暮れなずむカメリア5
「じゃあ、僕達も色々試してみようか。まず、髪の毛で拳銃を使えるか試したいんだけど」
的のある壁までは一定の空間が空いていて、低めの柵が足場の目印になっている。人型の的は既に撃ち抜かれた形跡があり、頭部、心臓、肩のあたりは穴が空いていた。
後ろ髪が僕よりも前に出て、銃口を的の方へ向ける。
『このまま引き金を引けばいいの?』
「撃鉄……えっと、持ち手の上にある、それ。カチって下げて」
『うん。わっ、回った!』
「そうそう。それで、あそこの的を狙って、引き金を引く」
撃鉄を起こした拳銃が、ふらふらと宙を漂った。狙いを定めるのが難しいらしい。思えば、シャノンは僕と同じ視界を見ている、と言っていた。死角からの敵に備えてもらおうと思ったのだが、上手くいかないかもしれない。
顎に手を添えて唸りつつ、石造りの床を意味もなく見つめていれば、髪が引っ張られる。同時に銃声が響いた。硝煙が仄かに色付く。シャノンが放った弾丸は、人型の胸部に穴を空けていた。
『どう?』
「結構反動が頭にくる……というか、的、見えたの?」
『どういうこと? 見えてるよ』
「でも、僕は的から目を逸らしてた」
『ああ……。私が髪を使えるようになると、視野も広がるの。メイにおんぶされてる感じになって……多分、髪の毛から見える位置は全部見回せるよ』
僕も彼女の意識を《譲渡》する時、彼女を背負った過去を反映させている。だからだろうか、実体を持たない彼女が、肩に凭れているような気がした。
シャノンの意思で横髪が揺曳する。僕は彼女と手を重ねるように、髪に触れた。そこに体温はなかったが、小さな笑声が頭を揺らしていた。
「このまま少し練習してみようか。援護射撃が欲しい時にお願いしたいから」
『分かった。とりあえず弾が無くなるまで撃ってみるね』
「弾の入れ替えも練習して。あ、あと勿論ナイフとか、接近戦でもサポート出来ると嬉しい……」
『分かってるよ。任せて。私、メイがしてほしいことを、してほしい時に出来る天才だから』
「そっか、それは天才だね」
僕達は肉体を共有していて、些細な心拍の変化も、思考も伝わるのかもしれない。或いは、僕達が元々双子だったからだろうか。シャノンは自信満々に拳銃を揺らしていた。
僕は的に背を向ける。僕自身がすべきことを精慮する。魔女たる肉体にトレーニングはあまり必要ないし、武器がなくとも戦える。乱戦になったら苦戦するかもしれないが、今はシャノンがいるのだ。特定の訓練が浮かばない為、ひとまず柔軟運動を始めた。
僕が手足を伸ばしている間、後背ではシャノンが弾丸を散らしていた。全身が温まってきたところで、虚空を殴ったり、切ったり蹴ったりを繰り返してみる。動作を少しずつ激しくしてから振り返ると、シャノンの射撃の精度は落ちていた。
『メイが動くから狙ったところから外れちゃう』
「練習あるのみ、だね。もうちょっと動いてみるから頑張って。替えの弾は僕のポケットに入ってるから」
『わかった』
目の前に魔女がいることを想像する。繰り出される突きを躱す。そのまま反撃に移る。架空の敵を寸断し、高く蹴り上げる。敵が中空に投げ出されれば、僕は跳んで追い討ちをかけるだろう。思い描いた通りに跳躍し、空空に蹴りを打ち込んだ。
筒音が響く。硝子の砕ける音が重なる。「あ」と僕が零したとき、既に目の前のランプが砕屑を散らしながら光を失っていた。
着地した足元は虚構の星空の中。星散するランプの残骸が、他の照明の光で明滅していた。
『メイ! メイが跳んでる時に撃った弾、ちゃんと的にあたったよ!』
「それはよかったよ……」
