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誅戮のヘイトレッド   作者: 藍染三月
四巻/第三章
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後悔は千草の如く5

 僕は太腿からナイフを抜いて苛立ちを吐き捨てる。


「魔女、眠らせてるって言ってたよね?」


「すみません、私の匂いに気付いたのかも」


「でもここから地下は遠いし……」


「推測でしかないが、『これから船に乗せる魔女もいる』って言っていたから、その魔女が騒ぎ出したんじゃないかな。一体が目覚めて、その喚き声で他の魔女も目覚めた可能性が高い。薬が効きにくい個体もいるだろうしね」


 騒ぎ出したのは一体だけではない。マスターはそう考えているみたいだった。それは当たっているのだろう。何しろフロア一帯に衛兵が見当たらない。地下か一階でも魔女による惨事が起こっている。


 その証明に、騒がしいエレベーターが上がってくる。衛兵の死体と二体の魔女が柵の向こうで揉み合っていた。柵は圧し折られ、魔女の号叫が無数にとよむ。


「チッ……増えたな……」


「メイちゃんはあっちの魔女を頼む。私とユニスは上がってきた魔女を仕留めるよ」


「分かった」


 任されたのはバーにいる魔女。ユニスとマスターはエレベーターの方へ駆けていく。実弾を伴わない発砲音。魔女と船の悲鳴。それを片耳で捉えつつ、標的たる魔女と睨み合う。


『メイ、手伝う?』


 魔女がバーの敷地から飛び出す。突き出された爪が僕に届くまで約一秒。片足を下げ、腰を屈め、迎え撃つ準備は万全。


 迫撃を躱しつつ首を振ったが、シャノンに伝わったか分からない。ナイフを裏返した僕は魔女の腹部を穿孔した。


「ぅううう……!」


「大丈夫だよ。僕一人でやれる。弾は残しておきたいしね」


 魔女の胸倉を掴んで刃を引き抜く。従業員を巻き込まぬよう、カードルームに続く廊下へと魔女を蹴り退ける。


 天光の届かない通路で照明の明かりが翻った。仰臥ぎょうがした状態から跳ね上がった魔女がランプを毀壊する。飛んできた金属と傘。ランプの残骸を屈んで躱し接近。鏡映しの如く双方拳を振り上げていた。


 互いの攻撃は空無を穿つ。空振りは寸隙すら挟むことなく追撃へ転じる。ナイフは何度も魔女の前腕を傷付けた。切断に至らないのは力を込める前に逃れられるから。そのうえ鋼の如く硬いせい。出鱈目に振るわれる魔女の腕は、真刀と同等の鋭さを見せつける。


 鮮少の血液が反目の間に跳ねては失せる。切り傷が増えていくのは魔女だけではない。腕、頬、肩、僕の方も少しずつ表皮を掻いそがれていた。


 魔女の突きを回避すると共に跳躍する。泣きじゃくる童顔に僕の足首がぶつかる。涙に触れても勢いを緩めはしない。そのまま鼻をへし折って蹴りつける。乱れ髪の向こうで透徹が砕けた。


 喫煙室の硝子が圧砕され、残った木枠に魔女が凭れ掛かる。その首を断つべく切っ先を振り下ろすも魔女の退避は速い。剣先は木目を抉っただけで血痕を伴わなかった。魔女は下。床に屈む姿は獣のよう。獰猛な涙眼が光り、僕を睨めかける。


 ナイフを構え直した乃時(ないじ)、崩れたのは足元。引き摺られたのは絨毯。倒れかけた僕に跳梁(ちょうりょう)した魔女の影が落ちる。すかさず避ければ荒々しい着地は僕の背後へ。振り向きざまに刃を振るえば運がいい。魔女の片腕を切断していた。


「ああああ!」


 魔女の悲鳴は更に大きくなる。頬を裂きそうなほど大口を開けたまま、紅雨を散らす。残っている腕を振り乱しての痛撃。それを横目に、裸足の甲へヒールを叩きつけた。


 次いで打ち込んだ肘は魔女の横隔膜に沈む。肋骨を軋ませた感触が指先まで這い上がってくる。彼女の体温を感じる前に、その痩躯はカードルームへ投げ出されていた。


 こじ開けられた鉄扉が金属音を立てながら外れ、魔女の傍へ倒れ込む。


 戛然と、僕のヒールが鉄の上に立つ。植物の彫刻を踏み躙って更に跳躍。魔女に向けて鋭鋒を翳せば避けられる。一台のテーブルが倒され、トランプが宙に舞った。


 小刀と鋼鉄の腕による剣戟は止まない。金属が転がり続けるような応酬は鐘声しょうせいさながらに高く重い。刃を返す都度シャンデリアの輝きが爆ぜ、白い火花にたびたび丹花が混じる。


 暴れ回る魔女の裸足が、僕の腹部に触れた。奥歯を噛み締める。臓物が潰れる感覚に牙噛きかんだ即下、背中は黒革の椅子に打ち付けられる。部屋の面積は広いが家具のせいで足場は狭く、そのやりづらさに舌を打った。


