後悔は千草の如く3
(三)
馬車を降り、翻した形見に雪が溶ける。昼光はまだ瞑色を知らない。灰色の空の切れ目には真っ白な太陽が坐っていた。
身動ぎすると武具が音を立てる。背中には拳銃が二丁。腰のポーチに再装填の為のシリンダーが複数詰め込まれている。交換の仕方はシャノンに教えた。僕自身が使う二本のナイフは太腿に収められていた。
ユニスの装備も似たようなもの。彼女の黒いケープが揺れるたび、ナイフのショルダーホルスターが垣間見える。拳銃も忍ばせているはずだが、一瞥しただけではどこに隠しているのか分からなかった。
マスターはというと、貴族然とした格好だった。戦いに赴く装いではない。ウイングカラーのシャツにネクタイ、光沢のあるペイズリー柄のベスト、高そうな生地のロングコート。それらは船に乗る為、王族であることを誇示する飾りだった。
「二人とも、おいで。案内するよ」
「マスターは行ったことがあるんですか?」
「あの船に乗ったことはないけど、船に向かう父を見送ったことはあってね」
馬車から離れると、街路の活気に呑まれそうになる。賑やかな市場は様々な匂いが混ざり合っていた。海の匂い、食べ物の匂い、煙の匂い。魚を捌いている屋台を通り過ぎれば、果実や野菜の木箱が顔を出す。混み合う道を抜けると広場に出た。
軒並はカラフルだった。噴水の縁に座って笑いさざめく子供。道の端では花売りの台車が芳香を放っている。行き交う人の香水の香りもした。
風籟は口笛に似ていた。海の方へ近付けば近付くほど、頬を撫でる空気が冷たくなっていく。
海に面した通りは少しばかり寂しいものだ。いくつもの船が停泊している海面。その水鏡は曇り空を映して雪華を呑み込む。無彩色の汪洋は涙のよどみみたいだった。
「メイちゃん、こっちだよ。海が気になる?」
「あ……あんまり見たことないから。エドウィンの故郷に向かう時、列車で見た海はもっと綺麗だったなって」
「場所も天気も、季節も違うからね。夏になったら、晴れた日にみんなで海水浴でもしようか」
「良いですね、楽しそう!」
寂然とした街衢にユニスの歓楽が跳ねた。凍えていた空気の中でも、彼女は熱を絶やさない。季節外れの春陽を散らすように、柳髪は輝きながら小躍りした。
「でもその前に、春にピクニックをしたいです。夏は海に行って、秋も……ピクニックをして、冬はいっぱいパーティしましょう!」
「……そっか、僕達、来年も一緒にいられるんだね」
ユニス達との関係を、『アテナとの再会を果たすまで』の一時的なものだ、と、そう思っていた頃が懐かしい。当たり前のように、共に過ごす未来を夢想する。他愛ないことに唇が震えた。或いは寒さのせいかもしれない。
不意に、袖を引っ張られた。それから恐る恐る、僕の指を摘まんだユニスの手。氷肌は思いのほか冷たかった。僕の熱を奪いながら、彼女がそっと手を握っていた。
「来年も、再来年も、もっと先も、ですよ。エドウィンにも、いっぱい会いに行きましょうね」
「……うん」
繋いだ手の温度が少しずつ同じになっていく。返事は小声になってしまって、ユニスを誤解させたらしい。僕を元気付けようと、手を繋いだまま大きく腕を振るうものだから笑ってしまう。大げさな行進をする彼女と、それに引きずられる僕を、マスターが温かな目で見ていた。
「ちょ、っとユニス……! 転ぶよ!?」
「転んだらメイさんがちゃんと抱き留めてください」
「遊んでる場合じゃないのにな……」
濡れた石畳でヒールが躍る。軽快なステップはユニスのものと僕のもの。嬉笑と苦笑の上で雪が溶ける。冷たい玉屑は積もることなく、足跡を滲ませた。
ユニスは飛んだり跳ねたり、スカートを広げて回りながら前へ進んでいく。僕達の手も離れたり繋がったりを繰り返した。不規則な靴音がこちらに倒れ込んで、華奢な体を咄嗟に抱きしめる。
僕の腕の中でユニスが顔を上げた。彼女の眼差しは、翳りのない海に似ている。だけど少しだけ震えた体が、僕から離れていった。
