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誅戮のヘイトレッド   作者: 藍染三月
四巻/第三章
98/108

後悔は千草の如く6

     *(四)


 エレベーターから降りてきた二体の魔女へ、マスターが駆け出して行く。私は拳銃のグリップを握り締め、揺曳(ようえい)する彼の長髪を追いかけた。過度な接近はせず援護に徹する。数歩後退した私の踵は窓に近付いて、惨劇の始まりとなった生首にぶつかっていた。


 魔女の叫びに顔を上げる。マスターの背後をとった女に照準を合わせる。弾丸はけたたましく、発砲は香らない。


 腕を撃ち抜かれた彼女は私を眼差した。同時にマスターが、爆ぜた鮮血を浴びながら白銀の弧を描く。躊躇なく女の喉を擊刺。引き抜いた動作は勢いを増して前方へ──迫っていた男の魔女に打ち籠まれる。


 マスターのナイフは絶えず虚空を薙ぐ。軽やかに見える動作はきっと重い。掠めている、なんてものではない。正確に抉っている。ゆえに彼が息衝く空気は赤々と染まり続けていた。


 女の両足が地を蹴った。狙いは私だ。冷静にその額へと照準を合わせる。彼我の距離は目が合った地点で刹那の制止。マスターの長い足が女の腹部を押し留めている。


 一蹴と弾丸に突き飛ばされた彼女は壁に衝突。二発目の銃声。マスターの太刀影は既に男へ伸びていた。


 女の避難は早い、私の弾丸は躱されている。木製の壁が木屑を散らし、そこに生血は混じらなかった。今度こそ私達の余地が零になる。瞠った視界に、女の血走った眼。


 懐のナイフを抜くか否か──だめだ。この迷いは命取りになる。


 私の首を狙う魔女の爪。不慣れな接近戦に転ずるには間に合わない。咄嗟に体を傾け、絨毯に転がり込む形でどうにか避けた。首筋にじわりと広がる熱が負傷を訴える。掠り傷に構っていられない。


 青黒い影は造次に私を包み込んだ。頭上にいる女。素早く構え直した拳銃。荒々しい掌へ一発打ち込んで駆け出す。


 女の赤い紐が、マスターに絡め取られていた。須臾《しゅゆ》のうちに赤は滂沱として弾ける。彼に切断された腕の響きは女の悲鳴に敵わなかった。


 彼女はマスターへ片腕を振りかぶる。角度を変えたナイフが光芒を散らす。反目する彼らに飛び掛かる男の魔女の姿。


 銃身が窓明かりで輝いた。深呼吸は弾指の間。引き金をなぞる指先が静電気のような魔力に焼かれる。握り込んだ熱。不可視の弾丸は実弾よりも遥かに大きな口径で、男の頭部を吹き飛ばした。


 崩れ落ちた大塊《おおぐれ》にマスターは一瞥もくれない。女と刃をぶつけ合い、その正鵠《せいこく》をくりなそうとする。女は猫のように背をしならせて後方へ宙返り。私は照準でそれを追いかける。着地点に弾道を定め一気に魔力を射出しようとした。


 心臓が跳ねた。エレベーターの振動音。一帯の理性が硬直した瞬刻、理性を持たない魔女だけがマスターに飛び掛かっていた。


「マスター!」


 遅れた発砲は虚しい空を貫く。仰ぎ見ると、迎え撃つ姿勢のマスター。女の刀尖は今にも届きそう。


 轟いたのは実弾の響きだ。魔女は廊下の傍まで突きのけられ、マスターは身を引いて硝煙を一顧していた。


「殿下! 遅くなって申し訳ありません! すぐに避難を──」


 一階から駆け付けた様子の衛兵は既に血塗れだった。腕や胴を負傷しているらしく、制服は赤ばんでいる。倉皇する彼の顔は、言い果つ前に蒼褪めた。


 唾を飲んだのは誰だったか。エレベーターは、もう一度ガタンとおとなった。止まった小部屋はまるで猛獣を詰めた檻。唸りながら揉み合っている者は、全て人間ではない。


 赤い紐が幾本も揺《あゆ》く。災禍の匣を開ける時、きっとこんな震恐を味わうのだろう。


「ぁぁあああああああ!」


 狂《たぶ》れ人の咆号が耳をつんざいた。衛兵が振り返った時、彼の首は糸を引いて胴から千切られる。


 魔女の影は四方へ駆け巡り、数体はカードルームの方へ邁進した。だけどそれを追っていられる余裕もない。


 銃を構える腕が震えていた。銃口が彷徨う。左、右、前、どの敵を狙えばいい? 一度乱れ出した胸宇は早鐘を打ち、呼吸を乱していく。


「ユニス、君は彼女にトドメを!」


 心音と耳鳴りで掻き曇っていた聴覚が、マスターの指示で晴れのいた。彼女。それは先刻、衛兵が撃ち払った重傷の女だ。女は照明を強く浴びて天井の傍に居た。他の魔女と対峙するマスターへ、彼女が飛び降りようとしている。


