後悔は千草の如く4
流石王族の所有物、といったところか。沢山の照明が目を射る。近付いた窓明かりもそれに劣らず眩しかった。硝子で艶めく風景は空と海。まだ街並みが近くに見える。油絵のような景色の中で白だけが揺らぎ、雪の結晶が窓に張り付いた。
船首側には廊下が二本伸びている。細逕に入り込むと海の景色が遠ざかる。片側は壁、もう一面は無人の喫煙室。細長い喫煙室を通り過ぎれば、どうやら目的地に着いたらしい。
カードルームの前にも従業員が立っており、来客のことは既に伝わっているようで会釈をされた。重そうなアイアンドアも彼が開けてくれた。
室内には四人掛けのテーブルが整然と並ぶ。各卓上にはチェス盤が置かれていたり、トランプが置かれている。部屋の奥は甲板に繋がっているらしい。両開き戸の硝子越しに白茶色の木板が視認できた。
焦点を手前に戻すと、ユニスが一番近い座席に早速腰を下ろしていた。早く遊ぼう、と言わんばかりの双眼が爛々と輝く。
テーブルの表面には緑色の布地が貼られ、暗褐色の木材がそれを四角く縁取っている。娯楽のために作られた家具だ。ユニスの隣に着座したら、マスターは僕の正面に座った。
ぱたぱたと紙を鳴らすのはユニス。カードを数枚取り落としながらも、楽しそうに切っていく。
「懐かしいですね。メイさんと最初に遊んだのもトランプでした。今日も同じゲームにしましょうか。覚えてます?」
「覚えてるよ。神経衰弱をしたよね。ユニスが『あれを捲ってください』って言うから捲ったら目当てのカードじゃなくて、僕が違うのを捲ったせいで~って怒られたり」
「ほ、ほんとに私が指さしたカードじゃなかったんです!」
「半分貸して」
眉を吊り上げた赭面は可愛らしい。不満げな彼女に手を差し伸べれば、二十枚ほどのカードを手渡される。それを適当に切ってから、ユニスと二人でカードを並べ始めた。
ばらばらに散らばったカードの上で、三人の目線がぶつかり合った。保護者然としているマスターと僕が、ユニスに先攻を勧める。小さな手が二枚のカードを捲り始めた。数字は合わないまま、また裏返しになる。
それから僕が捲って、マスターが捲って、収穫がないまま一巡が終わった。
「あのあと宿でも遊びましたね。私が水を持って部屋に戻ったら、メイさんは部屋にいないし、窓から跳び下りた形跡があるし……叫びそうでした」
「あれは、うん、心配させてごめん……」
「心配もですが怒ってたんです!」
可憐な鈴の音も怒鳴れば耳鳴りのよう。とはいえ甲高い不服はご尤もで、僕も当時のことは反省しているため頷くしかなかった。
本気で僕を心配してくれた、あの日のユニスとエドウィンを、鮮やかに思い出せる。
荒々しい手付きでユニスがカードを捲るも、数字は揃わない。同じ絵札を見かけた気がして捲ってみたが、間違えた。僕の脳内でシャノンが『その隣だったのに』と指摘してくる。次は取ろう、と狙っていれば、マスターが二枚のクイーンを揃えていった。
「二人とも、本当に仲良くなったよね」
マスターの緩声に、僕とユニスは顔を見合わせた。初めて会った時から明朗に話をしてくれたユニス。けれどそこには見えないベールがあり、僕に接触を許さなかった。その隔たりは、他人を信用出来なかった僕自身も持っていたものだ。
距離が近付いたのは彼女の過去を知った時。僕が彼女を信じようと思った時。僕も彼女も、明き心を晒せたのはきっと──。
「エドウィンのおかげです。ね、メイさん」
「……うん。そうだね」
無意識の内に、誰もいない空席を瞻視している。『彼』がいなかったら、僕達はバラバラになっていたかもしれない。敵対していたかもしれない。それを暖かな形に繋いでくれた『彼』だけが、もういない。
いつまでも引きずっていたくはないのに、このままずっと引きずっていたい。相反する想いに顰笑した。心拍を抱きしめる悲しみがほどけてしまったら、きっと彼のことを忘れてしまうから。
机上のカードは少しずつ減っていく。想望を募らせたまま、指先はただ意味もなくカードを裏返していた。マスターの長い指が二枚のカードを攫っていく。正解を引き当てた彼は更に二枚裏返す。それもまた同じ数字で、彼はまた二枚捲って──机上にある全てのカードを晒していた。
間の抜けた沈黙が降りてきて、そこにはマスターの得意げな息がフフンと響く。ユニスは呆然として人形のよう。ぱちくりと目弾きしたユニスが、敗北を理解するなり喉を開いていた。
「あー!?」
「神経衰弱なんて久しぶりにやったけど、結構楽しいものだね」
「大人げないです!」
「オッサン手加減しろよ」
「いえ手加減されるのも嫌ですねムカつきます」
「っ確かにムカつくかも」
「う、うん、子供心は難しいね……」
散らばったカードを搔き集めたマスターが、楽し気な目元を擦る。辛辣にされて悲しい、というジェスチャーに煌めきは一滴もなく、下手な嘘泣きだった。
「君達ばっかり仲良くなって羨ましいなぁ……私とも仲良くしておくれ」
「仲良くしてるじゃないですか」
「そうだよ。嫌いじゃないし。僕達、もう家族なんだから」
