試合の日 -愛情よりも大切な 1-
対決は、市営のコロッセオで行われることになっていた。
コロッセオ、それは古代から現代まで続いている文化のうち一つだ。
この円形の闘技場で、古来より多くの料理人達が血で血を洗う死闘を繰り広げてきた。
その戦いの歴史は今でもまだ続いている。
もちろん内装は時代が進むにつれて現代化してきているため、今ではどちらかと言えば野球の球場によく似たつくりとなっている。
無論、言うまでもなく目的や細部が大きく異なるわけだが、全体的にやはりコロッセオというよりはスタジアムというニュアンスの方が近い感じだ。
決戦の舞台となる中央の野外キッチンを取り囲むように観客席が存在している。そして、更にその外周や余ったスペースに売り場や控室など各種施設が用意されているといった具合だ。
ここは街外れにあるコロッセオだ。来場者五桁まで対応しているこの巨大施設に、今日も多くの人々がなだれ込んでくる。
観客席は既に満員だ。
何せ、今日の戦いはスケールが違う。もしかしたら、今回来た観客全員が伝説の見届け人になるかもしれないのだ。
天川甘音vs辛籐空美。
パティシエの名門・天川家の長女である天川甘音と、中華系の名門・辛籐家の三女である辛籐空美が戦うのだ。
そのうえ一般にはあまり知られていないが、今まで停戦協定を結んでいた両家が今まさに激突するという異常事態なのだ。事情を知らない者からしても、これは久々の両家の対決ということとなる。
これは見逃せない。多くの人がそう思った結果が、この戦いの舞台を温めていく。
「はぁ、何で僕は最近こういう役回りなんだろう」
そんな中、塩谷始音は控室で項垂れていた。彼は今、いつもの制服姿では無くジーパンにTシャツというラフな格好で、パイプ椅子に座って俯いている。
全体的に使用された痕跡があまり見られない、という錯覚を抱けるほど、綺麗で生活感の無い殺風景な部屋。それが控室の風景だ。大きな物は長机二つしか置いてない上に、狭く、パイプ椅子の座り心地も悪かった。
ここは戦いに備えた選手やその関係者が、戦うまでの時間を過ごすための部屋である。なのに、何故か塩谷始音はそこに居た。
「まあ、選手じゃないだけマシなんだけどもさ……」
今回、彼は天川の監督のような立ち位置に置かれていた。もちろんこれは本人が希望した結果ではない。
「……それにしても、辛籐さんとの付き合いはもうこれっきりにしたいよ。全くもう……」
辛籐空美に呼ばれたのでコロッセオまで足を運んだ塩谷だが、着くなり黒服の男たちに取り囲まれてここまで連行されてきたのだ。
彼らの話によると、それは全て辛籐の指示による物だそうだ。どういう意図なのかはまるでわからないが、とにかくまた身勝手な何かに塩谷が巻き込まれたことだけは事実だ。
ちなみに何故そんなにタイミング良く拉致出来たのかというと、どうやら以前に辛籐と会った時、塩谷は身体の何処かに発信器を仕込まれていたようだった。具体的なタイミングまでは流石にわからなかったが、十中八九食事に夢中になっている時だろう。あれが、一番警戒心が薄れていたタイミングなのだから。
ちなみに発信器は、一体どこにつけられているのか教えてすら貰えなかった。これではいつでも油断出来ない。
「いや、油断しすぎだろ僕……」
兎にも角にも、男たちから事情を聞いた塩谷は現在ここに一人である。
天川はまだ来てないようだ。何となく迷子になってそうな予感もあったが、来ないなら来ないで良かった。
塩谷的にはどっちでもいいのだ。
もう特に思い入れも勝って欲しい気持ちも無いので、むしろ来られたら困ると思っているぐらいだ。その上、過去を聞かれているので少し気まずい気持ちもある。だから、来ないで欲しいと若干考えてしまう。
もちろん、そんな甘い考えが通用する相手では無かったわけだが。
「よし、ここが控室ね。うん、あ・ま・か・わ・あ・ま・ね、わたしの名前ね。今度はあってるわ!」
ドア越しにそんな声が聞こえ、塩谷は深いため息を吐きながら項垂れる。
というか言っている内容からして、完全に迷っていたようだ。振りかえれば、彼女は初めて塩谷の元に訪ねてきた時も「今度こそ、ここが1ーDの教室で間違いないわね!?」などという台詞を吐いていた。
これらの状況から察するに、どうやら天川は方向音痴という弱点もあるようだった。
(いや、性能偏りすぎじゃないかな……?)
