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誅戮のヘイトレッド   作者: 藍染三月
四巻/第一章
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暮れなずむカメリア4

 行き交う人音が聞こえなくなるくらい、緊迫した空気の中に閉じ込められる。マスターが一歩、彼に近付いていった。


 広い背中が僕達を守るように立っている。けれど、『マスター』ではなく王子然とした風采に、僕達は離隔される。見えない壁を挟んだ先で、彼らは冽々とした口前を交わしていた。


「ブランドン、だったかな。兄上の指示で魔法について調べに来たのか? 兄上もここに?」


「まさか。クレイグ殿下はお忙しい方です。全てを投げ出した貴方とは違いますから」


 棘を孕んだ毀言(きげん)が、マスターに投げつけられる。噤口した彼がどんな顔をしているのか、僕の位置からでは分からなかった。ただ、彼の玄黙はどこまでも澄んでいて、惑乱の片鱗さえ感じなかった。


 それゆえ助け舟は必要ない。なのに僕は、透明な隔たりを蹴り飛ばしていた。 


「そうだな、この人よりクレイグの方がよっぽどクズだ。あんな外道とマスターを比較するな」


 ブランドンと呼ばれていた男を僕が睨視すれば、彼もこちらを下瞰する。その目遣いはクレイグのものと似ていた。汚物でも見るかのように、彼が目を側めていく。品のない舌打ちをして、上品な衣服に片手を差し入れる彼。懐から抜き出された小銃が黒光りした。


「無礼な魔女め……!」


「こんな人の多い場所で銃を抜くなブランドン。無辜の民を巻き込むつもりか? 分かったら銃を仕舞え」


「チッ……」


「メイちゃん、ユニスも、帰ろう」


「っ待って、帰る前に聞くべきことがあるだろ。クレイグはどこだ」


 銃を収めた彼との距離を縮めようとした。胸倉を掴もうとして、僕はマスターに首根っこを引っ張られ、後ろへよろめいた。


 ブランドンは僕と反目したまま、「話す必要はない」とだけ吐き出すと、片手を伸ばしていた。それは僕に向けられているわけでも、マスターに向けられているわけでもない。僕達の後背、ユニスの方へ、差し伸べられていた。


「小娘、その本をこちらに渡せ。見たところココに来た目的は我々と同じ。ならばクレイグ殿下の求める答えも、そこにあるのだろう」


「は? 渡すわけないだろ。ユニスに近付くな」


 僕と彼は互いに得物を抜かず、虎視だけをぶつけ合う。まなじりを裂いた彼は飢えた獣のよう。威嚇する僕の隣で、マスターの唇が音立てる。しかし彼が仲裁するよりも先に、ユニスの驚倒が上がっていた。


「わっ……!?」


 ユニスの背後に立っていたのは、ブランドンと同じ服を着た青年だ。いつからそこにいたのだろう。足音も、動作に伴われる衣擦れの音も、聞こえなかった。通行人が立てる雑音と混ざり合っていたせいかもしれない。


 青年は冒険譚を手にしていた。表紙を見るなり、彼の柳眉は寄せられていく。 


「冒険譚……? ブランドン、子供向けの下らない本だ」


「なに? 小娘はただの子供だったか」


 落胆を露わに嗟嘆する二人の男。青年の方は、ユニスに冒険譚を手渡していた。青年は忌々しげにユニスを平視しており、彼女もその鋭さを察していた。ぎこちない動作で本を受け取るユニス。俯いた彼女の方へ、白手袋を嵌めた手が伸びていく。僕は反射的に飛び出し、彼の手を払い除けていた。


