肝試し
今朝はコーヒーに、砂糖とミルクを入れ忘れた。というより、そのちょっとの手間も美里には煩わしかった。それに、寝起きの頭を効率よく働かせるには、糖分よりブラックの苦味が適している気がした。
とにかく良く考えよう。そう思いながら、いつもは10分程で飲みおわるコーヒーに、30分は費やした。いろいろと思いを巡らせてはみたものの、結局、答えは出せなかった。
『East Topの名刺交換会』等という、未知の世界。そこに足を踏み入れるか否か。それは美里にとって、“肝試し”と言っても過言じゃない気がした。
洋子がK-POPグループ『East Top』のCDを持ち込んできたあの日以来、“テヨン”の名を思い浮かべる度に、美里の心臓は言うことをきかなくなる。こんな調子で本人を目の前にしたら……。考えるだけでゾッとする。
初めて会ったテヨンは、可愛い笑顔が印象的な、まるで“天使=エンジェルスマイル君”だったけれど、今の美里にとっては、季節はずれのお化けみたいな存在。
テヨンにしてみれば、自分のことをまさかそんな風に感じている人間がいるとは、夢にも思っていないだろうけれど。
「ちょっと可哀想な気もするけれど」
CDジャケットのテヨンを横目で見ながら、美里は少し気の毒にさえ思えてきた。
ふと部屋の壁掛け時計に目をやると、午前11時過ぎ。美里が予感したのとほぼ同時にけたたましくチャイムが鳴った。来たなと思いながら、玄関へと向かった。美里がドアを開けるや否や、また凄い形相の洋子がドカドカと上がりこんで来た。我が物顔でCDをデッキにセットすると、軽く眉間にしわを寄せた洋子が前置きなく切り出した。
「こんなチャンス滅多にないんだから! いや、この先絶対ないね! これからますます人気出ちゃって、間近で彼らに会うことなんてあり得ないんだから!」
“肝試し”前日だというのに、まだ行くことを躊躇っている美里に、洋子が熱心なモーションをかけてきた。
「ちょっと落ち着いてよ。今コーヒー淹れるから」
美里はやれやれと、キッチンへと向かった
「は~……全く」
一呼吸した洋子が、少しゆっくりした口調で続けた。
「とにかく行かなきゃ一生後悔するって。実物は本当にかっこ良くって、会って喋ったらもっとハマルんだから! ね、だから行こうってば!」
洋子の熱弁を背中で聞きながら、だからそれが困るんだって。そう心の中で呟いた途端、美里はハッとした。
そうなの? 私、ハマっちゃうのが怖いの? テヨンに……。自分の本心を少しだけ理解した気がした美里。と同時に、頭をもたげてきた思い。本当にそうなのか、確かめたい。
「分かった……。私、肝試しするわ」
独り言のように、美里は口走った。
「はぁ? 何言ってんの」
拍子抜けして笑う洋子。
「肝試しって……。じゃなくて、名刺交換会よ、名刺交換会! 直接、East Topと会って話して、お互いに愛のこもった名刺を受け渡しするのよ。もうチェゴーッ!!」
耳をつんざくような洋子の声に、ハッと我に返った美里。だが時すでに遅し。猫みたいにじゃれついてくる洋子が間髪いれず急かしてきた。
「で、誰にする?」
「誰って、何が?」
「美里が名刺を渡す相手よ!」
「へ……? そ、そんな事聞かれても、誰が誰だか名前も……、それに会ったことないんだから選べない」
“会ったことない”そんな言葉に美里は少しの違和感を覚えたけれど、自分に言い聞かせた。
嘘をついてるわけじゃない。そうよ、まだエンジェルスマイル君がテヨンだって、100パーセント言い切れないもん。
「は~っ? 会ったことがあるって方がビックリだわよ。とにかく、直感で選びなさいよ。あ、ドフンはダメだからね!」
洋子の半ば脅しのような言葉に促され、美里はCDジャケットの一人を指差した。
「へ~、美里。なかなかいい趣味してるじゃん」
洋子が微笑を浮かべた。




