第19話 厳しい場所
【聖暦346年/グライフェン駐屯地】
昼を少し回ったころ、門番が駆け込んできたときには、駐屯地の食堂に残っていた兵たちも、椅子を引く音を止めて顔を上げていた。
西へ半刻ほどの位置にある中継拠点が、武装した一団に襲われているという報告で、数は多くないものの、狼煙台から逃げた残党か周辺に散った私兵らしいという話だった。
キルシュナーは報告を二度聞き直したあと、机の端に置かれた地図へ指を当て、すぐに大きな部隊を動かすほどではないと判断したらしい。
「クラウス、分隊だけで行けますか」
「状況を見て、無理なら戻ります」
「それで構いません。中継拠点を守ることより、こちらの損害を増やさないことを優先してください」
「分かりました」
それだけで話は終わり、クラウスは食堂へ戻ると、ロルフ、アンナ、テオ、それから狼煙台で加わった二人へ出撃を伝えた。
六人分の装備を整えるのに長い時間はかからず、ロルフが槍の穂先を確かめ、テオが予備の帯を締め直している間に、アンナは薬袋の中身だけを素早く入れ替えた。
リオナには声をかけなかった――彼女はまだ分隊員ではなく、前に一度同行を許されたことがあるだけで、今回のような小規模な出動へ当然のように連れていく理由はなかった。
【聖暦346年/グライフェン駐屯地・出撃準備】
中継拠点は低い石垣と木柵で囲まれ、その西側に荷車が一台通れる道、南側に浅い窪地、北側には林が張り出していた。門番から聞いたその配置を地図へ落とすだけでも、守りにくさは分かった。
クラウスは六人の立ち位置を順に決め、ロルフとテオを西側、無名の二人を南側へ回し、アンナには双方へ動ける中央寄りを取ってもらうことにした。
最後に残った北側は、林との距離が近いうえ柵の一部が古く、敵が寄れば最も早く接触する位置だったが、クラウスは自分の印をそこへ置いた。
ロルフが地図を覗き込み、しばらく黙ったあとで、露骨に嫌そうな顔をした。
「クラウス、本当にそこでいいのか」
「ああ」
「一番面倒なとこだぞ」
「他に適任がいない」
「その言い方、便利だよな」
「便利なら使うさ」
ロルフはそれ以上聞かなかったが、納得した顔でもなく、槍を肩へ担ぎ直して先に門へ向かった。
アンナは薬袋の紐を締めながら一度だけクラウスを見たものの、何も言わず、代わりにテオの手袋が緩んでいるのを見つけて結び直させていた。
六人が門を出た少しあと、兵舎の陰から弓を抱えたリオナが顔を出したことには、誰も気づかなかった。
少なくとも、気づいた者は声をかけなかった。
【聖暦346年/中継拠点付近】
中継拠点へ近づくにつれ、道に落ちた荷縄や割れた木箱が増え、遠くからでも柵の向こうに立つ煙と、人が走り回る影が見えるようになった。
敵は十人に届くかどうかという程度だったが、こちらが着く前から拠点の守り手を柵際へ押し込み、北と西の二方向から小刻みに揺さぶっていた。
「西は俺らで押さえる」
ロルフが言うと、クラウスは頷き、南側へ回る二人にも短く位置を伝えた。
「無理に前へ出なくていい。柵から離れないほうがいい」
テオが一歩前へ出かけ、すぐに足を止めた。
「分かった」
アンナは中央へ入り、最初からいた守備兵のうち、腕を押さえている男の状態を確かめに向かった。
クラウスは北側の古い柵へ回り込み、林から出てくる二人の男を見つけると、剣を抜いて柵越しに構えた。
最初の一人は槍を持っておらず、短い曲刀を振り上げて柵へ寄ったため、真正面から受けずに刃を木へ当てさせ、その隙に肩を押し返した。
もう一人が横から回り込み、柵の欠けたところへ足をかけたため、クラウスはそちらへ体を移し、剣先を低くして侵入だけを止めた。
勝つ必要はないが、入らせれば後ろの守備兵まで巻き込まれるので、その場だけは譲るわけにいかなかった。
林の奥からさらに二人が見えたとき、北側へ回した人数が最初から少なすぎたのだと分かったが、今からロルフを呼べば西側が薄くなる。
クラウスは一歩下がり、柵の内側へ足場を移した。
「クラウス!」
西からテオの声が飛んだが、返事をする余裕はなく、柵を越えようとした男の腕を剣の腹で払い、もう一人の突きを肩で避けた。
浅く避けたつもりだったのに、上着の袖が裂け、遅れて熱が走った。
深くはない――そう思った直後、林側の一人が柵へ取りつき、古い板を蹴って内側へ倒した。
木が割れる音と一緒に隙間が広がり、二人が一度に入れる幅になったため、クラウスは後ろへ退きながら、拠点の建物との間にできた狭い通路へ位置を変えた。
そこなら横に並ばれにくいが、代わりに逃げる余地もほとんどなく、最初の一人を止めているうちに、二人目が側面へ回れば終わる距離だった。
ロルフたちのいる西側からも金属音が続いており、向こうも余裕がないことだけは、見なくても分かった。
クラウスが剣を握り直したとき、建物の陰にいた敵が一人、こちらへ向けて石弓を上げた。
距離は近く、狙いを外すほうが難しい――身体を伏せれば前の二人が入るので、クラウスは動かず、最初の一人へ剣先を向けたまま息を止めた。
弦の音がした――だが、飛んできたのは石弓の矢ではなかった。
細い矢が横から走り、石弓を持った男の腕へ突き立った。
「何してんのよ!」
