第22話 矢の雨の向こう
【聖暦347年/グライフェン西方・浅丘】
夜明けからしばらく経って霜が消え始めたころ、西の街道から現れた兵の列を見て、クラウスは前日までの小競り合いとは規模が違うことだけを先に理解した。
ヴェルト側はグライフェンの三個小隊を合わせておよそ六十、対するドレイク側は八十を下回らず、百には届かないほどに見えた。前列の槍兵だけでなく、その後ろにまとまった射手の列まで控えている。
キルシュナーは中央寄りに二個小隊を置き、残る一個小隊を北側へずらして林との隙間を塞ぎ、クラウスの分隊はその境目に近い位置を任された。
配置が終わる前に、ドレイク側の前列から一人だけ大きく前へ出る男がいた――長い槍を片手で振り、周囲より一回り大きく見えるその姿を見間違える者はいなかった。
「またあいつかよ」
ロルフが低く言った。
「ダミアンだな」
テオの声は硬かった――ダミアンは味方の列が揃うのを待つ様子もなく、前へ出た兵たちを押し立てるように走り出し、その勢いに引かれてドレイク側の前列全体が動いた。
ヴェルト側の槍列が受け止めた瞬間、木と鉄がぶつかる鈍い音が重なり、中央の土が一度に削られた。
ダミアンの槍は一人を狙うというより、目の前の列そのものを押し潰すように振られ、受けた二人が同時に後ろへ下がった。
そこへ後方から矢が飛んだ――最初の一斉射は高く上がり、前列の頭上を越えてヴェルト側の後ろへ落ちたため、前へ踏ん張っていた兵ほど下がりたくても下がれなくなった。
「盾、上げろ!」
別の小隊長の声が飛び、兵たちが盾を傾けると、その隙にダミアン側の槍兵がさらに距離を詰めた。
前へ出ればダミアンの槍が来て、下がれば矢が落ちる――その二つが重なっただけで、六十近い側の列が一度に狭くなった。
キルシュナーは声を張って左右へ兵を回したが、普段なら崩れない程度の間隔が、今日は一度空くとすぐに敵へ使われた。
「北、二歩下げます!」
クラウスが声を届かせると、キルシュナーは一度こちらを見て頷いた。
「任せます!」
クラウスはロルフへ視線を送り、林側の前列を少しだけ後ろへ下げる形に変えた。
「ロルフ、前を一人分だけ空けてもらえるか」
「一人分でいいんだな」
「ああ。広げると矢が入る」
「分かった」
ロルフが下がり、テオと無名の二人も足並みを合わせると、正面から来た敵は一度踏み込んだものの、林との間隔が狭くなって横へ広がれなくなった。
その位置を見て、リオナが矢を一本抜いた。
「前の右、槍が長いの」
「見えてる」
返事をした直後、矢が飛び、クラウスたちへ寄ろうとしていた兵の肩当てを弾いた。リオナは以前のように呼吸を乱さず、一本射つたびに次の矢へ手を移す。前列の隙間ができた瞬間だけを選んで、撃っていた。
「そんなに見なくていい」
「何が」
「いや」
「戦ってる最中に変なこと言わないで」
声はいつも通りで、矢筋もぶれなかった。
【聖暦347年/グライフェン西方・中央】
中央ではダミアンの圧がさらに強まり、受け止めていた一角の兵が三人まとめて下がったところへ、二度目の矢が落ちた。
盾を上げた兵の足元へ槍兵が入り、一人が腿を切られ、別の一人が肩へ矢を受けた。キルシュナーは中央へ予備を入れたが、その人数を埋めたぶんだけ北側との境目が薄くなる。クラウスの位置からも、列の歪みが見えるようになった。
「アンナ」
「見えてる」
アンナは返事をするより早く、中央で倒れた兵へ目を向けていた。
「本隊へ回ってもらえるか。こっちはまだ立ってる」
「今すぐ動かせるか、見てくるよ」
「頼む」
アンナは薬袋を抱え直し、前列の後ろを縫うように中央へ走った。分隊から治療師が抜けると、それまで七人で見ていた範囲が急に広く感じられる。だが、負傷者をこちらへ運ばせれば、持ち場そのものが崩れる。
「アンナいなくて大丈夫ですか」
テオが前を見たまま聞いた。
「怪我しないなら大丈夫だ」
「それ無茶言ってません?」
「だから頼んでない」
ロルフが吹き出しかけたが、すぐに槍を構え直した。敵の三度目の押し込みが来る。今度は前から槍兵が寄るのとほぼ同時に、後方の射手隊が低い角度で矢を送ってきたため、頭上を守るだけでは足りなかった。
盾へ矢が刺さり、木が震え、無名の一人が半歩よろけた――クラウスはその肩へ手を伸ばしかけたが、本人がすぐに立て直したので、そのまま前へ視線を戻した。
「テオ、左を少し見てもらえるか」
「分かりました」
テオは一歩だけ位置を変え、隣の小隊との隙間へ入りかけた敵を止めた――その動きを見て、リオナが一本射ち、敵の足を止める――前列はまだ持っていた。
だが、その状態を保つために六人が使っている力は、見た目よりずっと大きかった。ロルフは敵を追わず、槍が届くぎりぎりの位置で押し返すことだけに徹している。テオも、一人倒すより隣へ抜かせないことを優先していた。
無名の二人は狼煙台で覚えたように互いの間隔を開けず、片方が盾で受けた瞬間にもう片方が前へ出て、同じ場所へ二人分の圧を重ねていた。
リオナはその四人の肩越しに射線を通し、前へ出すぎた敵だけを狙ったので、矢の本数以上に相手の足が止まった。
