後悔は千草の如く2
(二)
マスターの手料理は懐かしい味がする。僕は三口目のコテージパイを頬張って、ようやく気付いた。味付けがエドウィンのものと似ているのだ。エドウィンがマスターの好みに合わせていたのか、或いはマスターからレシピを教わっていたのか。どちらにせよ、彼らの関係がなんだか羨ましかった。
僕も今度、マスターに料理を教えてもらおう。そう黙考しながらもう一口食べ進める。が、息を吹きかけるのを忘れていて、とろけるチーズに唇を焼かれた。
「あっつ!」
「メイさん、ゆっくり食べましょうね」
「うん……」
隣で上品に食事をしているユニスを打見し、微苦笑を浮かべた。ふう、と息をかけると、銀のスプーンが白く染まっていく。ソースの香りを孕んだ湯気が漂い、食欲を掻き立てた。
数回冷ましてから食い付けば、舌の上でマッシュポテトが柔らかに崩れ、挽肉の塩気とチーズの香ばしさが広がっていく。
カウンター上では、食器の金属音と紙の擦過音が交互に響いた。僕達の席より離れたところで、マスターが地図を広げている。あまり眠れなかったのか、彼の肌はほんの少し青びれている。昨夜、グレンさんと遅くまで飲んでいたせいだろう。
マスターの人差し指がコツコツと机を打った。
「『神の住む島』に行くには、港町に向かって、そこから特別な船に乗る必要がある。私は王族の証を持っているから、それを見せれば乗せてもらえるだろう。酒場から港までは結構距離があるから、馬車に乗っていく予定だよ」
馬車、そして船に乗れば目的の島に辿り着く。冒険譚の著者、ハーヴェイさんは神の祭壇を壊そうとしたらしいが、僕達もそうするべきだろうか。
この世から魔法がなくなった方がいい、とは、僕も思う。だけどそのためにエドウィンの心臓を利用するのは嫌だ。魔法がある限り魔女が造られ続けるのも、嫌だ。
どうすればいい? そう問いかけたかった。『彼』はどう答えるだろう。切り離された自分の心臓などどうでもいいと、笑うだろうか。
「……オッサン。出発する前に、エドウィンに会いに行きたい」
「私もそうしたいです。エドウィンと、カレンさんにも、お花を供えてから行きましょう」
小さな金属音を立て、ユニスがスプーンを置いていた。コテージパイを食べ終えた彼女の皿には、ソースの痕だけ残っている。寂しげに微笑む側顔から目を逸らし、僕は追思した。
酒場に雇われたカレンさんと、僕はたった数回しか話せなかった。エドウィンと恋人になったらしい彼女をユニスは嫉視していたが、当時の棘はもう見当たらない。『カレンさん』と弾んだ名前も友愛に包まれていた。
「ユニス、僕がいない間にカレンさんと仲良くなってたんだね」
「そう、ですね。一緒にお菓子作りをしたり、お出かけしたりしました。私に触らないように気遣ってくれて、姉妹みたいに可愛がってくれて。優しいお姉さんでしたよ。人って関わってみないと分からないものですね。もっと、仲良くなりたかったです」
どうして彼女が亡くなったのか、僕は詳しく知らない。恐らくユニスも同様だ。ユニスは口元を緩めながらも、薄青い影に項垂れていった。そのまま落ち込んでしまう前に、明るい方へ連れ出したくなった。
「僕も、そのお菓子作りに参加したかったな。誰かと一緒に作るのって楽しそう」
「っふふ、じゃあ今度私とメイさんでお菓子作りしましょうか」
「任せて。ユニスよりは上手くやれるはずだから。ユニスが失敗しそうになってもすぐ止めに入れるよ」
「馬鹿にしてます!?」
冗談だよ、とからかえばユニスの頬が膨らんでいく。頬いっぱいに空気を溜め込んでから、彼女はおかしそうに吹き出していた。笑い声は二人分。いつもならマスターも一緒になって笑うのに、彼の莞然は聞こえない。
「ねえ、墓参り、オッサンも来るでしょ?」
「その前にお花屋さんに行かないと、ですよね」
見上げた先の彼は、唇を引き結んだまま難しい顔をしていた。僕達の話を聞いていなかったのか、カウンターを境に彼我の空気が異なっている。僕達は陽だまりの中、彼は雨中にいるよう。
顎に手を添えて、考え込んでいた彼が面を上げた。開口は迷いを帯びて緩やかに、長い沈黙を伴った。
「……それよりも、先に聞いて欲しい話があるんだが、いいかな」
僕達と眼界が繋がっても、彼の暗雲は立ち退かなかった。背の高い彼は誰よりも燭光の傍に居て、誰よりも長い影を背負っていた。
「それは、良くない話?」
「ああ。だが、これからの目的には関係がない。私達の関係には……関わってくると思うが……」
