川サイドの協力者”の必要条件にたまたま全て一致していたからだ。
どちらかと言えば天川側の人間で、でも天川家では無くて、審査員が出来て、尚且つ簡単に連れてこられる人間。辛籐の思い描いていた人物像にモロに当てはまってしまった塩谷は、たったそれだけの理由でこんな所にまで連れてこられたのだ。
無論、そこには辛籐自身の純粋な興味や悪戯心もあったわけだが、それが塩谷に伝えられる事は無い。
だから、彼は何も知らぬまま巻き込まれていく。
「というわけで、早速調理に取りかかろうと思います。制限時間は三十分になります。時間を過ぎれば、そこでどれだけ不完全であっても提出することになります。さて、と。甘音さん、準備はいいですか?」
辛籐は、天川に鋭い視線を向ける。口元には酷く歪んだ笑み。高みから見降ろすような笑顔だ。
天川は、それを力強い笑みで無理矢理受け止め、明らかに無理して好戦的な表情を浮かべる。
「も、もちろんいいわよ。さ、時間がもったいないわ。さっさと始めましょう……!」
(うわ。見てられないぐらい緊張してるよ。大丈夫かなあ……)
何だか塩谷まで嫌な汗を流す羽目になってしまい、状況は気付かぬうちに泥沼化していく。
それを安全地帯から嫌な笑みで見降ろしてくる少女。辛籐空美。彼女は天川の言葉を受け、口元を更に歪な形に変形させていく。
戦いの開始は、もう目前だ。
「いいでしょう。では、現時刻をもちまして“辛籐空美対天川甘音”の交流戦を開始しようと思います。さん。にー。いちっ。試合、開始です!」
彼女が言うなり、巨大モニタの端に数字が表示されるようになる。同時に響く歓声。
これが、料理対決に用いられる三十分計だ。これが動きだしたということは、もう試合開始という事に他ならない。
(……始まったね。なんか、いまいちぱっとしない開始だけど)
天川はすぐに包丁に手をかけ、まるまる一本置かれた鮭をまな板に設置する。時間を無駄にしまいとする素早い動きだ。
対する辛籐は、ゆっくりとマイクを少し離れた位置のホルダーにかけ、ひどく緩慢な動作で首の音を鳴らしながら調理台へと歩いていく。こちらは余裕の見える動きだ。
事実、余裕だ。彼女はうさぎなのだから。ただ、いつも通りのスピードで駆け抜けるだけで勝ちが約束されている王者なのだ。焦る必要など何処にも無い。
「余裕ね! そんなに調子こいてると、足元すくわれても文句言えないわよね!」
相変わらず、人の首でも切り落とすような危機迫る勢いで食材を刻む天川。
だが、彼女はまだ気付いていなかった。塩谷も同じだ。二人は、辛籐空美の真骨頂を未だ知らずにここまで来たのだ。
だからこそ、ここではじめて認識する。“不落嬢”の圧倒的な強さを。
「いえ、これはそんなんじゃ無いですよ。言いましたよね? ベストを尽くしましょう、と。これはただの精神統一です。私の力は制御が難しいので」
「は? 何それ」
(どういう、意味だろう……?)