クラウス自身は剣を構え、林側から回り込もうとする兵がいないかを見ながら、必要なところへ一歩ずつ位置をずらした。
誰か一人でも勝手に追えば崩れる形だったが、今のところ誰も追わなかった――そのことだけで持ち場は保たれていた。
「右、来る」
リオナの声が飛び、テオが顔を向ける前に矢が一本、敵の足元へ突き立った。
「助かった!」
「声出す暇あるなら前見て!」
「見てる!」
「じゃあ返事しなくていい!」
そのやり取りの間にも、ロルフは槍を引かず、敵の肩へ石突きを当てて距離を作った。
「元気だな、お前ら」
「ロルフもしゃべってる」
「俺は年季が違う」
短い軽口が続くあいだだけ、分隊の呼吸は普段に近かった――ただ、中央では持たなくなり始めていた。
ダミアンが槍を横へ振り、盾を構えた兵を二人まとめて押し倒したところへ、後方から矢が重なり、その周囲だけ一気に人が減った。
キルシュナーが自分で前へ出て穴を塞ぎ、近くの兵へ声を飛ばしたが、いつもの落ち着いた調子ではなかった。
「そこ、詰めてください! 左を空けない!」
声が少し高い――クラウスはそれを聞き、中央へ目を向けた――倒れた兵のそばではアンナが膝をつき、一人の胸元を押さえながら別の兵へ担架を呼んでいた。
「その人は動かせる。こっちはまだ駄目だよ!」
迷う声ではなかった――治療を始めたアンナが戻ってくる余裕はない。
その間にもキルシュナーは中央の兵を入れ替え、肩を傷めた者を後ろへ下げ、まだ動ける者を前へ戻そうとしていたが、入れ替える時間そのものを射手隊が与えてくれなかった。
前列を離れた兵が二歩下がるだけで矢が落ち、その場で伏せれば後ろの兵が止まり、止まったところへダミアン側の槍兵が距離を詰めてくる。
キルシュナーは一人を下げるたびに別の一人を前へ出すしかなく、結果として中央の人数は保っていても、疲れだけが早く積み上がっていた。
「隊長、右の二人はまだ動かせる!」
アンナが声を飛ばし、キルシュナーがそちらを見た。
「後ろへ回せますか!」
「歩ける。担架はいらないよ!」
「分かりました!」
傷の深さではなく、今すぐ動かせるかどうかだけを短く判断するアンナの声が、中央で唯一迷いなく通っていた。
その声を聞いた兵が二人を支え、後ろへ下げると、空いた場所へ予備の兵が入った。ほんの一か所だけだったが、崩れかけた線が一度戻る。クラウスたちは、六人で北側を持たせるしかなかった。
【聖暦347年/グライフェン西方・北側】
昼が近づくころには、戦場の土は踏み荒らされ、最初に決めた線がどこだったのか分からないほど前後へ動いていた。
クラウスの分隊は林側へ寄せた狭い持ち場を維持していたが、隣の小隊が押されるたびに敵の一部が横から流れ込み、休む時間はほとんどなかった。
「矢、あとどれくらい」
クラウスが聞くと、リオナは矢筒へ手を入れたまま答えた。
「まだある。数える余裕あるなら射つ」
「なら任せる」
「最初からそうして」
言い終える前にまた一本が飛び、テオの正面へ寄った敵の足を止めた――ロルフは槍の柄で敵の剣を受け、息を吐きながら顔だけをこちらへ向けた。
「こっちは持ってるが、全体はまずいぞ」
「ああ」
「見りゃ分かるか」
「分かる」
中央では負傷者が増え、後ろへ運ばれる者の数が明らかに多くなっていた。ドレイク側も無傷ではなかったが、前面のダミアンが止まらない。その後ろの射手隊が一定の間隔で矢を送り続ける限り、こちらが息を整える時間だけが削られていく。
キルシュナーは一度後退して線を作り直そうとしたが、下がった瞬間に矢が集中し、結局その場で踏みとどまるしかなかった。
クラウスの分隊だけなら、まだ持つ――だが戦場全体では、持っている場所のほうが少なくなり始めていた。
遠くでダミアンが大声を上げ、ドレイク側の前列がもう一度動いた――その後ろで、射手隊が一斉に弓を上げた――空へ向いた弓の数を見て、ロルフが舌打ちした。
「また来るぞ」
クラウスは返事をせず、剣を握り直した――次の矢の雨が落ちる前に、中央の一角がさらに崩れた。
盾を落とした兵が一人膝をつき、その横を埋めようとした兵へ別の矢が刺さると、後ろにいた者たちまで半歩ずつ下がった。
キルシュナーが声を張って列を戻そうとしても、ダミアンの槍が前から迫り、射手隊の矢が後ろへ落ちるたび、兵たちの足はどちらへ動けばいいのか分からなくなる。
クラウスの位置から見ても、中央の線はもう一本の列には見えず、立っている兵の塊がいくつか残っているだけだった。
ロルフも同じものを見たらしく、槍を構えたまま低く吐き捨てた。
「こりゃ、次で持たねえぞ」
「ロルフ、あと一度だけ頼めるか」
「一度で済むならな」
「済ませたい」
「なら、そうしようぜ」
「リオナ、まだ射てるか」
「聞くまでもないでしょ」
クラウスは答えず、前面のダミアンではなく、そのさらに後ろで一定の間隔を保って動く弓の列へ、しばらく目を向けた。
その列だけは、まだほとんど乱れていなかった――まだだ――その列が乱れない限り、前でどれだけ耐えても、こちらだけが先に疲れていくように見えた。
射手隊はなお、次の一斉射に備えていた。




