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誅戮のヘイトレッド   作者: 藍染三月
四巻/第一章
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暮れなずむカメリア3

 ようやく到着した目的の棚は、分厚い本が詰め込まれている。背表紙だけを見てもボロボロな本が沢山あった。王族の歴史、戦争の歴史、昔の生活や服装について等、タイトルには内容が端的に書かれている。


 頭上の段まで観視していたら、眼路にマスターの人差し指が差し込まれた。


「メイちゃんには隣の棚をお願いしたいな。私はこっちの棚を見て行くから」


「分かった」


 指示された棚には、神話や宗教という単語が並立している。表情筋が難色を訴えてきて苦笑した。情けないことに、僕は宗教についてほとんど無知だった。


 背表紙を見る限り、どうやらこの国では、地域によって信仰する神様が異なるみたいだ。僕の故郷でも神様を崇めていたのかもしれないが、村に近付くだけで白眼視されていた僕達にとって、縁のない話だった。


 エドウィンの故郷とどの神様が繋がっているのか分からず、適当に一番分厚い本を手に取る。そこには神々の物語と解説が書かれていた。この神話は、国内であればどの地域でも伝承されているらしく、ここに出てくる神々が、それぞれ各地域の守護神になっているらしい。


 国の地図が出てきたところで、己の無学を恨んだ。街の名前も知らなければ、地図の読み方も分からない。ひとまず神様の一覧を読み進め、『魔力の種』や『魔力の花』という記載がないかだけを確かめていった。


 ふと、アテナという名前を見つけて手が止まる。僕のいた孤児院で、大人たちは時折この女神を信仰していた。実際崇められていたのは先生(アテナ)だったが、あの人の呼び名はこの女神に由来しているのだろう。


 かつて『魔女』が戦争で使われていた、というマスターの話も鑑みれば、異形(まじょ)を生み出したあの人が『戦の女神』として崇められるのも頷ける。


 とはいえ、アテナという女神も、魔女や魔力の花と関係なさそうだった。


 それから数冊流し読みしてみるも、『魔法』が出てくることすらほとんどなかった。


 題名に『魔法』が入っている本がないか、棚の一番上までじっくり観察していく。


 彷徨った視点は、一冊の本の上で縫い留められた。傍にあった梯子を立てかけ、上方の段から本を抜き取る。錆色の革表紙を開き、ページをめくっていく手付きは感情的で剽悍ひょうかんだった。


 探しているのはこの本ではない、と、理性が訴えてくる。だけど抗えないほどに、赤心せきしんが指を動かす。空想じみた記述を一心に辿り続ける。


 没頭していく僕の様子は、はたから見ても違和感があったのかもしれない。気付けばマスターが隣に立っていて、僕を覗き込んでいた。


「び、っくりした……なに」


「気になる本でもあったのかな、と思ってね」


 僕の意識は紙上の世界から引き戻され、だんだんと冷静さを取り戻していく。と同時に、本を閉じたくなった。藁にも縋る気持ちで見つめていたページを、マスターがじっと諦視していた。


 そこに書かれているのは、亡くなった人を蘇らせる方法だ。僕達が使う魔法とは異なる、馬鹿げた儀式について(つぶさ)に記されている。


 普段なら絶対に信じないような眉唾物。何事もなかった顔で棚へ戻そうとしたが、閉じた本はマスターの手に攫われていた。


「いや、別にそれは……」


「メイちゃん、死んだ人間は蘇らない。辛いけど受け入れないとダメだ」


「っわかってる」


 引っ手繰る勢いで取り返せば、彼の顰笑と向き合うことになった。僕が誰のことを想っていたのか、彼は、それを苦々しく味解していた。慰めに似た微笑みの裏で彼が悲傷を湛えている。気付いてしまって、僕も顔を顰めていた。


 互いに何かを言おうとするも、何も言えない見合いが続いた。緘黙が痛い。気道が狭まって、息が出来なくなっていく。閉塞感から逃れたくて口を開けば、堪えていた真情が溢れ出してしまう。


「ちゃんと、分かってるんだ。……わかってる、けど……! でも、この世には魔法があって、アテナ(せんせい)だって何度も蘇ってた。魂を別の肉体に移して、違う姿で──……、っ違う姿になってしまったら、それはエドウィンとは違って。エドウィンだってそんな風に目覚めさせられたら、僕を軽蔑するかもしれないけど……!」


「メイちゃん、落ち着いて」


「どんな姿でも僕は、エドウィンに生きてて欲しかった……!」


 哀絶が喉を焼く。血脈を辿る熱は眼窩まで回って、目の前を仄白く滲ませていた。唇が震えるのを誤魔化したくて、痛いくらい噛み潰した。血の味がする。それでも震えが止まらない。傷口のない痛みが僕の平静を切り苛んでいた。


 前だけを見据える生き方がどれほど難しいことか、実感する。後顧(こうこ)した過去にとらわれて前に進めなくなる。エドウィンはどうして、歩み続けていられたのだろう。彼にはもう届かないのに、問いかけたいことがいくつも浮かんでいた。


