その手の温もり
私は、安寿だった頃の夢を見ていた。
病院のベッドで寝ていて。
お医者様の声が聞こえて来た。
ーーー空腹の状態で、甘い物を一気飲みしたのが原因ですね。血糖値スパイクというやつです。
ーーー血糖値が急激に上昇した後、インスリンの作用で急激に低下したんです。それで気絶したわけですな。で、頭を強打したと。
ベッドの上でひー!っと思った。
カフェオレを飲んで死んだりなんかしたら、ろくなニュースの無い田舎である。きっと地方新聞の一面トップにのるだろう。
別な声が聞こえて来た。
ーーー栄養失調だと!
この声はアンジュのお父様の声だ。
ーーー栄養失調状態で、バターや砂糖がたっぷり入った菓子を食べ体が驚かれたのです。カトルカールは小麦粉や卵の重さと同じほど、バターと砂糖が入っている菓子ですから。
知らない人の声だ。言っている内容からしてお医者様だろうか?
ーーー大丈夫なのだろうな?
ーーー目が覚めれば大丈夫ですが、もしこのまま目が覚めなければ・・・。
手が温かかった。その温もりが手から全身に広がっていく。誰かが手を握ってくれている。アンジュの手を握ってくれる人なんて今まで誰もいなかった。とても温かかった。
私は目を開けた。金色の瞳をした黒髪の少年が、私の手を握り心配そうに見つめていた。
「・・アンジュ!母上、父上。アンジュ嬢が目を覚まされました!」
「アンジュ!」
「アンジュ様!」
お父様とデルフィーヌ様が駆け寄って来た。
「・・良かった。」
と言ってデルフィーヌ様が涙ぐんだ。ごめんなさい。びっくりしたよね。自分が買って来た菓子を食べた途端、私がひっくり返ったんだもの。でも、私が悪いわけじゃないと思うのよ。ご飯をくれなかった周囲の大人達が悪いと思うの!
と思ったら、私の家である庭の離れの私のこの寝室に、使用人さん達が全員集合させられている。全員、顔色が真っ青だった。
「アンジュ嬢。隣の部屋にパンとスープがあったけれど、あれがアンジュ嬢の普段の食事なの?」
とお兄様に聞かれた。おっとー。アレを見られてしまったか。でも、むしろ好都合。この場を借りて言うべき事を言わなくちゃ!
と思うけれど、頭がぼーっとして口が動かない。
「私の娘が栄養失調とはどういう事だ!」
とお父様が一列に並ばせた使用人達を怒鳴りつけている。
「・・お・お嬢様は、偏食がひどくて何を出してもお食べにならないのです。」
と、メイドの一人が言った。
「そうです。気に入らない物は絶対お食べにならなくて、私共も困っているのです。」
「そうです。その通りです。」
と、みんな揃って言い出した。嘘をつくなやーっ!と叫びたいが、頭がぼーっとして声が出ない。
ああ、みんなに寄ってたかって言われたら、お父様達はそっちの方を信じるんだろうなあ。と思って悲しくなった。
お父様は黙っている。そしたら、デルフィーヌ様がお父様の側に立ってお父様に質問した。
「アンジュ様の品位保持費は誰が管理しているのですか?」
「私が毎月、侍女長に払っている。」
「アンジュ様をパジャマに着替えさせようと思ってクローゼットを開けさせて頂きましたが、クローゼットの中には貧しい平民が着るような服が数着しか入っていませんでした。靴も装飾品の類もありません。この部屋の家具は質素で、本も人形もぬいぐるみもありません。そのうえ食事もほとんどとられないのなら、アンジュ様の為に用意されている生活費は何に使われているのですか?きちんと、侍女長が管理されて貯金しているのですか?」
そう言ってデルフィーヌ様は使用人達をじっと見つめた。
「まさか、横領して使い込んだりしてませんよね。」
使用人達が蒼ざめて息を飲んだ。使い込んでるな、こいつら!子供の私でも態度でわかるわ!
「答えろ、侍女長⁉︎」
とお父様が怒鳴った。
「旦那様の為なのです!」
と、いきなり侍女長が叫んだ。
「前の奥様は、好き勝手に我儘に振る舞い旦那様の御心を煩わせていたと聞いております。ですからお嬢様が同じように我儘に育たないよう、贅沢をさせないで厳しくお育てしていたのです。これはお嬢様の為でもあるのです!」
「ようするに・・・。」
とお兄様が言った。
「栄養失調でいつも倒れる寸前の状態にしておけば、我儘を言ったり文句を言ったりしないでおとなしくて自分達が助かるって事か?」
使用人達は下を向いた。
「全員、今すぐこの屋敷を出て行け!」
とお父様は言った。
「そんな旦那様!」
「斬り殺されたくなければ5分以内に出て行け!二度と私と娘の前に顔を見せるな!」
お父様の怒鳴り声でガラス窓が震えた。使用人達は転がるようにして離れを出て行った。
「母上。」
お兄様が苦い物を飲み込むような声で言った。
「母上は、アンジュ嬢が僕達に会いたがっているからここへ来ただけで、ここで暮らすつもりは無いと言っていたけれど、僕はここで暮らします。一緒に暮らしてアンジュ嬢を守ります。僕は兄なのだから。」
この父親は当てにならないから。という心の声が聞こえたような気がした。
私は気力を奮い起こして体を起こした。
「ありがとうございます。嬉しいです。ここにいてください。ジュスト様。」
心変わりや説得をされる前に私は畳み掛けた。
「お兄様、と呼んで欲しいな。兄妹なのだから。」
「わかりました。私の事はアンジュと呼び捨てにしてください。」
私達はガッチリと手を握り合った。
やった。これで、侯爵家の跡取りにならずに済む。それに、今までよりはマシなご飯を食べられるようになるだろう。
将来の破滅フラグがポッキリ折れた。そう思って、私はとても嬉しかった。




