忘れ物
来てしまったんだ、私。肝試し……いや、East Topの名刺交換会に。
長蛇の列に紛れて、美里は思った。まさか、自分がこんな行動に出るなんて、考えもしなかった。と言っても、半ば強引な親友の誘いのせいだけれど。
周りを見渡すと、ペンと呼ばれるファンの子達が、高揚した表情で会話をはずませ、その時を待っている。それぞれがお目当てのメンバーに渡す為に、思い思いのメッセージを書いた名刺。それを持って、この場所に集まっている。
洋子情報によると、East Topのメンバーは20代前半から半ばらしい。当然、ファンも同世代が大半だろうと思いきや、意外にも30代以降が大部分を占めてることに、美里は少しホッとした。
それにしても、凄い人気。美里は呆気にとられながら、あの時のエンジェルスマイル君が本当にテヨンだったのか、ますます確信が薄れていった。ゆっくりと列が動きはじめたのに従って、美里も前に進む。
「テヨン……です」
受付スタッフに聞かれるまま、名刺を渡すメンバーの名前を告げ、奥へと進んだ。会場へ入った美里は、更に高まったファンの熱気に一瞬戸惑った。
「なんか、場違い?」
呟いて、テヨンの列の最後尾についた美里。ふと隣のドフン列に目をやると、いつの間にかはぐれてしまっていた洋子の姿が目に入った。こちらに向けて、満面の笑みで大きく手を振るジェスチャー。そんな親友の性格を、初めて羨ましく思ったのと同時に、なんだか笑えてきて美里は少し気が楽になった。しかし、それも束の間。美里の視界に飛び込んだテヨンの姿に、心臓が急に激しく脈打った。いつの間にか、テヨンと美里の間の人数は、10人に満たなくなっていた。
設置された長いテーブルの向こう側に、横一列に並だEast Topのメンバー。テーブル越しに、ペンひとりひとりと笑顔で会話をし、お互いの名刺を交換している。中には感極まって泣いている子もいる。そんな様子を見て、美里はますます落ち着きを失った。足がすくんで軽く眩暈まで
してきて、ギュッと目を閉じふらつかないように、足を踏ん張った。
テヨンに対する自分の気持ちを確かめたい。そんな事を、一瞬でも思ったのを後悔した。テヨンがエンジェルだろうがお化けだろうが、そんな事もどうでもいい。今ならまだ引き返せる。ここから逃げてしまいたい。そんな衝動にかられた美里の背中を、後ろの子が突いた。
「あの、進んでもらえます?」
ハッとして目を開けた美里の3メートル程先に、眩しい笑顔をこちら向けたテヨンがいる。それは、紛れもないエンジェルスマイル君そのもの。瞬間、美里の脳裏にあの日の出来事がフラッシュバックした。また心臓が飛び跳ねる。
それなりにお洒落はしたものの、どうしてもテヨンに顔をハッキリ見せる勇気がなくて、被ってきたキャップ。それを目深に被りなおし、覚悟を決めた美里はぎこちない足取りで、テヨンに向かって歩き出した。
「あ……」
目の前、至近距離のテヨンに、思ったように言葉が続かない。俯いたまま、テヨンの足元を見るしか出来ないでいる美里。
「顔……」
聞えてきた声に、美里は懐かしい感覚に包まれた。そして、その声につられるように顔を上げた美里は、今度こそハッキリと確信した。
―エンジェルスマイル君だ―
一瞬にして頭が真っ白状態になった美里。
「見えないですね、顔」
テヨンの声に、ハッと我に返った美里。
「え……?」
「ん~……」
首を傾げたテヨンが、体勢を低くしながら美里の顔を覗き込もうとした。
「ダメ!!」
思わず美里は叫んだ。呆気にとられるテヨン。不自然な体勢のままで、キョトンとしている。
美里は慌ててバッグから取り出した名刺を、ぶっきらぼうにテヨンに差し出すと、その場から逃げるようにして、出口へと足早に向かった。その背中に、テヨンの声が響く。
「待て……ください!」
恐る恐る振り返った美里の目に、テヨンが迫ってくるのが見えた。
な、何? 何なのよ!? ギョッとして立ち止まる美里。
「僕の名刺を……」
慌てて美里を追いかけ、スタッフの足に躓き体勢を崩したテヨンが、美里のキャップのつばを払いのけてしまった。
「ミア……ごめなさい」
すまなさそうに言うテヨンと思いきり目が合った。息を呑む美里。顔から火が出てるんじゃないかと思うほど、火照っている。
キャップを拾い、美里に手渡すテヨンの表情は、特に驚いた様子はない。心の何処かで期待していたものがしぼんでいくのを感じた美里は、ありがとうと小さく言うと、テヨンからキャップを受け取り、とぼとぼと会場を後にした。
暫く歩いたところで、美里は忘れ物をした事に気付いた。
「ちょっと~、美里~」
忘れ物が息を切らして追いかけてきた。
「友達を放置して行くなんて、そんな趣味あったの?」
「ゴメン、洋子」
この時、もっと大事なものを忘れた事に、美里は気付かなかった。