 僕に制止される直前、青年の指先が目指していたのはユニスの首輪だ。手枷は着けていないものの、一種のアクセサリーとして光沢を出す首輪を、不審に思ったみたいだった。


 不意に、苛立ちまみれの靴音が上がり、僕達の黒目は一斉にブランドンを映した。


「我々はクレイグ殿下の望みを叶える。あのお方には数え切れないほど恩がある。それは貴方もでしょう、ローレンス殿下」


「……私はもう王子じゃない。ただのリアム・ブライトマンだ。兄上にも伝えてくれ。『ローレンス・ミック・オルブライトは死んだ』と」


 涼やかなマスターは、僕にとって珍しい姿だった。ブランドンの醜悪な憎相(にくそう)を前に、マスターの容色は崩れない。ブランドンが何を投げつけようが、マスターを揺るがすほどの質量がそこにはなかった。


 ブランドンは見切りをつけて歩き出した。青年も彼に続いていく。荒々しいブランドンの進行で、青年の歩調は聞き取れなかった。


「ブランドン、ウェズリー。神の居場所はどこかの島だ。そこで私達と、君達が再会出来ることを祈っているよ」


 マスターの助言に、彼らは数秒足を止めただけだ。こちらを顧眄(こべん)することなく、僕達との遭逢に終わりを告げていた。


 空気が変わる。僕達を取り囲んでいた薄い膜が消失したみたいだ。息がしやすかった。ふ、と見回せば、数人の一般人と視線が絡んで逸らされる。出入り口の傍で怨声を放っていた僕達は、異変に気付いた人々から注目されていたらしい。


 今もなお、打見されている気がして、恥ずかしさから立ち去りたくなる。帰ろう、と、咽喉から出かかった言葉を呑み込んだ。俯いたままのユニスを、放ってはおけなかった。


「ユニス、大丈夫?」


「大丈夫、です。……ふふ、情けないですね。私、まだ、知らない男の人に近付かれるの、怖いみたいで。これじゃあ、今までと何も変わらない」


 本を持つ小さな両手が、震えていた。あの青年は気配もなく、突然ユニスの本を奪った。僕でも吃驚したと思う。彼女はきっと、驚悸(きょうき)を恐怖と混同しているだけで、早鐘は弱さの音じゃない。


 それを、上手く伝える術が分からなかった。迷いながらも、両手で彼女の痙攣を包み込んだ。体温が触れた瞬間だけ、彼女の影が揺らいだ。それでも彼女が抵抗を示さないから、両手を強く握り締めた。


「ユニス、大丈夫だよ。ほら、僕達には大丈夫になってきてるじゃないか。それだけでもすごいことだよ」


 ユニスがなぜ人との接触を恐れるのか、その理由を追思する。同時に僕が宮殿で、魔女を名乗る男に犯されたことを、思い出す。あんな気持ち悪い事を、ユニスは幼い頃に日毎繰り返されたのだ。


 あの日の痛みも、不快感も、猿轡でくぐもった悲鳴も、まだ覚えている。恐れよりも赫怒が込み上げるのは、この肉体が妹のものだから。四肢を切り落とされた激痛で、意識が曖昧だったから。妹を穢したあの男と、守れなかった僕自身への怒りが、まだ胸臆に残留しているから。