二人が疑問を浮かべると同時に、変化は訪れた。
カタカタと、辛籐の調理台に置かれている包丁や鍋などの調理道具が小刻みに振動し始めたのだ。
塩谷の眼が、驚きで見開かれる。
「っ……!? これはまさか、食柱毒?」
「え? え?」と言いながら困惑している天川を尻目に、いち早くこの現象の真実に気が付く塩谷。
塩谷自身がそうであるように、食柱毒の力が必ずしも調理に役立つ物であるとは限らない。食柱毒の中には発火能力や念動能力、精神操作系能力や空間転移能力など、ほとんど超能力に近い物も存在している。
料理によって進化した人類の扱う力は、最早どれも従来の人間業じゃ無かった。
「でも始音くん、この女の能力は未知の香辛料の生成じゃ……!?」
「あら、そんなこと何時何処で誰がどのように言ったんですか? 少なくとも、私は一言も言っていませんよ。あくまでアレは能力の応用系でしかありません。やれやれ、これを公的な場でやるのはあまり好きじゃないんですけどね。今日は、お祭りのような物ですし……特別に見せてあげますよ!」
辛籐が、グローブを身に付けた右手を天に掲げる。
その動きと呼応するように、調理器具が一斉に宙へ浮かびあがる。
「えっ、何よ!? 何が起こっているの!?」
「これは、念動力系……?」
「ええ、その通りです。見せてあげますよ。不落嬢の堅固さを。そして、知って下さい。そもそも貴方がたが私に勝つための道は……もう無いという事実を!」
彼女が右の中指を立てると、まるで同調するようにトマトや玉ねぎといった食材群も空に浮かぶ。
調理器具と食材、これらが全て宙に浮かんだ。それはまるで無重力状態。
それらは中間に立つ支配主……ここら一帯を制覇した絶対王者を中心とし、恒星のようにふらふらと宙を彷徨う。
「さあ、始めましょうか。ミュージック、スタートです」
「「えっ?」」
辛籐が指を鳴らす。
同時に、コロッセオに備え付けられている巨大スピーカーからアップテンポなBGMが流れる。それに合わせ、辛籐が小刻みにリズムを取り出す。その動きは空に浮かぶ素材群にも対応しているようで、それらも同じように宙で揺れる。
「な、なにこの流れ……?」
「し、知らないわよ……!」
驚く二人をあざ笑うかのように辛籐が左手首を軽くスナップさせると、彼女の元にマイクが飛んでくる。飛来してくるマイクを軽快に左手でキャッチし、咲いたような外面全開の笑みを浮かべ、彼女は手に持ったそれを口元まで持っていく。
(いや、さっき置きに行った意味なくない? というか、マイクを持ったということは……!)
「さあ皆さん、いっきますよぉー! きみとー♪」
塩谷の予感と同じタイミングで、辛籐がやけに甘ったるい声で歌いだした。
「「!?」」
妙に明るい曲だ。もうアイドルソングと言っても差し支えないレベルだ。
(何だこれ……?)
塩谷も呆気にとられる。天川に至っては作業する手が完全に停止していた。
加えて、観客席から『ハイハイハイ!』やら『せーの!』だの野太い合いの手が聞こえてくる。それは塩谷達にとって、やかましい騒音以外の何物でもなかった。
更にそれだけでは収まらず辛籐は徐々に身体を動かしていき、しまいには全身をフルに使って踊り出すという意味不明な行為に身を投じ始めた。
「「!?」」
辛籐の動きに呼応するかのように、空に浮かび上がっていた食事系の恒星群も一斉に動き出す。
それらは的確な動きでそれぞれの用途が必要とされる場所に移動し、辛籐の手の代わりに作業を始める。麺の生地を練ったり、食材を刻んだり、鍋にお湯を入れてガスを点けたり、同時に複数の動きが展開していく。
その様子は、まるでおとぎ話に出てくる魔法使いの調理風景のよう。
「何、何これ!? 一体何が起きてるのよ!?」
「……これは。なんて精密動作性の高さなんだ」
ここまで精密性の高い念動力は滅多に無い。
そもそもにして、この手の能力は全体的にもっとアバウトな物が多い。もっと雑な動きしか出来ない能力などザラである。
そのうえ同時に複数の物を――――それも全て異なる動きで動かす事など――――並大抵の使い手ではとても真似出来ない。だいたいにして、複数の物を同時コントロールしている時点でかなり常識離れしている。
踊る意味は不明だが、そういった“余計な行動をしながらこの能力精度を発揮している”というのはあまりにも驚異的である。
塩谷もこれまでの戦いで“こういったタイプの能力者”と戦った事が無いわけではなかったが、流石にここまで精密に多くの物を動かしているのは辛籐が初めてだ。どうやら不落嬢の異名は伊達じゃないらしい。
