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剣を持たない救国のサラリーマン ~隊も砦も領地も押し付けられて国まで至る~  作者: とんこつしょうゆ


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8/22

第8話 放っておけば

【聖暦346年 晩秋/グライフェン駐屯地】


 村を出たのは夕方だった。


 傷を負った村人を残していく。連れて帰れる怪我ではなかった。負傷兵を連れての帰り道は長く、誰も多くを話さなかった。テオだけが時々、後ろを振り返っている。村の灯りが見えなくなるまで、その動きは続いた。クラウスも気づいていたが、何も言わなかった。言葉にした瞬間、テオの中の何かが変わってしまう気がした。


 門が見えたころには、日はほとんど落ちていた。


 グライフェンへ帰ると、キルシュナーは怒っていた。


「半刻」


「はい」


「遅れたな」


「はい」


「分かってるならなぜ黙ってた」


「聞かれていなかったので」


「次からは聞く前に言え」


「理由は」


「現地の武装住民に捕まりました」


「……何?」


「村を守っていた人たちです」


「それを先に言え」


「聞かれたので答えました」


「そういう意味ではない」


 キルシュナーのこめかみが動いた。ロルフは壁際で露骨に視線を逸らし、テオは笑いをこらえている。


「結果は」


「ドレイク家の兵は撤退しました」


「損害」


「こちらは軽傷二。村側に死者一、負傷者数名。村の弓兵たちの被害は確認中です」


「敵は」


「数名を倒しています。ただし大半は撤退」


「拠点は」


「残っています」


「壊せなかったのか」


「壊す予定ではなかったので」


 キルシュナーの顔が、そこでいくらか戻った。机に地図を広げる。


「位置は」


 クラウスが指す。


「ここです」


「確かか」


「見ました」


 村から北西、小高い尾根の裏。森を切り開き、柵を巡らせている。昨日の交戦は、その陣地の外に出ていた兵の一部に過ぎない。つまり、まだ終わっていない。


「人数は」


「森を回った限りでは三十前後です」


「全部見たわけではないだろう」


「見ていません」


「では三十以上とも言えるな」


「言えます」


「言わなかった理由は」


「見たものと見ていないものを混ぜると、判断を誤ると思ったので」


 キルシュナーは、しばらくクラウスを見ていた。


「……それは軍の言い方ではないな」


「別の言い方を知りません」


「いや」


 首を振る。


「そのままでいい」


 午後、小隊の分隊長が集められた。グライフェン側からも二人。狭い部屋に地図と体温がこもり、話が始まる前から空気が重かった。


「増援を待つべきだ」


 一人が言った。


「三十以上いる」


「昨日引いたんだろ」


「向こうもこっちの人数を見た。次は村を直接狙うかもしれん」


「それなら村を守ればいい」


「いつまで?畑仕事もできなくなるがな」


「食えなくなるほうが早く死ぬぞ」


「じゃあどうしろってんだ」


 誰も答えなかった。増援を待つのが正しいのか、今叩くのが正しいのか。どちらも間違いだとは言い切れない分だけ、決めにくい。


 クラウスは地図を見ていた。拠点、村、街道、水源。離れているように描かれているが、実際に歩けば全部近い。敵は一度退いた。だが陣地がある限り、いつでも戻れる。


「クラウス」


 キルシュナーが呼ぶ。


「何を見ている」


「距離です」


「何の」


「拠点から村まで」


「見れば分かる」


「はい」


「意見があるなら言え」


 少し考える。


「放置すれば、また来ると思います」


「根拠は」


「拠点を捨てていないので。昨日負けたからといって、土地を諦める理由がありません」


 グライフェン側の分隊長が頷いた。


「俺も同じだ。あいつら前にも別の村でやってる」


「なら増援を」


「何日だ」


「早くて五日」


「五日あれば村は焼ける」


「それは困る」


「困るだけでは決まらない」


「じゃあどう決まるんだ」


 会議の空気が変わった。上から命令されたわけではない。やらなくても、書類上は問題にならないかもしれない。だが現場は知っていた。ここを放置すれば、また同じことをする。