 魔女はインテリアなど意に介さず。シャンデリアを掠めて舞い上がる。僕が壁際に飛び出すと、魔女はテーブルを壊裂させていた。


 チェス盤が跳ねて小さな駒が散乱。眼前に迫った玩具の歩兵。顔を傾けると歩兵ポーンは壁にぶつかって地へ落ちる。魔女はその駒と同じ軌道を辿った。だが、通過はさせない。


 素手で彼女の胴を通徹つうてつした。藻掻く背中の向こうで、指に絡んだ内臓を握り潰す。そのまま腕を引き抜けば、裂けた腹部から血と臓物が溢れた。魔女は青ばんだ唇から血を吐き、それでも抗い続けた。


 見交わした僕達の体温はもう一度繋がる。細腕が僕の肩を貫通して、攻撃の手はそこで停止した。彼女の前腕部を肩口で握り潰す。掌理で骨と肉がひしゃげていく。空いている手でナイフを逆手に握り、眼前の悴首(かせくび)へ宛がった。


 なまぐさい猩紅が迸る。音骨はぷつりと折れて余韻さえもかえらない。憎々しげに見開かれた瞳。それが瞑する様を見届けることは出来なかった。転がった首は僕にうなじを向けて眠ってしまった。


 束の間の恬静てんせいに小息を吐く。魔女の腕を肩から引き抜いて、血塗れの片手を舐めた。指の間に残る肉塊を喰み、空いた傷口を魔法で塞いでいく。


『メイ、後ろ!』


 シャノンの叫びが頭蓋に響くと、息を呑みながら振り返った。魔女は完全に仕留めたはず。構えたナイフを掠めたのは、また別の魔女だ。短髪の少年が前方に着地し、咆哮と共に僕を振り仰ぐ。


 カードルームの出入り口は三つ。廊下に繋がる二か所と甲板に繋がる広い扉。廊下側の扉がまた轟いて女の魔女を招き入れる。正面と後背に敵影。冷汗が下るのに口角は吊り上がっていった。


「ハッ……ちょうどいい。動き足りなかったんだ」


 勁風けいふうは前後から僕を圧迫する。屈んで手を滑らせたのは影の中。すかさず頭上に突き出した爪先は少年の腹をたわませる。彼は高く、高く飛ばされた。


 さざめく金属音。シャンデリアに絡みつく彼。僕は女の魔女を瞥見。両腕で彼我の間隔を切り苛む彼女。踵を鳴らして退避、回避、回転しながら持ち上げた椅子を女に打ち込む。


 女への注視はかしがましい照明に引っ張られた。少年がシャンデリアをかち落とし、砕片が煌めく中で僕だけを見ている。その虎視は今や現前。速い。人間を喰らってからここへ来たのか、鼻先に触れた呻き声は血の香りがした。


 彼の頭部を片手で払い除ける。カーテンを掴んで倒れた彼が布地を破く。立ち上がる前に追撃。その腹部に靴底を打ち込もうとした。けれども彼が起き返る方が先。床板を軋ませて舌を打つ。


 近付く足音が二人分。僕は少年の懐へ踏み込んだ。薄汚れた衣服を掻い繰り、そのまま後方へ引き摺る。血飛沫が上がった。少年は僕の壁となって、女に心臓を貫かれている。その背を蹴飛ばしてやれば、彼らはより深く繋がれる。


 抱擁は長く続かなかった。女は煩わし気に少年の胴を横截。僕は崩れた少年の頭部を踏み抜き女に迫る。


 赤らんだまなじりが僕を映す。その顎をナイフの柄で殴り上げた。無防備に晒された喉へ切っ先を伸ばす。穿刺する前にこちらの脇腹が歪んだ。


「く……っ!」


 押し出された宙で体を捻り、テーブルの上に着地。女は僕を払った姿勢のまま、片足を揺らしていた。踊るような足付きで進行方向を定める。道筋を決めた魔女の頭脳に躊躇は生じない。泣き声じみた哄笑が目睫に至るまで、寸閑。


 一弾指の間に互いの得物が擦れ合った。狭い机上で足を払えば魔女は別のテーブルに跳ねていく。今度は僕が追う側。翻る刃。肉を削ぐ魔女の爪。


 テーブルを鳴らし、椅子の革を引き攣らせ、玩具を蹴散らす。カードがはらめく目界で、魔女の矛が一枚の心臓を押し潰した。紙は血を流さない。膏血を噴き出したのは魔女の腕。


 突き出されている腕が退く前に切断してやった。太刀先は流れを止めない。振り抜いた刀身を翻し、首に狙いを定める。喉を掠めた。表皮を削いだ感覚が拳固に伝った。それは致命傷にならない。


 魔女は軽捷けいしょうに後方へ。着地はバネのよう。弾丸さながらに間髪入れず飛び出した魔女。骨を浮かせた片手は僕の心臓を捉える。狙いが判然としているからこそ簡単に免れられる。