塩谷が思う通り、天川甘音は出来る事と出来ない事の差があまりにも激しすぎていた。
外国語などの知識力や店員の動きを見切る観察力は非常に高いのに、料理や人格はまるで破綻している。そこに方向音痴を加えると、更にわけがわからなくなる。どうやら天川家の教育は相当偏っているらしい。
と、塩谷がそんなくだらないことを考えている間に、控室のドアがいきなり全開にされる。
「さーてーと……って、あれっ、始音くん!?」
長い髪を取り乱し、つり目を丸く見開いた天川甘音が入ってくる。
服装はいつもの制服ではなく、薄手長袖のニットパーカーに短いデニムスカートだった。それに加え制服の時には無かったネイルや、ウエスタンブーツなども装備していた。
どう見ても料理をしにきた人間の格好には見えなかったが、塩谷はもうそこには触れないことにする。どうせ困るのは天川だ。
(それにしても似合ってないなぁ……)
服のチョイスがいいとか悪いとかそれ以前に、絶望的なまでに着こなせていなかった。
具体的に何がいけないという点は見当たらないはずなのだが、どうしても服を着ているのでは無く着られているという印象を受けてしまう。塩谷は「この服は天川自身のチョイスなのか」なんて想像をしつつ、その辺には一切触れずに口を開く。
「……どうも。久しぶり、ってほどでもないか。わりと最近ぶりだね、天川さん」
「えっ、何でここに始音くんが!? えっと、どうしたの? 迷ったの? とにかく一緒に探してあげるから、まずはここを出ましょう?」
「相変わらずだね、天川さん」
自分の推測を信じ、決めつけるその癖。考えてからすぐに行動に移すくせに、後先は全く考慮していない所。それらは数日前に会った時と全く変わっていなかった。
たった数日でそんなに変わるはずもないのだが、何故だか塩谷は安心する。
「いや、僕は辛籐さんに言われてここに居るから、間違ってないよ。安心して」
「えぇっ!? あの女に!? 何で!?」
「こっちが知りたいよ。まずね……」
塩谷は、ここに至るまでの道のりを天川に話す。辛籐が教室まで来たこと、塩谷が弁当を食べたこと、はめられてコロッセオまで連れてこられたこと、そしてここに来たら拉致されたこと。それらの事実を、時々省略しつつも語り伝える。
天川は驚きつつも、比較的おとなしく聞いてくれていた。だが、話が終わったあたりで彼女は唐突に両手を机を叩きつけた。
「何よそれ!? やっぱり気に食わないわ、あの女。ますます倒すのが楽しみになってきたわ」
(ほんと、自信家だなぁ。何でこの人はこんなにタフなんだろう)
「安心して、始音くん。仇はわたしが取るわ!」
「ああ、うん。ありがとう……あっ、そうだ。お金」
塩谷は「そういえば」とやるべき事を思い出し、尻ポケットに手を入れる。
財布だ。彼は財布をいつもそこに入れていたので、すぐにお金を返そうと身体を動かしたわけだ。
しかし本来盛り上がっているはずのポケットは、何故かぺたーんとなっており、明らかに何も入っていなかった。
「って、あれ?」
「どうしたのよ?」
「いや、財布が……」
持ってくるのを忘れたという可能性はほとんど無かった。何故なら彼は、家を出る時に何度も確認した事を憶えていたからだ。
ならば、ここに来るまでの間に落としたという可能性がかなり高くなってくる。そうなってくると心当たりはもう一つしか浮かばなかった。
「……多分、拉致の際に落ちたんじゃあ……」
冷や汗。
塩谷は男たちに抱えられるようにして、ここまで連行されてきた事を思い出す。恐らく、その時に落ちた可能性はかなり高い。というかこの可能性があまりにも高すぎて、他の可能性が霞むレベルだ。
あれが無ければ色々と不味い。借りは返せず、更に自分の小遣いどころかカード類と財布自体まで無くしてしまうのは中々の損失だ。中身を勝手に使われる事だって大いにありうる。その事実に塩谷は心を痛めた。
「うわ、どうしよう……」
「それは大変じゃない! 探しに行った方がいいんじゃない!?」
「……いや、ここから出たら殺すって言われてるんだよね」
辛籐からの指示で動いてるであろう男たちは、そんな事を言って塩谷を追い詰めてきたのだ。
言われた当初は純粋な恐怖心しか無かったが、今となっては純粋な怒りしか湧いてこなかった。
なんて身勝手な連中なのだろうと、塩谷は静かに怒りを燃やす。