 だけど僕だけの問題だったなら、きっと憎悪よりも恐怖が勝っていた。ユニスが人肌を嫌がる気持ちが、今ならよく分かっていた。


「……大丈夫。君は、強いよ」


 こくこくと頷いたユニスが、冒険譚で僕を押してくる。受け取れ、ということらしい。疑問符を呑み込みながら受け取れば、ユニスは両手で己の頬を一発叩いていた。


 赤らんだ頬に赤らんだ目で、強気な笑みを向けてくるものだから、おかしくて放笑してしまった。


「もう、大丈夫そうだね」


「すみません、ありがとうございますメイさん。……さっきの人、なんだか嫌な感じでしたね」


「ああ、ブランドン、だっけ? オッサンが止めなかったら、あいつの鼻をへし折ってやったのに」


「あ、そっちじゃなくてですね……」


 ユニスの言葉を遮ったのは僕の呻吟だ。マスターが、力加減を忘れたのかと思う程の按撫《あんぶ》をしかけてきて、首が痛んだ。


「メイちゃんはもう少し牙を収めようね。でもさっき、ブランドンの前で『オッサン』じゃなくて『マスター』って呼んでくれたのは嬉しかったなぁ」


「オッサンの聞き間違いじゃない?」


「いや、はっきり聴いたよ! この耳でちゃんとメイちゃんの声を受け止めたよ! 良い思い出として記憶に刻ませてもらったんだ、もう忘れない。記念日にしよう」


「あのさぁ、僕が万一『マスター』って言ってても、心の中ではいつでも『オッサン』って呼んでるからね」


 マスター(オッサン)はオッサンだ。これまでも、これからも変わらない。ただ、変態じみたオッサンから、親しみのあるオッサンには変わったかもしれない。


 上機嫌で雀躍《じゃくやく》していたマスターが、ユニスのことも撫で始める。眉尻を下げて笑うユニスと、呆れ顔の僕に目弾きする彼。僕達は今度こそ、図書館の敷居を踏み越えた。


「とりあえず、私達はこの本から『神の住む島』に近付けるだろうし、クレイグ達は島というヒントからいずれ正解に辿り着くだろう。決着をつける日はそう遠くない」


「うん。だからそれまでに……少しでも鍛えておかないとね」


 石畳は夕方の色をしていた。赤烏(せきう)が青黒い人影を縫って街を染める。見はるかした空は今日を燃やし、明日が灯るまで眠りにつく。


 夕焼けも朝焼けも、エドウィンを思い出す。采色が彼と重なるからか、彼と歩んだ時間を思い出すからか。


 燃えつきるまで戦う彼は夕陽のようだった。だけど彼は、夜の暗さに留まらない。彼は必ず次の火を灯した。幽冥の淵に触れても微笑む彼は、朝焼けがよく似合った。


 彼は、僕の夜を終わらせてくれた人。僕に、夜をもたらした人。朝焼けの彼にはまだ会えない。


     (四)


『酒場・化物退治』は、僕達の復讐が終わるまで休業することになった。その為、夜になっても来店の鈴は鳴らない。『closed』の札を掛けた扉は閉まったまま、誰も通さなかった。


 今、僕達がいるのは地下室だ。防音性の高い壁に囲まれた、家具のない空間。壁の一部分が埋め込み棚になっており、数種類の銃や刀剣類が収納されている。見回してみれば、試し撃ち用と思しき的も見つけられた。


 ここに初めて入ったのは僕だけでなく、ユニスも同様だったようで、大口を開けていた。わあっと彼女が漏らした吐息は、石造りの室内によく響いた。


 流石金持ちの建てた酒場、といったところだろうか。地下室までもが、蝋燭ではなく電気によって照らされている。シャンデリアほど大きくはない、シンプルなランプが頭上に吊るされていた。


 降り注ぐ銀燭に目を細めていれば、マスターがその光をちらと屈折させた。彼が懐から取り出したのはテーブルナイフで、それはユニスに手渡される。


「ユニスはテーブルナイフ、私は普通のナイフを使って稽古をつけていこうか」


「っオッサン、ユニスに怪我させる気か? 危ないだろ」


「深手は負わせないようにするさ。で、私とユニスの傷が酷くなってきたら休憩を挟んで、メイちゃんに治してもらう」


「え」


 戸惑いのあとで、緩やかに納得していった。接近戦が出来るようになりたいユニスと、治癒魔法を習得したい僕、双方の頼みを同時に叶えようとしているのだ。


 粛として声のない時間をどう捉えたのか、マスターが人好きのする笑みを浮かべて親指を立ててきた。


「もちろん、早く治さないと危険な場合は私が治すから安心してね」


「……わかった。休憩になったら声掛けて。僕も一人で稽古するから、ナイフと拳銃借りるね」


 埋め込み棚の上部には暖色の照明が取り付けられており、収納されている武器が美術品みたいだ。大きさも素材も様々な、ナイフ、銃器が各段に分類されて置かれている。回転式拳銃を手に取ると、弾倉には弾がしっかり装填されていた。照明を浴びた銀色の銃身は新品さながらに綺麗だった。