シャノンの欣喜が後頭部によく伝わってくる。僕は陽気に揺れる髪とは対照的に、引き攣った顔のままマスターに歩み寄った。ユニスとマスターも、ランプが割れた音で集中が削がれたのか、互いに刃を収めていた。
「オッサン、ごめん。電気なんて高級品だろうに」
「いや、構わないよ。そんなに高い物じゃないさ。それよりメイちゃん、傷の治療を頼んでもいいかな? 私もユニスも切り傷だらけだ」
貧しい暮らしをしていた僕からすれば、電気なんて無縁のものだった。だがマスターにとって、本当に取るに足らないもののようだ。
僕は胸を撫で下ろしたのち、彼の解顔から足元までを一見した。傷を探していたら、袖を捲った腕がこちらへ差し出される。前腕部には数本の切り傷があった。
彼の腕を両手で持ち上げ、滲んでいる血に視線を注ぐ。治す──その意識を指先に押し出していく。力のこもった僕の手は、彼の皮膚に皺を刻んでいた。
魔力は僕の血に流れている。魔法を使う時、魔力は熱くなる。だから指先が熱を帯びるよう念じるも、熱くなっていくのは顔ばかりだった。
唇を噛み締め、沸騰しそうな頭を揺らして、僕はマスターを見上げた。
「オッサンは、いつもどうやって治してるの」
「魔力を注いでくっつけるんだ。傷のない状態をよく思い出して、空いた穴をふさぐように、断面と断面が《吸収》し合うようにくっつける。磁石がくっつくのをイメージしたらいいかなぁ……」
「磁石……くっつける……」
彼の傷口の傍に指を添える。くっつけるべく傷口を左右から押してみると、ぷっくりと血が溢れて、両手に嫌な汗が滲んできた。自分の服で手汗を拭いてからもう一度、集中して彼の傷口をくっつけようとする。押せば押すほど血が溢れる一方で、申し訳なくなっていたら頭を撫でられた。
「痛くないから大丈夫だよ。メイちゃんは自分の傷を治す時、どうイメージしてる?」
「え、っと。命を取り込んでる感じ。妹の肉体は僕の魂を取り込んだから、他を取り込む感覚、取り込まれる感覚を、僕はよく分かってる」
「相手の寿命を吸って、自分の寿命を伸ばす感じかい?」
「敵の血を啜って傷を治すのは……例えるなら、食事とか、水分補給に似てる。食べ物は僕の血肉になるでしょ。魔力を使って、それを実際の血肉にしている、みたいな……」
魔法を使う際、必要になるのは想像力と連想力。《吸収》の定義から外れることなく、吸収し、吸収させる。取り込んで自分の一部にする想像は上手くいくが、それを他者に置き換えた時、どうにも上手くいかない。
僕と一緒に悩んでくれていた彼が、僕と目を合わせて頷いた。
「じゃあ、『取り込ませる』のを想像してみたらどうかな。君の魔力を、助けたい人の体の一部にするんだ。もしかしたらメイちゃんは、『魔力が目に見えないから想像するのが難しい』のかもしれない。だから、魔法を使う際に君の血液を塗り付けたって良い。勿論ただの血を傷口に塗るのは良くないが、ちゃんと魔力を注げば、君の血液は傷薬になる。そう考えたら、出来そうかな?」
「血を塗って薬に……やってみる」
僕は懐からナイフを取り出し、自身の指先に刃を沈めた。痺れるような痛みが僅かに走る。赤く膨らんでいくのは血液であり、魔力だ。表皮を伝っていくそれが、魔力であることを深く意識して、マスターの傷口に押し当てた。
痛みの熱に、魔力の熱を重ねていく。塗抹した赤が彼の傷を隠し、彼の肌に馴染む様を、想像する。穴を塞ぐように、血液を注いで取り込ませる。
傷口の端から端へ人差し指を滑らせていけば、彼の傷は治っていた。じっと凝視してみても、傷跡さえ残っておらず、塗り付けた僕の血液も消えている。今流血しているのは、僕の指だけだった。