「時間も……もうそんな残ってないし、もうここまで来たら辛籐さんに文句言うよ。流石に何も無いわけないもんね」
塩谷は何とか理性を保つように努め、己を諌める。
流石にここで辛籐サイドから何もアフターケアが無ければ、塩谷にも考えがある。正直、彼はかなり苛立っているのだ。
天川に巻き込まれた怒りや、殺された憎しみ、辛籐にはめられた恨みや、財布を無くされて探すことすら出来ない無念、それらの怒りが今、全て辛籐に向いていた。半分は天川のせいだが、現状を生んだのは辛籐だ。
彼女を恨むのは半ば妥当な判断であった。
(というか、何で関係ないはずの僕がこんな事で悩まなきゃいけないんだ……そう考えたらもっとイライラしてきた。何か、今なら無茶なことも出来そうな気がする)
料理とは関わりたくない塩谷だが、本当にもうどうにもならなくなったら、公衆の面前で辛籐に敗北の屈辱を与えてやるのもやぶさかでは無かった。
これだけは本当にしたくなかったが、もうこうなってしまえば本気を出すしかない。
塩谷は以前「辛籐には勝てない」と何度も言ったが、それは通常状態での話だ。彼が本気を出して真の力を解放すれば、いくら相手が強くても関係が無いのである。それこそ渋堂の居る世界の、本当にトップクラスの人間しか太刀打ちできないだろう。
もっとも、そこまでレベルの高い相手には全く通用しないわけだが、辛籐相手には充分であると塩谷は判断する。
(でも、待てよ……そもそも何で僕がここまでしなきゃいけないんだ。いっそ、ここで天川さんに勝たせた方が屈辱度合いは強いんじゃないかな……?)
辛籐からして見れば、天川の実力などあってないようなものだろう。事実、話す限りあまり明言していないようだが、少なくとも辛籐は勝つ前提で話を進めている節があった。
ならばここで秘策でも用意して天川を勝たせてしまえば、辛籐のプライドはボロボロである。
塩谷は、最近本当に疲れる事が多くて苛立っていた。だから、これぐらい現実味のない報復を考えても罰は当たらないと思ったのだ。
「そういえば天川さん。料理の腕前の方は、あの後どうなったの……?」
思考のうちに、何気なく浮かんだ疑問。
そんな塩谷の問いに天川は一瞬複雑そうな表情を浮かべた後、ゆっくりと頭を下げた。
「ごめんなさいっ!」
「え、何が?」
突然謝罪をされたわけだが、あまりにも心当たりが多すぎてどれに対して謝っているのか見当もつかなかった。
だが天川の表情の真剣さからして、それなりに大きな事のようだ。
塩谷は驚きつつも何についての話か気になったので、そのまま彼女の次の言葉を待った。
「あの、わたし、自分の料理、味見してみたの……」
「!?」
塩谷は目を見開き、我が耳を疑った。
なぜならこれは最早「わたし今日樹海で首つってきたんだ」と言われたようなものだからだ。あの料理を食べて生きてるわけがないのだ。
彼は脳をフル回転させ、このおぞましい現象を解明しようとする。
(えっ、じゃあ何で生きてるの!? もしかして幽霊!? ……しか、無いよね)
そう結論付け、塩谷は天川の身体を見回す。が、透けてもいなければ足もついている。
「あの、一応言っておくけれども死んでないわよ? たしかに、死にかけたけど……」
「嘘ォ!?」
塩谷は、自分のキャラを保てなくなるレベルで驚く。
目の前の少女があまりにあり得ない奇天烈な事を言ったせいで、困惑を抑えきれなかったのだ。
致死量の毒薬を毎日飲んでいるのに健康です、なんて出鱈目を言われているようなものだ。何度も繰り返すが死なないわけがないのだ。
塩谷は、目の前の少女が果たして本当に人間なのかどうか、という疑問を露わにする。しかし、それにしてはあまりに唐突だ。そんな彼が悩みに悩んだ結論は、これまた的外れな物だった。
「……もしかして、天川さんも不死系の食柱毒持ち?」
「違うわよ! だいたいわたしは食柱毒持って無いし!」
「ああ、そうなんだ。無いんだ……」
「ええ無いわよ! 悪い!? まだ完成前に食べたから平気だったの! ……辛うじて」
「ああ、なるほど……?」
そこまで話して、塩谷も辛うじて納得する。
確かにそうでもない限り、あれを食べて生存するのは不可能だろう。
(それにしても、未完成なら死なないんだ……ん、待てよ。ということは……!)