「メイさんが拳銃を? メイさんほど戦える人なら、銃は必要ないのでは?」


「あ、僕がっていうか、えーと、髪が……?」


 手にしていた拳銃を担ぐように、肩口へ近付ける。後ろ髪の毛先まで魔力が浸透していく。僕の意図を察したシャノンが、銃身を絡め取っていった。


 僕の目界では窺えないが、シャノンが拳銃を上下させているのだろう。ユニスの駭目が上を見て、下を見て、長い睫毛をぱちぱちさせていた。マスターも興味深そうに僕の髪を眺めており、だんだん照れくさくなっていく。


「ど、どうやってるんですかそれ!?」


「この肉体は元々僕の妹……シャノンのものだけど、彼女の意識が目覚めたんだ。その意識を髪に《譲渡》することで、後ろ髪がシャノンの手みたいになってる」


『お話は出来ないのかな? ユニスちゃん~?』


「わっ、いきなり喋らないでよシャノン。ビックリした……」


 妹の声は僕の頭蓋で木霊する。それが室内に届くことはなく、結果として僕が独り言を喋ったことになる。目の前にいるユニスが百面相しているのがおかしくて、苦笑をしていればシャノンに髪を引っ張られた。


『だって、私もお友達ほしい』


「それは、そうだよね。ごめん……」


「メイちゃんは妹さんと会話が出来るのかい?」


「うん。でも、シャノンの声は僕以外には聞こえないみたい」


『残念。おじさんともお話してみたかったのに』


 後ろ髪の一房で拳銃を持ったまま、もう一房を手の代わりに振っているシャノン。ユニスが数歩近付いて、その毛先に片手を伸ばしていた。すると髪の毛が小さな手に絡みつき、握手を始める。奇妙な体験に感動しているのか、ユニスの目顔が華やいでいった。


 そんな僕達をニコニコ見守っているマスターへ、僕は揶揄うように笑った。


「オッサンよかったね、シャノンがオッサンのこと、『おじさん』だってさ」


「おじさんでもオッサンでもなくて『お兄さん』だよ、シャノンちゃん……。──ユニス、そろそろ始めよう。基礎的なことから教えていくね」


 テーブルナイフを持ったユニスが、マスターに会釈をして彼と向かい合う。マスターが腕を伸ばしてもユニスに届かないくらいの距離が、彼らの間にある。それぞれの掌中にあるのは真剣で、掠れば傷を負う。ユニスの面持ちも緊迫したものになっていた。


 マスターはまずナイフの構え方と振るい方、空いている手の位置、足の運び方を教え始めていた。順手、逆手、それぞれの持ち方で描く軌道を、ユニスがまじまじと瞻視《せんし》している。ユニスが一つ一つの振るい方を見様見真似で試みるも、腕だけを動かすものだから足遣いを注意されていた。


 二人の様子を観察していると、懐かしい気持ちになる。僕もアテナ(せんせい)に教わった時、たびたび欠点を指摘をされた。構え方が少しずつ様になっても、空いている手や足の動きが疎かになる。戦いに熱が入ってくると攻めてばかりになってしまう。その攻め方も型に嵌まりすぎていて、相手に隙を見出される。


 孤児院の庭に佇む先生の声貌は、まだ鮮明に思い出せた。エドウィンとよく似た、美しく可憐な少女。スカートに縫い付けられた赤い花を揺らし、記憶の中の彼女が微笑む。その口からにこやかに吐き出される無数の棘。優しくも厳しい発言が蘇り、僕は額を押さえた。もちろんそれらは全て正論で、僕の弱さを言語化しただけのものだ。だからこそ深々と刺さったまま、耳底に残っていた。


 マスターの革靴の音と、ユニスのショートブーツの靴音が交互におとなう。身長差のある二人の影が近付き、離れ、また近付く。


 僕は彼らから目を逸らし、的がある壁の方へと向かっていった。



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