「っ出来た! ちゃんと治ってる? 中まで治った?」
「ああ。上手にできたね」
「ユニスは? 怪我してない? 僕が治すよ」
「っふふ、じゃあお願いしますね」
人の傷を治すことが、初めて成功した。嬉しさで、ついユニスに飛び付いてしまう。衝突する一歩手前で踏み止まり、彼女と微笑み合う。提示された彼女の傷は手の甲にあった。
僕の傷は固まりつつあり、痛みも薄れていたため、もう一度切りつけた。そうして彼女の白皙に手を伸ばし、触れる、手前で躊躇った。
「僕の血を塗るけど……嫌じゃない? 触れるのも嫌だよね」
「あ……だ、大丈夫、です。言ったでしょ、慣れていきたいんです」
「そ、っか。分かった。触るよ」
僕はそっと、ユニスの手の甲をなぞった。痩せている手は骨の形が分かる。傷口が痛んだのか、不快感を覚えているのか、骨が浮くくらい力が込められていく。
想像する。少しずつ、イメージが固まっていく。多分、舗装みたいなものだ。空いた穴に液体を注いで、固めて塞ぐ。塞がった穴は平らになって、元通りになる。
あの日──エドウィンが亡くなった時。僕の血液を注げば、彼の傷を塞ぐことが出来たはずだ。奪われた心臓も、魔法を上手く使えばきっと再生出来た。心臓の形を想像して、その型に血を流し込む想像をして、魔法で固める。今の僕なら、それが出来たかもしれない。
それは曖昧な空想で、今となっては叶わない話だ。
もっと練習をしなければ。唇の裏で独り言ちて、ユニスから手を離した。彼女の傷はとっくに治っており、真っ白な肌には僕の血が付着してしまっていた。
「っごめん、ぼうっとしてた」
「いいえ、ありがとうございます。洗うので大丈夫ですよ」
「──二人とも。ちょうどいい時間だし、上に戻って食事にしようか。読書もしないとね」
食事、という言葉にユニスの両目が煥乎として明度を上げる。空腹だったのか、地下室には彼女の腹の虫があまねく鳴り渡った。笑顔のまま赤面していく童顔。僕とマスターが同時に笑い出す。
各々棚に武器を収め、マスターを先頭に、ユニス、僕、の順で退室した。蒼茫とした階段は足を踏み外しそうで、ユニスが転ばないか心配しながら上がっていく。
地下室は酒場のカウンター内に繋がっている。無事、見慣れた酒場に出ると、先に上がったマスターが一驚していた。
カウンター席に一人の男性が腰掛けて、置きっぱなしになっていた冒険譚を読んでいた。栗色の髪を揺らした男性が顔を上げる。紺碧の諸目は白刃のように犀利。怯みかけたが、眼光から敵意は感じなかった。
マスターが彼に水を差し出しており、ユニスは彼に会釈をしていた。
「誰かと思ったらグレンじゃないか。どうやって入ったんだい?」
「この前、お嬢さんを私に預けた時に合鍵をくれただろう。ココで待っていれば帰ってくると思ったんだが、地下室にいたんだな」
「オッサン、この人は誰? ユニスも知ってるの?」
マスターの袖を引いて訊ねれば、カウンター越しの男性が立ち上がる。僕を真っ直ぐに見下ろして会釈をしてくれた。
「私は」
「彼はグレン・センツベリー。私の旧友で、昔エドウィンの傷を診てくれた医者だ。この前も、エドウィンとユニスがお世話になってね」
「リアム、今私が自己紹介しようとしたんだぞ」
「私が話した方が早いだろう? ちなみにこの子はメイちゃんだ」
メイ、と呟いた彼はもう一度僕に手を伸ばした。握手を求められているのだと察して、その手を握る。軽い挨拶を済ませると、彼の手はジャケットの内側を目指した。取り出されたのは長方形の紙が数枚。マスターが気抜けた顔でそれを見つめていた。
「今日はこれを持ってきた。人数分ある」