 上体を反らした僕と魔女はすれ違う。触れたのは空気だけ。奮然たる叫びが肌を痺れさせた。僕を打擲ちょうちゃくするはずだった力は、甲板に繋がる扉を毀棄ききして冷気を取り込んだ。


 強い海風が不香の花を漂わせる。曇り空は仄かに赤ら引いていた。甲板に下りれば靴音は高くなる。頬に触れた白片は冷たくて、僕を冷静にさせた。


 船を取り巻く漣漪(れんい)の音柄に、魔女の唸りが重なる。彼女の片腕から滴る血液が、床板を染めながら溝に溜まっていく。灰色の雪景色に点々と赤が四散した。


 駆け出した魔女が色彩を散らす。さざなみの音が消えるほど彼女は(こく)する。理性などないはずなのに、見開かれた眼は涙ぐんでいた。


 透明な滴と、赤い流血と、真白な六花が斜陽で煌めく。切り裂いたのは無感触の涙。赫々たる光だけが刃に残る。彼我の一手は交わらぬまま背を向け合った。


 それは眇たる空隙でのこと。瞬きすれば僕達は打ち合っている。雪で濡れた床は跫音(きょうおん)をいやに高鳴らせていた。


 息無しに攻防を切り替える。彼女がふれる先を正確に逆睹ぎゃくとする。肩を逸らして引き避きつつ反撃。首筋へ打ち込む一閃。


 魔女の長い髪が風を孕んで遠のいた。後退した影へ踊り入る。逃がしはしない。


 叫び続ける声帯を貫かんとすれば、彼女の片腕が割り込む。こちらの刃金は彼女の尺骨を押し広げて皮下へ潜り込む。


 張り詰めた皮膚がはちきれる前に彼女は更に背進。甲板の柵には彼女の影がかかった。


 波声はせいが渦巻いて魔女の声をも呑み込む。刃音はおとがそれさえも突き破る。涼やかな璆鏘きゅうそうが一面に鳴り満ちた。それは魔女によって払い除けられたナイフの音差し。


 空いた手の平が、凍り付いた天花を握っていた。武器をなくした僕は徒手での戦闘に思考を切り替えようとした。その判断は間緩まぬるい。


 魔女の拳が僕のあばらを押し上げた。吐き出した息は赤く染まって見えた。両足が地面から離れる。


 下瞰した足場が遠い。腕の紐がひらめいて晩照を明滅させる。夕焼けが眩しい。


 紅霞こうかの隙間から日輪が僕を見ていた。見下ろすでも見上げるでもなく、輝きは目線の高さにあった。


 その色差しは燃えるように赤く、僕は、夕轟きを覚えていた。


 血の味を呑み込んで目を細める。伏せた睫毛に灰雪が絡む。


 転瞬ののち──炯眼を突きつけたのは着地点。元いた甲板には着地出来ない。波打つ水が僕を手招く。汪汪たる海の広さを知った。けれど、溟海には落ちるものか。


 伸ばした手が白い柵を掴む。その鉄は氷の温度をしていた。腕に力を込め、二階ではなく一階の甲板に這い上がっていた。


 魔女は僕に跟随こんずいし、上階から軽々飛び下りてくる。鳴き声を漏らして僕を窺う女の姿は、まるで遊び相手に縋る子供のよう。何も言わずとも矢庭に攻めてくるはずだ。


 それでも。


「──おいで」


 それでも声を掛けたのはどうしてだろう。同じ魔女として、自我さえ失くした彼女とも対等に在りたかったのかもしれない。一人の『人間』として、葬りたいのかもしれない。


「うあああああ!」


 彼女も人だったのだ。認識し直せば哀哭が痛ましい。赤い紐が躍る。寸断を躱して、躱して、細腕を掴み取った。手放すことなく捻り上げれば、暴れる彼女が落涙する。その滴に色はなく、感情もない。僕の言葉も届かない。


 朱殷しゅあんが彼女を泣き止ませた。素手で切り払った生首は床に落ちる。


 彼女の躯幹くかんが崩れ落ちる前に、片腕で抱き留めた。腕に伝う血液が温かかった。


 亡骸を横たえて眉間の皺を緩めていく。


 己の腕を掻き抱いていた。魔女の証たる、赤い紐。忌まわしいもの。エドウィンもこれを見るたび顔を顰めていた。


 ずっと、魔女に対する憎しみだと思っていた。彼にとって魔女は厭わしいものでしかないのだと思っていた。どうして今、あの眼差しを思い出して、今更気付いてしまったのだろう。


 彼は、魔女の境遇を憂いていたのだ。


 復讐と称して振るわれていた刃は、何度も魔女の涙を終わらせてきた。無辜の人間を魔女に変えた研究者へ、色濃い憎悪を向けていた。


 ──魔女にならなければ、幸せに生きられたはずなのに。


「……終わらせないと」


 独り言ちた決意は熱くて、冷たい空気を白らかに染めていた。揺蕩ようとうしたコートには、彼の香りが残っていた。両手で襟を掴んで、しかと背負い直した。



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