「叩くか」


 キルシュナーが言った。誰も、それが命令だとは思わなかった。だが、誰も反対もしなかった。


「敵の全数は不明だ」


「だから今です」


 グライフェンの分隊長が言う。


「向こうも昨日の被害を数えてる。補充前ならまだましだ」


「村の武装民は」


「使うのか?」


「使えるかどうか確認する」


 キルシュナーの視線が、クラウスへ来た。


「クラウス。あの女と話ができるのは今のところクラウスだけだ」


「話はできます」


「協力させられるか」


「分かりません」


「そこは分かると言え」


「言って断られたら困ります」


 誰かが小さく笑った。キルシュナーはため息をつく。


「確認してこい。今日中に」


「分かりました」


 会議を出て、天幕へ戻る。三人にも状況を伝えた。


「叩くことになりそうだ」


「そうか」


 ロルフは特に驚かなかった。


「まあ、放っときゃまた来るしな。面倒事は先に潰したほうが後が楽だ」


 アンナは違う理由だった。


「また誰か怪我するのは分かってる。でも今のうちに叩けるなら、そのほうが怪我人は減る。増援待ってる間に村がやられたら、もっと増えるでしょ」


 テオはまた違った。


「俺、リオナさんに借りがあるんで。捕まったの助けてもらったんすよ、この前」


「捕まったのは俺だ」


「俺の分も含めてです、なんか」


 よく分からない理屈だったが、三人とも同じ結論に着いていた。叩く。理由は誰一人重なっていない。それでも三人とも、同じ方を向いていた。クラウスは、それを悪いことだとは思わなかった。前の人生でも、揃った理由より揃った方向のほうが、たいてい長く保った。


 夕方、村へ使いを出す前に、向こうから来た。リオナだった。門で揉めている。


「だからクラウスを呼んでって言ってるでしょ!」


「軍人に呼び捨ては」


「名前で呼ばなきゃ何て呼ぶのよ!」


「分隊長だ」


「じゃあクラウス分隊長!」


 クラウスが出る。


「どうした」


「遅い」


「今来た」


「見れば分かる」


「そうだな」


「婆ちゃん起きた」


「ああ。それはよかった」


「……それだけ?」


「他に何か」


 リオナが口を開き、閉じた。


「まあいい。あいつらの陣地、叩くんでしょ」


「なぜ知ってるんだ」


「叩かないの?」


「まだ決まって」


「叩く顔してる」


「顔で分かるのか」


「分かる」


「すごいな」


「馬鹿にしてる?」


「いや」


 本当にそう思っていなかった。リオナは腰の弓を叩いた。


「混ぜて」


「何に」


「戦い」


「危ないぞ」


「知ってる」


「村にいたほうが」


「恩返し」


「アンナなら中にいる」


「違うって!クラウスにも借りがあるって言ったでしょ!」


「そうだったな」


「だから返す」


「急がなくても」


「借りたままなの嫌なの」


 そこだけは、よく分かった。前の人生でも、借りを長く抱えたままにできない性分の人間を何人か見てきた。案外、そのほうが後で救われることが多かった。


「じゃあキルシュナーに話す」


「クラウスが決められないの?」


「俺には権限がない」


「ほんっと偉くないね!」


「分隊長だ」


 リオナはそれでも帰らなかった。門の脇に座り込み、弓の弦を確かめている。


「待つのか」


「返事もらうまで」


「今夜には出ないと思う」


「知ってる」


「では」


「待つの好きじゃないけど、待たないよりましでしょ」


 その理屈は、少しだけクラウスにも分かった。


 しばらくして、キルシュナーからの答えが伝わった。村の武装民は補助として参加を許可する。ただし正面には出さない。リオナに伝えると、彼女は肩をすくめた。


「補助ね」


「不満か」


「別に。使ってもらえるならいい。それより、弓、何本欲しい?」


「俺に聞かれても分からない」


「そういうとこ!」


 その夜、キルシュナーが全体への方針を告げた。陣地への攻撃。参加するのはグライフェンの小隊二つとキルシュナーの小隊。三隊とも定数には遠く、合わせても四十人に届くかどうかだった。敵の三十数人と、大差はない。村の武装民は補助として使う。正面からは押さない。接触した部隊が持ち場を保ち、締めていく。