つまり、クレイグを倒すことに影響はないのだろう。『島に行けない可能性が』等々、そういった類の話かと思ったため、胸を撫で下ろした。彼はきっと、過剰に重苦しさを演出している。僕達を子ども扱いしているゆえの真剣味。軽く身構えていれば大したことはない。
「聞かせて。何の話なの」
千草色の瞳が、まばたきの都度ころがっていく。なかなか目を合わせようとしない。右往左往する二つの眼はようやく停止した。僕達をじっと瞻り、彼の喉仏が上下する。
唾を呑み込んだ彼の声は、なおも乾いたまま、罅割れたささめきだった。
「カレンさんは、私が巻き込んで、私が、この手で殺した」
ひとしずくの余韻が落ちて、水を打った寂寞に波紋が広がっていく。僕は口腔の隙間で彼の言葉を反芻していた。息を呑んだのは、隣席にいるユニス。彼女が凍り付いたのを肌で感じる。
マスターが、カレンさんを殺した。今一度、その告解を味解して、己の息骨が震えた。
「は……?」
「……すまない。誤解だったんだ」
思い浮かんだのは、カレンさんの妹の姿だった。カレンさんが魔女になる薬を飲まされ、暴走した彼女によって腕を折られたアビー。それでも姉を愛し、仲直り出来たことを喜んでいた幼い少女。拙い文字で、僕に宛ててお礼の手紙を書いてくれた。
葬儀の日、泣いていたアビーを思い出す。彼女には、魔女と関係のないところで、幸せに暮らしていて欲しかった。
小さな子供に悲劇をもたらした者。それが身近な存在だった事実。一度この手で救った心を、この男に壊された。
剥き出しそうになる牙を、堪えた。彼は『誤解』だと言った。事故だったのだろう。なら仕方がない。だけど。
──『メイお姉さん、ありがとう』
だけど、アビーからの手紙が頭から離れなかった。それは僕にとって、初めて誰かを助けた思い出だから。あんな風に感謝してもらったことなんてなかった。あの子が元気になってよかったと、心から思った。
──『カレンお姉ちゃんとまた仲良く出来て、まいにちが楽しいです。ずっと喧嘩したままだったら、多分ずっと後悔してた。二度と会えなくなったらもっと悲しいよって、メイさんが言ったとおりだった。カレンお姉ちゃんを助けてくれて、本当にありがとう。いつかお姉ちゃんと、メイさんと一緒に遊びたいです。また会おうね、優しいお姉さん』
手紙をもらってから、次に会った時。あの子はカレンさんを奪われた後だった。一緒に遊んでやれなかった。『二度と会えなくなったら』。そんな悲しいたとえ話を、現実にしてしまった。
カレンさんが亡くなったのは僕が宮殿に捕らわれている間だ。僕には何も出来なかった。だけど、何か出来たんじゃないか。惟ても己の無力を思い知るばかりで、呻きそうだった。
鋭さを帯びていく爪を握り込み、あてどない怒りを堪えて扼腕する。子供じみた叫びを呑み込んで、窒息しそうなほど息を呑んで。物言わぬ僕の隣でユニスが言った。
「なん、で、ですか? なんで……カレンさんは魔女とも関係がなくて、何も知らない普通の方だったんですよ!? エドウィンだって、カレンさんを巻き込みたくないって言ってたのに……! どうしてマスターが……!」
今にも泣き出しそうな哀哭だった。ユニスの表情を見なくとも、溢流している悲嘆が痛いほど分かる。爆ぜた感情の先、彼女は言葉を見失って嗚咽だけを揺らし始めた。
マスターは、憂き音に沈む僕達から目を逸らすことなく、眉尻を下げていた。
「私の兄が、エドウィンの『魔力の花』を狙っている、と言う話は……君達も知っていただろう? もともと兄は『魔力の花』について知らなかったんだ。私はエドウィンの故郷から数冊の本を持ち帰ったが、『魔力の花』について書かれているページは全て破り捨てた。そうして酒場から持ち出さなかった。それなのに兄は、『私が捨てたはずのページを持っていた』んだ」
「つまり、どういうことですか……」
「『何者かが私の部屋に侵入し、破られたページを持ち出した』ということになる。私はカレンさんが兄のスパイなのだと思った。彼女のせいで、エドウィンの命が危険に晒された……そう思い込んだまま、エドウィンの目の前で、彼女を殺した」
息が苦しかった。毒の香りが蔓延している。飲み込んだ酸素も苦々しい。エドウィンのことを想うと、胸が締め付けられていく。肋骨が歪んで隙間を塞いでいくようだった。
エドウィンはどんな気持ちで、育ての親が恋人を殺す様を見届けたのだろう。
責める言葉が喉元まで上がってくる。だけど、自責で項垂れるマスターをこれ以上傷付ける必要はない。これから共闘するというのに、彼を突きのけたくはない。手を取り合うと決めたじゃないか。