「大丈夫? 怪我、しなかった?」
「大丈夫です。誰かと踊るのって、楽しいですね」
「でも危ないから、ちゃんと歩こうね。雪で滑りやすくなってきたし、僕に掴まって」
きょとんとしているユニスに片肘を差し出す。手を握るよりもこちらの方が落ち着くかと思ったのだが、しばらく首を傾げられた。「エスコートするよ」と冗談めかして言ってみると、破顔した彼女が飛び付いてくる。
「っふふ、メイさん、小さな紳士ですね」
「うん……褒め言葉として受け取っておこうかな」
「れっきとした褒め言葉ですよ」
妹の肉体だから小さくて可愛くて当然なのだが、僕としては不満である。とはいえ、元の肉体も背が高かったかというと、シャノンとさほど変わらなかったので何も言えない。
後ろ髪が風向きとは無関係に揺れて、眉根を寄せた。シャノンの堪えた笑い声が聞こえてくるようだった。前を向けばマスターもニコニコ見てくるものだから面映ゆい。だが、ユニスの上機嫌な鼻歌を聴くと心が安らいだ。
「──二人とも、あの船だよ」
マスターの呼声に顎を持ち上げる。望洋したのは港の端。住宅地からも離れ、他の船も傍にない。豪華な船が数隻、高い柵の向こうに停められていた。島に何かを運ぶところなのか、荷物を積み込む衛兵の姿があった。
柵の前には数名の衛兵が立ち、警戒心を露わに周囲を睥睨している。警備の目はすぐさま僕達を捉える。彫像さながらに槍を立てていた衛兵が、各々矛先を傾けた。
「ここから先は立ち入り禁止です。お引き取り下さい」
「私は王家の者だ。第二王子、ローレンス・ミック・オルブライト。船に乗せてもらいたい」
金属音が高く鳴る。マスターは懐から黄金のペンダントを取り出した。一人の衛兵がそれに顔を寄せ、まじまじと検める。確認がとれたのか、彼は周囲の衛兵に矛を収めさせた。
無数の冷眼はすぐに溶解し、恭しいお辞儀に迎えられる。
「ローレンス殿下、失礼いたしました。島にはどのようなご用件で?」
「アテナ様に関する話と、魔女の今後について、研究施設の責任者と話がしたい」
「それについては、後日クレイグ殿下がお見えになると伺っております」
「兄上は多忙のため来られなくなった。代わりに私が頼まれたんだ」
「かしこまりました。ただ、そちらの……」
怪訝を注がれるのは僕とユニス。子供だからか、敵として見られている訳ではないが歓迎されていないのは明らかだ。制帽の下で迷惑げな黒目が狼狽えていた。衛兵の中には刃先を揺らす者もいる。
僕達のせいでマスターの身分まで怪しまれたら困る。持ち上がった肩から発露した不安は、マスターの掌におさえられた。
「彼女達は成功作の魔女だ。アテナ様から特別に、護衛として預かっている。会話は成り立つし、見てのとおり人を襲うこともない。安心してくれ」
「成功作の、魔女……?」
「聴いたことがある、成功作の白い魔女だ」
「じゃあもう一体、成功作が作られていたのか?」
さざめき始めた彼らを前に、マスターが僕の肩を叩いた。察するに、魔女の紐を見せてやれ、ということなのだろう。どちらかが魔女であれば、もう片方が魔女であることにも納得するはず。魔女の研究施設にただの子供を連れて行くわけがない、そう思われるはずだ。
僕はコートを左肩から落とし、ブラウスのボタンを外して襟を引っ張った。袖の中に隠していた紐を引き出せば、臙脂は全ての目線を吸い寄せる。精彩の死んだ冬に生血の色はよく映えた。
音階の異なる嗟嘆が応酬される。役目を果たした実感に、僕は威儀を正した。ブラウスはそのまま、コートだけを羽織り直す。
マスターは精悍な面様で、加えて冽々とした物言いで、衛兵の背骨を立たせていた。
「時間が惜しい。すぐに船を出せるか?」
「さ、最善を尽くします! ただ、本日の予定は伺っていなかったので、殿下をもてなす準備が出来ておらず……申し訳ございません。すぐに各従業員へ伝達を……」
「もてなしは不要だ。それよりも島に向かってくれればそれでいい。船内では自由にさせてくれ」