四枚の紙を僕に渡すと、彼は着座して水を一口すする。手元の紙を広げてみれば、印刷された文字がカウンターの明かりを浴びて艶めく。一字ずつ目で追って、僕は首を傾げた。
「チケット……?」
「エドウィンくんと、約束していたんだ。リアムが戻ったら、みんなでオペラを見に行こう、と。彼のことは、本当に残念だが……オペラに誘いに来た」
グレンさんの口吻は穏やかだったが、そこには隠しきれない哀韻が潜んでいた。彼はマスター同様、まだ子供だったエドウィンを知っている。今の僕と同じ年頃のエドウィンを、見守ってきた大人のうちの一人なのだ。
生前の彼とグレンさんの間で交わされた約束は、僕達との未来を望んだものだった。
あの日、まるで後悔していないように微笑んだ彼に何度も思った。どうして、笑って眠ったのか。どうして別れを惜しんでくれなかったのか。彼は、メイナードと歩む未来を望んでくれなかったのだろうか、と。色々なことを思い回した。
全て、悲しみが生んだ八つ当たりだ。微笑んだのは彼の優しさだった、と、分かっている。彼だって、もっと僕達と一緒にいたかったはず──それが僕の思い込みではなかったことを、目の前の『約束』が裏付けていった。
掻き曇った眼界で、チケットがぼやけていた。彼はあの日、僕達と一緒に帰るつもりだった。僕達と過ごす日々を、思い描いてくれていた。
僕は潤んだ目元を拭ってマスターを見上げた。彼は困り顔でグレンさんに首を振っていた。
「いや、グレン、申し訳ないんだが私達は忙しくて……」
「いいじゃないか。このチケットはもう売り切れになっている貴重なものだぞ。そしてオペラの演目は、ちょうど『或る少年の冒険』だ」
グレンさんの大きな手が、机上にある一冊の本に乗せられた。彼は手の平を表紙に滑らせて、本をこちらに押し寄せる。僕は、チケットに書かれている演目名と、本の表紙を見比べた。チケットには『オスニエルとオーフェリア~或る少年の冒険~』と書かれていた。
「チケットのタイトル……ちょっと違うけど、このオペラはその本が原作なんですか? 有名な本なの?」
「オペラのタイトルは主人公とヒロインの名前にちなんでいる。有名ではないが、隠れた名作でね。ちなみにその本の原作者、ティモシー・ハーヴェイもオペラを観に来る。公演後の食事会でサインをもらおうと踏んでいる客が多いみたいだ」
原作者が、生きている。
その事実に、僕達は息を呑んでいた。これを書いた者ならば、エドウィンの一族と関係しているに違いない。『神の住む島』の場所も、原作者は知っている可能性が高い。
マスターは、僕とユニスから期待に満ちた眼勢を向けられて、ふっと一粲した。
「行こう。そしてぜひとも、原作者に会わせてもらおうじゃないか」
着実に、神の住む島に近付いている。僕は愁眉を開いて、カウンター席に腰を下ろした。グレンさんの隣に座って冒険譚を開く。ユニスは僕の隣に座り、マスターは食事の準備を始めていた。
オペラが上演されるのは明日の夜。明日で良かったと心底思った。僕達は一日でも早く、クレイグよりも先に島を見つけなければならない。
ページを捲りながら、僕は、エドウィンの故郷で読んだ神話を思い出していた。
神の慈悲によって与えられた魔法で、国民を『魔女』にし、大勢を殺した太古の王。その王を殺し、生き残った王子に罪を背負わせた神。罪人の色彩を受け継ぎ続けたアッシュフィールドの──エドウィンの血筋。
冒険譚の主人公は、罪深い血筋の少年だった。少年の名字はアッシュフィールドではない。少年の目の色や髪の色も、今のところ描写されていない。だが、その生い立ちは確かに、彼の血筋を思わせた。