塩谷はここで、この状況を打破できるかもしれない案を思いつく。
正確にはこれをしたところで何かが解決するわけではないのだが、しかし成功すれば間違いなく気分は晴れる案だ。それは辛籐に対する怒り、天川の料理の特性、塩谷がかつて使用していた必殺料理の特性、この三つの事実が指し示した一つの光明だった。
(もしかしたら、辛籐さんを倒せるかもしれない……!)
不落嬢、辛籐空美を陥落させる方法。彼はそれを思いついたのだ。
もちろんそう簡単に上手くいくとは思えないが、それでもこの状況で出来る最善の策である。塩谷は早速色んな可能性を模索し、思考を組み立てていく。
「それでね、始音くん。わたしは、そこでようやく自分の実力を思い知ったの。本当に、あなたには申し訳ない事をしたわ。ごめんなさい……って、聞いてる?」
天川が何かを言っていたが、塩谷は一切気にせず策を完成させていく。事前に聞いた採点方法や細かなルールなどを考慮し、より確実なる勝利へと近づけていく。
上手くいけば、今の天川の実力でも勝てるかもしれない。死ぬほど、いや、殺すほど料理が下手な天川でもだ。むしろ、そんな彼女だからこそ可能な作戦でもある。塩谷は考えに考え、積み重ねていく。
(……よし、これなら、これならいけるかもしれない……!)
そうして、不落嬢陥落作戦が完成した。
「……天川さん」
「えっ、なに急に?」
「もう一度聞くけど、今の料理の腕前はどんな感じ?」
「えっ……? 残念ながら、辛うじてデザートが作れるようになったぐらいだわ。わたし気付いたの。何か特別な味付けとかをしなくても、ただ果物を切って並べるだけでも料理になることに……」
「すごい、いくらなんでも進歩しすぎじゃない……!? ……なら、本当に辛籐さんに勝てるかもしれない」
「ええっ!? それ、どういう意味?」
天川が目を丸くし、顔を接近させてくる。
この反応からして天川は今まで辛籐に勝てると言いつつ、心の奥底では本当に出来ると思っていないことを察することが出来た。
塩谷は、天川にも人間らしい部分があったことに安心し、ゆっくりと思考を回転させる。それから今度は、どうやって説明を始めようかという方向に思考を進める。
「天川さん。悪いけど、ここは僕の指示に従ってくれないかな?」
「……ええ。内容にもよるけど、それで勝てる可能性があるのなら聞いてみたいわ」
「うん。じゃあ話すけどね……」
促されるように、塩谷は己の策を話し始めた。天川はそれに対し時々意見しつつもほとんど反対することもなく、順調に話は進んで行く。
こうして二人の利害はようやく一致し、辛籐空美を倒すための準備が整った。
辛籐を倒すため、決して諦めなかった地獄からの使者・天川甘音。その強い心の持ち主に、かつて「三柱天国」と呼ばれた大技を持つ伝説の料理人・塩谷始音のサポートまでつくのだ。財布が繋いだ絆。地獄と天国の力の共演。甘音と始音、二つの音が重なり生まれる驚異の二重奏。この二人が手を組めば、地獄と天国程度なら支配可能だ。地と天、死角はない。
まさに化け物クラスのタッグが生まれた瞬間である。
(どういう意図があるのか知らないけど、天川さんのサポート役をやれっていうならやってやるよ、辛籐さん)
この二人を引き合わせたのは辛籐だが、彼女は果たしてこの怪物の誕生を知っているのだろうか。それはわからないが、とにかくこれでようやく勝負になるというのだけは確かだ。
辛籐空美は果たして天地を砕けるのか。その結末は、いざ戦ってみるまでわからない。
それから時間は過ぎていき、塩谷と天川はスタッフに呼ばれる形で控室を後にする。
天川の表情には自信の二文字が刻まれていた。それは、今までとは違う根拠のある自信だ。
塩谷は思う。この戦い、最後の最後まで結末が読めないと。どっちが勝つか、本格的に運が左右する形になってしまうと。そんな不安定な勝利のビジョンに、彼は思わず笑みをこぼす。それは、彼がかつて料理人として活躍していた時と同じ表情だった。
(やっぱり、勝負ってのはこうじゃないとね。久しぶりに、楽しくなりそうだ)
彼は、怒りも忘れてただただ楽しんでいた。もちろん本人にその自覚は無いわけだが、少なくとも胸の高鳴りだけは自覚していた。
天川甘音と辛籐空美の料理対決。今、天地が大きく動こうとしている。これに心躍らぬ猛者が一体何人いるというのか。塩谷の笑みは更に強くなる。
こうして、塩谷と天川は舞台へと入場していく。




