第11話 中央が崩れる前に
【聖暦346年 晩秋/丘陵地(戦場)】
次にドレイク家の部隊が来たのは、五日後だった。前回より数が多く、そして今回は陣地を作るためではない。こちらを押し返すための部隊だった。
偵察の報告では五十を超えるという話だったが、実際に見えた数はそれよりさらに多かった。キルシュナーが言っていた通りだった。次は前より大きくなる。その言葉が、思っていたより早く現実になった。
グライフェンの西、低い丘と畑の間に、全軍が横に並ぶ。王国側もかき集められる兵はすべて出したが、それでも数では劣った。
キルシュナーの小隊は右翼へ配置された。中央は別の小隊、左翼も別。クラウスの分隊は右翼のさらに内側、中央に近い場所だった。敵の数が数だけに、今回は八人が預けられている。うち三人はロルフの左右で線を作り、残りは少し後ろに控えて隙間を塞ぐ役に回った。布陣が決まったとき、中央の兵の顔を見た。知らない顔が多い。グライフェンに来て日が浅い兵もいる。経験の差は、配置図には表れない。
「前回より多いな」
ロルフが言った。
「そうだな」
「それだけ?」
「減ってはくれない」
「感想が薄いんだよ」
「濃くしても数は変わらない」
「分かってるよ、それは」
テオが剣を握り直す。
「来ます」
「分かってる」
アンナは後ろに控えた。リオナはいない。正式な兵ではないという理由で、村の守りへ戻っていた。
角笛が鳴る。敵が来る。最初の衝突、盾、槍、土煙。クラウスは剣を抜いて前を見た。
右翼は保っている。キルシュナーの指示も届き、ロルフが前を支え、テオも飛び出さない。今のところ問題はなかった。
だが、中央は少し遠い。直接の指揮範囲ではない。リオナがいれば、もっと早く気づけたかもしれないが、彼女は今、村の守りに戻っている。ここにはいない。
それでも分かった。中央の動きが変だった。全体としては押し返しているように見える。兵も声を上げ、旗も立っている。だが、中ほどの一角だけ、人の動きがわずかに外へ広がっていた。前へ力を向けるのではなく、左右へ逃がしている。崩れる前の形だった。
「ロルフ」
「何だ!」
「中央、見えるか」
「見る余裕あるか!」
右翼を離れることはできない。中央の指揮官はキルシュナーの部下でもなく、クラウスが勝手に口を出せる相手ではなかった。伝令を出す。それくらいしかない。
「テオ」
「はい!」
「キルシュナーのところへ行ってもらえるか。中央の内側が危ないと伝えてくれ」
「見れば分かると言わずに、そのまま伝えて」
「分かりました!」
テオが走る。キルシュナーの位置まで近い。だが戦場では遠かった。
クラウスは再び中央を見る。遅い。崩れが進んでいる。原因は分からない。前の兵が弱いのか、指揮が途切れたのか、負傷者が重なったのか。見えるのは、結果だけだった。
「クラウス!」
敵が来る。剣を受ける。重い。押される。ロルフが横から突き、相手が下がる。
「前見ろ!」
「分かった!」
前を見る。中央を見る。両方はできない。それが歯がゆかった。
しばらくして、テオが戻った。
「隊長に言いました!中央の内側が危ない!」
「そのままだな」
「そのまま言えって言ったじゃないすか!隊長は伝令出しました!」
キルシュナーが中央へ一騎走らせている。馬の足なら、テオより速い。だが、中央の状態がどこまで持つかは分からない。間に合うか。クラウスには分からなかった。未来は見えない。
その瞬間、中央の旗が一度傾いた。
「まずい」
ロルフも気づいた。中央の兵が下がる。一歩、二歩。前列ではない。二列目が先に下がった。前が孤立する。
「崩れるぞ」
クラウスは右翼を見た。こちらはまだ保っている。だが、保っているだけで、余裕があるわけではない。誰か一人を割けば、こちらの線もどこかで薄くなる。薄くなった場所を、敵が見逃すとは思えなかった。それでも、動かなければ中央が抜ける。中央が抜ければ、右翼の背後が空く。結局、どちらを選んでも危険はあった。
人を出せるとすれば。
「ロルフ」
「嫌な予感するぞ」
「一人だけ出せるか」
「誰を」
「テオ」
「俺?」
「中央の側面まで走って、伝令の人を助けてもらえるか。中央の兵に、右翼側へ寄る場所があると伝えてほしい」
「それだけ?」
「それだけだ」
「行けるか」
クラウスは右翼の線を見た。自分たち、周囲、線。預けられた八人がいても、敵が集まっているのはロルフと自分の立つ場所だった。人数が増えても、圧力の掛かる場所は変わらない。剣を握る手の力を、少しだけ緩める。テオが抜けても、ロルフと二人なら、今の圧力は十息保てる。十息あれば、中央の側面まで届く。届いた後は、テオの言葉次第だった。
「今なら」
「今なら、か」
「テオ」
「行きます!」
「死ぬなよ」
「分かってます!」
テオが走る。クラウス自身は残った。行ったほうが説明は早いが、自分が抜ければこちらが弱くなる。剣で一人分、それ以上ではない。なら、場所を空けないほうがいい。
中央では、伝令が到着していた。中央指揮官のもとへ何か叫ぶ。だが遅い。前が崩れた。敵兵が一気に入る。
「うわっ!」
一人が倒れ、二人目。その横で、兵たちが逃げようとする。だが背後は混雑している。逃げれば詰まる。
そこへテオが着いた。