(なるほど。この念動力は補足数・精密動作特化って感じなのかな。かなり珍しいタイプだ。しかもあの謎の香辛料をどう作ったのかもわからないし、まだ奥の手が残ってそうだ……)
塩谷が辛籐の動きを観察していくにつれて、どんどん新たな事実が浮上してくる。
まず、どうやら辛籐の関節や身体の一部位の「動き」が、それぞれ念動力の動きの「向き」に対応しているようだった。
例えば、辛籐が腕を上に動かせば食材が上に浮かび、指を下にさげれば調理器具が下に動き、身体自体を軽く捻じれば鍋が向きを変えるなどといった具合だ。
それも単一的な動きをしていないあたり、どうやら対応箇所は自由にコントロール可能なようである。本来なら包丁を上下させる場合、腕などの対応箇所をずっと上下させていなければいけないはずなのだが、辛籐の動きにそれは無い。
つまり包丁の動き一つにしても腕、指、足、と対応箇所を変えているのだ。これは普通出来ない。しかも歌は歌で意味があったようで、音程やテンポは動く速度や微妙な精度に影響を与えている事がわかった。
ならば適当な歌や踊りではここまで出来ないはずだ。となると、この曲や振りつけは彼女が自分自身の能力を活かすために計算し尽くして己で作った可能性が高い。
(そもそも、この能力をここまで使いこなしている時点でただ者じゃないよね。完全に予想外。これはちょっとヤバいかも、だって、天川さんの手が止まってるし……というか……)
塩谷は天川の方を向き、音楽に負けないように大きな声で彼女に叫びかける。
「見入ってる場合じゃないから! さっさとこっちも準備しないと!」
「はっ! そうだったわ。急がないと!」
こうして天川も作業に取り掛かる。
だが、今ので何分かロスしてしまった。天川も急いで遅れを取り戻そうとするが、焦りは悪い結果しか呼び寄せない。
彼女の手元がどんどん狂っていく。その狂いはどんどん大きくなっていき、塩谷の中の不安感もどんどん大きくなっていった。
その様子を尻目に、辛籐は笑顔を振りまきながらダンスをし、念動で料理を完成させていく。時折曲を変えたり、動きをがらりと変えたりしながら、過剰なパフォーマンスで場を盛り上げながら調理を進める。
そんな対象的な調理風景。
その過程は結果にも響く。塩谷の不安は見事的中し、天川の動きが悪くなったままタイムリミットが迫ってくる。もう残り時間も半分ほどだ。
「さて、もう踊りは必要無いですね」
結局、辛籐は三曲ほど踊った時点でもうほとんど料理を完成させてしまった。それからは踊りをやめ、今度は手作業で料理を仕上げていく。
ここまで来て、天川の焦りもどんどん増していく。彼女はまだ作業の半分もやりきれていない。手の動きが早くなっていくが包丁で手を傷つけてしまったり、ネイルが剥がれてしまったり、食材を必要以上に切ってしまったり、どんどんミスが増えていく。
(いや、ネイルとれちゃいかんでしょ。危ない危ない)
その結果に、塩谷も焦りを憶えてくる。
これ以上ミスが増え続けるようなら天川の料理の殺人度合いが強化され、結果、塩谷の考案した作戦が使えなくなってしまうからだ。彼は、もうこれ以上トラブルが起きないように祈りを捧げる。
(くそっ、このままじゃ僕の作戦が……!)
塩谷の祈りが届いたのか、天川の手の動きが若干安定してくる。けれどもそれだけじゃ安心しきれない彼は、もっと強く祈る。より、上手くいきますようにと。
しかし、天川の動きにも不安が混じっているのが簡単に見て取れた。動きが時々おかしい。妙に安定感が不足している。天川自身も勝利を疑いつつあるのだ。今、天川の心はギリギリの均衡を保っている。
――――だが、ここで何もしてこない辛籐空美では無かった。
「あらら、おかしいですね。天川さん、何をそんなに焦っているんですか? 私はまだ、絶望を与えたつもりは無いのですが?」
「えっ……? それはっ、どういう事よ!?」
「むしろ、これからですよ。貴方達の歩む道が終焉を迎えるのは。だってそうでしょう? このまま私が料理を完成させても、ただの麺類ですよ」
「た、たしかに! じゃあ、まさか……!?」
(そうだ。まだ、彼女には切り札が残っているんだ……)
事実、このまま完成させたところで出来上がるのはただのパスタだ。
眼の前のパフォーマンスに驚いたせいで、塩谷達は見失っていたのだ。辛籐の料理の真骨頂である謎の香辛料。その存在を。
「ええ。見せてあげますよ。これが真の不落嬢。貴方達の道の終焉を告げる者の真の力です。さあ、来てください」