 思い出を回視して、記憶を巡って、辿り着いたのは憧れだ。ユニスの思いが、今ならよく分かる。己の弱さを知れば知るほど、彼の背に焦がれていった。


 滴に包まれた目睫(もくしょう)が、暗らかに染められた。マスターが、僕を抱きしめていた。


「私も、同じ気持ちだよ。ずっと後悔している。どこで間違えたのか、ずっと、考えている」


 穏やかな声柄が僕を慰解しようとする。けれど、耳元で捉えた言葉尻はひどく悲しげだった。しゃくりあげる僕は相槌すら打てないまま、彼の心音を聞いていた。互いの鼓動は共鳴するように重なっていった。乱れていた息差しが、彼の拍動を追いかけて落ち着いていく。


 照明の残光が睫毛から零れて、僕は彼の腕の中で暖かな影を見つめた。声をかけて離れようかと思ったが、顔を上げたら頭を抱き寄せられる。ほんの少し、冷たさを感じた。彼はまだ、涙雨の中にいた。


 やがて、彼は落ち着いた音吐を漏らしていた。それはまるで懺悔みたいだった。


「あの子が十五歳の時から、私は、多くのものを背負わせ過ぎた。私の目的のために、子供らしい心を奪ってきた。最初から、間違っていたんだ。私は、殺し方なんかじゃなくて、もっとあの子に、普通の生き方を教えるべきだった」


 泣き出しそうな背中に、腕を回した。思い出の中のエドウィンの体より、しっかりしていて厚みがあった。


 僕が見上げていたエドウィンは、毅然とした大人だった。だけどマスターから見た彼は、きっとまだまだ子供だったのだ。


 酒場で過ごした日々を思い返していれば、そっと熱が離れていく。


「すまない、メイちゃん。忘れてくれ。なんでもないんだ」


 うそ笑んだマスターの、その愴然に頷きながら目を伏せる。だけど彼の言葉を否定したくて、横髪を振り乱した。彼の瞠視を真っ直ぐに射抜いた。


「……エドウィンはきっと、背負わされたなんて思ってないよ。貴方のせいだとも思ってない。生き方に後悔もしてないと思う。貴方だって、彼のそういうところ、よく知ってるでしょ」


 エドウィンに生きていて欲しかった。普通に生きて幸せになって欲しかった。その気持ちは同じだ。だけど、彼の選択が間違いだったなんて、言われたくなかった。彼の生き様は、僕にとって何よりも色深しいものだから。


 そうだね、と、マスターが声もなくささめいた。微かな吐息は声にはならなかった。


 マスターは目頭を摘まむと、深く息を吸って、吐いていた。


「メイちゃんは、今の生き方でいいのかい? もう誰も殺さなくたっていい。私だけで、終わらせてくることも出来る。それでも君は、本当に、復讐を選ぶのかい」


 問いかけに、唇が緩んでいく。細思する時間は必要なかった。この選択に迷情は生じない。


「選ぶよ。誰のせいでも、誰の為でもない。僕がそうしたいから、復讐するんだ。あいつの首は僕が獲る、貴方には殺らせない」


 マスターもあの男(クレイグ)に思うところがあるだろう。兄弟としての愛情も、恩怨もあるはずだ。だけど、だからこそ、マスターには背負わせられない。


 僕の手で、終わらせてみせる。


 決意を固めていれば、頭を撫でられた。険を孕んでいた目顔から力が抜けていく。マスターが僕に笑いかけていた。


「メイちゃんは、時々エドウィンに似てるなぁと思うよ」


 大好きな人に、似ている。それは、嬉しいような、照れくさいような、複雑な感情で僕の体温を上げていった。


 マスターから顔を背け、梯子を上って死者蘇生の本を片付けに行く。顔が熱くて、軽く片手で仰ぎながら梯子を飛び降りた。


「こらこら。危ないし、図書館ではもう少し静かにしようね」


「あー、うん。それより、魔法とか神様についての本、見つかった?」


 彼の後方を見遣ると、床には何冊もの本が散乱している。内容を読み比べていたのか、開かれたまま置かれているものも数冊あった。


 僕の目線を辿った彼が、本に近付いていく。一冊ずつ拾い集め、棚に収め直していた。


「魔力の花とは無関係の魔法の記述や、神話じみた本はいくつもあるけどね。どれも私達が使えるような、本当の魔法とは関連がない」


「この国の歴史、みたいなのは? 魔法が普通に使われていた時代について、書かれてない?」


「どれだけ遡っても、魔法を使える人間の話は出てこなかった。勿論『魔女』についても書かれていないよ。私の家系が王族となってからも『魔女』は兵器として使われていたが、その記録も残っていないらしい」


 そっか、と呟いて唇を歪めていく。神によって魔法の記憶を消された世界で、エドウィンの一族は唯一魔法の記憶を残されて、その管理を任されていた。あの廃村にある記録も厳重に守られ、今まで持ち出されなかったのかもしれない。