「右だ!右翼側、空いてる!こっち!」
中央の兵が見る。最初は一人、次に三人。横へ動く。正面から退くのではない。斜めに、右翼側へ。そこへ中央指揮官の伝令も声を重ねた。
「右へ寄せろ!右だ!」
動きが変わった。逃げかけていた兵が、横へ流れる。空いた場所に別の兵が入る。敵の突破が、まっすぐ後方まで抜けない。一度止まった。
「止まった」
「ああ」
止まっただけだ。勝ってはいない。だが、一番危険な瞬間は越えた。中央は下がり、右翼も少し下がる。全軍が形を保ったまま、丘の手前まで後退した。
敵も追う。だが、中央を突き抜けられなかったため、こちらの背後へ回れない。追撃は正面からだけ。押される速度は、崩れる前よりずっと遅かった。
ロルフが横で息を整えながら言った。
「まだ来るな」
「まだ来る」
「いつまで続くんだ」
「日が落ちるまでだと思う」
「根拠は」
「夜に踏み込む理由が、向こうにはない」
ロルフは何も言わず、剣を握り直した。
日が傾くころ、敵も止まった。戦いは終わった。勝敗はつかなかった。こちらは土地を少し失い、敵も突破には失敗した。死者が出て、負傷者も多い。それでも、クラウスの分隊は四人とも戻った。
テオは泥だらけだった。
「疲れた……」
地面に座り込み、泥だらけの手を見て少し笑う。
「今日、俺、走っただけっすね」
「走っただけで、中央は保った」
「そうっすかね」
「そうだ」
「実感ないんすよね」
「実感がなくても、保った」
テオはまだ半分納得していない顔をしていたが、剣を鞘に戻す手つきは落ち着いていた。
「お疲れ」
「クラウスのせいっすよ」
「悪い」
「謝るなら次はロルフにしてくれ」
「俺は走らねえぞ」
「俺だって走りたくないっすよ!」
アンナがテオの腕を見る。
「切れてる」
「これくらい」
「座る」
「はい」
ロルフが笑う。
「アンナには素直だな」
「怖いんすよ」
「聞こえてる」
「すみません!」
その夜、村から使いが来た。リオナからの言葉を持って。
「クラウス分隊は大丈夫か、それだけ聞いてこいって言われました」
伝えに来た村の少年が言った。
「大丈夫だと伝えてもらえるか」
「それだけ?もっと何かないんですか。リオナさん、心配してましたよ」
「心配は分かった。ありがとうと伝えてくれ」
少年は少し不満そうな顔をしたが、それ以上は言わず、村へ戻っていく。クラウスにはそれで十分な言葉だった。
テオは違う顔をしていた。
「クラウス、それだけっすか」
「他に何を言えばいいんだ」
「いや、俺に聞かれても」
ロルフがため息をついた。
「本当に分かってねえんだな」
「何が」
「もういい」
その夜、中央側の被害が集計された。前線にいた兵、二十七人。死者五人、重傷四人。動いて戻った者は十八人。多いのか少ないのか、比較がなければ分からない。だが、中央が完全に割れていたら、後ろの兵も巻き込まれただろう。クラウスは数字を見て、それ以上考えなかった。死んだ五人は戻らない。それは変えられなかった。
テオが治療所から戻る途中、中央側の兵に呼び止められた。
「さっきの」
「はい?」
「右へ行けって言ったやつ」
「俺っす」
「あれ、誰の判断だ」
「分隊長です」
「誰?」
「うちの分隊長」
「キルシュナー隊長じゃなくて?」
「違います」
兵は少し黙った。
「……あれがなかったら、俺たち後ろへ潰れてたぞ」
「そうなんすか」
「そうだよ」
「俺、言いに行っただけなんで」
「その分隊長、何て名前だ」
「クラウス」
「家名は?」
「ないっす」
「クラウス……」
兵は一度だけ名前を口にした。それだけだった。
翌朝、中央側の指揮官が報告を出す。右翼からの支援が適切な時刻に入った。伝令の判断が良かった。混乱下で偶然、側面に逃がす余地があった。そういう文章になった。クラウスの名前はなかった。
キルシュナーが報告書を読み、クラウスを呼んだ。
「名前を出さなかった」
「知っています」
「気にしないのか」
「気にしても変わらないので」
「不満か」
「いいえ」
「なぜ聞かない」
「聞いても、変わらないので」
キルシュナーは少しの間、何も言わなかった。
「お前が名を出せば、次はもっと動きやすくなるかもしれん」
「そうかもしれません」
「それでもいいのか」
「良いか悪いかは分かりません。今のところは困っていません」
「今のところ、か」
「はい」
キルシュナーはそれ以上言わず、書類を仕舞った。いつも通りだった。
ただ、井戸のそばで、見知らぬ兵がクラウスを見て、
「あれか」
と、小さく言った。クラウスには聞こえなかった。ロルフだけが聞いていた。
「……なんだよ」
「何か言ったか」
「いや」
ロルフは欠伸をした。
「別に」
戦いには勝っていない。村の問題も終わっていない。ドレイク家もまだ西にいる。それでも中央の十八人は、その朝、自分の足で起きてきた。今は、それでよかった。
当番板は、まだグライフェンの柱に掛かっている。水汲み、夜番、薪、装備。板の上では何も変わっていない。だが、その板を書いていた四人が、今日も同じ場所に立っている。それだけのことが、思っていたより大きな意味を持つ日もある。
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