聞き慣れた声が、林の縁から上がった。クラウスが振り向くより早く、二本目の矢が放たれる。柵を越えかけた男の足元へ刺さったが、狙いはいつものリオナほど静かでも正確でもなかった。
「リオナ?」
「そんなとこで一人で止めてる場合じゃないでしょ!」
「どうしてここに」
「今それ聞く!?」
彼女は木の陰から半身を出したまま、次の矢をつがえようとして手を滑らせ、一度落とした矢を拾うより先に別の一本へ手を伸ばした。
いつもなら距離を測り、敵の足が止まる瞬間まで待つ女が、今は呼吸すら整えず、弦を引いた腕を震わせながら射ている。
「下がってもらえるか。そこは見えてる」
「下がれるわけないでしょ!」
返事と同時に矢が飛び、クラウスの横から入ろうとした男の肩口をかすめたため、その男が思わず身を引いた。
空いた一瞬でクラウスは前の男を押し返し、倒れた柵板を蹴って隙間へ斜めに立てかけた。
完全には塞がらないが、一度に二人は入れなくなり、相手の動きが明らかに鈍った。
そこへ西側からロルフの声が飛び、テオが一人を引きつけたまま北へ寄ってきた。
「クラウス、そっち持ったか!」
「何とか」
「何とかって顔じゃねえぞ」
ロルフは悪態をつきながら槍を差し込み、柵越しに入ろうとしていた男を追い返した。
敵は人数の少なさを悟ったのか、急に踏み込みを弱め、林へ退く者が出始めた。
ただ、北側から退いた全員がそのまま逃げたわけではなく、二人ほどが林の内側へ回り、矢を射ていた位置へ向きを変えたのが見えた。
クラウスは声をかけようとしたが、その前にリオナが木陰から飛び出し、より近い位置から射線を通そうとして斜面を駆け上がった。
普段の彼女なら、敵がこちらを向いた時点で一度距離を取るはずなのに、今は後ろを見ることもなく、枝を払いながら奥へ入っていく。
「リオナ、そこから先は深い」
「分かってる!」
返事だけは強かったが、直後に足元の落ち葉で滑り、片膝をついたまま次の矢を引いたので、分かっている人間の動きには見えなかった。
放たれた矢は敵の腿へ刺さり、その男が崩れたものの、もう一人は向きを変えずにリオナとの距離を詰めた。
クラウスがそちらへ動こうとすると、柵の隙間から再び別の男が入りかけ、ロルフの槍が間に合わなければ背中を取られていた。
「そっちは今無理だ!」
ロルフが叫び、クラウスも足を止めざるを得なかった――目の前を放置してリオナへ向かえば、拠点の中へ敵が入り、その結果として彼女の退路まで塞がることになる。
分かっていても、林の奥へ消えかける赤い髪から目を外すのには、普段より一拍余計に時間がかかった。
テオが西側から寄ってきた敵を一人受け止め、無名の二人も南側の柵を守り切ったことで、ようやく拠点内の圧が少しずつ下がり始めた。
アンナは負傷した守備兵の腕へ布を巻きながら、こちらを見もせずに声を飛ばした。
「クラウス、その袖、あとで見せな」
「浅い」
「平気かどうかは私が決める」
「分かった」
いつものやり取りが聞こえたことで、ようやく拠点の中が戻りつつあると実感できたが、林側だけは別だった。
矢が一本、斜面の上から逆向きに飛び、木の幹へ深く刺さった――リオナが狙ったにしては角度がおかしく、敵が奪った弓で射ったにしては矢羽根が見覚えのあるものだった。
クラウスは倒れた柵を踏み越えようとしたが、まだ北側に一人残っているのを見て、先にロルフへ視線を向けた。
「ここ、任せてもいいか」
「最初からそうしろって言いたいが、今はいい。行くならさっさと行ってこい」
その言い方には返さず、クラウスは敵が完全に退き始めるのを待ってから林へ足を向けた。
西側でも同じ動きが起き、拠点の守備兵が追おうとしたが、クラウスは首を振った。
「追わないほうがいい。ここを戻したら十分だ」
「了解」
テオが短く答え、剣を下げた――クラウスも息を吐き、そこで初めて、先ほどまで横から飛んできていた矢が止まっていることに気づいた。
「リオナ?」
返事がない――林の縁にいたはずの姿も見えず、代わりに、さらに奥の斜面へ向かって何人かの敵が動いた跡だけが残っていた。
クラウスは倒れた柵を越え、木々の間へ目を凝らした――少し離れた場所で、弓弦が一度だけ鳴った。
続いて枝が折れる音がしたものの、誰かの声までは届かず、林の中へ入った敵の数も、リオナがどこまで下がれたのかも分からなかった。
クラウスは剣を鞘へ戻さず、斜面へ続く足跡を追って一歩だけ踏み込み、そこで地面に落ちた一本の矢を見つけた。
矢羽根はリオナのものだったが、折れてはいない――拾い上げた直後、さらに奥で葉が大きく揺れた。
「リオナ!」
返事はなかった――そのあと、何も聞こえなくなった。
「クラウス!」
背後からロルフの声が追ってきた。
「見つけたら、無茶して連れて戻ろうとすんなよ!」
「分かってる」
「その返事が一番信用ならねえ!」
「なら、あとで文句を聞く」
「絶対戻ってこいって意味だよ!」
「分かった」
「今度こそ本当に分かったんだろうな」
「たぶん」
「そこは言い切れ!」
「戻ったら言い切る」
「今言えよ!」
「帰ってからにする」
林へ入る直前、クラウスは背後の中継拠点を一度振り返り、ロルフたちが持ち場を保っていることだけを確かめてから、斜面の奥へ足を進めた。