辛籐は右手を軽く動かし、足元から大型のアタッシュケースを浮上させる。これはまさに、塩谷達の希望を打ち砕くほどの兵器と呼んで差し支えない“力”そのものの具現であった。
刹那。空気が変わる。辛籐を中心に風が吹き荒れるかのような錯覚。明らかに今、世界が変質した。
塩谷の耳には、先ほどまで五月蠅いぐらいに響いていた歓声がもう届いていなかった。辛籐空美の持つ得体の知れない何かに怯え、周囲の状況もまともに把握できずにいるのだ。
辛籐が、ハロウィンカボチャのように歪んだ笑みを浮かべる。そして右腕を美しい空めがけて振り上げ、パチンと指を鳴らす。すると呼応するようにアタッシュケースが開き、中に詰められている物の正体が明らかになる。
「っ! これは……!?」
(なるほどね。香辛料。そうきたかって感じだね。やられた)
その中に詰められていた物、それは大量の小瓶だった。それらは隙間無くケースの中に収まっており、何段にも積み重なっているようだ。その全てに赤い粉や液体が入っており、それらは恐らく香辛料であると考えられる。
より強く歪む辛籐の笑み。彼女の力は伊達じゃない。それを証明するかのような威圧感が周囲に撒き散らされる。
「これがどういう意味をもつか……わからない、でしょう? だったら、教えてあげますよ。私の力を、そして絶望を。思い知って下さい。貴方達に勝利の道はもう無いという事を!」
辛籐が左腕を持ちあげると、全ての小瓶も一斉に持ちあがる。大量の小瓶は空中に浮かび、制止する。どうやら単一の動きであれば、一つの動きで複数の物を操作するのも可能なようだ。
それから辛籐は、その左腕を捻るように回転させる。すると、回転式であった全ての小瓶の蓋が一斉に外れる。
彼女はそれを見て笑みを鋭くし、最後に指を軽く動かし全ての小瓶の中身を浮かびあがらせ、空中に赤い粉と液の群体を形成する。見ようによっては、それは赤い霧のようでどこか不気味だ。
「天川、甘音さん。貴方は、よっぽどこの間のような敗北感を御所望なようでしたので、お望み通りこれで蹴りをつけてやりますよ」
「……何よ。そんなんでわたしが怖気づ……!」
「天川さん! 手が止まってる!」
「っ! わかってるわよ!」
(わかってるなら動いてよ!)
わざとらしい挑発に乗ってしまう天川。
先ほどから辛籐はやけに煽ってくる。どうしてここまでしつこくする必要があるのか、塩谷自身疑問だったが口にはしない。否、口にしている余裕が無い。何故ならば辛籐の周囲に浮かぶ赤い粉塵が、彼らに絶望を運ぶ死の灰となるからだ。
辛籐は両手を一旦下げ、眼の前の見えない何かを抱きかかえるように腕を振るった。そうすると赤い霧は一つの球体のような形に収束する。
「特別に、教えて差し上げますよ。私の念動力は、精密動作と補足数の性能が異常なまでに発達しています。そして物を動かす念動エネルギーの動きは、私の身体の動きに対応しているんです。
……だったら私の身体に存在する血液や細胞の動きにも対応可能なのではないかと思い、試してみたんです。結果、出来ました。だから、こんな真似も出来るんですよ。そう、たとえば香辛料を最小単位まで分解し、それぞれを複雑に絡ませ融合・再構成をし、全く新しい香辛料を生み出すなんて事もね」
「……まさか!?」
「さあ、道の終わりです」
辛籐は、両手の指を高速で動き回らせる。まるで見えないキーボードが空中にあるかのような不思議な動きだ。
その動きに触発されるように、赤い球体もその形を歪ませながら変化していく。赤い塊は時折光を放ちながらどんどん小さくなっていき、色がより鮮やかな赤に染まっていく。そして訪れる、赤い光の爆発。
途端に音が消える。観客全員が固唾を呑んで辛籐空美の調理を見守る。
塩谷も天川も、そこから目が離せなかった。
不落嬢は、今この瞬間、全ての上位に立つ支配者として君臨していた。
しばらくして音が戻り、光が収まり、焦げくさい煙が一陣の風に吹き飛ばされ、血のように赤いその香辛料が完成した。何時の間にか液状化していたそれは、タバスコによく似ていた。どういうわけか量は最初に比べて大きく減少していたが、全てが凝縮されているという可能性は十二分にあった。
それは、辛籐の操作により一つの空き小瓶の中に収まる。
「ふう、さて、と」
静まり返った中、辛籐はその瓶に入った香辛料を半ば完成しかけのトマトソースに振りかけ混ぜ始める。こうして辛籐はゆで上がった麺とソースを絡めて炒め、己の深紅の料理を完成させていった。
調理が完了するなり、彼女はマイクを持ってぽつりと呟く。
「THE END OF ROAD、完成です」
――――歓声が響き渡った。