 ──間に合う。それは確信ではなく信心。


 思い出したのは時計。鈍色の髪に留まって、ふれる針を幻視する。思い出の『彼』が物語った魔法。私には彼と同じ魔法は使えない。けれど、懇願は人の力になる。


 一秒間を意識した。


 まばたきよりも早い魔力の膨張。正確な軌道の計算。弾を籠める明確なイメージ。練り込んだ魔力を一気に放つ。


 烈風。透いた弾丸は光さえも弾いて、燭光も天光も円形の穴を生む。人体を優に呑み込む直径の正円。それが小銃から溢れた口径。中空の魔女を焼き、エレベーターに接する壁を歪める。勢いを増した風は、数体の魔女をも撥ね退けた。


 眩燿が収まれば狙った女は焼死体さながらの姿で伏している。巻き添えを喰らった様子の死体がもう一つ。マスターが切り殺した死体がもう一つ。残りは二体。


 少女がマスターに猛進する。犀利な腕《かいな》という刃を、ナイフで弾く彼。


 私はもう一体の魔女を狙った。銃口の光と敵影が重なる。マスターに向けて横撃を繰り出さんとする少年の魔女。彼を射れば痩せた肩から血が吹き出していた。


 紅血は暗褐色に翳る。マスターと少年を飛び越えた少女が、バーの中へ躍出《やくしゅつ》。一見人気のないバーから悲鳴が上がった。数名の従業員が、カウンターやテーブルの影から顔を覗かせていた。


 マスターの跟随《こんずい》は一抹の迷いもなく敏捷。艶めく大理石の床が彼の革靴で高鳴った。恐れを喰い裂きに行く少女へ、マスターの手が伸びる。


 だから私は少年を追った。テーブルクロスを踏んでいる彼に細かな弾雨を浴びせる。視野は広く保ったまま。


 眼路の端では、マスターに首根っこを掴まれている少女。彼女に寸閑は与えられない。彼の霜刃が脊椎から胸骨までを一思いに突き抜いていた。


「ぅ、うわぁああああ!」


 二人の従業員がバーの扉をこじ開けて走り出す。彼らが逃げた先はカードルームの方。そちらにも魔女はいる。そのうえ風穴だらけの少年が彼らを追って飛び出した。


 助けなければ。そう思ったのは私だけではない。マスターも、少女から刃を抜きながら彼らを振り仰いでいた。


 少女は首を刎ねられる前にカウンターへ撤退。揺れるランプシェードの下で私達を睨め回している。彼女に銃口を向けたまま、思わずマスターを見上げていた。


 僅かな迷情が、千草色の虹彩に在る。彼の瞳孔に私が映り込んだとき、その像は感情的に大口を開けていた。


「行ってください!」


「っ……もし魔女が増えたら私のところへ逃げてくるんだ! その子は任せる……!」


「っァァぁあああああああ!」


 馳せる革靴の音は少女の哀叫に掻き消される。私は、マスターの後ろ髪を追うことなく眼前の敵にだけ意識を凝集させた。


 天井から千切られたランプが投擲される。次いで酒瓶、皿が私の方へ飛ぶ。咄嗟に屈めばテーブルが震えた。食器が砕けた音に膝を立てた。


 テーブルから頭を出せば額に触れている爪。背筋が粟立つ。身を翻すも無傷ではいられない。頭蓋が嫌な音を鳴らしていた。


 輪旋した爪先をそのまま走らせ距離をとる。その間、片時も魔女から目を逸らさない。


 発砲。射抜いたのは肩。彼女は幽鬼の如く揺らめいた。もう一度その痩身を撃ち抜く。そこに縫い留めるように、色のない火花を散らし続ける。


 次第に銃声が朧げになっていく。耳鳴りがしていた。息が乱れていた。目が痛い。額から流れた血液が、睫毛を濡らして眼窩に落ちる。


 早く仕留めなければ。


 己に言い聞かせ、狙いを頭部へ定めた。彼女の鼻を潰し、眉間を撃ち抜き、首を断つべく魔力を込める。


 甲高い音。それは幻聴だ。耳鳴りに怯んだ。そのたった釁隙《きんげき》。魔女は、攻め入るのに一秒も必要としない。


「ッあ──」


 角膜に光が張り付いて点滅する錯覚。開口とともに吐き出した血は粘ついていた。遅れて伝播する痛み。見下ろした腹部に、魔女の上腕が刺さっている。前腕部は体の中。手の平はきっと背中の向こう。