「かしこまりました。それでは、船内へご案内いたします。出発まで今しばらくお待ちくださいますよう、お願い申し上げます」
金属がかからめき、黒い鉄格子が開く。柵の内側には馬車や小屋があり、すれ違う衛兵が皆敬礼をして立ち止まる。石畳の終で船を見上げた。
船体の下部は黒、上部は白く、随所に金色の装飾が施されている。柵越しに見るよりもずっと立派だ。
覗き見た船尾には両翼を広げる鷹の紋章。船首の側面には黄金の羽が張り付いている。これから復讐を遂げに行くというのに、心が躍るほどの見て呉れだった。
羽の装飾を眺め入っていたら、ユニスに袖を引っ張られていく。細い渡り板を、一列になって踏み通る。先頭は衛兵、次いでマスター、ユニス、僕の順だ。固い板にヒールの靴音は高く響いた。
廊下はすぐに終わり、拓けた場所に出る。四方に通路が伸びており、衛兵や従業員らしき男女が往来している。
先導していた衛兵が一室に入った。と、思いきやそこは部屋ではないようで、すぐに行き止まり。がらがらと音立てて、格子と扉が閉まる。僕達を閉じ込めると床が動き出した。
目を白黒させるユニスと僕に、マスターが「エレベーターって言うんだよ」と囁いてくる。おまけに気障なウインクまで付けられ、感動に余計な苛立ちが混ざってしまった。
床が再度揺れると、衛兵が二重の扉を開いて片腕を広げる。僕達に降りるよう促すジェスチャーだ。踏みしめた先は広いフリースペース。正面の壁には二階の文字が刻まれ、その左右に窓が整列している。
広間を挟んだ廊下の壁は木造。等間隔にランプが取り付けられており、柱にも植物の装飾が施されていた。船内は人生で初めて見たが、屋敷の内装と似ていた。海上にいることさえ忘れそうだ。
「二階と三階、四階はご自由にお使いください。エレベーターをご使用の際はお気軽に従業員へお声がけを」
振り返ってみると、エレベーターの入り口の傍に従業員が立っている。降りる時に気付かなかったが、ずっと控えていたのだろう。従業員はにこやかに一礼していた。
「二階にはバーやカードルームがあり、カードルームではチェスやトランプ、バーではビリヤードやダーツなど様々な娯楽をお楽しみいただけます。バーが左手側、カードルームが右手側です。三階は全て食堂、四階はスイートルームと図書館など、くつろげる空間になっております」
「一階と地下にはなにがあるんだい?」
「一階は従業員や我々衛兵が使用するフロア。地下には輸送する魔女を収容しています。各地の研究施設に収まらなくなった魔女を、定期的に島へ運んでいるんです。本日も複数の魔女が地下にいますが、薬で眠らせているのでご安心ください。これから収容する魔女もいるので、その間お待ちいただくことになります」
マスターの眉間に僅かな皺が刻まれた。眠らせているとはいえ、いつ起きるかも分からない魔女と同じ船。嫌な予感がしているのはユニスも同様、口端を引き攣らせていた。
衛兵は眉一つ動かすことなく、芝居がかったお辞儀をしてエレベータ―に手をかけていた。残された台詞もきっと台本通りのものだ。
「それでは、ごゆっくりお過ごしくださいませ」
装飾の凝った鉄柵を挟んで、彼はもう一度礼をした。その姿はエレベーターが動いて見えなくなる。残された僕達が見合わせたのは渋面。各々、魔女を危惧しているのが顔に出ていた。
とはいえ、緊張の糸を張り続けられるわけもなく、ユニスが大げさな溜息と共に項垂れていた。
「さて、どうしようか。チェスかビリヤードでもするかい?」
「僕はどっちもルールが分からない。広い所で稽古でもする?」
「これから戦うかもしれないのに体力や魔力を消耗してどうするんですか……トランプでもしましょう」
ユニスは団栗眼を細めてフロアを眺め遣った。カードルームを探す彼女にマスターが苦り笑い、「多分こっちだよ」と誘導してくれる。赤を基調とした絨毯が、靴底の形に絵柄を歪めていった。