 もう一度あの村を探した方が良いのではないか。そう提案すべく顔を上げた時、ヒールの音が近付いて来た。僕とマスターが同時に振り返ったものだから、びっくりさせてしまったようで、ユニスが両肩を跳ねさせていた。


「お二人とも、ここにいたんですね」


「ユニス、なにかあったの?」


「気になる本を見つけたので持ってきました!」


 得意げな面色で一冊の本を掲げるユニス。分厚い本ではあるが表紙は綺麗で、歴史を感じない。比較的新しい本に見えた。タイトルには『或る少年の冒険』と書かれている。僕は首を傾げてユニスに訊ねていた。


「冒険譚……? これって、フィクションじゃないの? あ、もしかしてユニスの好みに合った本ってこと?」


「ユニスはフィクションが好きだからね。真面目な本は私とメイちゃんで探すから、冒険譚をゆっくり読んでいて構わないよ」


「メイさんもマスターも私のことをお子様扱いしすぎじゃないですか?」


 幼子に向けるような眼差しを注がれて、ユニスが眉を吊り上げていく。頬を膨らませる彼女の瞋目しんもくに刺され、僕が「ごめん……」と呟けば、それはマスターの声と重なっていた。


 ユニスは大息を響かせてから、分厚い本を捲り始めた。

 

「エドウィンの一族は『魔法のことを伏せて、血液型のことだけ人々に教えた』ってマスター言ってたじゃないですか。だから考えたんです。歴史のことは伏せて、どこかに真実を書き残している可能性。それがあるとすれば、オカルトやファンタジーの中でしょう」


 紺色のスカートがふわりと広がる。大理石の床に座り込んだ彼女は、本を開いたまま床に置いた。すると、細い指で文字の羅列を指し示し、僕達を振り仰ぐ。僕とマスターは膝を突いて、開かれているページを覗き見た。


「この本には、『魔力の種』や『魔力の花』が出てきます。主人公の両親が神様を怒らせてしまって、国中にたくさんの不幸が降りかかるんです。両親を亡くした主人公は、不幸の連鎖を止めるため、神様に謝ろうとしました。そうして神様の住む島を目指す、という物語みたいです」


 繊指が『魔力の花』の文字列をなぞる。ユニスが語ったあらすじも、エドウィンの故郷で読んだ神話に似ている。ただの空想物語ではなさそうだった。魔法について知っている人物──すなわちエドウィンの一族の者──が書いたと推断出来る。


「ユニスはもう、読み終えたの?」


「いいえ、気になる単語だけ目に留めていたので、詳しくは読み込めていません。この厚さですし、読むのも時間がかかるかと……」


 最初のページに戻し、初めから読もうとしたところで気付いたが、一ページの文字数も多い。汚れや染みの少ない紙面を凝視していれば、ユニスと僕の髪が触れ合った。


 軽く上体を起こすと、ユニスも鏡像のように同じ動きをする。見交わした距離はとても近くて、柑橘に似た聖水の香りが鼻腔を通っていった。鼻先がぶつかり合いそうなほど目前で、彼女が首を傾げていた。


 今までの彼女なら逃げ出しそうな距離感。耐えられるようになったのだろうか。黙考しているうちに、ユニスが顔を逸らした。


 僕達の座右にあった冒険譚は、マスターに持っていかれた。


「借りて帰ろうか。酒場に戻ってじっくり読もう。ここで読んでいたら閉館の時間になってしまう」


 閉じられた本が乾いた音を立てる。その余韻は彼の革靴に潰されていった。僕達も彼に連れ立って、大理石の床を後にした。


 寄木細工の床板を鳴らせば、雑踏に少し近付いた。館内の人口は先刻よりも増えているような気がした。


 マスターが司書と話している間、僕とユニスは他愛ない会話をしながら待っていた。お腹が空いただとか、帰ったら甘いものが食べたいだとか、ユニスらしい言葉に笑窪が深くなる。


 貸し出しの手続きを終えたマスターに声を掛けられ、僕達は帰路へと爪先を向けた。


『魔力の花』たる心臓を捧げる場所。それがこの冒険譚に書かれていたとして、クレイグもそこに辿り着くことが出来るのだろうか。いや、僕達だけでも先に辿り着ければ、あとは奴をおびき出す手段を考えればどうにかなるはずだ。


「マスター?」


 潜思していた僕は、ユニスの声音に意識を引き上げられた。外に繋がる扉まで、まだ十歩以上はある。だけどマスターは立ち止まっていた。彼と対峙する形で、見知らぬ中年男性も凝然と佇んでいた。


 男の服装は衛兵のものとよく似ている。だが警備として立っていた衛兵達よりも、装飾が多く煌びやかな様相。マスターの知り合いなのか、男は彼と直線上で向き合ったまま、恭しく頭を下げていた。


「ローレンス殿下。このような場所でお会いするとは思いませんでした」


 色素の薄い金髪が揺れ、すぐに持ち上がる。彼の言貌は淡々としていた。その静けさが穏やかなものでないことを肌で感じられた。


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