冷静になりたくて、溜息を吐き出す。少しだけ肌寒くて、自分の肩を抱きしめる。後ろ髪が腕にまとわりついて、シャノンも僕を宥めてくれていた。
「……カレンさんは、本当にスパイだったの?」
「ああ。だが正確には、脅されて、利用されていただけだ。私がそれを知ったのは葬儀の時、カレンさんの母親に教えてもらってね。カレンさんは私の兄に巻き込まれ、何の罪もないのに、私に撃ち殺された。本当に申し訳なかったと思っている」
「殺す必要なんて、なかったじゃないですか……っ」
「その通りだ。私が間違っていたよ」
白橡の長髪が垂下して、ユニスに謝罪を示す。ユニスは複雑そうな相貌で目を潤ませていた。
僕達はみんな罪科の味を知っている。恨む気持ちも、恨まれる気持ちも、よく分かる。マスターにも、ユニスにも、寄り添いたかった。
ユニスの袖を引いて、不安げな目に微笑みかける。そのままマスターを見上げた。波及する喑愁を笑い飛ばしたかった。
「なら、カレンさんの為にも、今はクレイグと決着をつけなくちゃ。アイツがカレンさんを脅さなければ、カレンさんが巻き込まれることだってなかったんだ」
引鉄を引いたのがマスターだとしても、銃を握らせた元凶がいる。仲間内で憎み合う意味などない。何より、僕はもう、彼らとの関係を壊したくなかった。
罪を受け入れて、共に背負いたい。彼らが、僕の罪を許してくれているのだから。エドウィンを見殺しにしてしまった僕を、彼らは咎めないのだから。
心根はきっと、皆同じ色をしていた。
「納得のいかないことばかりですが、私がマスターを責めたって仕方がありません。それに、マスター。謝る相手は私達ではなく、カレンさんとそのご家族に、です」
椅子を引き摺ったユニスが、床に靴底を下ろした。凛冽としていた彼女の目元は、ふっと緩んで優しい形にわぐむ。その虹彩は微かな憂色に染まったまま、大人びた慈愛を注いでいた。
「墓参りに、行きましょう。私も……謝らないといけないことが沢山あります。エドウィンにも、カレンさんにも」
「……ありがとう、二人とも」
形のない暗雲は晴れのいていた。同じ照明のもとで、同じような片笑みが三つ、輝いた。
僕達の罪累は許されるものではない。謝罪を連ねても浄罪にはならない。奪った命と相応に咎められるべきだ。だけど、殺してきた人の遺族にどれほど責められても、僕達は僕達の味方でいる。
僕達は仲間で、共犯者だ。思えば出会った時からそうだった。罪から目を背け続けていただけ。
これから王太子を殺せば大罪に問われるかもしれない。どんな罰が下るのだろう。悲劇的な末路を想像しても、逃げ出すつもりはなかった。
先に大罪を犯したのは、あの男なのだから。僕達はただ、それに報いる。
──カツ、と、石畳に落ちた靴音はやけに響いた。
揺らした花が甘く香る。エドウィンに買った花束は三つ。僕は白いカーネーション、マスターはキンセンカ、ユニスは五本の赤い薔薇。カレンさんには三人で色々な花を選んで、大きな花束を一つ作ってもらった。
朝影で白んだ墓地は馥郁たる愁いで満ちていた。隣り合うエドウィンの墓とカレンさんの墓に、それぞれ鮮らかな花が供えられている。最近も誰かが訪れていたようだ。
僕達はそっと、冷たい石の上に花を並べていく。目を伏せて、胸の内で語りかける。
エドウィンに出会ってからの感謝も、好意も、未練も。心臓を揺らして言外に叫んでいた。
彼がもういないのだと、改めて思い知るような感覚。彼の体温が、眼差しが、声が、恋しい。淋しさが込み上げて涙ぐむ。
落涙する前に瞼を持ち上げた。ふ、と見回せば、マスターとユニスはカレンさんの墓に黙祷を捧げている。
僕はエドウィンの墓に手の平を滑らせた。刻まれている彼の名前は冷え切っていて、僕の熱を奪っていく。
視界に、灰のような雪が舞い落ちた。彼が亡くなった日も、風花が散っていた。肌に触れた冷気に目を細める。エドウィンのコートを羽織ってきて良かった。でなければ、悲涼に梏桎されて動けなくなりそうだった。
暖かなコートの布地ごと片腕を抱いた。墓石に花笑みを投げかける。彼が見守ってくれていることを祈って。
「待ってて。必ず、仇をとってくるから」
仇討ちなど、彼は望んでいないかもしれないけれど。僕が僕を許すために報復が必要だった。彼の為に出来ることが、それしか浮かばなかった。
いくつもの思い出が瞼で廻る。僕に向けられたいくつもの温情。今一度せつなさを噛み締めた。吐き出した愛は白く、風に紛る。
「エドウィン、大好きだよ」
睫毛を伏せる。既往の彼が微笑んだ。掠れ声で、純然と優しく紡がれた僕の名前。それは、最期の思い出。