一勝負を見届けたテーブルはまっさらになり、ケースに収められたカードは机の端に避けられている。ユニスはまだ遊びたそうにしているが、マスターは懐から巻煙草とライターを取り出していた。
しかし、火を点ける前に煙草を取り落とす彼。その面相を見上げてみればこちらが吃驚するほど眼伸ししていた。何かおかしなことでも言っただろうか。自分の発言を思い返しているうちに、彼の驚嘆は喜色満面に変わっていく。
彼と面する僕は、一気に羞恥が込み上げてきてテーブルを叩いていた。
「っやっぱり今のナシ、なんでもない!」
「ふふっ、大丈夫ですよメイさん。私もマスターも、同じ気持ちだから」
「メイちゃんは優しいね。嫌っても構わないのに」
喧暖な空気に包まれてしまうと、何も言えなくなる。然無顔で唇を引き結んだが決して不満ではなかった。嬉しさがくすぐったかった。
マスターはきっと、僕を軟禁した自責をまだ抱えている。僕がそれを気にしていない、と伝えたところで、彼の心持ちが変わることは無いのだろう。
火の点いた煙草が煙を漂わせる。噎せそうな香りも、もう慣れてしまった。これも一つの思い出になると考えたら、嫌ではなかった。
ユニスは紫煙に顰蹙して片手を振りながら、僕に身を寄せていた。
「メイさんと私なら、私がお姉さんですかね?」
「え? ユニスは妹じゃないの? ほら、身長的にさ」
「身長は関係ないでしょ! 誕生日いつです!? 私は三月です!」
「僕は一月だから僕がお兄さんだね」
「ぁあああ! もう! じゃあそれでいいです!」
といったものの、シャノンの肉体だから兄ではなく姉になるのだろうか。どちらにせよ大きな問題はなく、まあいいかと苦笑していたらマスターが首を傾げていた。開いたままの唇からは薄っすら煙が零れる。
「メイちゃんって……」
「そっ、か。オッサンには言ってなかったっけ。僕はこの肉体の兄だよ」
「妹さんはシャノンちゃんだったよね。男の子なのに『メイ』って名付けられたのかい?」
純粋な疑問には嫌悪も軽蔑も混ざっておらず、僅かに安堵した。後ろ髪がさざめく。僕の不安を感じ取っていたのか、シャノンが励ましてくれていた。
きっと僕が思っているよりも、性別で崩れる信頼関係はないのかもしれない。彼らは真っ直ぐに僕を、『僕』として見てくれていたから。真実を明かしても僕の為人は変わらないから。
「僕はメイナード。でも、これからもメイって呼んで。メイナードは、特別な名前なんだ」
「そっか……素敵な名前だね、メイちゃん」
僕はかわらかに笑った。歯を見せて得意げに笑窪をつくる。エドウィンも、優しい声で僕の名前を褒めてくれた。
メイナード。それは、母とエドウィンの恩愛で満ちた宝の鍵だ。彼らと過ごした日々は箱の中、この名を鍵に回想される。僕が死ぬ時まで、一生失くさない宝物。
気丈に振る舞ったつもりだったが、軫憂が滲んでいたのか、マスターとユニスに憂わしげな視線を注がれている。いたたまれなくなって椅子から立ち上がった。
「喉乾いた。バーに行ってみようよ」
「お酒は駄目だよメイちゃん」
「酒を飲むわけないだろ、苦そうだし……オッサンこそ、酔い潰れて戦えなくなったら困るから飲むなよ」
「飲まないよ。ジュースくらいはあるんじゃないかなぁ」
「私は紅茶が飲みたいです」
マスターが先に廊下へ向かう。僕とユニスは並んで歩いた。入室時のように従業員が扉を開けてくれるかと思いきや、硝子から透き見した先に従業員はいない。黒い鉄製の扉をマスターが引き開けた。
廊下を抜け、広間で窓を覗く。いつの間にか船は出航していたらしい。島までは後どのくらいかかるのか。水平線を流覧して正面へ向き直ると、疾風が前髪を嬲った。
窓は閉め切られており、甲板からも遠い。荒れた空気は自然によるものではなく生物の喧擾。
胸騒ぎが動脈を駆け抜けた。緩慢な一秒間の中で確かに血紅色を見た。
眼前を通過した物体を、一拍遅れて目で追った。窓硝子に付着した血痕。絨毯に転がった制帽と、男の頭部。唸り声がする。血肉の潰れる音がする。
エレベーターを背にして、乱れ髪の少女が座り込んでいた。首を失くした従業員の体を、むしっていた。少女の上腕を綾取る赤い紐が、跳ね上がった血痕で一層色彩を深める。
さながら蝶の羽を千切るように、亡骸から腕をもいだ彼女が、僕達を眼差した。
ざらついた呻吟は赤子の泣き声に変わる。
「ぅぅああああああああ!」
飛び掛かってきた魔女の手元で、千切れた鎖が高く鳴いた。手枷はもはやブレスレットと化しており、足にも拘束具はない。何にも縛られず横逸と繰り出された跳び蹴りは、僕の腕が絡め取った。
抱き込んだ余勢が僕を押し飛ばそうとする。その勢いを利用して一回転。魔女を振り回してから壁際へ投げ飛ばした。
殷々と破られたのはバーの壁。木屑と硝子を散らしながら店内へ転がり込んだ魔女に、従業員達が駭目していた。
ただの店員らしき彼らは戦えない。客席やカウンターの影に隠れる男女が散見される。幸い、魔女の敵愾心は僕達へ向けられたままだった。