「クラウスの分隊はどうする」


 グライフェンの分隊長が聞いた。


「先の偵察で地形を知っている。前へ出す」


「一人しか森を回っていませんが」


「他の三人は、守るほうはできても、攻め込む側の経験がありません」


「それは聞いた。経験は今夜までに増やせないが、人数なら増やせる。他の分隊から五人、この作戦の間だけクラウスの指揮下に付ける」


「分かりました」


 それ以上、異論は出なかった。五人が誰になるかは翌朝まで分からなかったが、少なくとも数の上では、分隊は四人ではなくなる。


 翌朝、出撃準備が始まった。柵を破る道具、縄、水、止血布、矢。アンナは薬草の袋を三つに分けていた。


 約束の五人は、夜明け前に天幕へ現れた。他の分隊から回された兵で、名前も顔もまだ知らない。クラウスが一人ずつ名を聞いていくと、五人とも意外そうな顔をした。今日だけの指揮官が、まず名前を覚えようとするとは思っていなかったらしい。


「多いな」


「今回は村に置いてく分がないから。その代わり、こっちで使う分は増やした」


「頼りにしてる」


「頼りにするなら、無茶しないでよ」


「なるべく」


「なるべくって言うのが一番怖い」


「無茶はしない予定だ」


「予定って言うところが怖いのよね」


 ロルフが横で聞いていた。


「予定通りに行ったことあんのか、こいつ」


「ないわね」


「じゃあ予定って言葉、要らねえだろ」


「言わないと落ち着かない」


「本人のためか」


「そうだ」


「正直だな」


「そう言われることは、これまでも多かった」


「隠しても分かると思うけどな」


「隠す気もねえだろ」


「もう少し隠せ」


「無理だ」


 ロルフが呆れたように笑い、アンナも薬草を数えながら小さく笑っている。テオだけは剣の刃を睨んでいた。こちらを見ていない。何度も刃を確かめる指の動きだけが、いつもより硬かった。


「研ぎすぎだ」


 ロルフが言った。


「昨日ちょっと欠けたんすよ」


「剣より腕を休ませろ」


「平気っす」


「それ言うやつは平気じゃねえ」


 テオが口を閉じる。クラウスは少し笑いそうになった。前なら、こういう台詞は自分が言っていた。今日はロルフが先に言った。それでいい。人は少しずつ、誰かの分まで見るようになる。


 門の外で、リオナが待っていた。


「遅い」


「集合刻限の前だが」


「私が早かったの」


「じゃあ俺たちは遅くない」


「そういうとこ嫌い」


「悪い」


「謝られるともっとむかつく!」


 ロルフが横を通る。


「元気なの連れてきたな」


「俺が連れてきたわけでは」


「自分で来た!」


「ほらな」


 隊列が動き出す。クラウスは最後にもう一度、地図を思い出した。陣地、村、街道、水源。偵察で見た数は三十前後。見えていなかった分は分からない。柵の裏に何人残っているか、武器の質がどれほどか、増援が来る可能性があるか。全部、確認せずに動く。


 分からないものは、分からないままで動くしかない。それでも、放っておくよりはいい。放っておけば、また同じことが起きる。次の戦いが、もう始まろうとしていた。


 朝日はまだ完全には昇っていない。柵の外は薄い灰色で、足音だけが先に動き出していた。


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