 喀血と嘔吐感。吐き出した液体を浴びても魔女は動じない。のみならず、口角を吊り上げて私を振り回した。


「う、ぁ……!」


 両足が地に着かない。震えた手で彼女の細腕を掴むも、引き剥がせない。傷口はみるみる広がって、脈打つ内臓を圧迫される。息をすればするほど酸痛は膨らんだ。


 取り落としかけた拳銃を握りしめ、魔女の額に接射。脳を潰されても魔女は鎮まらない。私は壁に叩きつけられ、壁掛けランプに打ち付けられて、意識が朦朧とし始めていた。


 何度も振るわれているうちに腕は抜けて、露出した臓物と共に崩れ落ちそうになる。唇を噛んだのは戦意を保つ為。傷口を押さえてもう一度銃を構える。目の前は涙で滲んでいた。魔女の表情さえうまく見えない。それでも、狙いは定められる。


「ぁああああ!」


 己を奮い立たせるための叫びは、悲鳴に変わっていた。天井まで跳ね上がった夥しい血。それは、私の両手首から上がったもの。拳銃が宙に舞い、指を失くした双腕が人形みたいに固まっていた。


 呆然とする時間さえない。魔女の足が腹部に沈んで、勢いよく蹴り飛ばされる。カウンターの奥へ転がった私に、酒瓶が降り注いだ。硝子が刺さる痛みさえあまり分からなかった。


 両手を失くした私に、勝ち目はない。


 絶望的な状況に悔しさが溢れた。魔女としてのメイさんとも訓練を重ねた。マスターにもたくさんのことを教わった。何も、実戦で活かせていないじゃないか。


 このまま、終わるの?


 頬から零れるのが、涙なのか血液なのか分からない。魔女の泣き声は遠くに聞こえた。震えた唇が歪んでいく。


 ぎこちなく首をもたげると、一本のナイフが輝いていた。私の肩から落ちたのだろう。それは私に合った小ぶりのナイフで、だけどデザインはエドウィンのものと同じ。おかげで彼を思い出してしまう。


 ここで眠れば、彼に、会えるのだ。


 意識が遠のく中で、腕の切断面を床に突き立てた。痛みが、私に目を見開かせる。


 ──あの人は、こんなことで折れたりなんかしない。


 灼熱を広げる床を這い、ナイフに口付けた。喘鳴が銀の柄を白く染色する。黒い持ち手を咥え、深く息をして立ち上がる。


 全霊の力で跳び上がったのはカウンターの上。両足は震えていた。涙は止まらなかった。


 客席にいる魔女が、私を見つけて向かい来る。その速度は弾丸よりも早い。


 ──目を凝らせ。考えろ。


 確実に、あの首を落とす位置を。


 吹き荒れた大風。接触の寸前で肩を振るい、顔を傾ける。奥歯を噛み締めた。顎が外れそうなほど顔が引き攣る。それは永遠の苦痛に感じた。実際は、髪筋ほどの時間だった。


 私は暴雨の中に立たされる。果てる生命の温度は、人肌よりも熱い。ふっと力が緩んで、切断した首が落ちるのを、耳の後ろで聞いていた。


 魔女の体はカウンターに項垂れ、床に転がっていく。闃《げき》として声を失くした部屋で、足の力が抜けた。ナイフが足元に落ちていった。


「っ、……う、ぁぁっ……!」


 泣きじゃくる声がうるさかった。『彼』がどれほどの痛みを堪えてきたのか、思い知った。何度穿たれても、何度四肢を切り落とされても、必ず私を守ってくれた彼。


 情けなくて堪らなかった。なのに『彼』に助けてほしくて堪らなかった。


「っ、エドウィン……」


 目の前がどんどん白くなっていく。吐いた血を見下ろせば、腹部は真っ赤だった。脂で艶めく血液には、はらわたが混じって見える。理解して、己の顔が歪んでいく。


 もう、もたない。


 生きなきゃ。彼と、夢の中で出会う約束をしたのだから。


 体が傾いた。


 百八本の薔薇に似た血溜まりの中へ、私は横たわっていた。



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